第37話 軍資金

 リシュリュー伯爵家を無力化したヴィルヘルムは、およそ一週間後を目途にマルセルの公開処刑の準備を進めつつ、伯爵領を掌握するために早速動き始めた。


 まずは、ランツ以外の都市や東の領境にいる領軍部隊への投降勧告。騎士も兵士も命と財産を保障する旨を伝え、ひとまずフルーネフェルト男爵家に下るよう命じた。ランツにいる家族を捨てて逃げるのでもなければ、彼らは素直に従うものと思われた。

 それと併せて、ランツ以外の都市の代官たちにも、一度自分のもとに参上して降伏と服従を宣言するよう命じる書状を送った。

 三つある都市のうち、重要なのは二千の人口を擁する伯爵領第二の都市。その都市の代官は、マルセルの従姉にあたる人物だという。ヴィルヘルムはその代官を伯爵家の重臣と見なし、私財を持っての追放を命じるつもりでいる。


 残存の領軍部隊と各都市の代官がやってくるまで、早くとも数日かかる。その間に、伯爵家の臣下のうち追放する者と残留を認める者の選別、そのための血縁関係の確認なども行われる。

 追放される当事者である重臣たちの証言はあまり信用ならないので、下級の官僚たちからも話を聞き、それぞれの供述の整合性を確認し、情報を整理する。この作業は、主にフルーネフェルト家の騎士たちが進めてくれる。

 ランツの治安維持については、ヴァーツラフ率いるラクリマ傭兵団と、百人の徴集兵――これまでの軍事行動で比較的優秀と見なされ、選抜された者たちに任せた。彼らには掠奪や乱暴狼藉を固く禁じたため、都市住民たちも反抗することはなく、都市内は平穏が保たれている。

 他に、伯爵家から接収する財産や、領地運営に必要な資料の整理も進む。この作業に関しては、まだ領地運営の実務に明るくないヴィルヘルム一人では能力も人手も不足。そのため、ユトレヒトからハルカをはじめ数人の文官を呼び寄せ、補佐してもらう。


 この作業が始まってすぐに、ヴィルヘルムたちは面白いものを発見した。

 フルーネフェルト男爵家もそうだが、貴族家の財産――私財や領地運営予算は、大抵は領主執務室に作られた隠し金庫や隠し部屋に収められている。マルセルの執務室に伯爵家の文官の総責任者を連行して財産の隠し場所を尋ねると、今さら余計な抵抗をするつもりはないのか、あっさりと隠し部屋の場所を吐いてくれた。

 壁際の棚の後ろに隠されていた隠し部屋の頑丈な扉を、マルセルから借りた、もとい奪った鍵で開くと、中には貨幣や宝石などのかたちで財産が保管されていた。

 マルセルは几帳面な性格だったのか、財産は丁寧に分類され、税を収めたものと思われる木箱や壺が整然と棚に並んでいた。

 それらとは別で、部屋のど真ん中の床の上に、ひとつだけ異彩を放つ豪奢な箱があった。その箱だけ、棚に収まらない大きさだった。


「……うわ、何だこの大金」

「リシュリュー伯爵家がこんなにお金持ちなわけないですよねぇ……」


 箱を開いたヴィルヘルムとハルカは、怪訝な表情で言葉を交わす。

 中にあったのは、大量の金貨や大銀貨。ざっと数えると、フルーネフェルト男爵家の年間収入の五倍を超えるほどの金額だった。

 さして裕福でないリシュリュー伯爵家の推定収入は、フルーネフェルト男爵家の五倍を超え、六倍までは届かない程度。マルセルは伯爵としての格を保つことにこだわっていたため、資金繰りに苦労していたという。

 領主貴族の収入の大半は、そのまま家や領地の運営予算に回る。リシュリュー伯爵家と領地の運営予算は、分類されて壁際に並んでいる。それとは別で、伯爵家の年間収入に匹敵する現金があるのは明らかに不自然だった。貧乏な貴族家だろうと多少の貯金は残しているものだが、これはそんな額ではなかった。


「なるほど。マルセル殿が勢力拡大に挑戦した理由が分かったよ」

「誰かから資金提供を受けた、ということですかねぇ」


 リシュリュー伯爵家の力では、ルーデンベルク侯爵家による報復を受ける前に西や南の貴族領を支配下に収め、侯爵家と睨み合える独自の勢力を築くのは極めて難しい。どこかの段階で資金や物資、兵力が足りなくなり、行き詰まる可能性が極めて高い。征服した貴族領からある程度は奪えるとしても、それだけに頼るのはあまりにも賭けの要素が強い。よほどの愚か者でなければ、そんな無謀な賭けには出ない。

