第51話 汝、魔を断つ剣となれ
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「こっちです! 甲板までたどり着けば脱出ができます!」
「オーケー! 背中は任せろ! いいかい鈴森君、お姫様から離れるんじゃないぞ!」
僕たちは有葉さんに守ってもらいながら船の中を走る。
船内は疑心暗鬼にかられた魔術師同士の戦いや、それによって発狂したマフィアが拳銃を振り回していることで、先程以上の大惨事となっている。
だが、有葉さんは船にいる魔術師と比較にならない程大量の魔法を贅沢に使いまくって全ての異常事態を強行突破し、僕たちはあっという間に甲板へとたどり着いた。
「……はあ、ここまで来れば一安心か。あー、疲れた」
有葉さんはそう呟いて蹲る。
「有葉さん? 怪我、してますよね? せめて応急手当くらい……」
「そうですよ! 鈴森君も私も助けてくださったんですよね? だったらお礼を……!」
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「二人がかりで言われると流石にうるさいな……好きにすれば良いさ」
「では私が!」
「優奈さん、上手なんですよ。僕も初めて一緒に行動した時に助けてもらって」
「まあ良い……頼むよ」
「はいっ!」
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【回復 有葉緑郎 HP:4→7】
優奈さんは有葉さんの手足の銃創に何処からか取り出した包帯を器用に巻き付けていく。先程の戦いで何処かで撃たれていたみたいだ。
ティンダロスの猟犬によるダメージではない。
「黙って治療されているのもつまらないから、少し話をしよう。深淵研究会が
「昔から?」
「あるものは英雄、あるものは預言者、あるものは王と呼ばれ、それぞれに才能を発揮し、それぞれの住む世界の発展と防衛を担っていた」
「待って下さい。
「そうでもあるが、そうでもない。今、人類の維持・存続の為に必要なのが探索者たちの存在というだけだ。人類にとっての危機や苦難、そして課題が邪神に関わるものでない時代が訪れれば、自ずと明らかになることだよ」
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「あの、僕たちの所属する深淵研究会が探索者やアーティファクトを集めている目的って……」
「カルト教団の一員が呟いた
「はい、終わりましたよ。応急処置!」
「礼を言う……が、次は優しく頼むよ」
「はい、また探索をご一緒することがあれば!」
「探索か、危ない橋は避けたいねえ。まあ、俺が筆を執る限り、そこはどうしようもないんだろうけどな」
有葉さんは苦笑いする。
そして立ち上がり、万年筆を取り出し、虚空に向けて筆を走らせる。
筆の軌跡は青白い燐光を残して天へと上り、何処からともなく雲を呼び寄せて月を隠す。
そして闇が訪れる。
「有葉さん、これは?」
「見れば分かるだろう。書いている。そして捧げている。物語を以って、神の加護を得る。芸術は何時だって神へ捧ぐ最上の供物だ。ここに来るまで地道に書き溜めて、今まさに仕上げと入稿を行っているんだよ」
「鈴森君、何を言っているの? 私には何も――」
「君たち、少し黙っていろ。これから集中する」
気になることは色々有るが、僕たちは黙り込む。
「いあ いあ くとぅるぅ ふたぐん いあ いあ さにど ふたぐん い■ ■■ くと■■ぅ ■■■■ いあ ■/ ■/\____■ ■■■■――」
有葉さんの朗々とした魔術の詠唱が闇夜の中で響き渡る。
最初のうちは耳で聞き取ることができたが、途中からはなんとも名状しがたい異国の言葉に変化してしまい、まるで理解はできない。
だけど、頭の中に急に文字列が走り始める。
【深き
普段とは違う文字列だ。
意味内容は殆ど分からないけれども、祈るような言葉が連ねられている。
頭の中でチラチラと輝く文字列は普段と異なり一つ一つが美しくて、そして理解できない筈なのに不思議と胸が躍る。
【
僕にしかこの状況は理解できていないのだろう。そもそも優奈さんには判定自体が発生していない。
闇夜の向こうで紫電が走る。
