第29話 首

 軍勢を率いて領都ランツを発ったマルセルは、フルーネフェルト男爵領との領境でラクリマ傭兵団の団長ヴァーツラフと合流。彼より直々の案内を受けながら、橋頭堡のスレナ村へ向けて、森に挟まれた街道を進んでいた。


「部下たちに命じ、スレナ村での野営準備も進めています。本隊が到着するまでには概ね終わっているものかと。ノエレ村を占領した傭兵たちについても、ユトレヒト周辺の警戒を続けているそうです……敵には逃げ場も救援もありません。勝利は容易かと」

「そうか。ノエレ村を襲った連中については、正直に言ってどこまで真面目に仕事をしてくれるものかと思っていたが……ちゃんとユトレヒトを孤立させているのなら何よりだ。他の村から兵力を集められたら、少々面倒だからな」


 ヴァーツラフの報告を受けたマルセルは、満足げに頷く。


「そして君たちも、よくやってくれている。おかげで進軍が随分と楽になった。何せ、軍勢を揃えて領外へ進軍するなど、我が領では長らくなかったことだからな。兵を徴集したり、念のために東のルーデンベルク侯爵領との領境に警戒兵力を置いたりするだけで大忙しだ。これで物資補給の体制まで整えていたら、もっと時間がかかったことだろう」

「恐縮です。ですが、私たちは報酬分の仕事をしているだけです」

「はははっ! 殊勝な態度だ、評判通りの優秀さだな。君たちを雇ってよかった……だが、フルーネフェルト男爵領の連中を敵などと呼ぶのは止めてやってくれ。まだ降伏していないだけで、彼らはもう私の臣下臣民、私の財産なのだから」

「……承知しました」


 マルセルの前方を進み、正面を向いたまま、ヴァーツラフは答えた。

 この侵攻にマルセルが引き連れている軍勢は、総勢およそ千。

 基幹となるのはリシュリュー伯爵領軍。四十人の騎士と百人の兵士から成る領軍のうち、マルセルは半数の七十人を動員した。さらに補助戦力として、傭兵を百人ほど雇っている。

 そして、徴集兵が八百人と少し。平民の成人男子に武器を持たせただけの素人集団だが、それでもこれだけの数が集まれば、ユトレヒト相手には十分な戦力になる。戦争において数は力。軍事に疎い自覚のあるマルセルも、その程度は心得ている。

 スレナ村に到着すれば、手練れ揃いのラクリマ傭兵団五十人も戦列に加わる。そしてユトレヒト攻略の際には、西側にいる四十人の傭兵集団も牽制の役割を担ってくれる。

 対するフルーネフェルト男爵領の方は、もはや目も当てられない有様のはず。繰り上がりで当主となったのは、文化人としての才覚しか持たないヴィルヘルム。まともな戦力は騎士が十人程度。ユトレヒトの領民たちは、恐怖と絶望に包まれて戦うどころではなくなっているに違いない。組織立った抵抗すらないだろう。

 勝利は疑いようがない。問題は、損害をどれだけ小さくしながら勝てるか。そのようなことを考えながら、マルセルは街道を西に進む。

 傍らには領軍隊長を任せている最側近で、マルセルの叔父にあたる騎士ロドリグ。周囲には領軍騎士のうち、伯爵家に近しい立場の重臣たち。そして後ろには、ずらりと続く騎士と兵士の列。

 これが全部、自分の軍勢。そう思うと、まるで戦記譚の主人公になったかのような心地だった。


「……閣下」


 愉悦に浸っていたマルセルは、ヴァーツラフの呼びかけで現実に引き戻される。


「どうした?」

「街道の脇、森の陰に人影のようなものが見えた気がします」


 その言葉で、マルセルは表情を少しばかり硬くする。ロドリグと重臣の騎士たちが、マルセルの周囲に密集してその身で主を庇う態勢をとる。


「人影だと?」

「見間違いかもしれませんが、念のため確認してまいります。少々お待ちを」

「お、おい。一人で行って大丈夫なのか? 私の騎士たちも……」


 マルセルが尋ねるよりも早く、ヴァーツラフは馬を走らせ、離れていく。


「閣下、何か妙です」


 傍らのロドリグに言われ、マルセルが振り返ると、彼はヴァーツラフの背を睨みながら剣を抜いていた。


「妙って、一体何が――」


 そのとき。街道を挟む森の中から、街道へ向けて何かが投げ込まれた。

 放物線を描くように空中を飛び、マルセルのもとへ迫ってくる物体を、ロドリグが素早く剣を突き出して貫く。

 マルセルの目の前で串刺しになったそれは――人の首だった。

 それも、ただの首ではなかった。血肉のこびりついた背骨がぶら下がっていた。まるで身体から背骨ごと首を引きずり出されたかのように。

 顔は正視に耐えないほど損壊し、人相は分からない。頬や唇が破れて骨や歯が剥き出しになり、目は片方が失われ、そしてもう片方はマルセルの方を向いていた。

 だらりと垂れた背骨を揺らしながら、首だけの死者はマルセルを見ていた。


「ひ、ひゃあああああっ!」


 マルセルは甲高い悲鳴を上げ、姿勢を崩してそのまま落馬する。ロドリグは剣を振って串刺しの首を放り捨て、急ぎ下馬してマルセルを助け起こす。重臣の騎士たちが抜剣して周囲を見回し、さらなる襲撃を警戒する。

