第27話 石を投げろ
ノエレ村を占領した傭兵たちは、その後はユトレヒトの周辺に見張りを配置し、ユトレヒトと他の人里との連絡を絶つ任務を負っている。
元は三つの傭兵団から成る彼らの総数は四十人ほど。大半は腕っぷし以外に取り柄のない荒くれ者だが、各傭兵団の団長は一応、正規軍にいた経験があり、彼らが指揮をとることで見張り程度の役割は無難に果たされている。高額な報酬が後払いであることも、傭兵たちが一応は真面目に仕事をこなしている現状に影響している。
見張りを開始して数日が経過したある日の朝。拠点を置いているノエレ村を訪ねてきたのは、ユトレヒトの東、スレナ村を占領しているラクリマ傭兵団の団長ヴァーツラフだった。
「よう。うちの伝令に伝えさせた通り、全員集めてくれているようだな」
ユトレヒト周辺の見張りに出ている者たちを除く、二十数人がノエレ村の広場に集まっている様を見て、数人の部下を引き連れたヴァーツラフは言った。
「ったく、こっちは朝飯食おうとしてたってのに、手間かけさせやがって……」
「まあそう言ってやるな。こいつだって仕事だから連絡してきたんだ」
寄せ集めの傭兵部隊、その指揮をとっている三人の団長のうち一人が不満げに言うと、別の一人が宥める。それを横目に、残りの一人がヴァーツラフの方を向く。
「それで、伯爵様の直々の命令ってのはいったい何だ? わざわざ兵を集結させたってことは、ユトレヒト襲撃が早まったのか?」
「ああ、まあそんなところだ。とりあえず、リシュリュー閣下からの伝令文に目を通してくれ」
そう言ってヴァーツラフが差し出した書簡を受け取ろうと、最後に発言した男――三人の傭兵団長の中でもまとめ役を担う男が歩み寄る。
「……がっ?」
そして、書簡を受け取ると同時にくぐもった呻き声を上げる。
「おい、どうした……なっ!?」
「ヴァーツラフ! あんた何してやがる!」
振り返ったまとめ役の男は、胸に短剣が突き立っていた。その様を見て慌てて剣を抜こうとした二人へ向けて、ヴァーツラフはたった今短剣で刺したまとめ役の男を蹴り飛ばし、ぶつける。
二人が怯んだ隙を逃さずに駆け出し、腰から下げていた戦斧を構えて、まずは悪態をついてきた男の頭を叩き割る。刃を引き抜いた反動を利用して回転しながら、もう一人の男の、咄嗟に剣を抜いた利き手を手首から斬り飛ばす。
団長たちが次々に無力化される様を見て、集まっていた二十数人の傭兵たちも急ぎ戦闘態勢に入ろうとする。が、元より練度が低く、朝早いために半分寝ぼけているような者もおり、その動きは鈍い。
そんな彼らの後ろから、密かに包囲を完了していたラクリマ傭兵団の団員たちが迫る。寄せ集めの傭兵たちはまともに対応できるはずもなく、斬り伏せられ、あるいは殴り飛ばされて昏倒し、無力化されていく。
最終的に、制圧は十秒とかからずに終わった。
「団長。こっちの死傷者は皆無、敵は十六人殺して、九人生け捕りにした」
「ご苦労だった。こいつも生け捕りに追加しておけ」
報告するアキームに答え、ヴァーツラフは片腕を斬り飛ばされて喚く男を預ける。
「死体と捕虜をまとめたら、ユトレヒトに向かう。できるだけ急げ」
アキームは頷き、団員たちに事後処理を急ぐよう呼びかける。
ヴァーツラフは死体や捕虜が並ぶ広場を見回しながら、愛用の戦斧についた血を拭う。
ユトレヒトを囲んでいた見張りたちは、既に全員殺した。夜明けの薄暗さに隠れながら接近し、あるいは東からの伝令を装って堂々と歩み寄り、全ての班を無力化した。ノエレ村の制圧には多少の負傷者が出ることも覚悟したが、予想以上に呆気ない結果となった。
とはいえ、新たな主より与えられた命令は完遂した。まずはひとつ、信用を得るための働きができただろう。そう考えながら、ヴァーツラフは戦斧を鞘に収めた。
・・・・・・
正午。ユトレヒトの中央広場に集った民に向けて、ヴィルヘルムは演台の上から呼びかける。
「昨日、僕は君たちに宣言した。スレナ村とノエレ村にある脅威を排除してみせると。あれが嘘ではなかったことを、ここに証明しよう……ヴァーツラフ」
