第32話 決戦③

 そんな敵徴集兵を、フルーネフェルト軍は攻撃しない。

 最前列を担うラクリマ傭兵団は、緩やかな八の字を作るように並び、敵徴集兵たちが中央の空白に入っていくよう流れを誘導しながら、威嚇以上のことはしない。中央に寄るのが間に合わず、うっかり真正面から突っ込んでくる者がいても、怒鳴ったり突き飛ばしたりして追い払うに留める。

 そして左右に分かれている徴集兵たちも、中央の空白を走っていく敵徴集兵に手は出さない。


「後ろへ行け! そのまま逃げちまえ!」

「ほら逃げろ! こっちに来るなよ! そしたら攻撃はしない!」


 隊列中央を担い、他の徴集兵を左右に移動させる役割を担った徴集兵たちが武器を構えて壁を作る。そして、徴集兵全員で口々に叫び、敵徴集兵をそのまま後方へ走らせる。敵徴集兵たちは訳も分からないまま、しかし戦意を失っているために、フルーネフェルト軍の隊列の只中を一刻も早く脱出しようと走り続ける。

 そして隊列を抜けた者たちは、そのままフルーネフェルト軍の後方、西側へと走っていく。


「リシュリュー伯爵領民の諸君! 適当に戦場から離れ、戦いが終わるのを待つといい! 君たちを傷つけはしない! 戦争が終われば君たちは家に帰れる! それまでただ待っているんだ!」

「お前ら聞いたか!? 戦場から離れたら、そのまま待ってようぜ! 早く家に帰りたい!」


 割れた隊列の左翼側最後尾に身を置きながら、ヴィルヘルムは敵徴集兵に向けて何度も呼びかける。さらに、ナイジェルが周囲の徴集兵に向けて声を張る。

 数の上ではフルーネフェルト軍を圧倒していたリシュリュー軍の徴集兵たちは、フルーネフェルト軍と刃を交えないまま、戦場に空いた穴を抜けて逃げ去っていく。まるで底の抜けた樽から水が流れ出すように、八百強の軍勢が戦場から離れていく。

 ヴィルヘルムとナイジェルの呼びかけが効いたのか、あるいは見知らぬ土地を逃げ回るのは怖いのか、彼らの大半はフルーネフェルト軍からある程度の距離を置いたところで足を止める。

 この戦場において誰よりも多数であるリシュリュー軍の徴集兵が、しかし今は無力な羊の群れのように、ただ所在無げに寄り集まって固まる。

 彼らをけしかけていた伯爵領軍と傭兵部隊は、予想外の事態を前に、フルーネフェルト軍から一定の距離を置いて前進を止めた。後ろから武器で追い立て、敵陣にぶつけて押し込むはずの徴集兵が、そのまま前方に流れて消え去るという異常事態を前に、呆然としていた。


 その様を見て、ヴィルヘルムは薄く笑む。

 これは賭けだった。味方の戦力を損耗することなく、それでいて敵徴集兵――すなわち無辜の伯爵領民を殺すことなく、敵側の兵力を大幅に減じるための策だった。

 敵の前衛は士気の落ちている素人兵士とはいえ、倍近い軍勢と激突すれば、こちらの兵士たちも無事では済まない。大損害を負いながら敵徴集兵を蹴散らしても、その後には伯爵領軍と傭兵部隊が控えている。勝ち目は薄い。

 そして、勝利した後にリシュリュー伯爵領を併合し、統治することを考えると、今後は同じ社会の一員となるフルーネフェルト男爵領民とリシュリュー伯爵領民を真正面から殺し合わせることは避けたい。

 なのでヴィルヘルムは、ラクリマ傭兵団の威圧感と死体の首を利用して敵徴集兵たちの戦意を完全に砕いた上で、戦う気のない彼らを戦場から逃がしてしまうことにした。

 彼らの真正面に退路を作り出し、敵側や左右ではなくこちらの後方へと逃がす。それならば、彼らは突撃の勢いのままに逃走できる上に、彼らを後ろから追い立てる伯爵領軍や傭兵部隊も逃走を防ぐことはできない。


 もし、敵徴集兵たちがこちらの予想ほど戦意を削がれなかったら。こちらの隊列を抜けた彼らがそこで心変わりして、後方から襲いかかってきたら。こちらは全滅しかねない。そのリスクを承知の上で、これが奇策の類であることを分かった上で、それでもヴィルヘルムは策を決行した。軍事的にも政治的にも、損害をできるだけ抑えた上で大勝利を果たす必要があるからこそ。

