第35話 勝利の後

「騎士エルヴィン! 我が忠臣! よくぞマルセル・リシュリュー伯爵を捕えてくれた! 卿こそが決戦における最大の功労者だ!」


 戦場での事後処理が開始されて間もなく、マルセルを連行してきたエルヴィンを、ヴィルヘルムは大仰に迎える。エルヴィンに呼びかけるだけでなく、周囲の領民たちに聞かせるためにこそ、あえて大声で語る。彼こそがフルーネフェルト家の最側近の軍人であることを、皆にあらためて知らしめる。


「勿体なき御言葉に存じます、閣下」

「本当によくやってくれた。君の貢献に心から感謝する……さて」


 一礼して答えたエルヴィンの肩に手を置き、今度は周囲に聞かせるためでなく主として純粋に彼を称賛した後、ヴィルヘルムはマルセルに視線を向ける。

 後ろ手に縛られたマルセルは、悔しげな表情で視線を返してきた。


「マルセル・リシュリュー伯爵閣下。貴殿とは色々とお話ししたいことがありますが、生憎今は事後処理の最中です。申し訳ないが、しばらくお待ちいただきたい」

「……もう、好きにしてくれ。この侵攻に失敗した時点で、私は終わった身だ」


 諦念を隠さないマルセルは、数人の騎士によって連行されていった。


 その後も、事後処理は続く。

 特に大きな仕事のひとつが、決戦の序盤で戦闘を放棄したリシュリュー伯爵領の徴集兵たちの世話。戦場の西側で所在無げにしていた彼らには、まずはパンと干し肉が振る舞われた。腹を空かせていたところへ食事を与えられた彼らは、それでひとまずは言うことを聞くようになった。

 一方で、一部の徴集兵――各都市や村の代表者たちは、フルーネフェルト家の騎士に伴われて戦場の周囲を歩き回りながら、戦場から逃げ去った徴集兵たちに戻ってくるよう呼びかける。戦場の西側に留まらず、勢い余ってそのまま逃げてしまった者たちも、まだそう遠くへは言っていない。森や草むらの中に隠れていた徴集兵たちが、同胞の呼びかけに応じて徐々に帰ってくる。


 両軍の被害の確認も進む。

 この決戦における死者は、両軍合わせて現時点でおよそ八十人。一部の重傷者が力尽きて死亡すれば、さらに幾らか増える見込みだった。

 死者の過半が、リシュリュー軍の正規軍人と傭兵。敵側の徴集兵については、フルーネフェルト軍の隊列中央を抜けて戦場から離脱する際、転倒して仲間に踏み殺された者が数人だけだった。参戦した人数を考えれば、異例の少なさだった。

 フルーネフェルト軍の死者は、ラクリマ傭兵団の団員が五人。そして徴集兵が十三人。白兵戦に突入した時点で敵軍の兵力が大きく減じられており、最前列をラクリマ傭兵団が担ったことで、比較的少なく済んだ。

 重傷者は死者と同数程度。こちらに関しては、練度で大きく劣るにも関わらず白兵戦に臨んだフルーネフェルト軍の徴集兵が最も多かった。

 指や耳や鼻、腕や足など身体の一部を失った者も少なくない。生き残れるか予断を許さない状況の者もいれば、誰が見ても助かりそうにない者もいる。

 ユトレヒトより連れてこられた医師から、助かる見込みがないと見なされた者たちに、ヴィルヘルムは自ら言葉をかける。


「よく戦ってくれた。君たちは英雄だ。領主である僕も、他の領民たちも、誰もが君たちの献身を決して忘れない……君たちに家族がいるのならば、十分な額の見舞金を送ろう。遺される者たちが路頭に迷うことはないと約束しよう」


 領民たちにも、ラクリマ傭兵団の団員たちにも、分け隔てなく呼びかける。皆が英雄であると語り、遺族への支援を約束して後顧の憂いを断ってやる。

 たったひとつしかない命を捧げた彼らを、英雄と呼ばずして何と呼ぶのか。彼らが成した究極の献身には、せめて最大の名誉をもって報いなければならない。彼らにはせめて、安堵を覚えながら死にゆく権利を、可能な限り与える努力をしなければならない。

 それからさほど長くは持たず、彼らは死んでいく。領主直々の言葉を受けても、穏やかな死に顔ばかりとはいかない。特にまだ若い者は、もっと生きていたい、まだ死にたくない、死ぬのが怖いと泣きながら、それでも息絶えていく。