ヴィルヘルムが呼ぶと、演台の周囲に並ぶ騎士たちの後ろから、例の鎖帷子付きの兜を被ったヴァーツラフが進み出る。
そのまま演台に上がった彼を見て、領民たち、特にスレナ村の民の間でざわめきが起こった。
「驚かせてすまない。この格好を見てもらえば分かるように、このヴァーツラフはスレナ村を襲ったラクリマ傭兵団の長だ。だが、彼は決して悪人というわけではない。彼らラクリマ傭兵団は、過去にツノグマの群れから農村を救ったこともある、誇り高き戦士の集団だ。しかし、リシュリュー伯爵は卑劣にも彼らを騙し、スレナ村への襲撃という仕事を強制した。そのとき彼らの置かれていた状況では、伯爵の命令に逆う術がなかった……だけど彼らは誇りを捨てなかった。占領に際してスレナ村の住民を虐殺するよう伯爵から指示されていた彼らは、その指示をあえて無視して、皆を傷つけずに逃がしたんだ。そのことを伯爵に知られたら、自分たちの立場が危うくなることを覚悟の上で」
今後の融和のためにも、ラクリマ傭兵団にも考慮すべき事情があったと強調しながら、彼らの印象が良くなるように少し飾りながら、ヴィルヘルムは語る。
「本当は誇り高き傭兵団である彼らに、僕は提案した。残虐なリシュリュー伯爵を見限り、僕に協力しないかと。僕の臣下となり、このフルーネフェルト男爵領を守るために戦わないかと。僕の提案を彼らは受け入れ、僕に忠誠を誓ってくれた」
言いながらヴィルヘルムが手ぶりで指示すると、ヴァーツラフは兜を脱ぎ、口元を覆う黒い布を下ろし、顔を露わにする。鎖帷子の垂れる兜を脇に抱えると、片膝をついてヴィルヘルムに首を垂れる。ヴァーツラフの行動で、スレナ村を襲った傭兵団をヴィルヘルムが「手懐けた」ことを領民たちも理解する。
「ヴァーツラフ、顔を上げてくれ……さて、皆。彼らはただ、僕への忠誠を語って首を垂れただけではない。忠誠の証として、ノエレ村の住民たちを虐殺した傭兵団を打ちのめしてくれた。彼らのような誇り高き戦士とは違う、野蛮で残酷な荒くれ者たちを、彼ら自身の手で壊滅させてくれたんだ! ただ皆殺しにしたんじゃない、一部は生け捕りにしてくれた!」
ヴィルヘルムが高らかに語ったタイミングに合わせ、縄で縛られた男たち――ノエレ村を襲った傭兵の生き残りが、広場に連行される。併せて、移動式の木柵が運ばれてくる。
生き残りの連行と木柵の運搬を担うのは、ラクリマ傭兵団の団員たち。今は鎖帷子の前面を兜の上に上げ、顔を晒している。縛られて連行される悪者の傭兵と、ヴィルヘルムに従う正義の傭兵。この構図も、ヴィルヘルムが狙って作り出したものだった。
広場の中央に連れてこられた生き残りたちは、そのまま木柵に縄で縛りつけられる。見た目は恐ろしげな荒くれ者である彼らは、しかし今は一様に怯えた顔をしている。
「この連中が、ノエレ村の民を虐殺した! 僕たちの同胞に凄惨な暴行を行い、最後は無慈悲に殺したんだ! 僕の兄エーリクを殺したのもこいつらだ! ラクリマ傭兵団は、こいつらを生け捕りにして届けてくれた! フルーネフェルト男爵家への忠誠を示す贈り物として! スレナ村を襲ったことへの謝罪の証として! これから僕たちの仲間になるための土産として!」
憎むべき敵を目の前に並べられ、彼らを連れてきてくれたのがラクリマ傭兵団だと聞かされながら、領民たちは沸き立つ。凶暴な高揚が広場を包んでいく。
「領民諸君! 僕は宣言を守った! スレナ村とノエレ村の脅威を排除した! ラクリマ傭兵団という強く忠実な味方を得て、ノエレ村での犠牲者たちの仇をこの場に引きずり出した! これで終わりじゃない! リシュリュー伯爵領から迫りくる侵略者の軍勢も、僕が倒してみせる! リシュリュー伯爵に勝利することで、僕には領主としてこの地を守り、皆を守る力があると証明してみせよう! 全ての臣下臣民に、犠牲になった者たちに、亡き父と兄に誓って勝利を約束しよう!」
