第28話 決戦準備
ノエレ村を襲った傭兵団を皆殺しにした翌々日。警戒すべき敵のいなくなったユトレヒトの城壁外で、決戦に備えた訓練が行われる様を、ヴィルヘルムは眺めていた。
訓練に臨む徴集兵は、およそ三百人。
現在ユトレヒトにいる千三百人ほどの領民のうち、男は半数に届かない程度。そのうち子供や老人、身体の弱い者を除いた相当数が、リシュリュー伯爵の軍勢と戦うことを決意し、徴集に応じたことになる。
官僚機構も未発達で、情報伝達や監視の手段も乏しいこの世界では、民から兵を徴集するのも簡単ではない。領主貴族が集め維持できる徴集兵の数は、その時の状況や徴集の理由、領地各個の事情によっても左右されるが、多くとも総人口の一割程度が現実的な限界と言われている。
今回のユトレヒトのように、そこにいる成人男子のうち戦える者の大半が自ら戦いに臨むというのは、極めて異例の状況だった。都市の近郊が戦場となり、民の戦意が極めて旺盛だからこそ叶う特殊な事例だった。
訓練の教官役を担うのは、ラクリマ傭兵団の団員たち。今は兜を脱いで顔を見せながら、武器の構え方、攻撃と防御の基礎、隊列を維持しながらの移動などを徴集兵たちに教えている。
数日前にラクリマ傭兵団から襲撃されたスレナ村の住民たちを含め、教官役の彼らに対して反発を示す者は皆無に近い。逆に、大半の領民が彼らに好意的な反応を見せている。スレナ村が襲撃された事実など、まるで最初からなかったかのように。
やはり、彼らラクリマ傭兵団にノエレ村の傭兵たちを狩らせ、一部を生け捕りにさせて捧げさせたことが相当に効いているようだった。
民の大半は感情で動き、その感情は簡単に移ろう。そのことへの確信を、ヴィルヘルムは内心で一層強める。
一方でラクリマ傭兵団の団員たちも、領民たちから正義の味方の如く扱われることで、満更でもない表情を見せている。この様子であれば、リシュリュー伯爵に勝利した後、彼らがフルーネフェルト男爵領の社会に馴染むのに、おそらくあまり時間はかからない。
「閣下、お戻りでしたか」
訓練の様子を見物していたヴィルヘルムに、歩み寄って声をかけたのはヴァーツラフだった。
「ついさっき帰ってきたよ。各農村の住民たちの反応は上々だった。決戦までに百人以上は集まると思う」
ユトレヒトの周囲をうろつく傭兵が排除されたことで、領内の各農村へと状況の詳細を伝え、兵を集めることも可能となった。この役目を、ヴィルヘルムは自ら担った。共に領民たちから慕われているアノーラも連れて村を巡り、新領主として演説を行った。
ユトレヒトにおける演説でそうしたように、ヴィルヘルムは彼ら領民の感情に訴えた。同胞であるノエレ村の民を無惨に殺されたことへの悔しさと怒りを煽り、彼らの家族や家、土地に対する思いに言及した。結果として、多くの民から前向きな反応を得られた。
彼らを強制的に徴集できるほどの人手はないため、後はそれぞれの村から自発的にやってくる者を待つことしかできないが、それでもある程度は兵が集まる。領都にいる者たちと違ってろくに訓練を施す余裕もないが、周りに合わせてがむしゃらに突撃させる程度の戦力にはなる。
「こっちの訓練は順調なようだね」
「はい。部隊ごとに最低限必要な訓練は、問題なく進んでいます。当日までには、徴集兵たちも作戦に沿って動けるようになるでしょう……スレナ村の準備についても抜かりなく進行中です」
徴集兵の訓練以外にも、行うべき戦闘準備は多い。
たとえば、スレナ村からの食料の運び出し。
リシュリュー伯爵は、スレナ村をフルーネフェルト男爵領侵攻の橋頭堡と見なしている。スレナ村に蓄えられている食料を兵糧として利用することで、侵攻に要する物資輸送などの手間を節約するつもりでいる。それでいて、評判のいいラクリマ傭兵団を信用しているのか、兵の徴集をはじめとした侵攻準備に領軍の人手を割かざるを得ないのか、スレナ村には自身の臣下の一人も置いていない。
すなわち、ラクリマ傭兵団が寝返った以上、スレナ村ではこちらのやりたい放題。今のうちに食料をユトレヒトに運べるだけ運び、運搬の間に合わない分は、せっかく作物を育てた村民たちには申し訳ないが燃やし尽くす。
そうなれば、進軍してきたリシュリュー軍はあてが外れる。敵が決戦の前に腹を空かせ、士気を低下させれば、それだけこちらが有利になる。
「それは何よりだよ。あの傭兵たちの死体を使った準備は?」
「アキームに部下を何人か預け、スレナ村でやらせています。遅くとも明日中には終わるかと」
ヴァーツラフの側近であるアキームについては、ヴィルヘルムも既に紹介を受けている。
「そうか、彼らには損な役回りを任せることになってしまったね」
「問題ありません。国境地帯の戦場では、敵の死体を見せしめに使うことも珍しくはありませんでしたから。勝つためには必要なことだと、あいつらも理解しています」
皆殺しにした傭兵たちの死体を、ヴィルヘルムは決戦で利用するつもりでいた。主に、敵の徴集兵たちの戦意喪失を誘う道具として。
死体を尊厳も何もないほど損壊することとなるが、彼ら死んだ傭兵たちも、ノエレ村の村民たちの命や尊厳を散々に踏みにじった。である以上、文句を言われる筋合いはない。死体を無慈悲に扱ったところで罰は当たらないだろうと、ヴィルヘルムは考えている。
「後は……敵の状況は?」
「ご命令通り、ランツに伝令を送って確認しました。進軍開始は三日後、規模は総勢で千の見込みだそうです。兵力の内訳は伯爵領軍が七十、傭兵が百、徴集兵が八百強」
リシュリュー伯爵は、ラクリマ傭兵団が寝返ったことを未だ知らない。なのでヴァーツラフは、幹部の一人をランツに送り、侵攻の期日や戦力の詳細を堂々と聞き出していた。スレナ村で受け入れ準備をするために必要な情報として。
「そうか、ご苦労さま。リシュリュー伯爵も、まさか侵攻計画の詳細が敵に筒抜けになっているとは思わないだろうね。君たちが僕の側についたと知ったらどんな顔をするかな」
ヴィルヘルムがそう言って可笑しそうに笑うと、ヴァーツラフも苦笑を零す。
練度の高い五十人の兵力を得たことで、ヴィルヘルムの行動の自由度は大幅に上がっていた。単に決戦で頼れる戦力が増えただけではなく、こうして徴集兵の訓練や作戦準備にも多くの人手を割けるようになった。
準備は何もかも万端とはいかないが、あまり時間もない中でできる限りのことはやっている。数日前までと比べれば、勝利の可能性は劇的に高まっている。
後は決戦に臨むのみ。ヴィルヘルムは努めて冷静に振る舞いながら、内心では緊張と高揚の両方を抱いている。
それから三日後の午前。事前の情報通り、リシュリュー伯爵の率いる軍勢およそ千が進軍を開始したと報告が届けられた。
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