第52話 世界を見つめて、世界を広げて
「……行こう。優奈さん」
分からなかった。
酷く身勝手で、酷く不可解で、なのに僕たちにここまでしてくれた。
最初は酷くやる気の無かった彼が何を思って命をかけたのか、どうして最後まで戦ったのか、僕には全く分からなかった。
だけど僕たちは生きなくちゃ、生きてここから逃げ出さなくちゃいけない。
「……うん」
僕は船を包み込み今まさに膨れ上がる黒い影を一瞥した後、自らが乗り込む水の人形に向けて指示を出す。
「グラン、マーレ……全速力でここを離れて函館まで向かって下さい」
すると身体の中から力が抜けていく。これは儀式をした時と同じだ。この人形は、管理者の精神力を吸い取って生きているのか?
そして
【新管理者の命令を受け付けました。仮想契約起動します。北上開始】
グランマーレは徐々に速度を上げて北へ向かう。
肩の上の僕たちは何かに守られているのか、特に風や寒さを感じることもなく、本当に快適だ。
遠くに陸地が見えるが、下手に近づく訳にもいかない。深淵研究会に合流できる保証も無いし、何も知らない人が住む街にこの人形を近づける訳にもいかない。
それに、まだニャルラトホテプが追ってくる可能性が有る。
【
【
【
「鈴森君! 近づいてきている! 追いつかれちゃう!」
背後の優奈さんが金切り声を上げてしがみついてくる。
もう追いかけてきたのか。
「大丈夫、優奈さん」
背中から回り込んできた腕に、手を重ねる。
追いかけてきているものを直視して、もし発狂してしまったら指示が出せなくなる。
「グランマーレ! 戦って!」
グランマーレの瞳に当たる部分が赤く輝く。
そしてゆっくりと振り返り、同時に裏拳を放つ。
重量にして数トンはあろう水塊の一撃は、今まさに背後まで迫っていた漆黒の獣を正確に捉えた。
ガラスをひっかくような甲高い悲鳴を上げた獣は勢いよく吹き飛ばされ、海の上に転がり、巨大な水柱を立てる。
【
思わず吐き気がこみ上げる。
脳内では確かに正気度の判定に成功して、狂気に耐えた筈なのに。
獣の姿をしっかりとこの目で見てしまったと同時に、どうしようもなく恐ろしくなってしまった。
獣は黒い御影石の身体を持っていた。
獣は吐き気のする異臭と空間を捻じ曲げるような奇妙な光を放ち、こちらを睨んでいる。
睨んでいると言っても目が有る訳ではない。
なにせ顔に当たる部位が欠けていて、そこには名前も知れない星の輝く虚無の暗黒となっていたのだから。
ただ、その星のいずれもがこちらを呼んでいる。
僕を、ここじゃないどこかに。声が、遠くから――
【一時的狂気→不定の狂気「破壊衝動」の悪化】
「……いや」
壊せ。
声が聞こえる。
「違う。僕を呼んでいるんじゃない」
壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。
有葉さんからもらったダイナマイト。まだ残ってたよな。
ブリーフケースの中には五本だけ残っている。
壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。壊せ。
さっきから声がうるさい。これのお陰で宇宙からの声なんてものも聞こえていないのだろうか。だとしたら笑える話だ。僕一人の狂気が、宇宙の呼び声を押さえつけてしまうなんて。宇宙に、神に対抗しうる世界? 僕の中に? そう言えば有葉さんの言っていた世界卵って――
【
突然、先程までどんなにグランマーレが動いても揺れなかった足場が揺れる。
いつの間にか、グランマーレは両腕で巨獣の前足を押さえ込み、力比べを始めていた。
力比べの状況は悪い。
グランマーレの両腕は獣が持つ魔力の熱量で沸騰しはじめており、身体を構成する水を奪われてサイズが徐々に縮んでいる。
わかってる。このままじゃ負ける。戦うなら今しかない。
僕が強く覚悟を決めたその時、突如として頭の中に文字列が浮かんだ。
【
それは普段と違うタイミングで発生した判定の文字列。
それは絶対の成功を約束する奇跡。
「だったら……僕は、俺は……!」
約束された一投を信じ、僕は持っているだけのダイナマイトを、目の前の黒い獣に向けて投げつける。
それはまるで魔法のように巨獣の足元へと吸い寄せられ、大爆発を起こす。
水柱が上がり、御影石の身体がひび割れ、自らの重みに耐えられなくなった巨獣は音を立てて崩れ去る。
「やった……?」
全身から力が抜ける。
遠くから小さな船が何隻もこちらへ向かっている。
「鈴森君! 電話! みんなから電話が来たよ! 私達見つけたって!」
