第41話 魔術師たちの斜陽
「やっておいてあれだが……酷いざまだな」
ダゴン秘密教団東京支部の瓦礫の中を歩きながら禮次郎は呟く。
そして考える。
――身内の権力争いに汲々として、その果てに近視眼的に空白になったと思った利権に飛びついた。そして負けた。
――日本でも有数の魔術団体ですらこれなんだ。組織の管理ってのは難しい。俺に組長なんてできるのか?
禮次郎は更に考える。
――何故俺が勝てたのか、原因は充分な情報を手に入れていたからだ。
――そして身軽に動いて効率的な攻撃を行ったから。巨大な組織を率いてこんな動きができるか?
そこまで考えてから禮次郎は気づく。
「だとしても……さて、妙だな」
「どうしたの禮次郎?」
先行して怪力を以て瓦礫を取り除いていたクチナシは禮次郎の方を振り返る。
禮次郎は隣の緑郎を一瞬だけ見た後、ポツリと呟く。
「いや、最初に東京支部に北海道に色気を出すように吹き込んだのは誰かと思ってな。行動が雑すぎる……明らかに誰かが煽ってるだろう」
「有葉さんなら知ってそうだね」
クチナシはジトッとした目で緑郎を見る。
「ははっ、クチナシ嬢は鋭いねえ。とはいえ、俺も元から東京支部が阿僧祇マリアの居ない北海道に向けて色気を出していたことしか知らない。昔から仲は悪かったんだ。それが自然な流れで進んだだけ……さ」
緑郎は肩をすくめる。
――こいつも何処まで信用できるかわかったもんじゃないな。
禮次郎とクチナシは眼と眼を合わせて同じことを考えていると確認し合う。
「話は後だ。まずは進むぞ」
クチナシの鋭敏な感覚が瓦礫の山と化したダゴン秘密教団東京支部の建物の隙間で息を潜める魔術師の気配を探りとる。
今の彼女はもはや力を隠すつもりも無い。両腕を黒い粘液のような異形へと変化させながら瓦礫を切り刻んで突き進んでいた。
「気をつけ給えよ。殆ど機能不全とは言え、罠が残っている可能性もゼロではないんだから」
「大丈夫ですよ有葉さん。僕にそんなものが……」
そう言いかけた時、瓦礫の隙間から欠けた五芒星の紋章が光る。
だがそれもクチナシが不快そうに眉をひそめると、瓦礫の隙間から野太い悲鳴があがり、それで終わり。後から焦げ臭い匂いがほのかに漂ってくるだけだ。
「今のは魔術の反動ってやつか?」
「んん、そうだね。強大すぎる相手に魔術をかけると反動で死ぬ。特に我々のような旧支配者の信奉者が、にわか仕込みの旧神の印など使ってもたかが知れているという訳だ」
次の瞬間、瓦礫の隙間から悪臭を放つショゴスが飛び出して三人に襲いかかる。
クチナシの両腕が槍のように変形してショゴスを貫いたかと思うと、そのショゴスは干からびて砕け散る。
「クチナシ、無理はするなよ」
「これくらいの数なら問題ないよ。もっと居たら流石にちょっと良くなかったかもしれないけど……あ、禮次郎、居たよ」
クチナシがそう言って無造作に瓦礫を切り刻むと、その下には魚面の老人が震えて縮こまっていた。
「ダゴン秘密教団東京支部長、ダゴン秘密教団の日本理事会の理事長……水守義雄だな」
禮次郎はコルト
「何だ貴様らは! なんなんだ!」
「清水会のもんだ。落とし前つけに来てやったぜ」
「清水会……北海道のヤクザ風情が……!」
「そのヤクザ風情にやられた気分はどうだ魔法使いサマ?」
「く……!」
――やはり清水会への認識が甘い。
――あるいは対処が可能だと思いこんでいたのか。香食令也を引き込んで……違うな。
――偽りの情報を掴まされている?
――誰が掴ませた? 香食令也か?
