第34話 決戦⑤
エルヴィンが主人ヴィルヘルムより与えられた任務は、マルセル・リシュリュー伯爵の捕縛だった。
敗ければ後のないマルセルは、劣勢に立たされれば切り札の騎兵部隊まで投入し、逆転を図ろうとする。それさえ失敗して初めて、ひとまず今日を生き長らえるために直衛を引き連れて戦場から逃走する。
すなわち、膝元である領都ランツを目指して街道を移動しているときには、マルセルを守っているのはせいぜい数騎の領軍騎士のみ。おまけに馬を全力で走らせて逃走しているとなれば、不意の事態には対応しづらい。
こちら側からすれば、比較的無防備となったマルセルを捕らえる絶好の機会。そこへ罠を張ることを、ヴィルヘルムは決断した。
仕掛ける罠は、本隊の用いる落とし穴と同じく単純。街道脇、片側の木に結んでおいた縄を、マルセルたちが通過する瞬間に反対側で引き、馬に騎乗した人間の肩の高さに張る。マルセルたちを落馬させ、落馬を免れた者は馬を撃って足を止める。騎士として戦闘訓練を積んできたエルヴィンたちは、全員が一定以上の弓の技量を備えているので、馬という大きな的を近距離で撃つことは難しくない。
そうして足止めした上で、マルセルを生け捕りにする。それが難しければ討ち取る。その実行を担うよう、エルヴィンはヴィルヘルムより命じられた。
主が従士長である自分を直衛として置かず、別動隊としてこのような役目を与えた理由は、エルヴィンにも想像がついた。
フルーネフェルト男爵家に忠誠を誓うことを決めたラクリマ傭兵団、その長であるヴァーツラフは、将来の貴族位と将軍の地位を約束されている以上、今後は軍事におけるヴィルヘルムの側近の一人となっていく。
従士長としてヴィルヘルムの最側近の立場にあるエルヴィンは、ゆくゆくはヴァーツラフと同等以上の存在になる必要がある。ヴァーツラフよりもさらに、主の近くに置かれる最側近であり続けなければならない。
であれば、ヴァーツラフ率いるラクリマ傭兵団が活躍するであろうリシュリュー伯爵との戦いにおいて、エルヴィンも目に見える大きな戦功を示す必要がある。
敵将マルセル・リシュリュー伯爵の捕縛ともなれば、戦功としては最上級。今後も引き続きエルヴィンが重用されても、それが働き故のものであると誰もが認める。
ここで主の期待に応えられなければ、亡き父より受け継いだ務めを果たすことなどできない。命を賭してマルセルを捕縛し、あるいは殺さなければならない。
その覚悟を抱き、エルヴィンはフルーネフェルト男爵家の騎士たちを引き連れてこの任務に臨んでいた。
早朝。本隊の行動開始よりも前、夜が明けきらないうちにユトレヒトを発ったエルヴィンと六人の騎士たちは、スレナ村を大きく迂回して東へ移動。フルーネフェルト男爵領とリシュリュー伯爵領を繋ぐ街道、それを左右から挟む森の中に潜んだ。片側の森の木に縄を結び、街道を横切るように垂らし、上から土や草や葉を被せて隠した。
そのままじっと待っていると、策を立案した主ヴィルヘルムの狙い通り、数騎の直衛のみを引き連れたマルセルが到来。縄と弓による足止めは成功し、エルヴィンたちは今まさに、マルセルと直衛たちを包囲する。
多勢に囲まれても諦める様子もなく、エルヴィンの前に立ちはだかるのは、リシュリュー伯爵家の従士長と思われる老齢の騎士。ロドリグという名であると、以前に父から聞いた。
「私はフルーネフェルト男爵家の従士長、騎士エルヴィンだ。卿らに勝ち目はない。降伏してもらいたい」
エルヴィンが言うと、ロドリグは隙のない構えのまま口を開く。
「……その場合、リシュリュー伯爵閣下のお命は?」
「今この場においては保障される」
主ヴィルヘルムは、マルセルを許すつもりはない。父と兄、騎士と領民を殺された報復として、最後には処刑するつもりでいる。だからこそ、可能な限りの生け捕りを望んでいる。
そのことを隠しても、どうせこのロドリグには見抜かれる。なのでエルヴィンは事実を言った。
「では、降伏するわけにはいかんな」
ロドリグは不敵に笑い、兜の眉庇を下ろすと、次の瞬間には勢いよく踏み込んでくる。
横薙ぎの一閃をエルヴィンは身を引いて躱し、ロドリグの喉を狙って刃を突き出す。ロドリグは刃を返してそれを弾き、そのまま剣を上段に構えてエルヴィンの首元に振り下ろす。
刃に首を叩き斬られるよりも早く、エルヴィンは肩から突進し、ロドリグの懐に入る。その動きが予想外だったのか、体重と鎧の重量が乗った突進をまともに食らい、ロドリグは後ろに倒れる。
転がって即座に立ち上がり、その勢いに乗せてロドリグが振った剣に、エルヴィンは鋭い斬撃をぶつける。完全に体勢を立て直していなかったロドリグは、剣を握っていられずに落とす。
「潔く降伏を」
エルヴィンが喉に剣を突きつけると、一瞬の静寂の後、ロドリグは短剣を抜き、その刃でエルヴィンの鎧の隙間を捉えようとする。
そのような抵抗を予想していたエルヴィンは、僅かに身を動かして鎧で刃を弾くと、そのまま最低限の動きでロドリグの喉を切り裂いた。
「……っ」
首から溢れた血で鎧を濡らしながら、ロドリグは主マルセルの方を振り返り、力なく敬礼する。
「……よ、よく戦った。お前の忠節は忘れないぞ」
最側近の行動の意味を理解したのか、マルセルはそう言った。主の言葉を聞いた直後、ロドリグは倒れて動かなくなった。
エルヴィンはマルセルの周囲を見回す。ロドリグ以外の三人の直衛も、エルヴィンの部下たちによって既に無力化されていた。片腕だけが無事だった騎士はまともに戦えずに討ち取られ、足を負傷していた騎士も、倒れて動かなくなっていた騎士も、剣を突き込まれて死んでいた。
残っているのは、危機的状況を前に恐怖で震えているマルセルただ一人。そのマルセルに、エルヴィンは剣を突きつける。
「リシュリュー伯爵閣下。ここまでです。ご観念ください」
「……あぁ」
最後には処刑されると察していても、この場で死ぬまでの覚悟はないのか、マルセルは剣を捨てて大人しく降伏した。
・・・・・・
「……そうか、分かった。報告ご苦労さま」
マルセル・リシュリュー伯爵を捕縛した。エルヴィンから送られてきた伝令の報告を受け、ヴィルヘルムは微笑を浮かべて言った。
そして、戦場を見渡す。リシュリュー軍の正規軍人と傭兵は生き残っている全員が投降し、既に戦闘は終結していた。
「……」
前世で享受した数多の娯楽。今世で読んだ歴史書や物語本。そうしたものの見よう見まねで立てた戦術がどこまで通用するものかと、決戦前は正直に言って不安もあった。
運に助けられた部分もあったが、結果としては大成功だった。
再び大きな賭けに勝ち、危機を乗り越えた。民に約束した奇跡を成した。ヴィルヘルムは、今はただ安堵を覚えていた。
神聖暦七三六年、十月の初旬。フルーネフェルト男爵家は、リシュリュー伯爵家との決戦に勝利した。二倍の兵力差を覆しての圧倒的な大勝だった。
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