第31話 決戦②

「諸君! 何も恐れることはない! 我が軍の大勝利は決まっている! 僕は心強い味方を手に入れ、ノエレ村を襲った敵集団を討ち滅ぼした! それと同じだけの奇跡を、いや、それ以上の奇跡をもう一度起こしてみせよう!」


 左側面を森に、右側面を障害物に守られて布陣した自軍を見回し、ヴィルヘルムは高らかに、自信を見せつけるように宣言する。


「敵将マルセル・リシュリュー伯爵は、己の欲望のためにフルーネフェルト男爵領の民を殺した卑劣な男だ! 愚かな侵略行為のために、自領の民を無理やりここまで連れてきて戦わせようとしている暴君だ! そのような敵に僕たちが敗けるはずがない! 僕たちには大義がある! 唯一絶対の神も僕たちに味方している! 後は勝利を成すだけだ! 共に戦おう!」


 戦後のことを考え、敵全体ではなく領主マルセルだけが悪であることを強調しながら、ヴィルヘルムは語った。それにフルーネフェルト軍の全員が力強く応えた。皆が士気旺盛だった。

 ヴィルヘルムが兵たちの鼓舞を終えて間もなく、戦いは始まる。リシュリュー軍が動き出し、フルーネフェルト軍はそれを迎え撃つ。

 退路を正規軍人や傭兵に断たれている敵側の徴集兵たち、八百強が徐々に速度を上げながら迫ってくる。その様を隊列先頭の中央で睨むのは、ラクリマ傭兵団の団長ヴァーツラフ。


「……今だ! 左右に分かれろ!」


 左右に分かれろ。発された命令があちらこちらで復唱されながら、フルーネフェルト軍の隊列は中央から割れる。

 陣形の中央を成していたのは、徴集兵となった領民たちの中でも、領内社会の中心的な役割を担っている者たち。自作農や職人、商人など、ある程度複雑な命令を理解し、己の頭で考えながら実行に移す能力を持つ者。

 彼らはあらかじめ、二列縦隊を組み、それぞれの外側にいる他の徴集兵たちを移動させる役割を負っていた。事前に指示を受け、何度か練習もした通りに、彼らはヴァーツラフの命令を復唱して徴集兵たちに移動を促す。

 他の徴集兵たちも練習の成果を発揮し、命令に従ってそれぞれ陣形の外側に走る。隊列右側にいる徴集兵たちは、障害物の真横まで。左側にいる徴集兵たちは、森の入り口あたりまで。それぞれ急いで移動する。

 そうして、フルーネフェルト軍の陣形は、まるで断ち切られたように左右に割れる。


「……いかにも奇跡らしい光景だ」

「閣下?」

「いや、何でもないよ。さあ、策の成功を見届けよう」


 直衛の騎士見習いに答え、ヴィルヘルムは戦場を指差す。前世の伝承、奇跡を起こして海を真っ二つに割ったという預言者を思い出しながら。

 割れた隊列の先頭で、ラクリマ傭兵団は次の行動に移る。


「掲げろ!」


 ヴァーツラフが命じると、最前列を占めるおよそ四十人の団員のうち、半数の二十人ほどが抱えていた麻袋の口を開く。

 その中から取り出されたのは――昨日、リシュリュー軍の隊列に投げ込まれたものと同じ。ノエレ村を襲った傭兵たちの死体から切り取られた、背骨の垂れ下がった首。

 もちろん首と背骨を力任せに引きずり出すような真似は人間には不可能なので、死体の背中を裂いて邪魔な骨や肉を切り離し、胸椎のあたりまでをひと繋ぎに取り出したものだった。

 およそ二十の首が、剣や戦斧の先端に刺され、高々と掲げられる。虚ろな表情の顔が、あるいは石を散々にぶつけられて人相も分からないほど損壊した顔が、迫りくる敵徴集兵の方を向く。

 首を掲げた団員たちは、敵に見せつけるようにそれらを揺らしてみせる。首を掲げていない者たちも、剣や戦斧を盾や鎧にぶつけ、大きな音を立てて威嚇する。

 兜の上から鎖帷子の網を被り、顔を隠すその異形故に、ただ並んで武器を構えているだけで凄まじい威圧感を放つラクリマ傭兵団。彼らが掲げる首と、その下で揺れる背骨。幾度も響き渡る硬質な打撃音。

