第28話 ウルタールの猫屋敷

 ――ああ、臭い。クソが。

 ――此処に閉じ込められてから一体何日が過ぎた?

 彼は周囲を見回す。場所だけで言えばそれは何処にでも有る一軒家のリビングである。古いこたつ、ブラウン管テレビ、タンスに冷蔵庫。そして白骨死体。

 ――猫、猫、猫、猫だらけ。その上人の骨まで転がっている。頭がどうにかなりそうだ。

 ――それにしても俺は一体何時からこんな場所に閉じ込められたんだ?

 彼は自問自答する。だが頭の中に靄がかかったように、そのことについては思い出せない。

 ――なんだって良い。生きて、絶対に此処から脱出してやる。

 彼はそう結論づけて、すっかり古くなって、すえた臭いを発するキャットフードに口をつけた。


     *


 現在、札幌では猫屋敷が問題になっている。

 飼い主の高齢化による多頭飼育の崩壊。悪質なブリーダーの跋扈。

 特に悪質なブリーダーは背後に非合法組織の財源になっているともされており、現在対策が急がれている。


「――のは、別に良いんですが」


 革張りのソファーに身を預け、佐々総介は溜息をつく。

 午後三時、彼が経営する病院の奥にある応接室でのことだ。

 白檀の香り高いその部屋の一室で、総介は禮次郎に仕事の依頼をしていた。


「佐々さん、それは良くないと思いますよ……いやそれで僕達に何ができたのかって言われると僕も困ってしまうんですけど」

「それですよクチナシさん。私も丁度困ってしまったところでしてね」


 対面のソファに座る禮次郎とクチナシにわざとらしく困った表情を見せる。


「だから俺達が呼ばれたんだろう?」

「ええ、その通り。本当に困るんですよねえ。あそこまで育ってしまうと」

「育つ?」


 禮次郎は首を傾げる。


「あそこまでってのはどういうことです?」


 クチナシは質問を投げかける。


「食って取り込んで一つになる。まるで蠱毒だ。猫同士の食い合いに、誰かが人の血を混ぜた。結果、あの家の猫は人を祟るに至ってしまった」

「祟る?」

「最初の被害者は近隣に住む小学生。ちょっとした冒険心で屋敷に忍び込もうとしてそこで心神喪失。生魚を咥えて走っていたところを親に捕まえられました」

「……」

「次の被害者は猫屋敷の管理をしていた暴力団の構成員」

「清水会か?」


 禮次郎の問に答えず総介は話を続ける。


「なんでも元々猫の世話をしていた者の代わりに屋敷に行ったら、そこから記憶が無くて、日向ぼっこしてたところを他の組員に怪しまれて事態が発覚したとか」

「随分とコミカルな話になっちまったな」

「でも虐待されながら増えて売られるだけの猫の欲求としては至極まっとうではありませんか?」

「……そう考えるとえげつねえな」


 禮次郎は顔をしかめる。


「二人目の被害者が言うが何処に行ったのかは分かっているのか?」

「分かりませんね。いやあ怖い怖い」

「そいつが食われたって訳か」


 禮次郎は溜息をつく。


「という訳で始末をお願いします。清水会で合成麻薬の製造に関わっていた貴方ならば、多少は顔が利くでしょう? 私は清水会などという非合法組織には関わっていないことになっているので、こういう時に自由に動けないんですよ」

