Cross Over 3 限界集落オブ・ザ・ゴッド 時系列表記不能【世界卵崩壊率80%】

第54話 限界集落オブ・ザ・ゴッド

 午前六時。

 田園風景の中を音も無く歩く細身の影があった。

 黒を貴重としたピッタリした衣服を身にまとう少年だ。

 関節部以外を強化プラスチックポリカーボネートによって補強されており、全身を隙無く覆っている。

 衣服そのものも、ケブラー繊維を惜しみなく使っており、戦後間もないこの時代においては、大変な貴重品だ。

 先の戦争で勝敗を分けた復古技術リバースエンジニアリングの研究が盛んになる昨今、朝廷の命令により軍で試作された装甲服である。

 田園の片隅にある診療所の前に居た老婆が大きく手を振って彼を歓迎する。


「おおぃ、ケイちゃん。来てくれたのかい。急に呼び出して悪かったね」


 ケイ、そう呼ばれた少年は、防毒マスクを外す。

 すると物々しい装備には似合わない優しい笑顔が現れる。

 彼は小走りで老婆の傍に近寄ると、できるだけ優しい声で彼女から様子を聞く。


「おはよう、六ツ木のお婆ちゃん。どういう状況か教えてくれるかな? 留守電だけだとよく分からなくて」


 そう言ってケイは朝廷政府から支給されたスマートフォンを見せる。

 すると老婆は自分が慌てて連絡したことを思い出して、バツが悪そうな声を上げる。


「あらごめんねケイちゃん。あたしもそのを持ってればよかったんだけどねえ」

「戦争が終わったし、量産の目処がついたって前に軍の人が言っていたから、多分お婆ちゃんもそのうち買えるんじゃないかな。都ではケータイショップを作っているらしいし」

「あら、そうなの? あたしも長生きしなきゃ……あら、ごめんなさい脱線しちゃったわね。今朝、診療所の手伝いに来たらなんだか妙ながしてね。ほれ、昨日は診療所がお休みだったろう? だからもしかしたらと思って、診療所に外から鍵をして、ケイちゃんに連絡したのさ」


