第16話 外なる神の殺し方・序~ヤクザ・マスト・ダイ~

 禮次郎は清水会の用意した黒塗りのキャデラックで老人ホーム“神の家”へと辿り着いた。

 運転をしていた若い衆を車に残し、他の四人の若者とクチナシを連れ、禮次郎は車を降りる。


拳銃ハジキは持ったな」


 無言で頷く四人。

 これから危険な場所におもむくことと人を殺すことだけは伝えてある。

 ――必要な時に引けるかどうかは、才能だな。

 彼等は禮次郎が普段から教育している訳ではない。

 禮次郎は若い衆を弾除けか囮程度にしか考えていなかった。


「行くぞ、お前ら」

「あ、あの……クチナシの姉御も連れて行くんですか?」

「ったりまえだろうが。お前らよりよっぽどこういう場面にゃ慣れているぞ」


 一方で若い衆達は禮次郎の後ろでスーツケースを引くクチナシが気になって仕方ない。


「あ、どもども。気にせずやってよ。僕は元からそういうの気にしないから」

「い、良いんですか姉御?」

「やーほら! これでも僕ヤクザの女ですから! 大丈夫です!」

「姉御……」


 若い衆は小声で「やっぱり……」とか「やべえぞ……」と口々に呟く。

 禮次郎が咳払いをすると四人はビクッと背筋を震わせて黙り込む。


「お前ら……」

「は、はいっ!」

「なんでしょう香食先生!」

「……生きて帰るぞ。偉くなりゃ何をしても文句が言えなくなるからな」


 四人は生唾をごくりと飲み込み互いに顔を見合わせる。

 禮次郎はそんな四人に柔らかく微笑む。


「それに、今晩は函館で一番良い店を予約した。一緒に仕事をした以上、俺達はもう仲間だ。これからのことについても、腹を割って話そうや」

「はい!」

「勿論っすよ!」

「寿司の美味しい店、教えてもらいたいと思ってたんすよ!」

「函館でイカの握り食ってみたいです!」


 ――普段ならクチナシ以外にこんな顔はしないな。

 笑顔なんて不似合いだと思っていた禮次郎だが、自分の言葉に素直に目を輝かせる若者を見ていると悪い気分はしない。

 彼等はまだ二十歳にもならない若者ばかりだ。


「つー訳だ。行くぞ」

「みなさん何やってるんすか! 俺だって撃ちたいのに! のんびりしているくらいなら俺にも撃たせて下さいよ!」


 運転手を担当している男が車の中から不満そうに声を上げる。


「うるせー! お前はちょっと待機してろ! お前に関しては組長オヤジさんから“ギリギリまで銃を持たせるな”って言われてるんだよ!」

「ちっくしょー! 最後は撃たせてくださいよ先生!」

「待ってろ! 好きなだけ撃たせてやる! 後で!」


 禮次郎と運転手の男のやりとりを聞いてクチナシがニヤニヤしている。

 きまりが悪くなった禮次郎はもう一度咳払いをして、ネクタイを締め直す。


「今度こそ……行くぞお前ら」

「「「「うっす!」」」」


 スーツ姿の若い衆を引き連れ、禮次郎は正面から“神の家”へと乗り込む。

 前に見たビデオと同じ自動ドアを通り抜け、誰もいない受付を無視し、土足のまま神の家へと突入する。

 相変わらず流れているのはピアノの曲。

