第46話 21世紀には不可能は無い筈だろ?

「……はぁ」


 有葉緑郎は新千歳空港の特別ラウンジでフローズン・ダイキリを傾けていた。

 冬だと言うのに、文豪ヘミングウェイを気取って頼み、冷たいのを我慢しながらチビチビと飲んで、その度に溜息をつく。


「おや緑郎、元気そうな顔をしているじゃないか」


 その隣に、長い髪で片目を隠した振り袖の美女が座る。

 佐藤喜膳だ。


「待ってましたよ。また新しい身体にしたんですか?」

「そうそう、なんか死のうとしてた美少女が居たものだから、女の姿で優しくしてたらころっとねえ。で、この身体でデビューしなおしたら、思ったよりも売れててね。忙しいんだよ」

「俺も丁度忙しかったんですよ。頭を撃たれて、生存者に記憶操作を施して回って、空港職員に暗示をかけて、ダゴン秘密教団を通じて航空機を内密に調達して、もう過労死しそうですよ」

「は、は、は、拗ねるなよ。魔術師というのは大変だな? そんな仕事ぶん投げて進捗だけしたら良いじゃないのよさ」

「佐藤先生ほど自由な生き方ができる才能は無いんですよ……。魔術、小説、親からは一族を継ぐようにせっつかれて……」

「その金があるから小説書けてるんじゃないか……って、睨むな睨むな」


 喜膳は薄く唇を歪ませて、自らも日本酒を飲み始める。


「真面目な話をするとですね。仕える神を裏切る訳にはいかない。だが世界に滅びられても正直困る。なのに召喚されてしまって、しかもよりによって禮次郎がそれに挑みかかってしまった」

「あー、わっかる~。でもそれなら生存者の救助は不要だったよね? ただの事故にしてしまうほうが手っ取り早かっただろうに。あれか? 香食青年がそんなに好きか?」

「違います! 禮次郎は関係ありません!」

「じゃあなんで?」

「この前、読者さんからファンレター貰ったんですよ」

「それで?」


 珍しく、喜膳は人形のような顔をわずかに綻ばせる。

 喜膳が他者に興味を持つことに驚いて、緑郎もわざと少しタメを作ってから口を開く。


「新刊、待ってますって言われたんですよ」

「うん、そっかそっか。嬉しいよな」


 喜膳はまるで子を見守る父親のように優しく頷く。


「それで思っちゃったんですよ。もしかしたら、ファンレター出してくれた人かもしれないでしょ?」


 喜膳は人形のような美しい顔を満面の笑みで彩り、カラカラと笑う。


「あはは……あのさ、やっぱ魔術師やめたら?」


 そう言われると緑郎は少しムッとする。


「父祖より授かった魔術も、自ら愛した文筆も、俺の生き方です。捨てることはできません。それよりも佐藤先生。これから北海道はしばらく危険です。離れていて下さい」

「嫌だね。私ばかり楽しいことから仲間はずれにするんじゃないよ」

「冗談ではありません。貴方の作品が読めなくなってからでは遅い」


 それを聞くと喜膳の表情から笑みが消える。

 そして彼女は深く溜息をつく。


「そういうファン気分が抜けないのが悪いところだ。君の大好きな香食禮次郎を見ろ。何者にはばかることもなく、いっそ冷酷なまでの冷静さで事態に立ち向かうだろうが。半端な情が君の弱点だぞ」

「んんん……!」


 緑郎は反論の言葉を失う。

 彼自身がそれを感じていた。


「なあ有葉緑郎、君は芸術家としての繊細な感性で今この世界に何が起きているかを感じ取っている。そして魔術師としての理性でこの事態に対応しようとしている。だがまあどちらも半端で実力不足なのは君自身が理解している筈だ」

