第33話 決戦④

 騎兵の最大の武器は、軍馬の全力疾走によって生まれる速度と、騎馬そのものの重量。騎士とその装備、軍馬の体重を合わせると、五百キログラムを優に超える。それが数十も密集して高速で突撃すれば、生身の人間では太刀打ちできない。

 騎兵部隊による突撃を止めるには、同規模の騎兵部隊をぶつけるか、騎馬の大群が迫ってきても逃げ出さない度胸を持つ精鋭の歩兵に槍衾を作らせるのが基本的な戦術。フルーネフェルト軍はそのどちらも持たない。

 だからこそ、この騎乗突撃は成功する。マルセルはそう考えながら、自軍の騎兵部隊が敵陣に迫る様を見守る。

 二十騎は南側に大きく膨らむように駆け、助走距離を確保した上で、フルーネフェルト軍の右側面を目がけて突き進む。真っすぐに疾走しながら最高速度に達し、脆弱な徴集兵の隊列に斜め前から突入――する前に、その勢いが挫かれる。


「な、何故!」


 マルセルは唖然として叫ぶ。その後ろでは、ロドリグが主には聞こえないように、諦念を込めたため息を吐く。

 フルーネフェルト軍の右側面、その数十メートル手前で、馬が次々にバランスを崩して騎乗者を落とし、あるいは馬ごと転倒していく。


・・・・・・


「……かかったな」


 障害物による防御のない隊列右側面の前方半分、そこへ突入しようとした敵騎兵部隊が足を止める様を見て、ヴィルヘルムは呟く。

 こちらが前進すれば、その右側面に隙が生まれる。騎乗突撃の絶好の的になる。それは分かっていた。なのでヴィルヘルムは、敵の騎兵部隊を誘い込むための罠として、その隙を利用することにした。


 仕掛けるのは、最も単純な罠のひとつ、落とし穴だった。

 ひとつひとつの穴は人の膝までが埋まる程度の小さなもの。それでも、全力で駆ける馬の足をとる程度のことはできる。

 穴を掘ったのはラクリマ傭兵団の団員たちや、手の空いていた徴集兵たち。穴の上には木の枝や木材を格子状に組んで布を張った土台を置き(この土台はユトレヒトの女性や子供たちが人海戦術で作り上げた)、さらに上から土と草を被せた。

 このような落とし穴が、幅数十メートルの範囲に数百も仕掛けられた。

 この策の実行に際しては、実戦経験が豊富で、実際に戦闘で落とし穴を用いた経験もあるというラクリマ傭兵団が頼りになった。穴の数や大きさ、間隔などは、ヴァーツラフが決めた。


 多くとも二十騎程度と予想されていた敵騎兵のうち、先頭集団の五、六騎程度が落とし穴に引っかかれば、後続の者たちも全力疾走が叶わなくなり、騎乗突撃の勢いそのものを鈍らせることができるだろう。ヴィルヘルムはそう予想していたが、幸運なことに落馬や転倒によって脱落した者は十騎ほどにも及んだ。

 部隊の半数、それも前方を走っていた者たちが次々に脱落すれば、彼らは後続の仲間が疾走する上での邪魔になってしまう。加えて、地面に罠が仕掛けられていると気づいた後続の者たちは、当然に進路上を警戒する。結果として、突撃の勢いは失われ、敵騎兵部隊の足が止まる。

 戦闘後に大量の落とし穴を埋める手間についてはひとまず考えないことにして、ヴィルヘルムは引き続き戦況を見守る。


 敵騎兵部隊のうち半数が落馬や転倒で動きを止め、残る半数も突撃を続けるべきか迷っているその混乱を、フルーネフェルト軍は逃さない。

 ラクリマ傭兵団の戦力およそ五十のうち、隊列の先頭に並んでいなかった十人は、右側面に固まって配置されていた。右を向いて進み出た彼らは、敵騎兵部隊と対峙し、手にしていた武器――クロスボウを構える。

 元よりラクリマ傭兵団が所有していたもの。ノエレ村を襲った傭兵たちから回収したもの。フルーネフェルト男爵家が非常時に備えて保管していたものや、エレディア商会をはじめ一部の領民が護身用に所持していたもの。それらをかき集めた合計二十挺ほどのクロスボウを、アキーム率いる十人の団員が一人二挺ずつ装備していた。


「狙え……放て!」


 指示を出すアキームも含めて十人が、敵騎兵部隊のうち未だ騎乗している者たちへ向けて一斉に矢を放つ。

 有効射程が短く、装填に時間がかかる一方で、極めて高い威力を誇るクロスボウ。高初速で打ち出された矢は、金属鎧さえも貫く。馬上の騎士や傭兵を、あるいは彼らの乗る馬を狙って放たれた十の矢は、正確な狙いでほとんどが命中する。