「分かったよ。引き受ける」


 ――やっぱり清水会絡みか。

 という言葉を禮次郎は飲み込む。


「報酬は何時もの口座に、何時もの額で構いませんね?」

「ああ。それでは早速とりかかっても?」

「ええ、お願いします。早いに越したことはない」

「だそうだ。行くぞクチナシ」

「うん……ほうっておくと、可哀想だもんね」


 禮次郎とクチナシは病院を後にした。


     *


 クチナシに留守番をさせ、禮次郎が向かった先は清水会の事務所の一つ。

 其処は表向きペットショップとして営業しているものの、裏では悪質なブリーダーを通じて安く作られた犬猫を売りさばいている。

 ペットショップの店主はやってきた禮次郎を慌てて奥に通した。


「お久しぶりですね、禮次郎の兄貴。今日は一体どんな御用で?」

「兄貴はよしてくれ。もう俺は足を洗った裏切り者さ」

「その割には組長オヤジさんとしょっちゅう会ってるそうじゃあねえですか」

「噂になっているのか?」

「まあだからなんだって訳じゃないですけどね。妙だとは思ってました」

「そうか……いやまあ今日来たのはそれ絡みでな。ちょいと猫屋敷の噂を聞いて、首を突っ込む前に仁義を通そうかと」

「……」

「安心しろ。まだ組長オヤジさんの耳には入ってない話だ」


 それを聞いた店主の男は安堵の溜息をつく。


「実は若いもんが一人帰ってこなくなってましてね……」

「日向ぼっこをした奴じゃなくてか?」

「其処まで知ってるなら話が早い。そいつの前任の男ですよ。禮次郎さんも多分知っている奴ですぜ。根来ねごろという若いもんです」

「根来……ああ、組長オヤジさんの誕生日会で見たな」

「あいつがあの猫屋敷の担当だったんですが、急に姿が見えなくなって……」

「屋敷の中は見に行ったのか?」

「行った奴が河原の土手で寝転んで一日中日向ぼっこですよ。お手上げだ」

「分かった。まあどのみち行くつもりだったしな。物は相談なんだが……」

「鍵ですか? お貸ししますよ」

「悪いな。それじゃあお互い、この一件は口外無用だ」

「うっす。もし根来が見つかったら……」

「始末は任せる。良いな?」

「ありがてえ。今すぐ鍵を持ってきます!」

「お互い様じゃねえか。今のうちに内々で始末できるなら、組長オヤジさんだって文句は無いだろうさ」

「えへへ……」

「ところで、一つ大至急仕入れを頼みたいものがある」


 銀色に光る鍵を受け取って、禮次郎はニヤリと笑った。


     *


 ――ああ、何時になったら出られるのだろう。

 扉にも、窓にも、鍵が閉められている。

 世話役の人間はもう随分ここに来ていない。

 水道が有るからなんとか喉は乾かずに済んでいるが、もう食べるものがない。

 彼は最近夢を見るようになっていた。

 腹一杯に魚を喰う夢。

 清潔な日向でスヤスヤ眠る夢。

 魚屋から掠め取った魚は瑞々しくて脂が乗っていて、寝床は乾いて暖かい。

 ――いや、待て、寿司や刺し身でもないのに魚を生で喰うのか?

 ――まあいいか。外に出たいなあ。

 混濁する意識の中、今夜も彼は眠りにつく筈だった。


 ピキッとリビングの窓ガラスのひび割れる音。


 その場に居た全ての猫が耳を傾けた。

 続いて男の腕がそのひび割れた窓から伸びて、金具クレセントを捻り、大きく窓を開けた。

 差し込む月光。

 ――外に出られる!

 そう思った猫達は窓へと殺到する。


「今だ」


 だがそれと同時に家の中へと煙が吹き付けられる。

 窓に殺到した猫達は煙を吸った瞬間から急に動かなくなり、その場でまどろむように眠り込んでしまう。

 

「禮次郎、もう良い?」

「ああ、止めろ」


 ――禮次郎? 禮次郎の兄貴か?

 彼はその名前に聞き覚えが有ることに気づく。

 ――組長からの依頼で大怪我をして足を洗ったと聞いていたが、なぜこんなところに?

 ――あの人、俺が居るのに気づかなかったのか?


『兄貴! 俺だ! 助けてくれ!』


 そう叫んだつもりの彼の声は何処にも届かない。


     *


「猫が皆動けなくなってる……何をしたの?」

「イリドミルメシン……まあ要するにマタタビラクトンを主成分にした毒ガスだ。猫にだけ作用する仕組みになっている。昼の内にマタタビを仕入れさせて正解だったな。マリアと殺し合う時に準備した火炎放射器も役に立つとは思わなかった」