 元より士気の落ちきっているリシュリュー軍の徴集兵たち、その戦意を完全に砕ききる最後の一手として、効果は十分以上だった。


「ひいぃっ!」

「冗談じゃない! あんな奴らのところに突っ込むのかよ!」

「嫌だ! 死にたくねえ! あんな死体になりたくねえ!」


 異常な状態の首を掲げた、不気味な姿の兵士たち。リシュリュー軍の徴集兵たちには、彼らが人間ではなく得体の知れない化け物に見えた。

 あのような敵と真正面から戦って敵うはずがない。自分たちも無残に殺される。背骨を引きずり出される。そのような妄想が徴集兵たちの脳内を満たした。

 恐怖に包まれながら、しかし彼らは止まらない。今さら止まれない。

 伯爵領軍や傭兵に追い立てられ、最後尾から前へ前へと押され、ある程度の速度がついている軍勢。その只中で足を止めれば後続の味方に踏み潰されてしまうため、怖くとも敵に向かって走るしかない。隊列の両端から横に逸れて逃げ出す者もいるが、敵陣との激突までにそのような行動に移れる者は少数。八百強の徴集兵のうち大半は、絶望的な顔で走り続ける。

 そんな彼らに唯一残されているのが、敵の隊列のど真ん中に現れた空間。その空間には、背骨つきの首を掲げた恐ろしい敵は並んでいない。


「あそこを目指して走ろう! 敵の間を通ってそのまま後ろに逃げるんだ!」


 突撃する徴集兵たちの間を器用に通り抜け、隊列の最先頭に躍り出ながら叫ぶ者がいた。

 周囲の者たちは知る由もないが、それはフルーネフェルト男爵家の従士ナイジェルだった。


 行商人に扮した情報収集役として、普段はフルーネフェルト男爵領から離れた地域を回っているナイジェルは、リシュリュー伯爵領の民からほとんど顔を知られていない。領都ランツでナイジェルを見かけたことのある者がいるとしても、彼がフルーネフェルト男爵家の従士だと知る者はいない。少なくとも、民兵として真っ先に徴集される社会階層の者は知らない。

 そしてリシュリュー軍の徴集兵は、ランツのみならず領内各地から集められている。同じ都市や村から集められた者同士を除けば、彼らは互いの顔も知らないはず。まともに統率もされていない徴集兵の群れが、いちいち点呼などをとられるとも思えない。領民でない者が一人紛れ込んでいたとしても、おそらく誰も気づかない。

 そのような予想のもと、ヴィルヘルムは敵徴集兵の中に臣下を紛れ込ませ、彼らを誘導させることを考えた。そのような策の実行役に、ナイジェルは自ら志願した。ヴィルヘルムの予想が外れ、開戦前に気づかれる危険性もあることを承知の上で。


 念のための変装として髪型を変え、髭を伸ばしたナイジェルは、昨日の深夜にスレナ村に接近した。夜襲は警戒しているが、単独や少数での侵入に対しては万全に備えているとは言えないリシュリュー軍の野営地に、入り込むことはそれほど難しくはなかった。

 夜が明け、決戦に向けて布陣するまで、誰何されることもなかった。徴集兵の隊列は戦場に整然と並ぶわけでもなく、大雑把に集まった素人兵士たちの中に、ナイジェルは何食わぬ顔で紛れた。正規軍人や傭兵たちに追い立てられるようにして並んだ徴集兵たちは、同郷の者とはぐれて一人で不安げに立っているような者も少なくはなく、ナイジェルもその類を装った。

 表向きの仕事である行商でも、本業である情報収集でも、いざというときの逃げ足は重要なので普段から鍛えている。いざ突撃が始まると、ナイジェルは徴集兵たちの間を抜けて先頭集団に躍り出て、大声で皆に呼びかけていた。


「ほら、あの真ん中の空いてるところだ! あそこを通り抜ければ、化け物じみた敵と戦わなくて済む!」


 そう言って、ナイジェルは自らフルーネフェルト軍の隊列の空白に飛び込む。周囲の者が続き、さらに周囲の者も釣られ、リシュリュー軍の徴集兵は全員がフルーネフェルト軍の隊列の空白に殺到する。

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