「……」

「説明しろ。何が起きている。私の力を貸してやるんだぞ? 喜んでペラペラ喋り給えよ」

「今回の事件についてはもう文面で報告していたかなと」

「そっちじゃない。この世界全体に関わることだ。。どうせ、佐々総介が何か不穏な動きをしているんだろう?」


 そう言われると、緑郎は諦めたような溜息をつく。


「……隠し事はできませんね。確かに、がひび割れています。邪神の復活があまりに連続している」


 フローズン・ダイキリを一息に飲み干し、緑郎は喜膳に向けて自らが危惧しているについて語り始めた。


     *


 函館における邪神顕現から数日後。佐々総介は自宅で久しぶりにくつろいでいた。


「今回のことで私は確信しました。魔術師の時代は終わります。この世界の未来は……混沌に支配される」


 総介はそう言って紅茶を飲む。


「終わる? そんな馬鹿なことは無いでしょう? 一度負けたからってネガティブになりすぎじゃないかしら? 知らないなら教えてあげるけど、天才でも負けってあるのよ?」


 向かい側のソファーに座って子供を抱く佐々凛は、総介のそんな言葉を鼻で笑う。


「いいえ、終わるのです。魔術師はもはや神秘の占有者ではなくなる。これまで魔術師は神話の真実を知り、それを自らの力にしていました。ですがその法則は崩れつつある。チクタクマンが誘導した情報化社会の到来による魔術隠匿の難易度上昇、近年頻発する旧支配者の復活、只の人間にとっても神は身近な存在になりつつある。そして人間たちの社会から身を隠してしまった魔術師は、その時代の変化に追いつけなくなっている」

「それは禮次郎君にしてやられた連中の話?」

「聖母教会も、ダゴン秘密教団も、先触れにすぎない。似たようなことはこの先いくらでも起こります。アメリカではデルタグリーンが、日本でも深淵研究会が似たような大番狂わせを起こしています」

「魔術師の特権だった神秘の占有も、圧倒的暴力も、知識も只の人間風情に奪われてしまうってこと?」

「奪われるのではありません。只の人間と魔術師の垣根が消えるのです。金持ちと貧乏人が居るように、神秘の恩恵を受けるものとそれに虐げられるものが生まれるのですよ。格差の可視化が起きる。そんな時代となれば、魔術師は超越者ではなく、精々が貴族程度になってしまう筈です。神秘とは秘されればこそです」

「それ、悪いの?」


 そう聞かれた総介は困ったように笑う。


「答えかねます。私の女王様」

「なによ、凛だってわかってるわよ? 魔術をこれまで知らなかった人間と同じ土俵で戦わされるのが屈辱だって言うんでしょう? 良いじゃない。ねじ伏せて、虐げて、搾り取って、君臨してあげればさ」

「敗北して断頭台に運ばれるのは我々魔術師かもしれないのですよ?」

「凛は強いわ」

「確かに貴方は強いかもしれません。ですが先程貴方も言いました。戦い続ける限り、負けの機会も訪れるというもの。香食禮次郎のような、番狂わせを起こす人間がこれから先増えないとも限りません。そして、そういった人間の全てが香食君のように友好的な存在である保証はありません」

「人間そのものの進化が起きるってこと? 確かに神秘の流出が発生すれば、人間の中には神話生物や神との融和を始める人間だって生まれるでしょうけど……あら?」


 凛は不思議そうに首をひねる。


「おかしいわ。進化じゃない。。アトランティスやレムリア、古代エジプト暗黒王朝、クシナイアンの超古代文明、神に近づいた人間による統治が行われていた。その状況に近いわね……」


 我が意を得たりと言わんばかりに総介は微笑む。


「気づきましたか。長い時間を輪廻転生によって過ごしている貴方ならば、気づくのではないかと思いました。その通り、人間の有り様が古代に戻りつつある。現生人類の構築した世界は遠からず崩壊することでしょう。いや……もう崩壊は発生しています。生殖を司るシュブ=ニグラス、想像力と富を司るクトゥルー、あまりに多くの神が香食禮次郎の手で封じられました。その影響は看過できない」

「どうかしら? 貴方が言う通り、神の力に頼らずとも、人間は自らの世界を構築・維持しつつあるのよ。だったら程度、潰れようともこの世界は保つ筈よ。貴方が思うほど簡単に混沌は這い寄らない。数多の犠牲と引き換えには堅持される」