禮次郎は考えこむ。
その時、緑郎が口を開いた。
「んん、お久しぶりだねえ水守のおじさぁん」
ニヤケ笑いの緑郎の顔を見ると、水守義雄の顔は憎悪に歪む。
「緑郎! 貴様、有葉一族の人間でありながら我々東京支部に楯突くつもりか!」
「有葉、お前の知り合いなのか?」
「母親の兄。伯父に当たる人さ」
それを聞いた禮次郎は、しばし二人の様子を伺うことにした。
――最期くらいゆっくり話させてやろう。
「インスマウスの本部の人間がこれを知ったら、お前達北海道支部の人間はどうなる! 向こうで働いているお前のオヤジさんも悲しむぞ!」
「まあまあおじさん。そこはほら、お互い様だよ。おじさんが居なくなったら母さんも悲しむ。それは分かっているんだけどさ……北海道支部としても面子の問題ってやつが有ってさ……だぁいじょうぶ。おじさんが死んだ後は、俺達がちゃんと教団の経営を続けるから」
「嘘をつけ! お前のような愚か者がまともに教団の経営など――」
「魔術師の時代はもう終わりなんだ。あとは
「ふざけるな……ふざけるな……! そんなことで俺を始末するのか! お前ならば、俺が海に帰った後に、俺の椅子を手に入れることだって……!」
「そんなやり方で
緑郎は憐れむような表情を浮かべた後、乾いた声で禮次郎に告げる。
「香食せんせー、頼んだ」
「承知だ」
「おい待て緑ろ――」
禮次郎は無言で三発の弾丸を義雄に叩き込む。
「なん、で……」
そして持ってきていたガソリンを義雄に被せ、マッチを擦って火をつけた。
辺りに肉の焼ける臭いが漂い始める。
「さんきゅー香食先生、それにクチナシちゃん。流石に自分で殺すのは気分が悪いからねえ」
「ひとまず僕たちが巻き込まれた事件は、これで決着したんでしょうか」
「んん、あとは北海道の動き次第じゃないかな? 香食令也の動き次第……ああ、そうだ。香食くんの代わりに俺が令也は仕留めようじゃないか。流石に気分が悪いだろう?」
「あいつは化物だ。化物は殺す」
禮次郎の意思に狂いはない。
既に狂気の中に在るが故に、それ以上の変性は起こりえないのだ。阿僧祇マリアを殺したあの時、彼は決定的に狂ってしまった。
「おお、こわ。何時か俺も殺すつもりだろう」
緑郎はそんな禮次郎に向けてケラケラと笑う。
「お前の悪巧みが無辜の人間を傷つけるならな。そうじゃない間はお前が悪党でもなんでも付き合ってやる」
「んん、さんきゅー。正しい星が揃うまではよろしく頼むよ」
燃え盛る魚住義雄の亡骸の方をちらりと見て、溜息をつく。
――この男は、何処かで有葉緑郎を信じていたのかも知れない。
――人の心が無い上に、化物としても破綻している。こんな三文文士を。
――まあ、令也に対して躊躇いが無い時点で俺も同類か。
禮次郎の表情はどす黒い影が落ちている。
「ねえ禮次郎、行こう。僕達、何時迄もこんなところに居ちゃいけないよ」
「……ああ、急いで北海道まで帰ろう」
――この事件にはまだ裏がある。
――そして、その裏の調査に関しては有葉緑郎は俺達に協力しそうにない。そんな気がする。
――それどころか、いざとなれば、こいつも始末する必要がありそうだ。
「禮次郎……怖い顔してるよ?」
「ああ、ごめんな。行こう」
心配そうな顔のクチナシに手を引かれ、禮次郎は停めておいた車へと向かった。
*
一方、北海道の片隅、肝盗村ではそんな光景を伺う影があった。
水晶玉の向こうで水守義雄の顔が苦しげにゆがむ姿を見て、阿僧祇シモンは微笑む。
「令也さん。水守義雄が死にました。我々の計画通りです」
「ハッハー! 良くやったシモンちゃん!」
「令也さんも少し魔道書を読んでくださったら楽なんですけどね」
「悪いねえ。俺は苦手なんだよそういうの」
そう言って令也は窓の外から肝盗村から外を眺める。
「――でもほら、必要ないだろう? できる奴がやればいい」
煌々と輝く篝火。
地面に刻まれた非ユークリッド幾何学的文様。