 老婆はそう言って外側から鎖で封鎖された診療所の扉を指差す。

 兎谷診療所と書かれた新しい看板がぶら下がっている。


「兎谷のお爺ちゃんが留人るじんになっているかもしれないってことだね」


 老婆はその言葉に何度も頷く。


「頼んだよケイちゃん。もしもがあったら……」

「分かった」


 ケイは一度だけ力強く頷く。

 心細い思いで一人待ちわびていた老婆には、そんなケイの落ち着いた仕草がなんとも心強かった。

 ケイは老婆から預かった鍵で診療所の扉と鎖に付いた南京錠を開けると、ブーツを履いたまま診療所の中へと入っていった。


     *


 玄関から入ったケイは、たん、たん、という音が診療所の待合室に響いていることに気づいた。

 ――畳に拳を叩きつけているのだ。

 似たような現場を見てきたケイはそう考えた。

 ――恐らくもう駄目だろう。


「兎谷のおじいちゃん?」


 恐る恐る声を上げるが、返事はない。

 代わりに留人るじん特有の饐えた臭いが漂ってきている。

 ――これは、いよいよだ。

 ケイは深呼吸するとグローブをきつく嵌め直す。そして鬼装束に取り付けられたウェストバッグから、樹脂製のぐつわと呼ばれる道具を取り出した。

 音源を追いかけて、待合室の奥へ、兎谷老人が住居代わりに使っていた仮眠室へと足早に近づいていく。

 仮眠室の扉を開けると、香ばしさを伴う留人特有の饐えた臭いが一気に濃くなる。そこには既に留人と化した兎谷老人が居た。

 彼は布団にくるまり、クシャクシャになった写真を握りながら、たん、たん、と拳で畳を叩き続けていた。

 散らばったホッピーの瓶や睡眠薬のパッケージを見て、ケイは表情を曇らせる。


「おじいちゃん……それは、前言っていた恋人の写真かな?」


 その声に反応して、留人となった兎谷老人は顔を上げる。

 音や匂いを元に生者を見つけ、獰猛に食らいつく留人にあるまじき反応の遅さだ。


「お゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」


 兎谷老人はゆっくりと立ち上がり、ケイに向けて手を伸ばす。

 ケイは流れるような動きで兎谷老人の手をかわすと、老人の前に噛み轡を差し出す。すると老人は眼の前のケイを無視して噛み轡に喰らいつく。

 これは噛み轡に薄く塗ってあるケイの血液に反応したからだ。


「よしよし、今楽にしてあげるからね」


 ケイは老人が凄まじい力で噛み轡を噛むその間に、噛み轡の両端にある紐で老人の頭を縛り上げる。

 これで老人はどうあがいてもケイを噛むことができなくなった。


「ん゛ん゛ん゛ん゛……!」


 ケイは膝裏から自らの膝を当てて、ちょうど膝カックンのようにして老人の体勢を崩し、また布団に優しく横にする。

 早春ということもあってか、まだ遺体の腐敗は激しくない。


「今楽にしてあげるから……よいしょっと」


 ケイはそのまま自らの腕力に任せて老人をうつ伏せにすると、腰のウェストバッグから錐を三本束ねたような奇妙な小刀――おくがたな――を取り出す。

 ケイは周囲を見回して、先程老人が握っていた写真が落ちていることに気がつく。


「ああ、起きた時に落としちゃったんだね……ほら、ちゃんと持って、広げて見なきゃ駄目だ。べっぴんさんが勿体無いよ」


 ケイはその写真を拾って老人の前に差し出す。

 すると先程まで顔を布団に埋めて不快そうなうめき声を上げていた老人は顔を上げ、くしゃくしゃになってしまったその写真を見つめる。


「あ゛……あ゛あ゛……」


 それを見たケイは、送り刀を首と頭蓋の間の骨の接目へと突き刺した。

 手付きはあくまで滑らかで、抵抗は一切無い。

 そしてそのまま眠るようにして、兎谷老人だった留人は瞼を閉じた。


南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごう


 そう言って瞼は閉じずに両手を合わせ、それからケイは表で待っている老婆を呼びに戻る。そして後からやってきた駐在さんとケイで死体を運び出した。

 素敵な人だったのにね、と悲しげにつぶやく老婆の横顔が、ケイにはなんとも悲しかった。


     *


 送り人と呼ばれる仕事がある。

 死したものが留人と呼ばれる生ける屍へと変わるこの世界において、その処理を一手に担う専門家だ。時には大量発生する留人から人々を守る為に、彼らの一族は生まれつき優れた身体能力を持っている。

 鈴原ケイも、東北の限界集落「木帰町」で送り人として生活していた。


鈴原すずはらケイさんですね」


 早朝から兎谷老人を見送った日の午後。

 ケイは祖父と共に住む家に、女性を迎えていた。

 畳敷きの客間で、二人は向かい合って座る。

 ケイは警戒と緊張の入り交じる視線で女性を見ているが、女性は完璧な笑顔の仮面に、ほんの僅かに懐かしむような瞳の優しさが滲んでいた。


「はい……貴方が国軍の方ですよね?」


 そう言ってスーツ姿の女性はニッコリと微笑みかける。

 計算され尽くした美しい笑み、最大限好意的に見える完成された笑い方だ。

 いかにも軍人だな、とケイは感じた。


「はい、国軍人事部主任佐々木ささき姫奈ひめなです。階級は二尉、ケイさんも見ているような漫画やアニメで言う所の中尉に相当します」


 スーツ姿の女性はそう言って名刺を差し出す。

 ケイは渋々といった感じでそれを受け取る。

 ――爺ちゃんに言われなかったら、軍の人となんて話したくはなかったんだけどな。


「先立っての戦争とそれに伴って国内で多発した留人るじん案件において、我々はお祖父様に大変お世話になりました。そして、その留守を守ってくださったケイさんにも、国軍は深く感謝しております」

「あの……佐々木さん。俺に用事があるんですよね? 軍に入れとか、力を国の為に活かせとか、そういう……」


 それまでにこやかだった姫奈の表情が引き締まる。

 彼女は首を左右に振った。


「とんでもありません。確かにケイさんのような送り人にお力添え頂ければ、私たち国軍としても、また朝廷政府としても大変心強いことは間違いありません。ですが私たちは近代法治国家に生きる一人の人間である以上、貴方に無理強いをさせることはできないと考えています」