 総介は満足そうにうなずく。

 そして視線を凛に抱かれて眠る幼子へと移す。

 

「――かもしれません。では、そんな歴史の変革点に、私達は自らの子供を放り込めるでしょうか?」

「う……それは……」

「いやまあ私なら放り込みますけど、どうせ勝手に偉く強く幸せになりますよ。たとえが割れたところでね」


 凛はうつむいてしばらく黙り込む。

 そして腕の中で眠る赤ん坊を抱きしめる。


「……凛はお母さんだもの。貴方ほど無責任に未来を信じられないわ。そういうのは嫌だわ。でもどうするの? あなたまさか、世界でも救うつもり?」


 心配そうに問いかける凛。

 総介は眼鏡をずりあげ、ニィと笑う。


「逆ですよ。この世界を捨てます」

「世界を、捨てる?」

「貴方の寿命の問題も、我らが愛子に与えるべき完璧な世界も、これで都合がつくというもの。が不安定だというのならば、それを踏まえて動けば良い。未来は憂うものではない。知識と思考、行動と分析で掴み取るものです」


 佐々総介は邪悪な獣の笑みを。

 佐々凛は困惑と希望の入り交じるような、縋るような表情を。

 そして二人の間に生まれた幼子は、今はまだ何も知らずに夢を見ていた。


     *


 禮次郎とクチナシは、清水会の事務所で清水龍之介に対して今回の事件のあらましについて報告をしていた。


「という訳で、清水会の一員としてケジメつけて来ました」

「でかした。しかしそれにしても、令也が……ねぇ。禮次郎、お前さんは本当にあいつがクトゥルーを倒させる為に動いたと思うか?」

「嘘か真かわからない話です。本当にクトゥルーを名乗る存在が、香食令也の記憶を手に入れていたのかなんて、誰にも分かりませんよ」

「……そうか」


 龍之介は何時になく哀愁を漂わせた眼差しで、窓の外を眺める。


「すっかり変わっちまったと思ってたんだけどなあ。間違えていたのは俺ばかりか……」

「本当に香食令也が、最後にクトゥルーに言われた通りの男だったなら、そこまで含めて完璧な計画を練っていたってことで良いんじゃないですかね。組長オヤジさんは全力でそれに乗った。誰も間違えちゃいない」

「だがだとしたらよ。一言くらい言ってくれてもいいじゃねえか……方法はあっただろうに……まあそういう奴だったが……」


 龍之介は拳を握りしめ、しばし黙り込む。

 しばらくしてから一つ大きな溜息をつき、彼は話題をガラリと変える。


「今回のカチコミで、組の奴らもお前の事を改めて認めるようになった。墓場から出てきた香食令也を討ち取った功績もあるしな」

「ありゃ佐々先生が……」

「その佐々先生がお前に譲ると言ったんだ。それにあの人はあくまで医師として俺たちに関わっているだけだ。それなのに妙な事件にまで関わったと言う訳にはいかねえだろうが」


