第19話 マルセル・リシュリューの未来図

 リシュリュー伯爵領は、ロベリア帝国東部、その北西地域の一角を占めている。


 一応はこの地域の主要貴族領のひとつであるが、その規模は当主の爵位に比して小さく、人口も二万程度と少ない。南のアプラウエ子爵領や、南西のサレンフォード子爵領にも劣っている。

 そうなったきっかけは、今よりおよそ八十年も前、帝国が未だ隆盛を誇っていた時期までさかのぼる。当時のリシュリュー伯爵は、発展著しい帝国社会の勢いに乗り、自家と自領を富ませようとした。それまでは農業が主体だったリシュリュー伯爵領において、北の白龍山脈で鉱山開発を行うことで新たな産業を興そうとした。

 しかし、その試みは失敗した。伯爵には鉱山開発の才覚も、才覚のある者を連れてくる伝手もなく、鉱脈を探す過程で経費ばかりが増えていった。ようやく小さな銅鉱脈を見つけたものの、採掘を進めてもそれまでの費用を取り戻せるほどの利益は出ず、それどころか採掘を開始して間もなく大規模な崩落事故が起こった。高い給金を支払って雇い集めた技術者も、労役として採掘に従事させていた領民たちも、鉱山にいた大半の者が死んだ。


 伯爵はそれでも鉱山開発を諦められず、その悪あがきは次代の伯爵にも受け継がれ、さらに次代の伯爵が家督を継いですぐに損切りを決意したときには、莫大な借金ばかりが残っていた。利息さえ支払い続けるのは容易ではなかった。返済のための増税が試された結果、生活に困窮した民は領主家への反感を強め、徴税による解決は諦められた。

 その後も一向に減らない借金に耐えかねた当時の伯爵は、ついに先祖より受け継いできた領地を切り売りすることを決断した。領地の南側のうち大半をアプラウエ子爵家に、南西の一部をサレンフォード子爵家に売り払い、ようやく完済を実現した。領地の大幅な減少に伴い、五万いた領民は二万まで減った。


 屈辱的な領地売却からおよそ四十年。帝国の衰退期が重なったこともあり、リシュリュー伯爵家は未だ再興を果たしていない。領地を買い戻すなど夢のまた夢。過去の増税が尾を引き、領内社会は裕福とは言えない。二万程度の人口から得られる税収では、伯爵家としての家格を維持するだけで一苦労だった。

 当代リシュリュー伯爵マルセルは、自家と自領が落ちぶれきった様しか知らずに三十数年を生きてきた。金に余裕のない家と、さして活気もない領内しか見たことがなく、社交の場に出れば「例の名ばかり伯爵家」などと噂され嘲笑される。そのような人生を送ってきた。

 何故、自分の家はこのように惨めなのか。何故、自分は蔑まれなければならないのか。劣等感を抱えながら、帝国東部の社会への憎しみを募らせるばかりの半生だった。


 そんなマルセルにとって、皇帝家に起こった悲劇は、喜ぶべき僥倖だった。神より与えられた好機だと本気で思った。

 当初予想されたかたちで帝国が崩壊していれば、自分には何らの機会も巡ってはこなかっただろう。独立を目論む大貴族たちが周辺の貴族領を奪い合って争い、その中で弱いリシュリュー伯爵家が成り上がりを果たす隙などなく、伯爵領はルーデンベルク侯爵領あたりに飲み込まれていたことだろう。

 しかし、状況は全く変わった。帝国崩壊の序曲は突如として響き始め、帝国東部に生きる全ての領主貴族家は、揃って準備不足のまま動乱の時代の入り口に立つこととなった。

 こうなれば、リシュリュー伯爵家の成り上がりも決して夢物語ではない。自分が一国を興すことも不可能ではない。

 領地が巨大であるが故に鈍重な大貴族たちが、今年中の行動開始を端から諦めていることを考えると、今すぐに動き出せば時間的有利を得られる。マルセルはそう考えた。


 まずは、西に並ぶ貴族領――フルーネフェルト男爵領をはじめとした小領群を征服する。一つひとつがこちらの数分の一の規模しかない小領ならば、各個征服していくのは容易なはず。それら征服した小領から、領主家の存続と引き換えに大量の徴集兵や物資、資金を供出させ、その兵力をもって今度は南のアプラウエ子爵領へと攻め込む。かつての領地をリシュリュー伯爵家に再び割譲させた上で、アプラウエ子爵家を従属させる。

