第30話 決戦①

 スレナ村に到着したときには既に夕刻も近く、今さら引き返すことはできなかったため、千人から成る軍勢はほとんど食料なしで一夜を明かした。

 丸一日の行軍の末、井戸水だけを飲んでも体力が回復するはずもない。夕食を与えられず、朝食ももらえないと分かっている兵士たちの空気は、明らかに沈んでいた。特に徴集兵たちは、昨日の首の一件で怖気づき、そこへ空腹も重なったことで、士気が落ちきっていた。


「閣下。畏れながら今一度申し上げます。一時撤退をご検討ください。兵たちがこの状態では、圧倒的な数的有利を覆され、敗北することもあり得るものと考えます」

「~~~っ! くそっ! くそおおっ!…………はあ、致し方ないか」


 地団駄を踏み、悪態をつき、それでひとまず気を静めた後、マルセルはぼそりと呟くように言った。マルセルの目から見ても、正規軍人や報酬がかかっている傭兵たちはまだしも、暗い表情で座り込む徴集兵たちがまともに戦えるとはとても思えなかった。

 仕切り直しての再侵攻には時間がかかり、兵力集めにもおそろしく苦労することだろう。だが、それについては帰ってから策を考えるしかあるまい。

 そう思い、撤退命令を下そうとした、そのとき。


「リシュリュー閣下! 至急報告いたします! フルーネフェルト軍が接近してきました! 数はおよそ五百!」


 これ以上ないほど間の悪い報せに、マルセルはまた悪態をつきながら地団駄を踏んだ。


・・・・・・


 最終的に、フルーネフェルト男爵領側の決戦兵力は五百弱となった。

 そのうち四百強は、領民の成人男子を徴集した民兵。練度は低いが、士気は高い。

 ユトレヒトとスレナ村、その他の農村から集まった徴集兵の総数は、五百に届かない程度。そのうち若すぎる者や老いすぎている者、身体の弱い者は、非常時に備えたユトレヒトの防衛要員として後方に残してある。この場にいる四百強は、会戦でまともに武器を振るったり、急いで移動したりするだけの筋力や体力を持っている者たちだった。

 そして、ヴァーツラフ率いるラクリマ傭兵団が五十。数としては決して多くないが、当人たち曰く、正規軍人であるリシュリュー伯爵領軍よりも強い。

 最後に、フルーネフェルト男爵家の譜代の臣下である騎士が十一人。これには本来まだ能力不足ながら、人手不足故に急きょ叙任を受けた者たちも含む。残る二人の騎士は、防衛要員の指揮役としてユトレヒトに置かれている。

 当初よりは遥かに充実したが、それでも未だ敵側の半数程度の軍勢。ヴィルヘルムは彼らを率いて、スレナ村近郊まで進軍した。


「……さて、それじゃあ戦いの準備だ。ヴァーツラフ、手はず通りに頼むよ」

「承知しました、閣下」


 敵が集うスレナ村を見据えながらヴィルヘルムが命じると、ヴァーツラフは頷き、ラクリマ傭兵団の団員たちに指示を飛ばす。団員たちがさらに徴集兵へ指示を出し、戦いの準備が始まる。

 その間、ヴィルヘルムは臣下の騎士とラクリマ傭兵団の団員の一部、総勢二十人ほどをを率いてスレナ村へ近づく。もし敵側の騎士が迫ってくれば、追いつかれる前に自軍のもとへ逃げ帰れる程度の距離を保ち、そして口を開く。


「マルセル・リシュリュー伯爵閣下! フルーネフェルト男爵領へようこそ! 昨日の道中での歓迎は、喜んでいただけたでしょうかぁ?」


 ヴィルヘルムが大声で煽ると、周囲を囲む二十人がわざとらしく笑い声を上げる。


「この場を借りて、スレナ村にお食事をご用意していなかったことを、どうかお詫びさせていただきたい! てっきり、閣下はあの歓迎だけで泣きながら逃げ帰ると思っていたものですから! いやあ誠に申し訳ない!」


 再び、周囲を囲む皆が笑い声を上げる。彼らはヴィルヘルムの護衛だけでなく、こうして敵将マルセルを煽る役割も兼ねている。


「このまま空腹に耐えかねて、尻尾を巻いてお帰りになるのか、それとも我が軍との決戦に臨まれるのか、ご判断は閣下にお任せいたします! どうぞお好きなようになさってください! それでは!」