 ――ドビュッシーの『子供の領分 第四曲』か。

 禮次郎は憂鬱な気持ちにとらわれてため息をつく。


「先生、女が居ますよ。シスターってやつですかね」


 禮次郎が顔をあげると、阿僧祇マリアが居た。

 リラクゼーションホールの真ん中でピアノを弾いている。

 マリアは禮次郎達の存在に気がついて艷やかな笑みを浮かべる。

 ――つがいを見つけたカマキリか何かみたいだな。

 禮次郎はそんなことを考えては一人でゾッとする。


「へへ、べっぴんさんだな」

「ハーフってやつか?」


 若い衆はニヤニヤと笑う。

 クチナシだけは禮次郎の恐怖を察して、彼の側には自分が居ると言いたいかのように、スーツの袖を強く握った。


「あら、こんにちわ。久し振りね禮次郎君、どうしたのかしら?」


 そんな禮次郎の気持ちなど知らないマリアはピアノの演奏を止めて近づいてくる。


「兄貴、お知り合いなんですか?」


 若い衆の一人が禮次郎に聞く。


「まあな」


 その一言に若い衆は身を固くする。

 それは事前に彼等が取り決めた射殺の許可だったからだ。


「マリア、少し話が有る」

「あら、なに? 禮次郎君がちゃんとお話してくれるなんて嬉しいわね」


 ――殺すか、交渉するか。

 禮次郎は指を鳴らす。

 ――選択肢なんてとっくに無い。

 四人の若い衆は顔を見合わせて頷く。

 ――少なくとも俺には与えられなかった。


「一体何を話すのかし――」

「死んでくれ」


 四人の若い衆は懐から拳銃を取り出し、マリアに向けて滅多矢鱈に銃弾を浴びせる。

 マリアは呆けた表情のまま、膝を撃ち抜かれて姿勢を崩し、腹を撃ち抜かれて臓腑を撒き散らし、腕を撃ち抜かれて転がりながら床に倒れ、頭を撃ち抜かれて脳漿をホールの絨毯にぶちまける。


「清水会に喧嘩を売った以上、落とし前をつけてもらうぞマリア」


 禮次郎はライターを取り出し、煙草に火をつける。


「おい、クチナシ。アレを出せ」

「はいはーい」


 禮次郎の背後に控えていたクチナシはスーツケースを開ける。


「香食先生! なんなんですかそれ!?」

「見りゃ分かんだろうが。魔女は燃やすに限る」

「魔女って……」

「黙ってろ。鼻はつまんどけ。昨日飲み食いしたものを戻したくなきゃな」


 禮次郎は中から火炎瓶を取り出すと瓶口に煙草で火をつけ、孔だらけになったマリアに向けて投げつけた。

 火炎瓶の中身は聖別済みの香油とガソリン、そして岩塩。

 修道服の焼ける焦げ臭い匂い。


「うっ……」

「吐くならスーツ汚すんじゃねえぞ」


 すぐに服が焦げる匂いとは違う匂いも混じり始める。

 それは今まで嗅いだことも無いような冒涜的な匂いだった。

 苦々しく、吐き気をもよおし、人から正気を奪う最悪の匂い。

 人間の焼ける匂いだ。


「ううっ……、ぷ!」


 四人の部下の中でも一番若い少年がたまらずその場で嘔吐する。

 炎の中のマリアに動く気配が無いことだけが禮次郎にとって救いだった。

 もしも炎に焼かれながらこちらに向かって来られたら禮次郎も正気でいられた自信は無い。

 

