第63話 QUO VADIS~歩き続けて何処まで行くの?~

「ふぁあ……」


 目が覚めると、ケイは何時もと変わらぬ自宅の寝室の布団の中に居た。

 ――どういうことだ!?

 ケイは慌てて飛び起きると部屋の中を見回す。

 渡されていた日記は無いし、日めくりカレンダーの日付は間違いなく姫奈が木帰町を訪れた日のものだ。

 部屋の扉が開くと、祖父の恐山が部屋に入ってくる。

 

「おい、何を昼間で寝とる。はよ起きんか」

「爺ちゃん……帰ってくるの今日だっけ?」

「さては寝ぼけとるな……? 今日はほれ、帰ってくるってカレンダーにも書いてあったろうが」


 恐山がカレンダーをめくり、正しい日付に変える。

 それはケイが巨大ロボットに乗り込み、旧支配者グラーキと壮絶な戦いを繰り広げた日で間違いない。

 とっさに妖神ウォッチを見ようとしたケイは、妖神ウォッチを置いてあった場所に只のスマホが転がっているのを見つける。

 ――無い。

 ――そうだ。あの時グラーキを倒して……それで、それでどうなったんだ?

 ――あの後、気を失ってしまったんだとは思うけど……?

 ――夢、なのか?


「ああ……そっか」

「まあええ。若いんだからまあ朝起きられないのは有ると思うが、気をつけるんじゃぞ。儂も覚えがある」


 ――何か誤解をされている気がする。

 だが下手に訂正しても事態がこじれると判断したケイはああとかおおとかうんとかが混じったような曖昧な返事をして頷く。


「じゃあ儂は飯を作っておるから、腹が減ったら出てこい」

「あ、ありがとう」


 その優しい言葉がなんとも言えず染みた。

 部屋を出ていく祖父の背中を眺めながら、ケイは小さくつぶやく。

 

「そっか……俺、帰ってきたんだ……」


 ――夢、みたいだったな。

 そんなことを考えていた時、ケイのスマホがブルブルと震えてメールの受信を知らせる。

 「Dear My Friend」

 それがメールの題名だった。


     *


 時は少しばかり遡る。

 ケイとチクタクマンの手で、グラーキが討伐された直後。気を取り直した禮次郎とクチナシは、まだ残っていた留人を始末しつつ、逃げ遅れた人々を集会所まで避難誘導していた。


「……あっ、終わった」


 クチナシはポツリと呟く。


「ああ、終わったな」


 禮次郎も頷く。

 二人が気づいた理由は単純、木帰町を包む霧がゆっくりと晴れて、朝焼けの光がこの町を照らしていたからだ。


「綺麗な場所だったね」

「だな」

「ずっとここにいたかったな」

「……ああ」


 二人の体はゆっくりと光の粒子になって消えつつあった。

 だが彼らからすれば状況は逆、周囲の光景が光の粒子になり、元いた大沼のほとりへと戻りつつ有るというだけだ。

 

「思うんだが、今からでも遅くはないかもしれないな」

「どういうこと?」

「俺とおまえで、何処か遠くに――」


 禮次郎がそこまで言ったところで、二人の視界は完全に光に包み込まれ、気づくと二人は大沼国定公園の出入り口に立っていた。

 夜明け前、最も暗い時間だ。


「ねえ、禮次郎。今から逃げちゃわない? もうこういうの沢山でしょう?」

「……それは」


 禮次郎のセリフを遮るように、一台のタクシーが二人の前に停まる。


「誰だ」


 運転手は窓を開け、帽子を脱ぐ。

 異形であった。

 両目の代わりにカメラのレンズを一つだけ埋め込まれた機械人形。

 口や鼻に相当するものはなく、表情を見ることもできない。

 そしてやけに良く通る声で二人に語りかける。


「私の名前はMr.クロック。帰りの車に困っていると思ってね。迎えに来たよ」


 禮次郎とクチナシは顔を見合わせる。

 ――今の俺たちを殺すつもりならば簡単にできる筈だ。

 ――わざわざ俺たちを案内することに、何か意味があるのか?