「……そういう事を言う軍人さんも居るんですね」

「ええ、我々人事部はリクルートの専門部署ですから。これまでケイさんの経験なさってきたような、無理な事を言う人間は一人もおりません。それが私たちなりの誇りというものです。それに、先の戦争において集積されたデータから、無理な方法で集めるのが好ましくない結果に繋がるという結論も出ています」

「そうですか。配慮していただいてありがとうございます」


 ケイはペコリと頭を下げる。

 するとまた姫奈はニコリと笑う。


「でもそれはそれとして、ケイさんと同世代の子供たちも大量に軍に入ってきています。特に、ケイさんと同じ、送り人の力を持つ子供たちです。もし同世代の仲間に会ってみたいと思ったら、何時でも言ってくださいね。特に明日まではここの民宿に泊まっている予定ですから」

「……佐々木さん、なんだかおっかないですね」


 ――油断も隙もありゃしない。

 ケイは苦笑する。

 だが姫奈のさっぱりした態度にケイの中の警戒感は解れていた。

 苦労はしたが、根っこの部分で人が良いのだ。


「プロですから」


 打ち解けた空気を察して、姫奈は少しユーモラスな声を出しつつ自慢げに胸を張る。

 するとスーツを着ていても分かるスタイルの良さを強調する形になり、ケイはなんとなく気恥ずかしくなって、眼の前のお茶を飲んだ。


「そ、その、それじゃあ今日いらしたのは……」

「でも今回は別件です。私が伺った理由はお渡ししたいものがあったからです」


 姫奈は軍人らしくない茶色のバッグから日記帳を取り出す。

 そこにはケイの父親の名前が書いてあった。

 それを見た瞬間、ケイはまた先程までの頑なな態度に戻ってしまう。


「……オヤジの日記ですか。なんで今になってこんなものを? あいつが死んだのはもう一年以上前ですよ」

「軍の研究資料の可能性があった為、しばらく預かっておりました。内容の確認が終了した為、唯一の御遺族となる鈴原ケイさんにお渡しできればと……」


 ――なんだよそれ。

 ケイの表情に乾いた笑みが浮かぶ。


「俺を軍に売り飛ばそうとした上に、母さんも守れず、あっけなく死んだ情けない男です。見る価値も無いと思ってます。研究資料としての価値もあるのでしょう? どうぞお持ち帰り下さい」


 ケイは礼儀正しく頭を下げる。

 軍は好きじゃなかったが、目の前の女性に対してあまり冷たい態度はとりたくなかった。


「……ああ」


 姫奈は表情を曇らせる。


「私もこの戦争で家族と婚約者を失いました。代々軍人だったもので、戦争初期に民間人を守りつつ撤退戦を重ねる中で……」


 それからケイの表情を伺い、話を聞いてくれそうな態度だと判断した彼女は一気に喋り始める。


「この戦争に勝利できたのは、鈴原一佐が命を懸けて遺した研究資料とそれを元に開発された新兵器のお陰です。だから鈴原一佐に関わった人間、お世話になった人間が、ご恩返しにせめて日記だけでも御遺族に届けたいと働きかけた結果、この日記がここにあるのです」

「だからって……!」

「はい、お父様への感情は至極当たり前のものだと思います。ですが、そこをどうにか受け取ってはいただけませんか? よろしくお願いいたします」


 姫奈はそう言って深く頭を下げる。

 ケイは黙り込んでしまう。

 ――日記なんて見たくもない。

 ――見たくはないけど……。

 ケイが考えていたのは、姫奈の言うという言葉だった。

 そのの中に己と母親が含まれなかったのは、祖父の下でこうして暮らしているケイの現状を見れば明らかなのだが、父が何を為したのかには興味が有った。

 何を思って父親は生きていたのか、何の為に父親は働いていたのか。

 そんなケイの胸中を鋭く感じ取った姫奈は、頭を下げたまま切り札になる情報を使用する。


「それと、これは個人的に調べたことなのですが、お父様が最後にお母様へと無線通信を送っていた記録が残っていました。軍の秘匿回線の無断使用、今はお父様の業績や死によって有耶無耶になっていますが、勿論重罪です。その重罪を犯してまで、お二人の状況を確認したかったことは……どうか知っておいていただければと」


