第24話 毒入りスープにんにくマシマシ 前編

 香食こうじき禮次郎れいじろうは、阿僧祇あそうぎマリアの一件で遭遇した縁で、有葉あるば緑郎ろくろうに誘われ、すすきので酒を飲むことになった。

 緑郎が怪しい男だと禮次郎にも分かっていたが、マリアにトドメを刺す為に役立った佐藤喜膳とのパイプ役だ。

 適当にあしらうのも難しい。しかも神話生物相手の仕事に関わる話だと言われては断れない。


「まずはこんな業界でもなんとか生きている互いの無事を祝って」

「乾杯だ、有葉先生」

「乾杯」


 カウンターに座った二人はお猪口で乾杯をする。


「しかし、眼は大分良くなったようだな? あの佐々という医師が治療したと風の噂で聞いているが……本当か? 奴は精神科医じゃないのか?」


 緑郎の問には答えず、禮次郎は微笑む。


「流石にぼんやりとしか見えないよ。代わりに耳や鼻が鋭くなってきた。あと舌もな……実に良い酒だ。それにネタも良い。急にここまで贅沢なものを奢るとはどういう風の吹き回しだ」

「ああ、まあちょっと色々有ってな……最初に伝えただろう? 仕事関係の話でね」

「なんだ。無茶な依頼か? 良いものは食わせてもらったが、だからって素直にウケるとは思わないでくれよ……立場はフリーだが、あくまで最優先は組だ。俺だって組に筋通さなくちゃ何もできねえ」

「いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。仕事は一つ頼みたいが、今回の主題はそれじゃない」

「じゃあ、なんだ?」


 普段のニヤついた彼は何処へやら。

 緑郎の表情も、口調も、弱々しいものになってしまう。


「実はだな……俺の新作を読んだか?」

「ああ……なんだっけ? 邪神大戦? ノストラダムスの大予言をネタにした作品だろう。眼を治す前に、クチナシに読み聞かせてもらったよ」

「あれの主人公のモデルがだな……お前だ」


 丁度その時、最初の寿司がカウンターから出される。脂が乗っていながらも、淡白な味わいに昆布だしが光るヒラメだ。

 

「……だとすると、ちょっと美化しすぎじゃねえかな。特にあの挿絵ほど格好良くねえよ」

「そ……そうか? 怒ったりしてないか?」

「何言ってんだ? それよりお先にいただくぜ」


 緑郎の安堵のため息が聞こえて、禮次郎はヒラメに舌鼓を打つと同時にクツクツと笑う。

 

