第22話 境界線上の交神規定《プロトコル》 後編②
「ふぃー……一丁上がり、と」
「助かりました香食さん。そちらが先に拷問してくださらなかったら、ここまですんなり情報は引き出せませんでした」
「なに、俺も魔術が無きゃ裏取りができなかったからお互い様さ」
禮次郎とリリスの目の前で異形が大樹に縛り付けられている。
それの上半身は大量の触手で包まれていて、下半身は黄色いゼリー状の粘液で構成された蛙の足のようになっている。
先程までそれは神主の老人の姿をしていたのだが、もはや見る影もない。
「そいつ、もう用済みかしら?」
「おう、こいつの処理はあんたらに任せるぞ。煮るなり焼くなり好きにしな」
禮次郎がそう言うと、ナイアの操る黒い影がそれを飲み込んで跡形も無く消し去ってしまう。
「好きにさせてもらったわ」
「はん、えげつねえな」
「あら、貴方達だってこの方が助かるでしょう?」
「まあな。礼を言わせてもらうぜ」
リリスは沈黙を保っていたクチナシに声をかける。
彼女の背の高さに合わせて少し屈む姿は、まるで仲の良い姉妹のようだ。
「クチナシさんは大丈夫でしたか?」
「えっと、僕もその……慣れてます。そもそも僕だって、その、人じゃ……」
口ごもるクチナシに対して、リリスは首を左右に振る。
「少なくとも、今そうして青い顔をしている貴方は人間ですよ」
「リリスさん……」
傍で見ていた禮次郎は口角を上げる。
「おいおいリリスちゃん。その言い方だとまるで俺が人間じゃないみたいだ」
リリスは禮次郎の方を見て肩を竦める。
「邪神による世界の破滅を止めるという目的の為に何処までも残酷になれるのも、ある種の人間性だとは思いますよ。ええ」
「へへ、まあ俺はあいつらが嫌いなだけなんだけどな」
笑う禮次郎の耳元でナイアがそっと囁く。
「――その割にはクチナシちゃんは大事にするのね?」
「リリスが今言ったじゃないか。彼女は人間だ」
「ふふ、そう。それは――」
素敵ね、とでも言いたげにナイアは微笑む。
その微笑を、盲目の禮次郎が目にすることはない。
「それは、なんだ?」
「なんでもないわ。行きましょう」
ナイアは肩で風を切ってあるき始める。
「ええ、そうですね」
「……? まあ行くけどよ」
「何か有ったら僕も頑張るからね」
ナイアを先頭に四人は神社の境内へと向かった。
*
「ここに石を投げ込むだけって、簡単なものね」
甲高い嬌声、四方から聞こえる粘液質な水音、一定のリズムで聞こえ続ける単調な太鼓、お囃子。
夜の帳の内側で、肉塊が蠢き、ぶつかりあい、さざなみのように寄せては返す醜悪なる異界への岸辺。
儀式に夢中になっている人と人外の間をすり抜けながら、禮次郎達は神社の井戸へと辿り着いた。
「簡単なもんかよ」
「と、言いますと?」
「どういうこと禮次郎?」
禮次郎はコホンと咳払いをする。
「良いか、聖域には二種類有る。魔を内側に封じる為の聖域と、魔を寄せ付けない為の聖域だ。この妹山神社は前者のタイプだ。この
禮次郎の話が終わる頃には、残りの三人は表情を引きつらせていた。
「うん……禮次郎はそういうことギリギリまで黙るよね」
「ちょっとなにそれ……」
「あの、香食さん?」
「なんだ?」
禮次郎に悪びれる様子は無い。
「禮次郎はさぁ……」
「先にですね……」
「先に言ってほしいわね……」
禮次郎は肩を竦める。
「悪かったとは思うが、お前らが味方かどうか分からなかったんだから仕方ないだろう。まあ今は一応信用しているからこうして打ち明けた訳だし、許してくれよ」
「この際そこについては追求しませんけど、何か策は有るんですか?」
「――ああ、勿論有る。伊達にこうした事件に関わって回っている訳じゃないからな」
禮次郎は先程の拷問の最中にボトルに採取していた神主の血液を見せる。
「この島の神主の一族はこれまで儀式に参加してなお無事だった。そこから推測するに、彼等は何がしかの方法でこの神社に集まってくるマジムンから身を守っていたに違いない」
「体液にその秘密があるのではないかと推測した訳ですね?」
「ああ、この匂いをマジムンが避けてくれないかと思ってな。最初は、お前達に狙われた時の保険にしようと思ってたが……」