 その死に様を、ヴィルヘルムは脳裏に刻みつける。


 自分は国を作る。その過程で戦いは避けられない。戦えば臣下や領民が死ぬ。自分はこれからも多くの者を死なせる。建国という己の野望のために。

 これは前世で享受した娯楽ではない。架空の物語ではない。現実の戦争で、現実の死だ。戦場に散った英雄たちの裏には、一人ひとりの人生があり、彼ら一人ひとりのために泣く家族や友人がいる。その事実から目を逸らしてはならない。

 たとえ最後には大勢の安寧を守る国を築くのだとしても、それまでの道のりで確かに死ぬ者たちがいることを、忘れてはならない。彼らの死を記憶することで心がどれほど傷つくとしても、その傷を受け入れなければならない。彼らは本当に傷つき、血を流し、死んでいくのだから。

 彼らのためにも、必ず成し遂げなければならない。そう己に言い聞かせる。


「……せめて、どうか安らかに」


 もう二度と目を開けることのない彼らのため、ヴィルヘルムは静かに祈る。


・・・・・・


 補給の荷馬車隊に同行してアノーラが戦場へやって来たと報告を受けたのは、それから間もなくのことだった。予定外のことに、ヴィルヘルムは困惑を覚えながら彼女を迎えた。


「フルーネフェルト男爵閣下。あなたの妻として、大勝利を心よりお喜び申し上げます……無事で本当によかったわ、ヴィリー」


 ユトレヒトに残っていた騎士と徴集兵に護衛され、馬に横乗りして戦場を訪れたアノーラは、下馬するとまずは領主夫人として一礼し、その後に一個人として言った。

 彼女が普段着として着ているドレスは華美なものではないが、それでもこの戦場においては異質極まる。その異質さこそが、自分専用の鎧を持っているヴィルヘルムとは違い、彼女が本来戦場に足を踏み入れる立場の人間ではないことを表している。


「ありがとう、アノーラ……大丈夫? こんなところへ来て」


 彼女に尋ねる声は、自然と不安げなものになった。

 既に敵軍の全員が降伏し、武装解除も済ませたので、この戦場に危険はない。しかし、事後処理も途上であるここには、未だ濃厚な殺し合いの気配が残っている。

 運ばれる死体や、その一部。死者たちの身体から零れ出した、血と臓腑と糞尿の臭い。今まさに命を失おうとしている者たちが放つ死の臭い。ひどく損傷し、後は腐っていくばかりの手足を切断される負傷者たちの濁った絶叫。親しい者を失った者たちの悲痛な泣き声。ありとあらゆる凄惨な刺激が、ここで殺し合いがくり広げられた証としてまだ残っている。


 暴力がもたらす死の残酷さは、ノエレ村から運ばれてきた無惨な遺体の山を目の当たりにしたときにアノーラも知ったはず。それと同じ残酷さが、それ以上に鮮明な残酷さがここにあると、彼女は分かっていたはず。にもかかわらず、彼女は自ら戦場を訪れた。それはヴィルヘルムにとって驚くべきことであり、同時に心配すべきことでもあった。

 建国という野望の実現には、戦いが伴う。戦いには残酷な死が、おびただしい命の喪失が伴う。その事実を、彼女までもがこれほど生々しいかたちで突きつけられる必要はないと思っていた。それは実際に戦場に立つ自分だけで十分だと思っていた。


「……平気だと言ったら噓になるわ。だけど、だからといって来ないわけにはいかないし、この光景を見ないわけにはいかないの」


 そう言いながら、アノーラは事後処理の進む戦場に視線をめぐらせる。つい先ほどまで殺し合いがくり広げられ、未だ凄惨さの残るこの場所を、目に焼きつけるように見回す。


「国を作るために、あなたはきっとこれから何度も戦う。自分から戦いを引き起こすこともきっとある。だから私は、戦うというのはどういうことかを知らなければならないの……でないと、あなたが何をしても受け入れると言ったところで、説得力がないわ」


 ヴィルヘルムの方へ視線を移し、アノーラは笑む。


「戦いが起こればどんな光景が生み出されるのかを、私は今日こうして知った。知った上で、あなたへの愛も、あの夜の約束も変わらない。あなたが戦場へ向かうのなら、私はあなたを笑顔で見送るの。あなたが戦いを終えて帰ってきたら、抱き締めて、慰めて、癒してあげるの。それを忘れないで、ヴィリー」


 アノーラに笑みを向けられながら、ヴィルヘルムは彼女の強さに打ちのめされた。下手に言葉を発すればそのまま泣き出してしまいそうで、笑みを返して頷くのが精一杯だった。

 彼女は自分よりもずっと強いと、心からそう思った。

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