「禮次郎、そろそろ戻らないとまずいよ」


 禮次郎はクチナシに言われて時計を見る。

 約束の時間まであと一分。

 クチナシの言う通りだ。


「戻るぞお前ら」


 禮次郎は四人の部下達を促し、車へと足早に駆け出す。

 キャデラックの中では既に残した部下がロケットランチャーの組み立てを終えていた。


「あ、香食先生! 福岡土産ロケラン用意しました!」

「よし、よくやった。やり方は札幌で教わったな? お前ら全員構えろ」


 禮次郎はスイスイとロケットランチャーを用意して構える。

 慌てるのは運転手役以外の若い衆だ。


「先生、本当に撃つんですか」

「撃つぞ」

「やばいっすよ。警察とか近くの住人とか来ますって!」

組長オヤジさんに話は通した。人払いは済んでいる。お前らは心配しなくて良い」

「もう火だって付けたじゃないですか! 完全にやりすぎですってば!」

「なんだ? 火をつけただけで十分だと思ってんのか?」

「この家、あの女以外にも爺さんや婆さんが住んでるんですよね!?」

「安心しろ。どうせ皆殺しだ」


 四人の若い衆は戸惑う。

 先程まで運転手役だった若い衆が車から降りてきて勢い良く挙手する。


「すいません、先生! 一回見本見せてもらえますか!」

「オーケー! 気に入ったぞ!」


 禮次郎はロケットランチャーの引き金を引く。

 爆音とともに、神の家の二階の壁が崩れた。


「おうおう来なすった」


 不快な水音を立てながら、壁の穴からドドメ色の肉塊が飛び降りてくる。


「うっ……!」

「なんだあれ?!」

「撃って良いんですか!」

「おう、撃て。撃たないとあれに喰われるぞ」

「……やべーたのしー」


 若い衆達は目を疑う。

 その肉塊は人間のような姿をしていた。

 しかし人間とは決定的に異なり、首が折れた状態で、ヌッチャヌッチャという音を立てながらこちらに歩いてくる。

 髪があるべき場所には細い触手がいくつも生えて、ピチピチとのたうち回っている。


「此処に住んでるのは化物だけだ。仮にジジイやババアでも化物だ。化物、化物、ああ化物だらけだ楽しいなあ畜生が……ともかく先手必勝だ。全部殺すぞ」


 若い衆が怯えて逃げ出さないように、禮次郎は努めて冷静に告げる。

 横でクチナシはスーツケースからアサルトライフルを取り出して、ロケットランチャーを撃ち終えた禮次郎に渡す。


「ほら、お前らも撃て。俺一人じゃ手が足りねえ。一応あの化物も含めて録画はしてあるから、何か有っても俺達の頭がおかしいとは言われねえぞ」


 若い衆は顔を見合わせ、泣きそうな表情を浮かべる。

 人間を殺したことは有っても、人外は別だ。

 しかしそんな中、一人だけやる気に満ち溢れた男が居た。

 運転手役の青年だ。


「姉御! 俺も撃ちます!」

「あ、運転手のお兄ちゃんもがんばってねー!」

「勿論! 香食先生に良い所見せてやりますよ!」


 彼が喜々としてロケットランチャーやライフルを肉塊に向けた辺りで、他の若い衆も覚悟を決めた。


「ざ、ざっけんなあ!」

「すっぞごるぁ!」


 それぞれクチナシからアサルトライフルを受け取って建物の中から続々現れる肉塊に向けて弾丸をばら撒く。

 禮次郎はそんな若い衆の姿を見てため息をつく。


「声が震えてるぞ。撃ちまくるな。狙いがブレても当たりやすいからまずは腹を狙え」


 自分は三点バーストで肉塊の頭を吹き飛ばしながら、禮次郎は若い衆にアドヴァイスを送る。

 肉塊を弾幕で足止めしながら、時折ロケットランチャーを打ち込んで建物の破壊を続ける。


「禮次郎、トランクのロケットランチャー残り少ないよ」

「クチナシ、対人地雷クレイモア持ってこい」

「はーい……いやー、なんで僕こんな現場にいるんだろう」


 キャデラックのトランクからクチナシが対人地雷クレイモアを引きずり出す間、禮次郎達は残っているだけのロケットランチャーを構え、それぞれ“神の家”に向けて弾頭を放つ。