 ケイが目を丸くする。

 ――あの男がそんな行動をとるなんて信じられない。

 ――だが、その理由ももしかしてここにあるのだろうか。

 ケイは机の上の日記を手に取る。


「分かりました。受け取るだけ受け取ります。どうか顔を上げて下さい。用件がお済みでしたら、これでお引取り下さい……色々と配慮してくださったのはありがたいのですが、少し受け止める時間が欲しいんです」


 姫奈は顔を上げる。

 救われたような、どこか晴れ晴れとした表情だった。


「ああ……ありがとうございます。これで帰って今回のことに協力してくださった方々に報告ができます。どうぞ、お祖父様にも宜しくお伝え下さい」


 それから姫奈はもう一度神妙な面持ちに戻って頭を下げた。


     *


「……とは言ったものの、なあ」


 ケイは五畳半程の寝室の布団の上に転がりながら、目の前の黒革の日記を手にして溜息をつく。

 この日記を読むべきか、読まざるべきか、悩んで悩んで、すっかり夜になってしまっていた。


「悩んでいてもしょうがないか」


 読んで腹が立てば捨てれば良いのだ。

 それだけだ。

 ケイは小さく「よし」と呟くと、日記の表紙に手をかけた。


「Just a moment! 少し待ち給え!」

「うわぁっ!?」


 ラジオでしか聞いたことがないような、やたらに耳触りの良い声と聞いたことも無い程なめらかな発音の外国語。

 ケイは何処から声をかけられたのかと周囲を見回す。


「Hey! Mr.スズハラ! ここだよ。君のスマートフォンから声をかけている!」


 ケイは充電器に繋ぎっぱなしのスマートフォンを見てぎょっとする。

 その画面には「^_^」としか表現のしようが無い光が灯っており、それがケイの方を見て「^o^」と表情を変えたのだ。


「Nice to meet you! はじめましてになるね。私はMr.クロック、ニャルラトホテプなどと呼ぶものも居るが、私はその呼び方を好まない。ひとまず親しみを込めて“時計さん”と呼んで欲しい」


 そんな事を言っている間にケイのスマートフォンはネジが飛び、プラスチックが溶け、アンテナは外れて三つに分解され、パーツ単位で崩壊を始める。


「なんだよ!? なんだよこれ!?」

「驚くことはない。だが今は素直に驚いてくれて構わない。君は宇宙の深淵については疎いだろうし、実際問題私は本当に凄いからね!」


 そうこうしている間にバラバラになったスマートフォンの部品が畳の上でどろどろに溶けて全く異なる部品に変化していく。

 基礎となる電子回路は構造を維持しつつ、尋常ではない小型化を果たす。

 外装となっていたプラスチックは手首を覆う為のベルトに変わり、液晶画面は現在時刻を映す。

 スマートフォンは見る間に腕時計となってしまっていた。


「支給品のスマートフォンが!?」

「Oops! これは失礼したね。少し持ち運びしやすく変えてみたんだ。機械いじりは得意技でね。安心したまえ、機能はそのまま、OSオペレーションソフトの仕事は私自身が行うので、これまでよりも便利になっていると保証しよう」

「そういう問題じゃないだろう!?」

「安心したまえ、周囲の人間には気付かれないようにしている」

「どうやって!?」


 一瞬で訳の分からないことが起きすぎていた。

 ケイの頭の中は混沌の坩堝と化してしまう。


「まあまあ、順を追って話していこうじゃないか。まず君は落ち着いて私の話を聞いて欲しい」


 腕時計の液晶画面が時刻の代わりに「(^_-)」という絵文字を映す。

 何を話せば良いか分からなくなったケイを前に、Mr.クロックはこう切り出した。


という男が、木帰町で暗躍している。彼は邪悪な神を信奉する危険人物だ! 私と共に奴と戦って欲しい!」

「はあ?」


 窓の外はいつの間にか豪雨となっている。春の嵐が吹き荒れていた。

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