ヴィルヘルムが力強く語ると、領民たちも威勢よく応える。広場に熱気が満ちる。
「犠牲者たちの仇を討ちたい者は! そして家や土地、家族を守りたい者は! 僕と共に戦ってほしい! まずは目の前の敵を倒そう! ここに並ぶ卑劣な敵を討ち倒そう! 残虐な行いをした彼らも所詮はただの人間! 石を投げつければ傷ついて死ぬ! 石はいくらでもある!」
ラクリマ傭兵団の団員たちが、予め用意されていたこぶし大の石を、集った領民たちの前にばら撒く。奴らを殺せと団員たちが煽り、やってやると領民たちが応え、奇妙な一体感が生まれる。
「さあ、復讐の時間だ! 石を投げろ! 君たちにはその権利がある!」
領民たちは石を拾い上げ、縛られた傭兵たちに投げつける。まずはノエレ村の生き残りたちが、そして他の領民たちも、次々に石を拾い、怒声を上げながら石を投げる。卑劣な傭兵たちは、今は縛られて為す術もなく、泣き叫びながら石の雨を浴び、次第に血にまみれていく。
その様を演台の上から眺めながら、先ほどまでの演説の熱量とは裏腹に、ヴィルヘルムの内心には冷えた部分が残っている。
これでいい。
大半の人間は、理屈よりも感情で動く。前世も今世もそれは変わらない。領民たちは復讐心を満たし、凶悪な敵も暴力によって殺せると学び、その経験をもって戦いへの恐怖心を薄れさせ、この先の決戦にも士気高く臨める。復讐の対象を連れてきたラクリマ傭兵団への反感は小さくなり、ヴァーツラフたちは受け入れられやすくなる。
勝利し、その先の未来を掴むために。これは必要なことだ。そう自分に言い聞かせながら演台の傍らに視線を向けると、アノーラが優しく微笑みながら頷いてくれた。ヴィルヘルムの行いを肯定するように。
・・・・・・
その日の夕方。ヴィルヘルムは屋敷の裏庭、かつて千歯扱きを作った倉庫に、文官の筆頭であるハルカを呼びだした。
「閣下、お待たせいたしました」
突然このような場所に呼ばれたことへの疑問を表情に見せることもなく、ハルカは一礼して言った。それに、ヴィルヘルムは笑顔で頷く。
「急に呼びつけてすまないね、ハルカ……さて、ここへ君を呼んだのは、彼を見せるためなんだ」
そう言ってヴィルヘルムが視線を向けると、そこに並んでいた二人の騎士が左右に分かれる。彼らの後ろ、倉庫の最奥では、一人の男が椅子に縛られている。
「ハルカ。君は従士という立場もあり、昼間の広場での復讐に参加できなかった。ノエレ村で姉夫婦を失った君にとっては無念なことだったと思う。だから、君のために一人、とっておいたんだ」
驚いた表情を見せるハルカの背を押し、ヴィルヘルムは彼女を縛られた男に歩み寄らせる。
「彼はノエレ村を襲った傭兵団の指揮官格の一人らしくてね。昼間死んだ傭兵たちの話によると、村長家を襲ったのが、どうやら彼だったそうだ」
それを聞いたハルカは、はっとした表情になり、縛られた男――姉と義兄を殺したのであろう男を見るその目に、強い憎悪が滲む。男は恐怖を覚えたのか、布で塞がれた口元からくぐもった声を上げ始める。
「彼が逃げたり暴れたりするのを防ぐために、拘束している縄だけは切らないよう気をつけて……それ以外に禁じることはない。何をしてもいい。この倉庫にある道具は何でも好きに使っていい。ハルカ。彼の命は君のものだよ。好きにして」
「……心より、心より感謝します、ヴィルヘルム様。この御恩は必ず、今後の働きをもってお返しします」
答えながら、ハルカの視線は縛られた男へ釘づけになっている。男を睨んだまま、彼女は鋭く尖った錐を手に取る。
男はくぐもった悲鳴を上げながら足掻くが、手も足も胴も椅子に縛られては逃げようがない。
錐を逆手に構えて男に近づくハルカの後ろ姿へ視線を送り、微笑をひとつ零すと、ヴィルヘルムは二人の騎士を連れて倉庫を後にする。
その日の夜更けまで、倉庫では男の絶叫が鳴り響いていた。その絶叫は屋敷まで届いた。
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