轟々と降り始めた雨はこの世の終わりのようでもあり、またこの世じゃない何かの幕開けのようにも見えた。
「酒坏を鳴らせ! 脱稿だ!」
あっけにとられた僕たちだったが、有葉さんの絶叫で現実へと意識を引き戻される。
「この宇宙の善にして全なる力よ! 今一度、その力を我らに恵み給え! 汝、神の似姿! 汝、楽園の守護者! 起動せよ
海面が突如として盛り上がり、どことなく女性的なシルエットを帯びた巨大な水人形が現れる。
海面に出ている高さだけで30mはあろうかという水人形は、僕たちに向けてそっと手を差し伸べる。その姿は神々しく、また優しく、そして何より力強かった。
【
【
そのあまりの偉大さを目の当たりにして、僕らは身動き一つせず、水の聖母像を見上げることしか出来ない。
「早く乗り給え!」
「え? あああ、はい! 行こう優奈さん!」
「う、うん!」
有葉さんに促されて船の上から水人形の巨大な掌に飛び乗り、肩へと乗り移る。
だがその時だ。
「ちょっと待ちなさい!」
黒服の男たちを連れたシャンが甲板に上がってくる。
男たちは一糸乱れぬ動きでアサルトライフルを僕たちに向ける。
「もう復活したのか
「お黙り有葉緑郎! あたしが欲しいのはきょーちゃんなの! さっさと返しなさい! さもなくば、
「そうか、ならば俺の安寧の為には貴様をぶち殺したほうが早そうだな! 俺は既に海に出た! 魔術戦において、敵に地の利を与えたことの意味が分からぬお前ではあるまい!」
「あはっ、あたしを誰だか知ってて言っているのかしら? やれるものならやってみなさいよ!」
シャンは扇を有葉さんに向け、叫ぶ。
「あんたたち、やっておしまい!」
アサルトライフルから僕たちに向けて放たれる無数の弾丸。
思わず目を閉じて伏せてしまう。
だが、何時まで経っても弾丸は届かない。
「クハハハハ! 促成栽培の三下ならともかく、本物の魔術師に近代兵器が通じるとでも思っているのか!」
有葉さんの声で僕たちは目を開く。
僕たちと有葉さんに向けられていた筈の弾丸は、全て水の聖母の両腕で受け止められていた。
「お返しだ!」
人形の中の弾丸の向きが反転する。
その先にはシャンと黒服の男たち。
【
「不味い、優奈さん!」
僕はとっさに優奈さんの目を覆い、自分も目を固く瞑る。
次の瞬間、弾丸が空気を裂く音と共に、くぐもった男たちの悲鳴が甲板を埋める。
僕はうっすらと目を開けて状況を確認し続ける。
「ちいっ!」
「なんだい膨れ女、部下に魔術師は居ないのか? まあ他人を信用できない貴様が、寝首をかかれるリスクを抱える訳もないか? んん?」
「それは――必要無いからよ!」
シャンが扇を振るうと彼女の姿がまたたく間に膨らみ、眉目秀麗の美女の姿から、醜く膨れ上がった肉塊へと変貌を開始する。
【
――駄目だ。
あれを直視してはいけない。
怖気の走る感覚を無視して、僕は優奈さんの目を覆ったまま、背中を向ける。
「優奈さん、絶対にあの二人の戦いを見ちゃ駄目だよ」
「え? う、うん。分かった」
背後からは冒涜的な叫び声や、爆音、人間の悲鳴が聞こえる。
「
緑郎さんの雄叫びと共に、僕たちの背後で太陽にも似た輝きが発生し、一瞬だけ空が明るくなる。
間を置かずにシャンがケタケタという大声で笑う。今の攻撃を意に介する様子は無い。
「死んだ方が思い通りに動くから、人間って便利なのよねえ!」
アサルトライフルの銃声がもう一度鳴り響く。一体何をしているんだ……。
くぐもった有葉さんの悲鳴。先程の攻撃とは何かが違うのだろうか。
――いや、駄目だ。そういう事を考えている場合じゃない。
あれは二人共、人間の世界に居てはいけない存在だ。
善悪とかじゃなくて、存在だけで僕たちのいる場所を破壊してしまう。
だから、このまま二人に戦わせているだけじゃ駄目だ。
僕や優奈さんにもできること。
何かできることはないだろうか。
【
【
「鈴森くん! スマホ! 私の持ってきていたスマホの電波通じるみたい! 深淵研究会に電話してみるね! こういう時って本部にも連絡したほうが良いのかな……私たちだけじゃ……」
そうか。
そういえばスマホを持ってくれば連絡もとれるのか。
いや、でも優奈さんの台詞からすると船内では電波が通じなくなっていたのか?
