第36話 敗者への沙汰

 当主マルセルを捕えられ、軍事における参謀役である騎士ロドリグを失い、領軍を半壊させて侵攻に失敗した時点で、リシュリュー伯爵家は終わったも同然だった。

 マルセルの家族は、軍事や政治に明るくない伯爵夫人と、まだ幼い一人娘の伯爵令嬢だけ。二人の周囲に残っている重臣は文官ばかり。残る領軍兵力は領内各地に分散しており、領都ランツに残っているのは城門管理と屋敷の警備、治安維持のための三十人だけ。楽勝を宣言しておいてこれほどの大敗を喫した以上、伯爵家の領民たちからの信用は地に落ちる。

 指導者と参謀を突如として失い、十分な数の正規軍人も、領主家としての求心力も欠いている状況で、再び軍勢を用意して現状を打破する術は伯爵家にはなかった。


 そもそも彼らには、もはやランツを守る力すら残されていなかった。

 決戦の翌日にフルーネフェルト軍が進軍したとき、伯爵家は自軍が大敗して当主が捕虜となったことを未だ知らなかった。領都での防衛戦などは全く想定されておらず、城門にいたのは人の出入りを管理するための数人の領軍兵士だけ。徴集兵は全て侵攻に投入されたので領都には残っておらず、今から集めても間に合うはずもなかった。

 結果、およそ三百弱の兵力で進軍したフルーネフェルト軍は、十倍の人口を擁するランツを容易に陥落させた。

 防衛の指揮をとる者がおらず、即応兵力が存在しない都市の城門など、ただ大きく分厚いだけの扉でしかない。ラクリマ傭兵団が攻城梯子を上って都市内に侵入し、中から城門を開放。戦闘らしい戦闘も起こらなかった。

 ヴァーツラフや捕虜の伯爵領軍兵士からランツの現状を聞き、ある程度予想していた結果ではあったが、これほど容易に陥落が叶ったことはヴィルヘルムとしても拍子抜けだった。

 このまま足掻いても冬明けにルーデンベルク侯爵家が容赦のない報復に臨むであろうことを持ち出し、その前にランツを明け渡してこの地から逃げ去るよう伯爵家と交渉することも想定していたが、その必要もなかった。


 都市内に侵入した後も、フルーネフェルト軍は抵抗を受けずに進軍した。

 ランツの住民たちは、命令されてもいないのに領主家のために命をかけて戦う義理などない。彼らは家屋の窓や大通りを外れた路地から、進軍するヴィルヘルムたちや、連行されるマルセルを遠巻きに眺めるだけだった。

 伯爵領軍の軍人たちも、圧倒的な多勢であるフルーネフェルト軍の前にわざわざ立ちはだかることはなかった。

 そのままリシュリュー伯爵家の屋敷へ到達すると、屋敷にいた僅かな警備要員も投降。最後までまともな戦闘はなかった。


 こうして、フルーネフェルト軍はリシュリュー伯爵家の屋敷を占領した。マルセルの妻子と伯爵家の臣下たちは、揃ってフルーネフェルト男爵家の捕虜となった。

 主家の全員が捕らえられたことを受けて、都市内に残っていた領軍の騎士や兵士も次々に投降。ランツを守っていた三十人全員が拘束された。

 残る四十人の領軍兵力のうち、二十人はランツ以外に三つある都市に分散して駐留しており、後の二十人は万が一ルーデンベルク侯爵家が早期に動いた場合に備え、東の領境を監視しているという。彼らにはそれぞれ投降を促す伝令を送ることとし、ヴィルヘルムはひとまず、リシュリュー伯爵家の一族と臣下たちとの面会に臨む。

 皆を屋敷の広間に集め、自身は広間の上座側、一段高くなった場所へ置かれた椅子に座る。やけに豪奢なこの椅子は、本来マルセルの席であると察した上で、あえて腰を下ろして足まで組む。居並ぶ者たちに自らの強気な態度を見せつけるように。


「では、今後の話をしましょう……と言っても、私が要求を一方的に語り、貴家に受け入れてもらうことになりますが」


 零した苦笑の声は、室内の緊張した空気の中では、場違いに明るく響いた。

 ヴィルヘルムの傍らにはエルヴィンが護衛として控え、広間の壁際には数人の騎士と、ヴァーツラフ率いるラクリマ傭兵が十人ほど、武器を手に立っている。

 そしてヴィルヘルムの前に並ぶのは、マルセル・リシュリュー伯爵、ロクサーヌ・リシュリュー伯爵夫人、二人の娘である伯爵令嬢。伯爵家に仕える官僚のほぼ全員。領都で拘束した伯爵領軍のうち、騎士身分の者も縄で縛った上で同席させている。