「いやあ……てっきり怒られるかとな、心配でな」

「俺が読んでも分からないレベルだったし、別に怒らねえよ」

「ま、そういう訳でモデル料代わりに美味いものでもと思って呼んだんだよ」

「それでこの店か。確かに美味いもんな……此処で喰うのは、オヤジさんに連れてって貰った時以来だ」


 ――モデルにされようと特に問題ない。

 ――こうやって向こうから連絡を取ってくれる切っ掛けになるなら、むしろガンガンやって欲しいくらいだ。


「寿司折りも頼んでいるから、そのなんだ。彼女にもよろしく言ってくれ」

「仕方ねえなあ。そこら辺は上手くしておくよ。ところで有葉先生、その一件でそこそこ儲けたよな?」

「あ、ああそうだな……」

「俺はこいつで満足なんだが、クチナシが焼肉食べたいって言ってたんだよ。どっか美味しい店知らねえか? 折角だから高くて美味しい店でさあ」

「ん、ん~~~~~! そうだな……良いぞ、一つ知っている。今度は彼女にも食わせてやろうじゃないか、ああ!」


 緑郎は苦笑いだ。


「そうか、そいつはいいな」


 ――さて、後は酔っ払ってもらって佐藤喜膳の最近の動向やスケジュールについて聞かせてもらうとするか。

 禮次郎はヤクザらしい笑みを浮かべていた。


     *


「って訳で最近の先生は随分とまた美人になってしまってなんというか対応に困るな! ありゃあ!」

「そうかそうか、元気そうなら何より」

「最近なんか忙しくて、原稿の手伝いに呼び出されるくらいだ」

「はっはっは、そいつぁ羨ましい」

「こりゃ秘密だぞ? いやまったく、寿司屋だってのに少し飲み過ぎてしまった」

「大丈夫か? 仕事だってあるだろうに」

「仕事な、お前の方こそ、俺が依頼した仕事をしくじってくれるなよ?」

「任せておいてくれよ。あんたも小説のプロだが、こっちも神話生物相手のプロだ」


 季節は北海道の短い秋の終わり頃。

 ネイビーブルーのアルスターコートに茶革の手袋を合わせた禮次郎。

 黒いトレンチコートに白い中折れ帽子の有葉緑郎。

 防寒着をきっちり着込んで、まるでギャング映画から抜け出してきたかのような服装の二人組だが、二人共しまらない笑みを浮かべている。


「……そうだ。有葉先生よ、なんかまだ物足りなくないか? 酒はもう十分だが」

「はーん、〆のラーメンか……行こう」

「ああ、行こう」


     *


「で、此処か」

「美味いぞ。深夜まで営業しているから、飲みの帰りに寄りやすい」


 禮次郎が連れてこられたのはできたばかりのラーメン屋“九龍”。

 深夜なので人は少ないが、店のドアを開けた瞬間に漂った匂いで、禮次郎は緑郎の「美味いぞ」という言葉が嘘でないと確信した。

 濃厚な潮の香り、だが決して不快感は無く、むしろ胃袋を揺するような良い匂いだ。


「味噌二つ。にんにくマシマシで」

「あ、悪いが俺は明日予定あるんでにんにく少なめで」

「おや、失礼した。それでは店主、にんにくマシマシ一つとにんにく少なめ一つ」

「はいかしこまりました!」


 それからしばらくすると禮次郎達の前にラーメンが出てくる。

 勢い良く食べ始めた緑郎の横で、禮次郎はまずスープから味わう。


「ふむ……」


 禮次郎は思わず唸る。

 ――味噌といえば豚骨スープ。そのまろやかでこってり濃厚な味わいこそが、味噌とはベストマッチだと思っていた。

 ――しかしこのスープ、明らかに魚介類から出汁を取っている。

 海老の鼻腔をくすぐる香ばしさ、蟹のふくよかな旨味、浅蜊の抜けるような喉越し。

 そこまでは禮次郎にも分かる。

 だがあと一つ、白身魚にしてはこってりとしていて、豚骨にしてはさっぱりしていて、カツオや煮干しと言うには癖が無く、鶏ガラにしては自己主張が激しい。しかしなぜだか口の中に残る味わい豊かな潮の風味が分からない。


「なんだこれは……この出汁、旨いんだがどうやってこの味を出している。さっぱり分からん。味噌は良い。味噌は癖の無い道産味噌だ。この出汁の味を邪魔しない為に、あえてそうしている。発想は俺の故郷の函館の塩ラーメンに近い。しかしこの出汁が分からん」

「俺にもさっぱり分からん。気になってしょっちゅう通っているんだが、やっぱり分からん。どうだ? お前もこういうものの推理は得意だろう? 何かわからないか?」


 禮次郎は麺を勢い良くすする。

 視力がほとんど無いとは言え、箸を使って丼の位置さえ探ってしまえば後はさして難しくない。


「麺も至って普通。縮れ麺だ。スープが絡んで旨い……ん゛っ」

「どうした?」

「うげ……髪の毛入ってやがる」


 禮次郎は口の中に入った髪の毛をティッシュに吐き出す。


「おっと、珍しいこともあるもんだな……いや待て。それを見せろ」

「はぁ? 何言ってるんだ。汚いこと言い出すなよ」

「も、申し訳ありません! お客様!」


 禮次郎達の会話を聞いていた店の奥から店主が飛び出してくる。

 一言くらいは文句を言ってやろうかと身構えた禮次郎。

 しかし緑郎がそれを制して店主に微笑む。

 

「ああいや、気にしなくて良いよ」

「いえ! 申し訳ありませんこのようなものをお出ししてしまって! 交換させていただきますので……」


 チベットスナギツネのような目をした禮次郎が見ている横で、緑郎は懐からメモ帳を取り出して、文字がびっしりと書き込まれた紙を一枚破り、店主に突きつける。


「良いかい店主。【俺達のことを気にするな】、仕事に戻ってくれ」


 店主の動きが止まる。

 

「これは失礼いたしました」


 店主は厨房に戻り、何やら明日に向けての仕込みと思しき作業や、溜まった皿を洗う作業を始める。

 禮次郎は目の前で起きたことが信じられず、思わず叫ぶ。


「な、な、な……何やってんだ有葉ァ!?」

「ついに先生呼びしなくなったな」

「馬鹿言っている場合か! こんな簡単に魔術使うなよ! 聞いてないぞ! 魔術師ってのはもっと……」

「人払いの術は既に使っている。しばらく店に客は来ない」


 簡単に魔術を使うなと言った人間に対してこの返事である。

 ――やっぱこいつ頭おかしい。

 悪意なく害意なく迷惑を振りまくのだから作家は怖い。


「百歩譲って人目につかないのは良い。だからって……お前……普通の人間相手に!」

「まあ待てよ、意味もなくこんなことした訳じゃないんだ香食先生」

「どういうことだ?」

「実は、このラーメン屋でこんな長い髪をした女性を俺は見たことが無いんだ。何か怪しいと思わないか? 絶対次の作品のネタになるよ!」


 緑郎は楽しげな笑みを浮かべる。


「お、俺は知らないぞ。ネタ集めなら一人でやれ、妙な事があったら俺はすぐに逃げ帰るからな! お代はあんたが払えよ!」

「冷たい奴め! 構わん、俺一人で行ってやるともさ!」


 そう言って緑郎は一人で席を立ち、厨房の奥へと向かう。

 