 さらにアキームたちは、弦だけは事前に引いてあったもう一挺のクロスボウをそれぞれ構え、台座に矢を置く。素早く狙いを定め、各々の正面にいる敵に第二射を放つ。馬上にいた敵は二度の斉射で全員が倒れ、落馬や転倒をしながらも未だ生きていた者たちにも矢が命中する。

 そしてアキームたちは、それぞれの得物を構え、近接戦に移る。敵騎兵部隊のうち、過半は落馬や転倒の際に、あるいはクロスボウの矢によって負傷し、まともに戦える状態ではない。既に絶命している者も少なくない。

 運よく未だ健在なのは数人のみ。アキームたちは、よく見れば仕掛けられた箇所が分かる落とし穴を避けながら彼らに近づき、殲滅する。


 その間もフルーネフェルト軍の本隊はリシュリュー軍を押し込み、いよいよ打ち破ろうとしている。元より数で大きく劣っていた伯爵領軍と傭兵部隊は、既に過半が死傷して無力化され、あるいは勝ち目のない状況でさすがに戦意を失い、武器を捨てて投降している。

 その様を眺めながら、ヴィルヘルムは微笑を浮かべる。


「勝ちは決まったね……後は、エルヴィンたちの成功を祈ろう」


・・・・・・


「あああああっ! 何でだぁ! 何でこうなるうぅっ!」


 頼みの綱の騎兵部隊が突撃に失敗し、本隊も壊滅しつつある状況を見て、マルセルは頭を抱えながら嘆き続けていた。


「……閣下。この上は閣下だけでもランツに撤退するべきかと存じます。我々が帰路をお守りいたします」

「そんなあぁっ! 逃げろというのか! 私だけ逃げて何になるというんだ!」

「御命さえ保たれれば、現状を打破する手も見つかるかもしれません。今はどうか、ご辛抱を」

「…………あぁ、もう、最悪だ」


 マルセルは嘆息交じりに呟き、馬首をめぐらせる。ロドリグを含む四騎の直衛もそれに続き、自軍を戦場に捨て置いての逃走を開始する。

 幸い、フルーネフェルト軍にはまともな騎兵部隊もない。戦場で騎乗していたのはヴィルヘルム・フルーネフェルトと直衛の数騎のみ。他の騎士はおそらく、ユトレヒトの防衛に残っているか、下馬して徴集兵の指揮役でも担っているものと思われた。

 なので、逃走するマルセルたちを追撃する者はいない。総大将として褒められたことではなく、今後のことを考えると最低最悪の手だが、もはやできることはない以上、マルセルは己の命を助けるために街道を東へと駆ける。

 先導するのはロドリグ。左右と後方は、重臣の騎士たちが囲んでいる。

 今後のことを考えて憂鬱に包まれながら、馬を走らせていたそのとき。


「回避を!」


 前を走っていたロドリグが、唐突に上半身を後ろへ逸らしながら叫んだ。


「え? ごえっ!」


 呆けた声を零した直後、マルセルは衝撃を受け、後ろに吹き飛ばされる。正確には馬だけが前方に走り、マルセルは衝撃と共に取り残される。後ろに半回転しながら落馬し、背中から地面に落ちる。

 上体を起こしながら前を見ると、街道を横切るように縄が垂れていた。街道の両脇を挟む森の木に縄が結ばれ、マルセルたちの通過に合わせて引っ張られ、肩の高さにぴんと張られたのだと理解した。

 見回すと、縄にぶつかって落馬したのはマルセルを含めて三人。悪運が強いのか軽傷で済んだマルセルとは違い、二人の騎士のうち一人は片腕があり得ない方向に曲がって痛みに呻いており、もう一人は倒れ伏したままぴくりとも動かない。

 マルセルはよろよろと立ち上がる。落馬を免れたロドリグともう一人の騎士がマルセルを拾おうと駆け寄ってくるが、森の中から放たれた矢が二人の馬に突き刺さる。嘶いて前脚を跳ね上げた馬からロドリグは咄嗟に飛び降り、もう一人は地面に叩きつけられ、負傷したのか足を押さえて濁った叫び声を上げる。


「ま、また罠か!?」

「そのようです。閣下も戦闘のご用意を」


 マルセルに駆け寄ったロドリグは、そう言いながら剣を構える。マルセルも剣を抜き、周囲の様子を窺う。表情には嫌でも不安の色が浮かぶ。

 と、罠を張って待ち構えていた敵は、いよいよ森の中から姿を現した。七人の騎士がマルセルたちを取り囲んだ。

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