禮次郎は人懐っこい笑みを浮かべる。
「……まあ、ここまで来たら俺達は仲間だろ」
「あら嬉しいわね」
「あの出会いからよくまたここまで言っていただけるようになりましたね」
「札幌まで来たら茶ぐらいはごちそうしてやる」
「ふふ、縁があったらお邪魔しますね」
「待ってるよ、リリスさんも、ナイアさんも」
「可愛いこと言ってくれるわね。クチナシちゃん」
「さて、いい話はここまでだ。これからプランを説明する。良く聞けよ」
三人は禮次郎の顔を真剣な面持ちで見つめる。
禮次郎は咳払いをした後、ゆっくりと丁寧に説明を開始した。
「石を投げ込んだら神社を全速力で離れ、車に乗り込み、兄山の神社まで戻る。車内まで上手く逃げ切れたらそこで血を撒くことになるが、途中でマジムンに囲まれたら……ナイア、リリス、頼んだ」
「任せて頂戴。手伝ってもらった恩義は返すわよ」
「ですね」
ナイアとリリスは微笑む。
「でも質問が有ります。
「そこなんだがな……とにかく走って、少しでも早く神社から離れることでカバーしようと考えている。
「まあ離れていく訳だものね。それに最悪の場合、私達はリリスの力で一気にこの領域から離脱するわ」
「俺達も連れてってくれないか?」
「戻ってこれるかわからないわよ?」
「じゃあ遠慮しておこう。クチナシ、俺が石を投げたら俺を担いで走れ。恐らく、俺達はナイアやリリスよりも神社の魔力に耐性がある」
「分かった。少しだけ、僕も力を使ってみるよ」
「オーケー。それじゃあいくぞ……三、二、一、今だ!」
禮次郎は
チャプ、と水音が井戸の底から響いた。
「走れ!」
クチナシは禮次郎を力任せに担ぎ上げると、神社の長い石段を駆け下りる。
ナイアとリリスもその後にピッタリと続く。
「貴方、思ったより動けるのね」
「禮次郎に鍛えられましたから!」
「そうなんですか?」
「ちょいとこの手の案件に連れ回しすぎた」
「あらあら、児童虐待かしら?」
禮次郎はクチナシの腕の中で思わず吹き出す。
「くっ……ふふ、確かに悪い大人だからなぁ俺は」
「あの! そんなことより前からマジムンが近づいてきてるよ! 大丈夫なの禮次郎!?」
「車までどれくらい走れば着く?」
「三分……いや、二分ですね」
「じゃあ早速頼むぜナイア」
「分かったわ」
ナイアは走りながら刀を振り回し、先頭へと飛び出して、石段の下から駆け上ってくる豚型のマジムンを真っ二つにする。
「リリス、クチナシちゃん、一気に駆け抜けて。これでわたしに注意が向くわ!」
ナイアが開いた路を、リリスとクチナシが駆けていく。
石段の左右の木立から低く響く赤ん坊の鳴き声。
リリスの瞳は、その先の二体のマジムンを捉えていた。
瞳の落ち窪んだ巨大な赤ん坊だ。
「ナイア、続いて大型の……赤ん坊型ですかね? とにかくマジムンが二体、こっちを見てます」
「分かったわ! すぐに切りに行く! 時間稼いでおいて!」
「任せて下さい!」
ハイハイで襲いかかる赤ん坊型のマジムン。
リリスは大声を出すことで彼等の注意を自らに引きつけ、左右から迫る二体のマジムンに挟まれる寸前で瞬間移動を行う。
二体の赤ん坊型マジムンは正面衝突し、大声で泣き始める。
「可能な限り注意はひきつけますが、そっちに行っても恨まないでくださいね!」
ナイアとリリスが頑張っているとはいえ、まだまだ多くのマジムンが山の下から迫ってきている。
その気配を肌で感じていた禮次郎は、二人の負担を減らすべく、切り札を切ることにした。
「クチナシ、少し止まれ。援護射撃だ」
「これでいい?」
クチナシは石段の脇のシーサーとも狛犬ともつかぬ石像の影に隠れる。
「よし、そうだ」
禮次郎はボトルの蓋を外し、足元に血を零す。
すると、だ。
油の張った水面に洗剤を一滴落としたかのように、山道を進撃する黒い波濤が禮次郎達を避け始めた。
「思った以上の効果だ……ナイア! リリス! 足を止めてくれ! ゆっくり進むぞ!」
禮次郎の叫び声と勢いが弱くなるマジムンの突撃に気づき、リリスとナイアは足を止めて禮次郎達の下に戻ってくる。