虚ろな瞳でその周囲を巡る人々。
口からは歯ぎしりとも溜息ともつかない不快な音色が漏れている。
「……まあ、これだけのものを用意できるのは、もはや魔法と言っても良い気がしますけど」
「俺の見た夢が正しければ、1999年、クトゥルーは蘇る。俺がそう囁やけば、この村の古株はあっさり転んだ。地理的にも札幌と東京の両方から離れていて、縄張り争いに興味は無かったからな」
「ですが、一度この村に襲撃を仕掛けた筈ですよね?」
「そこは俺の手腕だ。この村の神主の娘を嫁にしたショゴス=トゥシャの男を、無下にする訳にもいかない……というより、荒廃したこの村の立て直しには清水会の資金が喉から手が出るほど欲しかった」
「……悪辣な」
「血族だから、神の真実に気づいたと思ってくれたんだろうよ。あとはまあ口八丁手八丁。かくして全ては俺の思うままだ」
令也はそう言って自らの額を指差す。
「悪いお方だ」
シモンはにたにたと笑う。
令也も同じように笑う。
「あとは東京から十二人の魔術師が来れば俺たちの計画は完成。クトゥルーは降臨し、その力でお前のお姉さんも蘇る」
「……姉さんも、ね」
「クトゥルーが蘇れば、当然の流れとしてあちらとこちらの世界の均衡は崩れる。均衡が崩れれば、神の力も復活する。そうすればシモンちゃん、あんたの大好きな神様だって当然やってくる訳だ。神により支配の行われる暗黒にして安穏の世紀。それが21世紀になる」
「……そして、貴方はそこで神の下につくと?」
「そうそう! その通り!」
シモンの顔からスッと笑みが消える。
「あなた、本気でそれができるような相手だと思っているんです?」
令也は困ったような表情でしばらく黙った後、溜息をつく。
「……やーねぇ、勘が鋭い子は」
「ふざけているところじゃないでしょう?」
「俺は君の味方だよぅ、シモンちゃん。大切な人の危機に間に合わなかった無念はよ~く分かるってば……な?」
シモンはまだ言いたいことがあると顔に書いてあったが、二人の会話はすぐに終わる。
トン、と六畳の和室の外で何かが弾む。
「……見てきます」
シモンは部屋の外の廊下に出て、様子を伺う。
「誰も居ない……」
トン、と廊下の先の階段の下でまた何かが弾む。
「令也さん、俺が戻るまで此処は開けないで下さい」
シモンは廊下の先の階段を降りて一階へ向かう。
解せないのは魔術の気配が無いことだった。
自ら結界を張り巡らせた2階建ての小さな旅館には、現在のところ令也とシモンしか居ない筈だった。
――こんな悪戯ができるとなると東京からの援軍の連中か? だとすれば趣味が悪い。
シモンは一階にたどり着く。誰も居ない。
トン、と背後でなにかが弾む。
「誰だ!」
振り返っても誰も居ない。
カラ、と金属質な音が足元で聞こえる。
「ひっ!」
思わず飛び退いて足元を見るが誰も居ない。
――いけない。これはいけない。令也さんの下に戻ろう。
――なにかよくわからない事が起きている。
トン、もう一度弾む音。
さっきよりも近い、耳元で。
「令也さん!」
――魔術とは思えない。神々の声とも、その眷属の類でもない。
――なんだ。なんなんだ。
それは完全なる正体不明。
なまじ世界の裏側を知るが故に、シモンはなおのこと恐ろしくなってしまった。
「トン、トン、トンカラトン」
歌うような声が頭の中で聞こえる。振り返っても無駄なのはシモンも分かっていた。だから彼は走った。美しい顔を恐怖で歪め、足がもつれて転びそうになりながらそれでも彼は走った。走って、走って、走って、そして――。
「令也さん! 助けてくだ――」
部屋の扉を開けたシモンは言葉を失う。
そこに居るのは香食令也ではない。
「あらシモン、どうしたの?」
阿僧祇マリアが、シモンの目の前で微笑んでいた。
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