第53話 その筆、神仏に達す

 目が覚める。鏡を見る。有葉緑郎が生きている事を確かめる。

 ああ、鈴森恭平は無事に逃げ出せただろうか。

 いや、彼ならばきっとなんとかしたに違いない。彼のエンディングを見逃したのは少し惜しいが、それと同時にやり遂げた達成感もあった。


「とはいえ、やはり死ぬのは慣れないな」


 俺は自宅の書斎にあるデスクに突っ伏しながらぼんやりと呟く。

 

「ティンダロスの猟犬はもう追ってこないのかい?」


 感情を極度に抑制した女性の声。

 佐藤喜膳。俺の師匠にあたる小説家だ。


「時間を超えた俺は死にました。彼と今の俺は同一人物ですが、今此処にいる俺は時間を超えていない。追いかけようがありません」

「は、は、は。ずっこいねえ魔術師マヤカシは。まあ、でも今回は助かったよ。私が自ら出ていくのには、少し暴力的な現場だったからね」

「いらしていたなら起こしてくださいよ。人が悪い。というかどうして家に入ってきているんですか? 安全の為に蘇生の最中には誰も入ってこられないようにしていたつもりだったんですが」

「そんなことより鈴森京太郎の孫はどうだった? 私も彼の協力者として興味が湧いてね。話を聞かせてくれよ」


 二十年前から変わらない少女の笑みを浮かべる。

 どうにも、百年以上生きている異能の怪物だとは思えない。


「鈴森……」


 少なくとも我々の文芸サークルには入ってくれなさそうなタイプだった。しかし思った以上の異能を持っている。無視はできない。どう報告したものか。


「……どうした? 十八歳の美少女を相手に無視とはずいぶんだな」

「…………」

「怒っちゃ~うぞっ☆」


 佐藤先生が可愛い裏声を出してウインクを決める。

 思わず檸檬レモンを丸ごと一つかじった後のような表情を浮かべてしまった。


「い、いえ、考え事をしていまして」

「考え事? 聞かせなさいよ。内容によってはオコだぞっ☆ ぷん☆ぷん!」


 口の中の檸檬レモンが増えた。


「……あれです。鈴森恭平の超能力です」

「ああ、深淵研究会の言うところの特徴トレイトね。どんなものだったんだい?」

「どうも……行動の成功と失敗が分かるようなんです」

「未来予知じゃなくて?」

「ええ、です」


 佐藤先生はすごい顔をして黙り込む。

 檸檬十個分の困り顔だ。


「不味いだろ。それ」

「ええ、非常に不味い。鈴森恭平が観測した瞬間に、あらゆる行為のが確定してしまう。しかもその基準は鈴森恭平の認識に依拠している」

「いいや待て。話を飛躍させるな。ここで重要なのは既に決まった結果を見ているのか、それとも観測によって事象を確定させているのか。そのどちらなのかだ。前者ならば上位者から成功と失敗を伝えられているだけだが、後者ならばそれが知れた瞬間に世界中の神話関係組織が奪い合うぞ」

「んんー、確かに。まだそれは分からないところですね。ただ後者ならば間違いなく世界卵案件です」

「有葉、君は引き続き鈴森恭平の身辺を洗え。これは最優先業務だ」

「かしこまりました」


 俺は可能な限り恭しく頭を下げる。


「ところで有葉、貴方が寝ている間に原稿を読んだけど、腕を上げたわね」


 胸が高鳴る。そんな事を言われてしまうと思わずにやけてしまう。


「そうでしょうか? 先生のように、筆一本で奇跡を起こすには至ってませんが」

「君の文章はとにかく正しく神を賛美するオーソドックスなものだ。それ単体ならば、確かに大したことはできないだろう。だがお前は私と違って魔術を学んでいる。私の志向した究極とは違うが、お前にはお前の境地がある。神からの加護によって奇跡を行使する魔術師にとっては、書いた作品がそのまま神への供物になるなんて、とんでもない能力だろうに」

「その割には羨ましいという顔をしてくださいませんね?」


 それまでクールな表情だった佐藤先生が、不機嫌な表情を浮かべる。


「は? だって私の作品が究極だし。文章は自己表現なのよ? それを誰よりも上手に行って、読んだ人間に私を理解させるなんて、それこそ私以外誰もできないわ」


 また言ってるよこの人。

 美少女化してもここらへん本当に変わらないな。

 とは言え、この人の言うことは正しい。

 この道が辿り着く先は山の頂などではなく無辺の海原のようなもの。極めるほどに果てが見えなくなる。

 ならば世界さえ歪めるほどの自己肯定を作品にしてぶつけ続けるしかないのは自明の理だ。

 鈴森京太郎、佐藤喜膳、そしてこの俺。いずれもそういうタイプの人でなしだ。


「……ですね。おっしゃる通りだ」


 まあ俺の作品の方が面白いと思うけど。

 佐藤先生はそんな俺の気持ちを知ってかクスリと笑う。


「まあ、どうでもいいことだけど」


 言うと思った。


「コーヒーでも淹れてきましょう」

「濃いやつにしてくれよ」

「はいはい」


 椅子から立ち上がり、キッチンに向かう。

 その途中で窓から外の空を見上げる。彼のことを思い出す。

 さあおあつらえ向きのタイミングだ。エンドマークをつけよう。


【シナリオ「魔眼蒐集客船ヤロール A.D.2018 【世界卵崩壊率3%】」 PC2:有葉緑郎 記述完了end mark

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