 しかし、あらかじめまとまった軍資金を与えられ、あるいは借り受けたのであれば、マルセルの行動は一応の勝ち目のある賭けとなる。彼が賭けに出ることを決意したのも納得できる。


「問題は、誰が資金提供をしたかだけど……まあ、予想はつくかな」


 ヴィルヘルムが呟いたのとほぼ同時に、隠し部屋の扉が軽く叩かれる。


「失礼します、ヴィルヘ……フルーネフェルト閣下。執務机の鍵付きの引き出しから、何か重要そうな書簡が出てきました」


 そう報告したのは、ハルカが連れてきた文官の一人だった。執務机周辺の書類の整理を任されていた彼は、隠し部屋に入る許可を与えられていないため、扉の外から呼びかけてきた。

 ヴィルヘルムをフルーネフェルト閣下と呼ぶことには、臣下たちもまだ慣れていない。若い文官が呼び方を間違えかけたことは気にせず、ヴィルヘルムはハルカと共に隠し部屋を出る。


「この書簡です。どうぞ」


 文官から書簡を受け取り、ハルカにも文面が見えるようにして開く。


「……やっぱり、ノルデンシア公爵家か」

「あの家なら、これだけの大金をぽんっと出せるのも納得ですねぇ」


 書簡は帝国東部の南西地域に領地を持つ大貴族、ノルデンシア公爵家の当主からのもの。そこに記されていたのは、リシュリュー伯爵家とノルデンシア公爵家が協同で動くという密約だった。

 文面から察するに、どうやら密約を持ちかけたのはマルセルの方。

 今後、ノルデンシア公爵家の敵となるであろうルーデンベルク侯爵家を自分が西から牽制する代わりに、リシュリュー伯爵家が勢力を拡大するための軍資金や物資を援助し、最終的にはリシュリュー家が帝国東部の北西地域に国を築くことを認めてほしい……マルセルはそのような要望を申し入れ、ノルデンシア公爵はそれを受け入れて、ひとまずはまとまった額の軍資金を提供したようだった。


「こんな密約を持ちかけるマルセル殿も大概だけど、あっさり受け入れてすぐに大金を送るノルデンシア公爵も凄いね……まあ、あの家にとっては大した額じゃないのかもしれないけど」


 苦い笑みを浮かべながら、ヴィルヘルムは言う。

 ノルデンシア公爵領の人口はおよそ四十万と、帝国東部の貴族領でも最大。加えて、公爵家は二つの港湾都市を抱えており、極めて裕福なことで知られている。金を出すだけで今後大敵になり得るルーデンベルク侯爵家を牽制できるとなれば、即座にこれほどの大金を動かすのも納得のいく話だった。


「フルーネフェルト閣下、あのお金はどうしますか?」

「もらってしまおう」


 ハルカに尋ねられたヴィルヘルムは、迷うことなく即答する。


「建国を目指すとなれば、南か東に勢力を拡大していくことになる。そうなれば、ノルデンシア公爵家かルーデンベルク侯爵家のどちらかと戦うことは避けられない……ノルデンシア公爵家と戦うことになれば、金を返そうが返すまいが対立するんだから、返さない方が得。ルーデンベルク侯爵家と戦うことになれば、マルセル殿がノルデンシア公爵家と結んだ密約と同じものを僕もひとまず結んで、あの金はそのままフルーネフェルト家の軍資金として使わせてもらえばいい」


 おそらくは前者、ノルデンシア公爵家と戦うことになるだろうが。ヴィルヘルムはそのように予想している。


「今後のことを考えれば、資金はどれだけあっても困らないからね。この地の運営予算とは別であれだけの大金があれば、行動の選択肢はぐっと広がる。ありがたく使わせてもらおう」

「それじゃあ、あのお金もリシュリュー伯爵家から接収する財産として計上しておきますね」


 主の判断を受け、ハルカは笑顔を見せながら答えた。

 ヴィルヘルムもハルカも、フルーネフェルト家の感覚としては想像を絶する大金を奪い取ることに、微塵の抵抗も見せない。その様を傍らから眺めながら、若い文官は苦笑いを零していた。

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