「安心したまえ、Mr.スズハラの名誉にかけて君たちに危害は加えないよ。君たちが裏で努力してくれたお陰で犠牲者は少なく、記憶の改ざんが容易だったんだからね。それにほら、あれだよ。車の分の借りがあるだろう? あれを返さなくては行けないと思ったんだ」

「一度は殺し合った間柄だが……まあ、スズハラ君に対しては悪いことをしたしな。何か話したいことがあるなら聞く」

「良いの禮次郎?」

「ここで死ぬならそれまでさ。行くぞクチナシ」


 機械人形の運転する奇妙なタクシーに二人は乗り込む。

 うぃい、という音と共にMr.クロックを名乗る人形は振り返る。


「御両名、どちらまで?」

「函館駅、海鮮丼が食いてえ、ラーメンが食いてえ、あとは別の車使って湯の川に向かって気の利いたホテルで一日くらい羽休めするさ」

「Alright! ずいぶんと肝の据わった人間たちだ! このニャルラトホテプの操る車に乗って第一声がそれか!」

「もう狂う程の正気も無いんだわ」

「HAHAHA! それもそうだったね!」


 車は夜明け前の大沼をゆっくりと走り出す。

 東からのぼる朝日に照らされながら、奇妙なタクシーはゆっくりと走り始める。


「君たちは今回の事件をどう見ている?」

「曖昧な問だな。だがそうだな……相当危ない橋だったことは俺にも分かる」

「ああ、その認識で間違いない」

「クチナシ、お前の認識を俺とそこの男に聞かせてくれないか?」

「良いの?」

「ほう? 君の推理ではないのか?」

「こいつの方が俯瞰視点でものを見ていた。それに、俺よりはるかに頭が良い。恐らく何か理由が有ったんだろうが、俺に伝えてない情報も有ったんじゃないか?」

「やだなあ、禮次郎に僕が隠し事するわけないじゃん。だから禮次郎はケイ君やクロックさんを殺そうとした訳で……」

「それもそうか。疑って悪かったよ」


 クチナシの肩に手を回そうとする禮次郎。

 だがその手はクチナシにはねのけられる。


「ま、とはいえ今回の事態は僕が語るべきだと思う。禮次郎と違って、僕は多少なりとも魔術の勉強もしているしね」


 クチナシは腕を組む。


「まず、あの木帰町は僕たちの知る日本じゃない。留人なんてもの、僕は知らない。禮次郎の魔道書や、詞隈良太郎の手記にも、名前が無い。歴史について簡単に漁ったけど、多分何処かで僕たちの世界と分岐したはるか未来の日本だ。向こうの資料に大災厄あぽかりぷすって表現が有ったけど、多分それだね」

「ああ、そこまでは俺も分かる」

「確かにクチナシ嬢の言う通りだろう! それにあの世界には我々神の影が無かった! そこも奇妙な点だよ! 我々への信仰が無いあの世界に、何故グラーキは飛ぶことができたのか! それが分からなければまた同じ事が起きるだろう!」

「グラーキは、意図的にあの世界に飛んだ訳じゃないと思う。たまたま自分の得意な毒液による動く死人に良く似た存在が居る世界に、引き寄せられたんだ。そして同じルートを僕と禮次郎が辿った。僕たちの存在に気づいたグラーキは休眠を続け、ゆっくりと味方を呼び込む準備を行った。それでやってきたのがイゴーロナクだよ」

「グラーキめ、実に良い選択をしたものだ。確かにグラーキの教典には、イゴーロナクを呼び込む為の一節が刻まれている。本来は存在しなかった筈なんだがね。弱っていても、自らの教典を何者かに与えることはできる。そして自らの教典を読ませることで、その人間とイゴーロナクの縁を作り上げる。するとイゴーロナクも本来なら干渉できない世界まで到達できるという訳だな?」