 禮次郎は困った顔でクチナシの方を見る。


「別に悪いことじゃないでしょう禮次郎? 香食令也を自ら始末したとなれば、これから先、他の人達に裏切りの心配もされないんだし」

「……まあな」

「それに、佐々先生は貸しを返そうとしてくれたんじゃないの?」

「ああ……まあ……」


 禮次郎は渋い顔をする。

 確かに函館湾で、若かりし頃の令也の姿をした存在を始末はした。

 だがその前に令也は肝盗村で死んでいた筈なのだ。

 面識が無いとは言え祖父を殺した功績を組で評価されるというのは、なんともきまりが悪かった。

 ――組長オヤの為なら、肉親すらも始末できる男なんて。

 ――ヤクザとしては名誉かもしれないが、あまり良い評判だとは思えないな。

 禮次郎は溜息をつく。


「ですよね。龍之介さん」

「ああ、そうさなあ……クチナシの嬢ちゃんの言う通りだ。最初は正直不安に思っていたが、ああ……こうしてみると禮次郎を支えるのはやっぱりお前さんだな」

「光栄です」


 そう言ってクチナシはニッコリ笑う。


「ところで、なあ禮次郎。俺は、俺の為に体を張った男は忘れねえ。お前、何か組のこと以外で願いは無いか? 俺にできる範囲で良ければどうにかしてやるぞ?」

「……そうですね」

「無きゃ無いで良いさ。思いついたら何時でも言え。一つくらいはどうにかしてやる。これから組を率いる上で、無茶を言いたくなる時も有るだろうしな。まずは約束の休暇だ。一月くらいゆっくり休め。函館に良い宿が有るんだ。俺のセーフハウスとして普段は抑えているんだが、貸してやる」

「ありがとうございます。ではその間に、一回分のお願いについては考えます」

「上手く使ってみろよ」

「ええ」


 禮次郎は鮫のように笑い、それからコクリとうなずいた。


     *


 禮次郎とクチナシは新調した車に乗り込み、扉を吹き飛ばされた家の代わりのホテルへと向かう。札幌駅の近くにある高級ホテルだ。


「禮次郎、これからどうするの?」

「ローストビーフを食う。あのホテルの名物なんだ」

「そういう話じゃないよ」


 クチナシは溜息をつく。


「分かっているよ。一ヶ月以上時間ができるし、新しく立ち上げる組の構成員やら何やらを集めたいと思っている」

「でも、龍之介さんが清水会から人員が派遣されるって……弁護士さんとかも紹介してもらえるんでしょう?」


 禮次郎は首を横に振る。


「会計士とか弁護士とか、そういうのは紹介してもらうつもりだよ。だけど、構成員を回す余裕は無いだろ。現地でぼろぼろになった下部組織を纏め直して、組長オヤジさんからのお墨付きを武器にシノギを立て直し、俺自身の薬の知識を元に新しくビジネスを発展させて、そしてその収益で存分に化物共を殺す。俺が貰ったのはその許可だけだと思っている。今の清水会に、余計な負担をかけさせる訳にはいかない。余計な負担をかけさせない方が、評価も上がるしな」


 ――それだけか?

 禮次郎は己に問いかける。

 禮次郎の視界の隅で、彼の考えをすっかり察してしまっているクチナシが、同じ問を視線で禮次郎に投げかける。


「だって、駄目だろう」


 その目に耐えられなくなって、禮次郎はポツリと呟く。


「俺がやらないと。誰も頼りに出来ない。俺じゃないと、せめて俺が準備した力で戦わないと。そうじゃないと、俺が始末をつけないと。まだうじゃうじゃと居るのに、あいつらは……じゃないと何のために組を……」


 禮次郎の異常は明らかだった。


「禮次郎、信号変わったよ」

「……ああ、悪い」


 禮次郎は表面上の落ち着きを取り戻し、アクセルを踏む。

 だけど心の中の柔らかい部分が、今にも崩れそうだった。

 もう擦り切れたと思っていた心が、まだ悲鳴を上げている。

 ――手が、震えやがる。

 神話生物に対する尋常ならざる殺意に加えて、根強い他者への不信感、他ならぬ己が変容していくことへの恐怖。

 心という脆い器に刻まれた深い瑕。それが香食禮次郎の負った神殺しの代償だ。

 ――安くついた。この程度で済んで良かった。

 禮次郎は自らにそう言い聞かせる。


「クチナシ、もしも……もしも俺が俺じゃなくなった時にはさ……」


 ――しまった。

 口に出してから禮次郎は気づく。

 だがもう止まらない。


「……俺は死ねるのか?」

「死にたいの?」

「そうなったら、殺してくれ……もうその時にはきっと限界だ」

「そんな未来。僕は許さないよ」

「……ああ」

 

 ――お前に許してもらえないなら、駄目なんだろうな。

 禮次郎は深く溜息をついて、ホテルの駐車場へと入っていった。

 空はどんよりと曇っていた。

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