 白い煙を上げて飛翔する榴弾は、神の家の外壁にぶつかった瞬間に轟音を上げて壁を打ち砕く。


「さて……そろそろ別の手段を仕掛けてくるな」


 人型の肉塊が出て来るスピードが若干遅くなり始めたことに気づいた。


「運転手! 運転席戻れ!」

「先生! もっと撃ちたい!」

「死にてえのか馬鹿!」

「禮次郎! あれ見て!」


 半ば廃墟と化しつつある廃墟の上に暗い雲の如き泡立つ霧が集い始めていた。

 禮次郎は舌打ちをする。

 ――屍食教典儀Cults of Goulesや詞隈良太郎の手記にあるシュブ=ニグラスの本体に似ているな。


「おいクチナシ! クレイモアは止めだ! サリン使うぞ!」

「サリン!?」

「まじかよ先生!?」

「やばいっすよ! マジでやばい!」

「大学じゃ毒物の研究していたんだ! 心配すんな!」

「そういう問題じゃないっすよお!」


 禮次郎とクチナシ以外の全員が慌てて車の中に飛び込む。

 サリン。有機リン化合物と呼ばれる毒薬の類であり、毒ガスとして使われる。

 生物の神経を作動させたままの状態で固定させてしまう為、筋肉を自由に動かすことができなくなり、呼吸困難や失禁といった症状が起きる。

 禮次郎は清水会の麻薬合成用の化学プラントを一部流用してこの毒ガスを使えるようにしていた。


「はい! これ!」


 クチナシはキャデラックのトランクからドラム缶を取り出す。

 そしてそれを渡された禮次郎は力任せにそれを神の家の方に投げつけ、車に乗り込む。


「出せ! 早く!」


 運転手役の青年も、今回ばかりは軽口一つ叩かずにアクセルを踏み、神の家を離れる。


「……まあ、普通なら神に効くような代物ではないんだ」

「こ、香食先生?」

「お前らも薄々気づいているかもしれないが、あの化物は元々人間だった」


 車内に重たい沈黙が広がる。

 若い衆が禮次郎の台詞の内容を理解しているからではない。

 禮次郎が何を言っているのか、本格的に訳が分からなくなってしまっているからだ。

 禮次郎が組長の覚えめでたいインテリと聞いていた若い衆達は、自分たちの将来に希望を持っていた。

 だが禮次郎から見え隠れする狂気は、彼等の将来へのイメージを悪い方向へと変えていく。

 重たい空気を内包したまま、曲がりくねって坂の多い田舎道をキャデラックは走っていく。


「元々人間ならば、幾ら邪神が改造したとしても身体が動く仕組みは人間のそれに酷似していると俺は判断した。故に人間を殺す為の毒ガスを使用した。これは俺が元々有機化学に詳しかったので大量殺人には最適解だと判断した訳だが、もう一つ狙いが有る」

「……あ、あいつら一体何なんですか?」

「シュブ=ニグラス、と呼ばれる化物が居る。そいつに捕まって食われちまったんだよ」

「シュブ=ニグラス……?」


 禮次郎はあえて説明しないまま話をすすめる。

 彼なりの優しさだ。


「シュブ=ニグラスは恐らくこの世界に現れる為に儀式を必要としていた。その儀式を進める為に、マリアを化身としてこの世界に生み出した。マリアは己の欲望のままに生贄を集め、自らを祭壇にして自らを母胎として自分自身であるシュブ=ニグラスを生み出すつもりだった。きっとそうだった。そうに違いない」


 運転手役の青年を除く全員が怯えた目で禮次郎を見ている。

 それにも気づかずに禮次郎は話し続ける。


屍食教典儀Cults of Goulesによれば、シュブ=ニグラスの人間の姿をした化身は、知能も人間並みになってしまうのが弱点だという。知能の根底を支えるのは神経と頭脳だ。ならば、肉体の他の部位はいざ知らず、阿僧祇マリアの神経系は人間並みではないかと考えた。だからサリンは効く可能性が高い」

「禮次郎……皆怖がってるよ?」


 見かねたクチナシが禮次郎をたしなめるが、禮次郎は彼女の言葉の意味するところに気づいていない。

 全員が自分の話ではなくシュブ=ニグラスを恐れていると思っているのだ。


「遅えよ。組長オヤジさんからこんな仕事に放り込まれた時点で俺達は全員生きるか死ぬかなんだ。だったら慣れて生き延びるしかねえ」

「あ、あの……香食さん」


 若い衆の一人が三列のシートの最前列、助手席から禮次郎の方を振り返って尋ねる。


「あの、マジでサリンを……?」

「麻薬の合成用の施設を使わせてもらった。原料は独自に購入したが、今の法制度なら足はつかねえよ。さて、そろそろ時間だな」


 禮次郎はそう言って車の後方を振り返る。

 先程まで彼等が居た老人ホーム“神の家”の辺りから爆音が轟いた。


「な、なにしたんすか!?」

「時限爆弾だよ。サリンは経皮吸収性もあるからな。十分離れてからばらまかないと、俺達も死ぬだろう。そしてあのドラム缶には専門家に依頼してエルダーサインも刻んでもらった。エルダーサインの攻略に時間をかけてもらって残りの動ける落とし子を呼び出してもらってから、サリンを炸裂させたという訳だ」

「エルダーサイン? 先生、一体何を――」


 その時だった。

 ゴボォという音と共に禮次郎の周囲に居た五人の若い衆がする。

 赤い肉汁が革張りのシートにべっとりと染み込み、生臭い匂いが車内に立ち込める。

 コントロールを失った車は山道の曲がり角に向けてスピードを乗せたまま突っ込んでいく。

 

「あの女、やっとやる気になったか」

「れ、禮次郎! なにこれ!? 何が起きてるの!?」


 禮次郎は薄く笑みを浮かべる。

 だが何時もの余裕を装う為の笑みではない。

 その目は狂気で爛々と輝いている。


「ふふっ、慌てるなよ……全部これからなんだからさ」


 シートベルトを外した禮次郎は即座に運転席まで向かうが――。


「きゃあっ!」


 キャデラックはガードレールを突き破り宙へと飛び出す。

 異臭を放つ肉汁と、残された白骨を頭から被りながら、禮次郎とクチナシは真っ逆さまに崖の下へと落ちていった。


【第16話 外なる神の殺し方・序~慈悲無きものヤクザ・マスト・ダイ~ 終】

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