「その通り、それでイゴーロナクを使って自らの信仰を固め、一つの小さな世界を作ろうとした。そこで僕と禮次郎を確実に仕留めるつもりだったんだと思う。だがそうはいかなかった。ニャルラトホテプ、貴方が介入したから……」

「HAHAHAHA!」


 愉快そうな笑い方がかえって不気味だった。


「そうなると気になることが出てくるな」

「なんだね、Mr.香食」

「お前が木帰町に来ることができた理由だよ」

「禮次郎の言う通りなんだ。ニャルラトホテプ、貴方はどうやって木帰町に来ることができたの? グラーキはイチかバチかに頼っての逃走で、縁がある別の世界に引き寄せられた。僕たちはそれを追いかけた。イゴローナクは自らの召喚条件を満たしたが故に、本来ならありえない世界に登場できた。貴方だけは、本来ならこの舞台に登場できない筈だよ」

「いやあ、探索者という人種は詮索が好きで困るね。だがその通りだ。そして私の登場によって、あの世界の危機は決定的になった」

「それは何故だ?」


 また、機械人形はよく通る声で楽しそうに笑う。


「オーバーパワーだからだよ。神無き大地に、三柱……いや、Ms.シグマも力だけならばそれに並ぶから……実質四柱の神が降り立った計算になる。しかもね! まさに限界集落オブ・ザ・ゴッド!」


 自らの掌を見つめ、クチナシは黙り込む。

 機械人形はなおも喋り続ける。


「実際、ほんの少しボタンを掛け違えていれば、我々も正面からぶつかりあい、あの世界を滅ぼしていたかもしれない。いやそもそも、崩壊はあの世界だけで済んだかどうか……不安定な時空間の通路が、この世界に留人の流入を招いていた可能性がある。あちらの世界とこちらの世界が完全につながれば、恐ろしいことになっていただろう」


 物思いにふけるクチナシの代わりに禮次郎がそれに答える。


「ああ、だから見える奴から殺すべきだと俺は考えた。イゴーロナクの撃退は綱渡りだったがなんとかなった。それにあの村一つをクチナシに食わせれば、手負いのグラーキくらいは仕留められると踏んでいた。そこにお前だ。お前というイレギュラーが乱入してきたことで計算が狂い始めた。焦ったよ、何処に行き着くのか全く分からなくなったからな」

「いやはや恐ろしいな。Mr.スズハラから聞いている分には村に馴染んでいた筈だろうに、あっさりとそんな決断ができてしまうのか?」

「できる。だから今まで生きてきた」

「Hmm……シュブ=ニグラス、大いなるクトゥルー、そして今回はイゴーロナク。三柱を撃退まで追い込み、グラーキにも大ダメージを与えた。多少人間離れした程度の男が、よくもここまでやったものだ。佐々総介が君に注目しているのも無理からぬ話かもしれないね」

「知っているのか? 佐々総介を!」

「私を君たちのいる世界まで送り込んだのは佐々だからね。君たち、佐々総介から指輪を貰っていただろう? あれだよ、あれが君たちの居る世界線を指し示すビーコンになったんだ」


 ――考えてみればあたりまえか。

 ――奴もおそらくは、目の前の神と同類だ。

 ――利害で組んでいるのはイゴーロナクとグラーキだけじゃないということだ。

 禮次郎は小さくため息をつく。


「成る程、話は読めた」

「いいやまだだよ禮次郎。Howは分かったけど、Whyがわからない。何故わざわざ来たの? 佐々先生に頼まれたから?」

「今日の私は機嫌が良い。だから特別に教えようじゃないか。グラーキがあそこで自らの為の世界を作るとね。この世界とあちらの世界の両方につながってしまうんだ。文明の崩壊は私にとってデメリットでしかない! 機械が無くなってしまうからね!」