 ヴィルヘルムは一方的に言い放ち、馬首を返す。囲む護衛たちはわざとらしい歓声を上げたり口笛を吹いたりして、最後までマルセルを馬鹿にした態度を見せつける。

 去り際、リシュリュー伯爵領軍と思わしき騎士たちが威嚇のためか村の前に並んでいたが、それだけだった。実際に迫ってはこなかった。


「これで十分だろう。リシュリュー伯爵に撤退の選択肢はなくなった」


 微笑を浮かべながら、ヴィルヘルムは自軍の陣地へ戻る。

 こちらの軍勢がこうして近くに迫った時点で、リシュリュー伯爵家の軍勢は撤退するとしても、追撃に対応しながらの困難な帰還を強いられることが決定的となった。

 こうして己の臣下臣民の前であからさまに侮辱され、挑発されれば。その上で戦いを放棄し、背中を攻撃されながら自領へ逃げ帰れば。マルセルの領主貴族としての威信は砕け散り、再起は不能になる。戦って勝利し、面子を回復させる以外に、もはや彼の生き残る道はない。

 案の定、後ろを振り返ってみると、リシュリュー軍は会戦に向けて隊列を整え始めていた。

 両軍が布陣を終えれば、いよいよ決戦が始まる。


・・・・・・


「遅いぞ! 一体いつまでかかるんだ!」

「申し訳ございません。徴集兵たちの動きがひどく鈍いもので」


 遅々として布陣の進まない自軍の陣容を見渡しながら、マルセルは怒鳴った。それに、ロドリグは淡々と答えた。

 スレナ村の西側は平坦な地勢で、小さな森が点在している。そこへ、フルーネフェルト軍は既に布陣を済ませている。敵陣からは遅いだの待ちくたびれただのと煽る声が響き、マルセルの神経を逆なでしてくる。

 何より、もし敵側が攻撃を仕掛けてくれば。こちらは不完全な陣容で戦いを開始せざるを得なくなる。そのような事態だけは避けたい。

 マルセルの心配とは裏腹に、敵側はそのまま動き出すことなく、数十分かけてようやくこちらの布陣も完了する。


「フルーネフェルト男爵、好き放題にこちらを馬鹿にしたことを、心の底から後悔させてやる……勝てるのだろうな、ロドリグ?」

「もちろんにございます。敵も徴集兵が大半であることは変わらず、兵力的にはせいぜいこちらの半数程度。敗ける道理はございません」


 マルセルの率いるリシュリュー軍、その布陣は単純だった。

 前衛には、粗末な武器を持った八百強の徴集兵。彼らは練度が低いが、数に任せて突撃させればそれなりの破壊力を発揮する。

 そして後衛には、伯爵領軍と傭兵が合わせて百五十ほど。彼らは徴集兵の突撃で疲弊した敵軍に斬り込ませる決戦兵力であると同時に、徴集兵たちが敵前逃亡をしないよう見張り、場合によっては逃亡兵を殺す督戦隊を兼ねている。装備は剣や戦斧。一部の者は弓を備える。

 さらに後ろには、領軍騎士と一部の傭兵から成る騎兵部隊が二十騎ほど。彼らのうち特に領軍騎士は、今後のことを考えるとできるだけ温存したい戦力だが、もし予想以上に苦戦するようであれば切り札として突撃させることになる。

 そしてマルセルの周囲は、参謀を担うロドリグをはじめ、伯爵家の重臣である騎士が総勢四騎で囲んでいる。彼らはマルセルにとって最後の盾となる。


 対するフルーネフェルト軍は、さらに単純な布陣。最前列にはこちらを裏切ったラクリマ傭兵団が並び、その後ろに四百ほどの徴集兵が集まっている。さらに後ろでは、ヴィルヘルム・フルーネフェルト男爵が数騎の直衛に守られながら馬上で指揮をとっている。

 陣形の左側には小さな森があり、左側面に攻撃を受けることを防いでいる。さらに、隊列の右側面には木材を組んだ障害物が置かれ、やはり騎兵部隊などによる側面攻撃を受けづらいよう対策がなされている。

 男爵がどのような条件を提示してラクリマ傭兵団を寝返らせたのかは分からない。ノエレ村を襲った傭兵にはあのような仕打ちをして、スレナ村の民を殺めたであろうラクリマ傭兵団と行動を共にしている理由は分からない。しかし実際に彼らが寝返った以上、敵と見なして倒すしかない。


「いいか! 目の前の敵軍を打ち倒せば我らの勝利は決する! ユトレヒトにたどり着けば、食料はもちろん金でも何でも好きなものを奪い放題だ! だから奮って戦え! 戦功を示せばそれに見合う褒美をやる! ヴィルヘルム・フルーネフェルト男爵の首を取ってきた者には、私が築く国の爵位をくれてやる!」


 マルセルが檄を飛ばすと、揃って威勢のいい返事をしたのは正規軍人と傭兵たちだけだった。徴集兵の大半は明らかにやる気がなく、褒美よりも家に帰ることを望んでいた。それが無理もないこととは分かりつつ、マルセルは苦虫を噛み潰したような表情になる。


「開戦だ! 前進せよ! 敵軍をひねり潰してやれ!」


 喚きたてるような号令に従い、およそ千の軍勢が前進を開始する。

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