膝をついてホッと溜息をつく。
それから優奈さんに微笑みかける。
「グランマーレ、僕たちを、伊吹が乗っている船に、ゆっくり優しく降ろして……」
それだけ呟くと僕の意識は途切れて消えた。
*
次に僕が目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。
「伊吹! 優奈さん!」
「鈴森くん!」
慌てて身を起こすとこちらを心配そうな顔をする優奈さんが椅子に座っていた。
そしてもう一人、女性が部屋には居た。
「おはようございます。大活躍でしたね」
眼鏡をかけた青い瞳にプラチナブロンドの女性が座っていた。
スーツ姿でいかにもデキる雰囲気のお姉さんといった感じだ。
「あ、貴方は……」
「深淵研究会函館支部支部長、香食クチナシです。ガスライト支部の鈴森恭平さんでお間違いありませんか?」
「はい。間違いなく、僕は鈴森恭平です」
支部長さん……女性だったんだ。
そんな事をぼんやり考えていると、支部長さんは僕に書類を渡す。
「それは何よりです。こちらが検査結果になります。これでメディカルチェックも終わりましたので、皆さんの下にお返しできるとおもいます」
「函館支部? 僕の救出の為にガスライト支部と協力していたっていう人たちですか?」
「ええ、その通りです。あの後、貴方と優奈さんの身柄は我々が回収して、検査を受けていただいていました。あの船で何か悪性の病原体や呪いに感染している可能性も有ったものですから」
「でも明日には東京に帰れるんだって!」
嬉しそうな優奈さんの顔を見て、僕も胸をなでおろす。
優奈さんも無事そうだし、函館支部の人たちは信頼できそうだ。
なんだか警戒する癖がついちゃってるかもな。
「もうガスライト支部の皆様と合流しても構わないのですが……優奈さん」
「どうしたんですか香食さん?」
「申し訳ないのですが優奈さんには先に外に出ていただいて、鈴森恭平様と二人で少々お話させてもらって構わないでしょうか? 少しヤロール船内の様子で聞きたいことがあったものですから」
「ええと……大丈夫ですよ。どれくらい時間がかかりますか? 外の皆にも伝えておきたいので」
「五分とかからない筈です。簡単なことですから」
「……分かりました。じゃあお先に失礼しますね」
優奈さんは寂しそうでこそあったが、言われた通りに病室を出ていく。
病室は僕と香食さんの二人きりになる。
「まずは事後処理について内密に連絡いたします。ヤロールについては函館支部が提携組織と共に事態の隠蔽に動いています。全ては我々が独断で動いたこととなり、あなた達に責任や被害が及ぶことは無いのでご安心下さい。まあ、可能な限り事態は明るみに出ないようにします。可能な限り」
「提携組織?」
「それはこちらの企業秘密です」
「……分かりました。それで質問というのは?」
函館支部も独自の動きをしているということか。
「有葉緑郎に遭遇しましたね?」
「ああ、はい。会いました。僕を助けてくれて……」
「彼から世界卵という言葉は聞きましたか?」
また、その言葉か。
半端に隠すと逆に変な疑われ方をするし、素直に話をしよう。
「はい」
「そうですか。では一つ忠告を。たとえいかなる危険に陥ろうとも、容易にそれに触れないことをお勧めします」
「触れ……る?」
そう言えばそんな事を言われたような気もするが、正直あの時は混乱していて、頭の中がいっぱいになっていて、上手く思い出せなかった。
なので僕が聞き返すと香食さんは意外そうな表情を浮かべた後、咳払いをする。
「ともかく、有葉緑郎は危険な魔術師です。今回彼が貴方を助けたのは、純粋な善意からではない……貴方自身もそれは分かっていますよね?」
それについては思わず頷いた。
身を挺してくれたけれど、絶対に面白半分だった。
「でも、彼は死んだ筈じゃ……?」
「1999年末から、有葉緑郎は世界各地で死亡が確認されています。また、鈴森京太郎との関係も各地で噂されています。貴方を助けたのも偶然では無いでしょう。余計な事件に巻き込まれない為にも、どうかご注意下さい」
「……ありがとうございます」
香食さんは先程までの緊張した面持ちから一転、優しい笑みを浮かべる。
「お話は以上です。ガスライト支部の皆様が待っておりますので、エレベーターで一階まで向かって下さい」
分かりました、と言おうとした時、香食さんと目が合った。
すると――
【
ゾクリ、と背筋に寒気が走る。
香食クチナシ……本当に人間なのか?