「本当にそれだけ?」


 クチナシの追求に、機械人形は黙り込む。

 しばらくの沈黙の後、ぽつりとつぶやく。


「君たちがネズミを使ってやろうとしていることとそう変わらないと思うよ?」


 車は停まる。

 いつの間にやら函館駅前だ。


「話は終わりだ。走れ人間。そして見せてくれ、可能性を」


 タクシーのドアが開く。

 二人が出ていくことを促すように。


「最後に一つ良いか」

「なんだいMr.コウジキ」

「お前は人間の味方か?」

「No! 少なくとも、君のような人間の発生は私にとって望ましくない。私が未来を託そうと思うのは、何時だって勇気ある子どもたちだ」

「……分かった。なら良い。これから先も殺し合わずに済むことを祈る。行くぞクチナシ」


 禮次郎はクチナシを連れてタクシーから出ていく。


「Good Luck! 君たちの悪運が尽きぬよう、混沌の果てより声援を送ろう」


 二人を置いて、タクシーは街中に消えていく。

 クトゥルーの顕現によって発生した壊滅的な被害から、今まさに復興しつつある函館の街へと。


「ねえ禮次郎」


 クチナシは空を見上げる。


「どうした?」

「あの世界、本当に別の世界だったのかな。クロックさんはそう言っていたけど、僕にはそう思えないんだ」

「……どういうことだ?」

「ああいう未来も、僕たちにはあり得るんじゃないかな」


 あちこちで工事が進む函館の街を見ながら、クチナシは語る。

 なにか恐ろしい妄想に突き動かされるように。


「例えば、神話的知識を用いた動物実験で起きるバイオハザード、生態系の汚染。例えば、神話的知識を用いた新薬によって死人が歩き出すことによる社会の混乱。例えば、神話的知識を用いた情報技術によって齎される人類の知性の退行。もちろん逆もあるよ。神と呼ばれている存在が居なくなることで、今の世界の秩序が崩壊することだってありうる。木帰町のある世界は神が居なかったんじゃなくて、神が滅んでしまった後だったのかもしれない。知ってる? 統計をとると、阿僧祇マリアの死後、北海道全域で出生率がガックリ下がっているんだ。それにクトゥルーの事件の後、水産系の中小企業が幾つも破綻している。神を殺すっていうのはきっとそういうことだ。僕は怖い。そもそもさっきは何処かで分岐したなんて言ったけど、これから僕たちの世界があの未来に繋がらない保証なんて何処にもない。そうなったら僕は、僕は恐ろしくて……僕たちのしていることが、あの未来に繋がる何かなんじゃないかって……僕たちは、可能性を摘み取っている……自分たちが生きる為に……。クロックさんが言っていた『存在が望ましくない』っていうのは、きっと……」


 クチナシの声は震えていた。

 禮次郎はクチナシの肩を抱く。


「滅びちまって良いんだよ」

「……え?」

「俺だって人間の味方じゃねえ。俺は化物共を殺したいから殺す。それだけだ」

「それだけ……まあ、それだけだった……よね」

「悪党だよ、俺たちは。だから心配するな。悪人はそういうことを心配しなくて良いんだ。そうして、時が来たら惨めに死ねば良い」


 禮次郎はそう言ってクチナシの手を取る。


「行こう。未来とか、俺たちが気にすることじゃねえよ」

「……まあ少なくとも、あそこでケイさんたちは元気に生きているもんね。心配するほうが失礼か」

「神が居なきゃ生きていけない程、人間は弱くねえ」


 ――と、言うよりもむしろ神が無いと生きていけない人間なぞ滅びてしまえ。

 憎悪と狂気で捻れた思考を自覚しつつも、今の禮次郎にそれを改めるつもりは無い。狂うのをやめれば死ぬしかない。そして今の彼は生きていかねばならぬのだ。

 だから彼は自らに言い聞かせるように、心の中で強く思う。

 ――何処であれ俺にはクチナシさえ居れば良い。

 そう思う自分自身が、神が無いと生きていけない人間とそう変わらないという矛盾に気づいていない。

 彼はもうどうしようもなく狂っていた。

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