 叫んだのはマルセルだけではなかった。後ろから無数の悲鳴や絶叫が響き、隊列全体が喧騒に包まれる。


「……どうやら、投げ込まれた首はひとつではなかったようです」


 隊列後方に視線を向けながら、ロドリグは言った。

 マルセルも後方を振り向く。先ほどまで堂々と行軍していた自分の軍勢が、今は大混乱に陥り、ひどく無様だった。

 背骨つきの首を前にした徴集兵たちは、情けない顔で狼狽え、腰を抜かしたのか地面に這いつくばる者も少なくない。正規軍人や傭兵たちも、反射的に左右を警戒しつつ、さすがに動揺を見せている。


「ヴァーツラフは……逃げているじゃないか! あいつ、裏切ったのか!?」


 前方に向き直ったマルセルは、遠く走り去っていくヴァーツラフを見て怒声を上げる。

 橋頭堡であるスレナ村までは、ラクリマ傭兵団が安全を確保している。なので攻撃を受ける可能性は皆無。そのはずだったのにこのような事態となり、そしてヴァーツラフは隊列を離れて逃げ出した。

 ラクリマ傭兵団による裏切り。そうとしか考えられない。


「逃がすな! あいつを追え! 追って殺せ!」

「お待ちください。既にそれなりの距離を開けられている上に、前方の森の中にも伏兵などが潜んでいる可能性があります。森を抜けた先、スレナ村に敵の軍勢が待ち構えている可能性も。下手に追手を出せば、貴重な騎士の損失が増えかねません……まずは、周辺の警戒を優先すべきかと」


 マルセルは悔しさに顔を滲ませながら、しかしロドリグの進言は妥当なものであったので、それを受け入れた。


・・・・・・


 騒動がひとまず落ち着き、状況の詳細が確認されるまでには、実に半時間を要した。


 まず、人的被害は皆無だった。投げ込まれたのは背骨つきの首が全部で二十ほど。矢を撃ちこまれたり、森から出た敵に直接襲撃されたりといったことはなかった。偵察のために正規軍人や傭兵たちを森に入らせたときには、首を投げ込んできた敵は既に逃げ去った後だった。

 投げ込まれた背骨つきの首は、おそらくノエレ村を襲った傭兵たちのもの。かろうじて人相の分かる首のひとつが、ロドリグ曰く傭兵の長の一人だったという。


 こちらが与えられたのは恐怖だけ。しかし、それこそが厄介だった。

 戦力の大半を占める徴集兵たちには、この侵攻で命を落とす可能性は極めて低いと説明がなされていた。フルーネフェルト男爵領にはまともな戦力がなく、戦いはすぐに終わると。戦場までの行軍も安全が確保されており、隣領への旅行のようなものだと。領主のマルセル自身が演説を行い、そのように語った。だからこそ彼らは、素直に徴集に応じていた。

 それが、このような事態となった。安全なはずの行軍で予期せぬ奇襲を受け、背骨が垂れ下がった人の首などという、常軌を逸したものを目の当たりにした。

 行軍の安全確保の話が嘘だったのだ。敵にまともな戦力がなく、戦いがすぐに終わるという話もどこまで本当か分かったものではない。あんな猟奇的なことをする敵と戦って、無事でいられるとは思えない。領主様の言っていることは信用できない。

 徴集兵たちはそのように語り合い、士気は目に見えて落ちているという。

 失った信用は、力で脅しても回復するものではない。なのでマルセルは、また直々に徴集兵たちへ演説した。敵はせいぜい、このようなこけおどししかできない。首を投げつけるだけで襲いかかってこなかったことがその証左。攻め込まれれば到底勝てないからこそ、怖がらせて追い払おうと姑息な手に出たのだ。そう語りかけた。

 演説の効果は多少あったのか、徴集兵たちは一応は静かになった。彼らが恐怖のあまり逃げ出すような事態だけは、ひとまずこの場においては避けられた。


 ロドリグからは一度ランツに引き返す手もあると言われたが、マルセルはその提言を却下した。

 出陣して早々に領都へ逃げ戻れば、自分の語る勝利を誰も信じなくなる。今回のように迅速に兵を徴集することは叶わなくなり、二度目の侵攻はできないかもしれない。

 自分は既にフルーネフェルト男爵家への敵意を明確にし、一線を越えた。計画通りに勢力拡大を成せなければ、東隣のルーデンベルク侯爵家に対抗する力も持ち得ず、破滅する。

 だから、この侵攻を成功させ、計画を先に進めるしかない。そう考え、再び前進を命じた。

 斥候を放ち、街道を挟む森に伏兵がいないことを確認しながら行軍を続け、間もなくスレナ村に到着。

 また斥候を送り込み、無人であることを確認した上で村内に入ると、そこに食料はまったく残っていなかった。


「……やってくれたな、フルーネフェルト男爵」


 倉庫の中、かつて食料だったであろう灰と炭の山を前に、マルセルは呟いた。

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