この人に率いられている函館支部って?
そもそも有葉さんが世界各地で死んでいるって?
お爺ちゃんは、一体何を考えていたんだ?
全ての疑問に一旦蓋をして、あいさつもそこそこに僕はガスライト支部の皆の下へと走った。
*
「キョウちゃ~~~~~ん!」
「ぶっ!?」
目に入るスマイルマークの髪飾り。赤いミニスカートに黒いロングソックス。
それだけで少し泣きそうだった。
エレベーターの扉が開くと、伊吹が僕を出迎えてくれた。
ただ、感動するとは言え、結構体格もいいし筋力もあるので、いかに柔らかいと言っても飛びかかられるだけで相当きつい。
……だが、幸せだ。
思わず肩に手を置く。
「良かったキョウちゃん! 無事だったんだね!」
「伊吹、ここ病院だから……静かに」
周囲の人も感動の再会か何かと思っているせいか(実際にそうだが)、若干優しい目をしているが、うるさくするのは良くない。
「えへへ……うん。優奈ちゃんはもう車に乗ってるよ、一緒に帰ろう。空港まで香食さんが送ってくれるって!」
「香食さん?」
「うんうん、香食禮次郎さん! 今回、キョウちゃんの捜索を手伝ってくれた渋いおじさんでね、実は……」
伊吹が僕の耳元でこそっと囁く。
「探索者で、ヤクザなんだって……!」
「とんでもない人と知り合いになってたな!?」
「しっ、声が大きいよ!」
っていうか香食って函館支部の支部長さんと同じ苗字だよな?
親子? 兄姉?
「血扇社? ってマフィアについても詳しかったから、密輸ルートを先回りしてくれて、それで救援も間に合ったんだよ」
「そいつは良かった……なんだか助けられっぱなしだな僕」
「そんなことないよ?」
「そう?」
「キョウちゃんが戦ったお陰で私たちはキョウちゃんを見つけられた。それに今回のことで北日本で有数の精鋭部隊の函館支部ともつながりができたし……それにさ」
「なに?」
「船の事故にかこつけて、ヤロールの中に居て手出しできなかった人たちを助け出せたんだよ? それってキョウちゃんが頑張ったからだと私は思うな」
それを聞いて思わず笑みが溢れる。
そうか、そうだったのか。
あの悪趣味な場所から救われた人々が居たんだ。
いや、でも本当に救われたのか?
行き場所の無い人もそれこそたくさん居るんじゃないか?
「大丈夫だよ、キョウちゃん。深淵研究会や香食さんの組で少しずつ引き取って家族のところに返したり、能力の使い方を教えたりするんだって。今はそれぞれの組織の人たちが頑張ってくれるのを信じよう?」
「……ああ、そうだな」
そう、まずは信じてみよう。
有葉さんは疑えと言っていたけど、でも結局あの人自身が僕を信じて託してしまった。何の力も無い僕の未来を、それでもと信じて戦ってしまった。
だから、誰がなんと言おうと僕は僕の信じたいものを信じれば良いのさ。
「色々有ったけど、奪われていた誰かの世界が広がるならば……きっと僕は戦える」
「何時になく格好良いねキョウちゃん?」
「そんな気分の時もあるんだよ」
僕は珍しく自分から伊吹の手をとって、歩きだす。
「キョウちゃん!?」
顔を赤くする伊吹を、僕は最高の
「行こう伊吹。僕らの世界に帰るんだ」
僕たちはまた、歩きだした。
【シナリオ「魔眼蒐集客船ヤロール A.D.2018 【世界卵崩壊率3%】」 PC1:鈴森恭平 Happy End!!】
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