「あの馬鹿……マジで行きやがった」


 禮次郎としては、ここで緑郎に死なれると困る。

 折角の佐藤喜膳とのパイプ役で、しかも佐々総介以外に禮次郎の回りに居る唯一の魔術師なのだ。

 作品の為にトチ狂った真似はするかもしれないが、それを補って有り余る有用性がある。

 今回はと来たら、守るしかなくなってしまう。

 

「ぎゃああああああああああああああ!」

「言わんこっちゃねえ!」


 緑郎の悲鳴を聞いて、禮次郎は慌てて厨房の奥に駆け出した。

 そこで彼が見たのは、腰を抜かして震える緑郎の姿だった。


「無事か!」

「た、た、大変だ……警察……警察に通報しないと……」

「警察? ちょっと待て、何が有ったんだ」


 緑郎は厨房の奥にある巨大な寸胴鍋を指差す。


「いいから! 見、見ろ! 鍋! 首ぃ!」


 禮次郎は暗くて鍋の中がよく見えない。

 緑郎が携帯電話のライトで鍋の中を照らす。

 赤く濁ったスープで一杯になった鍋の中には、女性の顔が浮かんでいた。

 冷たいスープの中に浮かぶ瞼を閉ざした女性の顔。

 僅かに漂う潮の香りは、間違いなく禮次郎達が首をひねっていた隠し味の風味そのものだ。


「……ん?」


 禮次郎は目をこすりながらギリギリまで顔を近づける。


「……っ!」


 遅れて状況に気づき、鍋の蓋をしめ、後ずさる禮次郎。


「なんだ、今の」

「し、知らんよ! 警察を呼ぼう! 警察を! 畜生道理でスープが赤いと思ったよ!」

「――待て」

「何を!? 何を待てと!?」

「スープ、赤かったのか?」

「俺はてっきり赤味噌か辛子だと思ったんだよ! でもこれが原因だ! 間違いない! そうだよな、北海道産の味噌ならあそこまで赤くならなーい!」

「……そうだ」


 禮次郎は蓋を開け、今にも逃げ出しそうな緑郎を捕まえ、無理やり鍋の中を見せる。

 勿論面倒なことに巻き込んでくれたお礼の意味もある。


「俺は目がよく見えない。状況を詳しく説明しろ」

「ひいぃいぃ~~~~~~!」

「ホラー作家だろ? 口述筆記だ。できるな?」

「喋るの苦手なんだよぉ! 推敲できないからぁ!」

「早くしないと店主の暗示とか、人払いとか、解けるぞ」

「あ、それは大丈夫。俺の魔術の腕を舐めるな」

「良いからとっとと! 俺に教えろ! 巻き込んでおいて知りませんじゃ許さないぞ!」

「赤い液体に女の頭……いや、待て。わずかに透けて見えている。なんだこれは? ああ、身体だ。俺はてっきり首ばかりが浮いていると思っていたが、このデカい寸胴鍋の中に女がまるまる入っている! 美人だ!」

「待った」

「何だ!? 見たくなったか!」

「馬鹿じゃねえの!? 気持ち悪いわ!」

「良く言われる。あ、気持ち悪いの方じゃないぞ」


 ――相手をするだけ無駄だな。

 非日常の異常な事件の中でこそ禮次郎の判断力は鋭さを増す。

 緑郎の言葉の中から無駄を切り捨て、禮次郎は真実に近づくためのキーワードを見出した。


「そんなことより、美人ってのはどういうことだ。こういう時の鍋の中身ってのはだいたいグズグズになるまで煮込まれているものじゃねえのか?」

「……たしかに、この鍋の中の美人はどうやら五体満足だな。水出し……ダッチコーヒーみたいな。ところで香食先生、吐いていい? ちょっとそろそろ限界……」

「フリーダムか貴様は。どうせ吐くならあの店主を始末してから吐け。二度吐くことになるぞ、歯とかボロボロになっちまう」

「まず、安易に人を殺すことから止めないか?」

「あいつが化物の可能性は捨てきれない」


 緑郎が焦って止めるのを無視して禮次郎は懐からデリンジャーを抜き放ち、店長の方へと歩きだす。


「待って!」


 禮次郎はもう一丁デリンジャーを取り出して、声の方に銃口を向ける。

 緑郎はその場で腰を抜かす。

 店主はに気がついて禮次郎達の方に振り返る。


「何やってんだあんた達!」


 叫ぶ店主。


「有葉ァ! 暗示解けてるぞォ!」


 女性の声で簡単に解けた暗示に怒る禮次郎。


「待て! な、鍋から……人が……生きてる! 」


 寸胴鍋から出てきた全裸の美女を見てワナワナ震える緑郎。

 全員が言葉を失い、互いに顔を見合わせていた。

 店のカウンターに店主。

 奥の厨房に禮次郎と緑郎。

 更にその一番奥の鍋の中から女性。

 混沌、此処に極まれりである。

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