 マルセルとロクサーヌは気丈な態度を保ち、まだ十歳に満たない令嬢は、事態がよく分かっていないのか戸惑いを顔に表している。伯爵家の重臣たちは深刻そうな表情で黙り込み、その他の官僚や騎士たちは予想外の事態に不安そうにしている者が多かった。


「とりあえずは結論から言っておきましょう。私が求めるのはふたつ。マルセル・リシュリュー伯爵の命と、リシュリュー伯爵家の領地です。マルセル殿は処刑し、リシュリュー伯爵領は我がフルーネフェルト男爵領に併合します」


 ヴィルヘルムが言い放つと、どよめきが起こった。騒いだのは重臣ではない官僚たちと、拘束された騎士たちだった。

 一方で、処刑を宣告されたマルセルは大きな動揺を見せなかった。ロクサーヌと重臣たちも、ある程度は覚悟していたのか静かだった。ようやく事態の深刻さが分かってきたのか、泣き出した令嬢を、マルセルとロクサーヌが慰めていた。


「それ以外は求めません。伯爵夫人と令嬢の身の安全は保障しましょう。お二人は夫人のご実家へ帰られるか、あるいは世俗を離れ教会に入られるか、お好きな方をお選びください……そして、臣下諸君についても。リシュリュー伯爵家に近しい重臣などは領外追放とするが、私財の持ち出しは認める。まあ、主家が敗北した以上は受け入れてほしい。その他の者については、フルーネフェルト家に忠誠を誓うのであれば我が臣下として受け入れる。職を辞したいのであれば認める。追放する者としない者の線引きについてはこれから考える」


 どよめきを気にすることなく、ヴィルヘルムは一方的に語っていく。


 軍事や政治にあまり関わっていなかった伯爵夫人や、まだ幼い伯爵令嬢をマルセルと共に処刑すれば、周囲に残虐な印象を与えることは避けられない。なので見逃す。ロクサーヌの実家は帝国東部の南東あたりの中堅貴族家。さすがにこの地域の動乱に介入する力があるとは思えないため、帰らせたところで問題はない。


 大半がマルセルの親族である重臣たちは、フルーネフェルト男爵領への侵攻計画に深く関与していたことが予想されるため、さすがに信用できない。なので追放する。

 できることならば報復として皆殺しにしたいところだったが、大人しく降伏した者たちにあまり厳しい処分を下せば、やはり残虐な印象を与えてしまい、今後のリシュリュー伯爵領掌握や勢力拡大に支障が出かねない。なので、追い払うだけで済ませる。私財まで持たせてやるのは、追い詰めすぎて反撃や復讐を試みられることを防ぐための措置だった。

 単に仕事としてリシュリュー伯爵家に仕えていた下級の官僚たちのうち、フルーネフェルト家に鞍替えする者は歓迎するつもりでいる。そうしなければ、二万の人口を擁するこの地の領地運営がさすがに回らない。居残る者のうち一部には追放した者たちの役職を与え、そうでない者も軒並み待遇を向上させ、優しい新領主として懐柔するつもりでいる。


 これらの処分に関しては、伯爵領軍の士官の生き残りについても同様とする。

 百人を超える領軍ともなれば、その全員が主家への厚い忠誠心を持っているとは思えない。そのため、伯爵家と血縁関係にあったり、代々仕える譜代の臣下であったりする騎士たちを選別し、追放しようとヴィルヘルムは考えている。

 幸いにも、騎士ロドリグをはじめとした武門の重臣や、マルセルのために突撃を敢行できるほど忠実な騎士たちは既に排除できている。追放すべき者は、おそらく多くはない。

 それ以外の者に関しては、フルーネフェルト家への鞍替えを決意するのであれば受け入れる。

 領軍騎士たちも多くは家族がおり、生活がある。そしてフルーネフェルト家としても、今後のことを考えれば兵力の頭数が必要。そのため、給金分の忠誠と働きを見せるのであれば、元リシュリュー伯爵領軍であろうと配下に加えるつもりでいる。国を築くのであれば、それくらいの器が必要であると考えている。


「リシュリュー伯爵家の方々とは後ほど対話の場を設けるとして、臣下諸君からも何か言いたいことがあれば聞こう。この場においては、恨み言でも何でも好きなように発言していい」


 ヴィルヘルムが尋ねても、発言する者はいなかった。ただ静寂が返ってきた。


「何もないか。素直でよろしい……それでは、この場は解散としましょう。伯爵家の方々は私室にお移りいただきます。臣下諸君は、重要な役職にいる者はしばらく屋敷に滞在してもらおう。それ以外は、ひとまず帰宅するといい。ただしこの屋敷から何かを持ち出すことは禁ずる。用があれば呼び出す」


 一方的に言うと、ヴィルヘルムは立ち上がる。集められた一同のざわめきを背に、エルヴィンを連れて広間を去る。

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