「なんとかセーフみたいね」
「ああ、二人共、身体の調子はどうだ?」
「ちょっと、変なこと聞かないでくれない?」
「香食さん、一歩間違えなくてもセクハラですよそれ」
「禮次郎さいてー。もう自分で歩いてよー!」
「おいおいあんまりだぜ」
禮次郎はクチナシの腕の中から飛び降りる。
「でもまあ助かったわ。こうやって今も離れているから耐えられてるけど、あれ以上戦闘してあの辺りで足止め食らってたら危なかったかもしれないわね」
「ですね。血液散布のタイミングは良い判断でした。流石、阿僧祇マリアを相手に生還しただけは有るというか――」
「おい、ちょっと待て」
「どうしました?」
「何処でそれを――」
――何処でそれを知った。
そう問いかけようとした禮次郎だったが、一陣の風がそれを遮る。
マジムンも、血の匂いも、全てを吹き消すような強い風が山の下、海の彼方から吹いてきたのだ。
分厚くかかっていた霧も徐々に晴れ、闇に包まれていた空が東の方から白んでいく。日の出だ。
「――っ! 酷い風だ。リリス、お前何処でそれを知った?」
「ねえ、禮次郎」
クチナシの声に、驚愕が滲んでいる。
「なんだ?」
「あの二人、居なくなってるよ」
「なに……?」
何時の間にか、禮次郎達の周囲からはマジムンもナイアもリリスも居なくなっていた。
それだけではない。
風が吹くと共に太鼓の音色も、山の中を照らしていた篝火も、何もかもが消えてしまっている。
まるで全ては夢だったかのように。
「居ないの。最初に会った時と同じ、跡形も無いみたい」
「裏切られたか? いや、それならとっくに死んでいるな」
「元々あの二人が違う世界の人だったんじゃないかな? なんだっけ、あの……アザトースが封印されて、世界の境界がハッキリしてきたから居なくなっちゃったとか」
「その可能性は有る……か。惜しいことをしたな」
「さよならくらい言いたかったよね」
「仕方ないな。車も運転したいところだったが……歩いて帰るか?」
「だねえ……」
――それにしても。
禮次郎は思う。
――消えたのは彼等なのか? あるいは俺達が……。
頭の中に浮かぶ最悪の可能性を振り払うように、禮次郎は頭を振る。
「ったく、散々な沖縄旅行だったぜ。次はもう少しのんびりしたいもんだな。お前の水着も楽しめちゃいないのに」
「……」
「クチナシ、道案内頼む。町の人々が起き出す前に旅館に戻って、漁港まで向かって本土に戻るぞ」
「……」
クチナシは空を見上げながら呆然としている。
禮次郎の肩越しに見上げた空に、彼女の目は釘付けとなっていた。
「クチナシ?」
「ねえ、禮次郎。霧が……空に……」
クチナシは禮次郎に抱きついてブルブルと震えている。
禮次郎は何が起きたかわからないが、彼女を抱きしめる。
「駄目、禮次郎は絶対に見ちゃ駄目……きっと見えないと思うけど。だって、もし、あれが、あれがそうなら最初から私達は……もう……無駄だったのかな。偶然起きなかっただけなのかな? ねえ怖いよ、禮次郎、アレは何だったの? 何を見ていたの? 私達のやったことは、全部、全部全部茶番だったの……? いや、私達はさっきまで……いや……」
「待て、クチナシ、何が有った?」
禮次郎はクチナシの顔を手で覆い、優しく問いかける。
彼は気づかない。
そんな彼の頭上にあるものを。
「禮次郎……禮次郎……」
「大丈夫だ。今回はもう終わった筈だ。泣くな。顔を伏せろ」
それは内側に無数の黒い影を孕み、それ自身さえ命を持つと主張するかのごとく小刻みに律動する白い霧。
原初の生命の混沌? 否、そこには生物・無生物を問わずに無限の影が
生きているもの、生きていたもの、生きていないもの、それら全てを飲み込む原初の宇宙として、白い霧は虹色の光とともに空へ浮かんでいた。
「畜生……何が……何が起きている……」
そして忌むべき無名の霧は、先程から吹く海風に、あっけないくらい簡単に流されて、大気の中に溶け込んでしまった。
薄く、くまなく、世界へと――――
【第22話 境界線上の
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