待て、それよりも――
「え!? ああ、いや、待って!」
深淵研究会の本部に直接電話をすべきではない。
もっと、僕たちが電話をすべき相手が居る。
「ガスライト支部の……ああ、伊吹の携帯に直接電話をかけて! 僕が話すから!」
「分かった。お願いね」
返事はすぐにあった。
「優奈ちゃん!?」
電話の向こうで、今にも泣きそうな勢いのみのりが叫ぶ。
「伊吹、僕だ。落ち着いてくれ」
「キョウちゃん!? 無事だったの! なんか後ろからすごい音が聞こえてるけど!?」
電話の向こうで一気に周囲がガタガタと騒がしくなり始める。
声も聞こえる。永井さん、三島さん、夢子ちゃん。いつもの皆が居るようだ。
「大丈夫。優奈さんも、僕も、無事に脱出できそうだ。だが伊吹が今聞いているように面倒なことになっている。逃げ切れるかどうかは分からない。だから救援を寄越して欲しい。場所は……東京から函館に向かう航路で間違いない筈なんだけど、詳しいところはわからない。分かり次第また連絡を……ああ、いやスマートフォンのGPSで探したりとかって出来ないかな?」
「分かった! GPSで探せば良いんだね! 今、一緒に行動している函館支部の人がそういうのは慣れてるみたいなんで頼ってみる!」
「頼んだ。大規模な神格との遭遇が想定されるから、比較的正気を保っている人か、お前みたいに回復ができる人を連れてきてくれ。それじゃあ一旦通話を切るぞ」
「待って……キョウちゃん!」
「どうした?」
「優奈ちゃんに……無事で良かったって」
「うん、分かった。早く迎えに来てくれよ」
僕は通話を追えて、優奈さんにスマホを返す。
「伊吹ちゃんなんて言ってたの?」
「優奈さんが無事で良かったってさ」
「……ああもう」
「どうしたの?」
「良い友だちだよなあって、思っただけ」
いつの間にか、背後で先程から鳴り響いていた爆音が止んでいる。
あれほど降りしきっていた雨も止み、空には無数の星が瞬いていた。
「……ふー、戦闘終了だ。もう振り返っていいぞ」
「終わったんですか有葉さん?」
「ああ、終わったよ」
僕と優奈さんは一緒に振り返り、言葉を失う。
「有葉さん……! 怪我……!」
「血、血が……!」
有葉さんの胸に巨大な穴が空いていて、そこからインクのような赤黒い液体がとめどなく流れている。指先は炭化して煙を上げ、白い中折帽子は見るも無残に両断されていた。
「こいつは気にするな。そんなことより、膨れ女はすぐにまた別の化身として復活する。ニャルラトホテプはそういう不生不滅の存在だからね」
「ニャルラトホテプ!?」
堕魂教の奴らを唆し、伊吹が最も警戒していた旧支配者だ。
僕を狙っていたのか?
「気づかなかったのかい?
有葉さんはコートのポケットから煙草とライターを取り出そうとして、落としてしまう。両手が完全に崩れ去ったせいだ。
「煙草も吸えないか……香食ほど格好良くは決まらんな。まあ良い。
「有葉さん!?」
「少年少女、別れの時だ。縁が合ったらまた遭おう」
その言葉を最後に、無数の原稿用紙になってしまった有葉さんは、風に吹き飛ばされて灰になって消えてしまった。
【
【
行かなくちゃいけない。
そしてその背後で、燃え盛る船の中からゆっくりと黒い影が膨れ上がっていた。
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