 禮次郎はガスマスクを被り、火炎放射器を改造したガスボンベを背負いながらクチナシに説明する。

 時刻は午前一時、草木も眠る丑三つ時だ。


「でも、本当にこれだけで化け猫なんて駆除できるの?」

「これで倒れなかった猫を殺す」

「猫を殺すと七代祟るよ?」


 ――なに、香食家は残念ながら俺の代で終わりさ。

 禮次郎はそう言おうかとも思ったが、口をつぐんだ。


「医者の不養生みたいなものか? 気をつけておこう」


 禮次郎は軽口を叩いて屋敷の扉へと向かう。

 鍵を使って家の扉を開けると、そこらじゅうに汚物が散乱していた。

 禮次郎は周囲に猫が居ようと居まいと構わずにマタタビガスをボンベから散布する。

 僅かに残っていた猫も高濃度マタタビガスに次々倒れ、禮次郎はその中を黙々と進む。


『兄貴! 待ってくれ! 兄貴!』


 禮次郎は足を止める。

 聞き覚えのある声がしたからだ。


「なんだ、今のは……猫か?」


 禮次郎は声が聞こえたリビングの方を見る。


兄貴にゃう……! 禮次郎の兄貴ごろごろ助けてにゃあ……!」


 其処に居たのは痩せぎすの男だった。

 口元には死んだ猫の血と毛がこびりついている。

 ヒゲは汚らしく伸び、汚物の匂いが漂ってくる。

 いいや、それだけではない。

 男の全身には黒猫のような体毛が生え、黄色い瞳の瞳孔は細く、まるで猫そのものの有様だ。


「……汚れ仕事ばっかりだな俺は」


 幸いにして、視力の殆どを失った禮次郎にその姿は見えない。

 ただ、代替として発達した彼の感覚が、目の前に居るをこの世に居てはならないものだと判断していた。


兄貴にゃう――」


 禮次郎は拳銃を構え、引き金を引いた。


     *


 禮次郎は佐々総介の経営する病院の応接室で、佐々凛の作ったモンブランケーキを食べながら仕事の報告を行っていた。


「って訳で仕事はお終いだよ」

「死体の始末はそのペットショップの方に任せたのですか? あまり好ましいやり方ではありませんね」

「殺しちゃいないよ。麻酔銃で眠らせて、後はあのペットショップの店員に任せた」

「……殺さなかったのですか?」

「今頃死んでいるか、そうでなくとも今回の事が漏れないように、あの男が上手くやるでしょう。俺がどうこうするまでもない」


 総介はそれを聞くとニタァと笑う。


「上手くなすり付けましたねえ」

「面倒事ばかり押し付けてくる困った依頼人だ」

「申し訳ありませんね。ですが助かりましたよ」


 部屋のテレビからは住宅地の一角でガス爆発が起きたという事件が報道されている。

 幸い人は居なかったとのことだが、家主の根来という男性が行方不明だという。

 ――ガス爆発に見せかけて何もかも吹き飛ばしたのか。

 ――あのバカ、荒っぽい真似しやがって。

 禮次郎は内心毒づく。


「厄介料って訳じゃないがよ、佐々さん」

「なんです?」

「あの屋敷、もう一つ白骨死体が有った。ありゃなんだい? あんたなら心当たりの一つや二つはあるだろう?」

「――ああ、それですか」


 総介はこともなげに言う。


「蠱毒を作る為に恐らく誰かが投げ込んだのでしょう。呪いの呼び水ですよ」

「誰か、だと? そいつはつまり、根来が猫に憑かれて屋敷に閉じ込められた原因になる奴ってことだよな?」

「なんならその根来さんを誘導して閉じ込めたのもその誰かさんかもしれませんね。この札幌の街にそんな妙なことをする人間が現れるとは恐ろしい。これは魔術師としても放っておけません。偶には自ら動くべきですかねえ……いやはや、美味しい」


 総介は物騒な物言いとは裏腹にモンブランに夢中だ。


「ダゴン秘密教団の活動の一環だったりするのかい?」

「さあ? ただ、この街の魔術師ではなさそうです」

「……この事件の裏で、やっぱり殴り合っているのか?」

「今回の一件、警察の動きが鈍い」

「俺もそれは感じている」

「ではその線で独自に事件を追いかけてみるのも悪くないかと」


 ――上手く話題を逸らされたな。やっぱり魔術師同士の暗闘があるのか。

 禮次郎は先だって龍之介が『組の人間が別件で動いている』という話をしていたことを思い出す。

 ――ヤクザからも魔法使いからも爪弾きだな。フリーランスなんてそんなもんか。


「独自に、ねえ。考えておきますよ」


 そんな時、茶色くてコロコロした子犬が禮次郎の足元まで駆けてくる。


「キャン!」

「こらこらマロン、お客様が居るのに逃げ出しましたね? 君には可愛い私の佐助のお守りをするように頼んだ筈ですが……よっこらせっと」

「キャン! キャン! ピャピャン!」


 総介はマロンを抱えて立ち上がる。

 マロンは嬉しそうに尻尾を振りながら足をパタつかせる。


「これは申し訳ありません。まだ子犬なもので。ちょっと妻のところに預けてきますよ」

「いえいえ、可愛いわんちゃんだ」

「ふふふ、実は私、犬派なんですよ」

「ああ、俺も猫は懲り懲りですわ……」


 禮次郎と総介は顔を見合わせて笑う。


「もしかしたら、何時か薬剤師としての貴方の意見を乞うかもしれません」

「どういうことで?」

「今はまだお話できません。しばらくお待ちください。それでは失礼。マロンを連れて行きがてら、今回の一件での迷惑料もお渡ししましょう」


 総介はそう言ってマロンを抱きかかえると部屋から出ていった。


     *


 視界が明るくなる。

 ――俺は何をやっていたんだ。

 ――ともかくあのクソみたいな屋敷からは抜け出せたみたいだな。


「根来の馬鹿、トチ狂いやがって……禮次郎の兄貴の口から組長オヤジさんにバレたらどうするってんだ。お互いに弱みを握りあったって言っても、それでどうこうなる相手じゃねえのに……まあだからこそ組長オヤジさんに可愛がられているのか」


 ――店長!? おい、俺だよ! なんでそんなにでかいんだ?


「おぉ可愛いでちゅねえ猫ちゃん。馬鹿な金持ち相手にいっぱいお金を作るんでちゅよ~」


 ――猫?

 根来だったは自らの身体を見る。

 小さな手足、ふさふさの体毛、クルンと丸まった尻尾。

 は猫になっていた。


「禮次郎の兄貴も兄貴だ。滅茶苦茶な方法使いやがって、大事な商品がほとんど使い物にならなくなっちまった!」

店長にぃ! 俺だにぃ! 根来だにゃあ!」

「おうおう、甘えちゃってまあ! お前も良い飼い主のところに売られていくんだよ。お前は見た目も良いし、もし売れなくても……繁殖用に使ってやるからな」

嫌だあああああああああにゃあああああああああ!」


 根来は一際高い声で悲鳴を上げた。

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