 そして、ヴィルヘルムは賭けに勝った。ラクリマ傭兵団を味方に引き入れた時に続いて、二度目の大きな賭けに勝った。

 戦況は激変した。今や、二百弱の兵力で棒立ちとなった敵軍の側が少数。こちらの兵力は変わらず五百弱。敵の二倍を優に超える。


「全軍突撃!」


 ヴィルヘルムは高らかに命令を下す。

 その命令は、フルーネフェルト軍の隊列最先頭、ヴァーツラフのもとまで届く。


「この名前を呼ぶのも最後かもしれないな……ラクリマ傭兵団、突撃しろ!」

「「「応!」」」


 団員たちが一斉に吠える。武器の先に首を掲げていた者たちはそれを振り落とし、そして四十人が突撃の最先鋒として駆け出す。

 士気高い徴集兵たちも、その後に続く。ヴィルヘルムと数騎の直衛を後方に残し、五百弱の軍勢が鬨の声を上げながら突き進む。隊列の中央にあった空白は、突撃の過程で徐々に埋まっていく。

 対するリシュリュー軍後衛の動きは、二つに分かれた。

 一つは、逃げ出す者。傭兵のうち半数ほどは、命あっての物種と考え、後払いの報酬を諦めて戦場からの逃走を開始した。

 もう一つは、迎え撃つ者。伯爵領軍の軍人は全員がそうした。主家への忠誠を示すため。あるいは、ここで逃げ出せば領内社会において自分と家族の立場がなくなる以上、ひとまず戦うしかないと腹を括っているため。傭兵も半数は戦う姿勢を見せた。彼らは二種類いる傭兵のうち、規律と矜持を持つ類の者たちだった。

 戦う前に総勢で百人強にまで減ったリシュリュー軍の主力は、それでも負けじと鬨の声を上げながら前進し、そしてフルーネフェルト軍と激突する。


「殺せ! 皆殺しにしろ!」


 ヴァーツラフは怒鳴りながら、目の前の敵兵に戦斧を振り下ろす。硬く重い刃が敵兵の顔面を叩き割り、血飛沫がヴァーツラフの顔を覆う鎖帷子を濡らす。

 鎖帷子から血の雫を滴らせながら、ヴァーツラフは振り返る。転んでいる味方の徴集兵を斬り殺さんと迫っている敵の傭兵に盾をぶつけて突き飛ばし、徴集兵を助け起こす。


「戦え! 勝利は目の前だ!」


 数の有利と士気の旺盛さを存分に活かしながら、フルーネフェルト軍は敵を押し込んでいく。


・・・・・・


 その様を本陣から眺めながら、マルセルは悲鳴じみた怒声を上げた。


「何たる様だ! どうしてこうなる! 戦わずに逃げた傭兵どもを殺せ! 全員殺せ!」

「お待ちください、閣下」


 激情を露わにする主とは裏腹に、領軍隊長ロドリグは冷静に言う。


「騎兵部隊は貴重な切り札です。我々にとって最後の戦力です。逃亡者の処刑に使うべきではありません」

「……くそっ! 私の命令に逆らった者さえ罰することができないとは! あれもこれもまったく思い通りにならない! 何度仕方ないと諦めればいいのだ!」


 誰に向けて言うでもなく喚き散らしながら戦場を睨みつけたマルセルは、唐突に黙る。


「……おい、あれを見ろ! ヴィルヘルム・フルーネフェルトは重大な過ちを犯したぞ!」


 マルセルが指差したのは、戦場の南側。自身から見て左手側。

 戦場の北側は、小規模な森が広がっている。フルーネフェルト軍は左側面を森に守られるように位置取っている。

 そして南側には、フルーネフェルト軍の右側面を守るように障害物が置かれている。しかしその防衛線は、フルーネフェルト軍が前進したために不完全なものとなっていた。敵の隊列の前方半分ほどが、障害物の並ぶ位置よりも前進したために、右側面ががら空きとなっている。


「あの無防備な右側面に騎兵部隊を突撃させ、敵徴集兵を蹴散らそう! 脆弱な徴集兵など、今は勢いづいていても騎馬の突撃を食らえばすぐに逃げ出すはずだ! 徴集兵さえ追い払えば、残るラクリマ傭兵団は数で押して倒せる! どうだロドリグ!?」

「……止むを得んか。それでいきましょう」


 短い思案の後、ロドリグは主にそう答えた。

 マルセルの周囲にはロドリグを含めて四騎の直衛だけが残り、二十騎から成る騎兵部隊が敵陣の右側面を目がけて突撃を開始する。

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