 ここまでを秋が終わるまでに成せば、後は冬の間に南西のサレンフォード子爵領をはじめとした三領を交渉で傘下に置けばいい。サレンフォード子爵家と他の二家はあまり仲が良くないので、そこを突けば如何様にも支配できる。

 こうして帝国東部の北西地域一帯を手中に収めれば、抱える人口は十五万以上。人口三十万を誇るルーデンベルク侯爵家と真正面から戦うことはできずとも、その進撃を防ぐ程度のことは決して難しくない。侯爵家も、西にばかり戦力を割くわけにはいかないのだから。


 この秋のうちに急ぎ西と南を征服するとなれば、本来のリシュリュー伯爵家の力では極めて難しい挑戦だが、幸いにもマルセルは手助けをしてくれる後ろ盾を得た。ルーデンベルク侯爵家と敵対関係にある大貴族より後の物資援助の確約を得て、さらにはまとまった資金援助を受けたことで、早くから大胆に行動を起こすことが可能となった。来年以降もその大貴族と協同し、ルーデンベルク侯爵家を牽制しながら生き長らえ、最後には侯爵家にも勝利する。

 それで、リシュリュー家の治める国家が誕生する。後ろ盾の大貴族との兼ね合いで、さして大きな領土は得られないだろうが、それでも自分が一国の主となることは変わらない。今までリシュリュー家を馬鹿にしてきた帝国東部貴族たちからも、軽んじられることはなくなる。

 もちろん、成功の保証はない。しかし、賭けに出る価値は十分にある。帝国崩壊による動乱という、自分の生きている間に二度とは訪れないであろう好機。ここで賭けに出ず、いつ賭けるというのか。


 これが、マルセル・リシュリューの考えだった。この考えのもとで、マルセルはまずフルーネフェルト男爵領を落としにかかった。

 都合のいいことに、かの領の領都ユトレヒトは、領地の東寄りにある。なのでまずは、後ろ盾の大貴族から受け取った資金で傭兵団を雇い、東の領境近くの村を占領させ、こちらの本隊が進軍するための橋頭堡を確保する。それと並行して別の傭兵団を送り込み、ユトレヒトの西にある村を占領させ、残る村々との連係を絶たせる。そうしてユトレヒトを孤立させれば、その後は迅速にフルーネフェルト男爵家を屈服させることができる。

 フルーネフェルト男爵家に事前に察知されることを防ぐため、送り込む二つの傭兵団とは領外で接触し、リシュリュー伯爵領に長居させずフルーネフェルト男爵領へと侵入させた。

 二つの傭兵団には、占領する村の民を適当に虐殺しておくようにも命じた。そうすれば、フルーネフェルト男爵家と領民たちを恐れおののかせることができる。恐怖心を植えつけておけば、降伏させることも、その後に支配することも容易になる。フルーネフェルト男爵領での惨劇を知らしめて脅せば、さらに西の小領群もより少ない抵抗で屈服するだろう。


 二つの傭兵団が無事に任務を果たしたこと、そしてフルーネフェルト男爵家に書簡を届けたことは、昨夜のうちに連絡がなされた。そして今日の正午頃、書簡で求めた通り、ステファン・フルーネフェルト男爵は互いの領地の領境、リシュリュー伯爵領側に設けた会談の場へと参上した。


「よく来てくださった、フルーネフェルト卿。ご足労に感謝する」


 会談用に設置した大きな天幕の前。護衛を担う伯爵領軍の騎士や兵士たちに囲まれながら、マルセルはステファンと対峙する。




★★★★★★★


プロローグの描写(ヴィルヘルムの前世のシーン)を少し修正しました。

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