第24話 ラクリマ傭兵団

 ヴァーツラフがラクリマ傭兵団を結成したのは、今から十二年前のことだった。


 帝国中央部の小都市に生まれたヴァーツラフは、成人すると同時に実家を飛び出し、帝国軍に入隊した。無名の平民ではなく歴史に名を残す人間になりたいという若者らしい夢を抱えながら、しかし継げる財産もまともにない小さな商家の三男では、他に未来を開く道が見つからなかった。

 一兵卒として入隊し、どうやら軍人としての才覚はあったらしく、短期間で頭角を現して小隊を任されるようになった。目をかけてくれた騎士から騎乗戦闘の技術を学び、入隊から五年で自身も騎士の叙任を受けた。

 そこで、ヴァーツラフの出世は終わった。ヴァーツラフの所属する帝国軍第二師団では、上位の役職は宮廷貴族や、彼らと近しい帝国中央部の領主貴族、その子弟が独占していた。騎兵小隊長や中隊長といった役職も、貴族関係者との繋がりが深い者――分家や側近家の騎士が占めていた。

 第三師団も同じ有様だった。名将マクシミリアン・シュヴァリエ侯爵が率いる第一師団だけは違ったが、有能であるが故に上官の貴族から便利な駒と見なされたヴァーツラフは、第一師団への転属を願い出ても決して叶えられなかった。

 このまま貴族の駒として雑務を続けていても、歴史に名を残すのは絶望的。帝国軍人としての人生に見切りをつけたヴァーツラフは、除隊を願い出た。これだけは上官だろうと止める権限がないため、無事に帝国軍を去ることができた。

 同じように帝国軍に嫌気が差し、共に軍を去った数人の仲間を引き連れ、傭兵団を結成。ルヴニツァル王国との衝突がくり返される東の国境や、ヴィアンデン王国との睨み合いが続く南東の国境に仕事を求めた。


 最初はよかった。国境の紛争地帯には本物の戦いがあった。戦功を上げる機会も、帝国中央部よりはあるように思えた。

 高名な将軍にはなれずとも、辺境で貴族になって家名と領地を得る機会くらいは掴めるかもしれない。それでも十分だと、歴史書の片隅に名前だけでも記されるなら上出来だと、帝国軍で平民の現実を知ったヴァーツラフは考えていた。

 帝国軍人時代はあまり意識したこともなかったが、どうやらヴァーツラフには人望もあったらしく、次第に傭兵団の規模は拡大した。荒くれ者の多い傭兵の世界にも騎士上がりのヴァーツラフと気の合う者は少なからずおり、そうした連中が自然と集まった。

 揃いの装備――兜の上から顔を隠すように被った目の粗い鎖帷子、そこから敵の返り血が滴る様を見た周囲の傭兵から、いつしかラクリマ傭兵団と呼ばれるようになり、自分たちでも名乗るようになった。


 そうして界隈で少しばかり名を知られても、栄達の機会は巡ってこなかった。根無し草の傭兵など、所詮は代わりの利く存在。多少贔屓にされることはあっても、地位を与えられ重用されることはないと思い知らされた。紛争地帯で戦いに生きれば部下の死は珍しいことではなく、共に傭兵団を立ち上げた仲間もすっかり数を減らした。

 傭兵団を結成して八年が経った頃には、あるのかも分からない栄達の機会を求めて心身を消耗させる日々に、ヴァーツラフはすっかり嫌気がさしていた。しかし、自分の目論見の甘さを知ったときには、後戻りはできなくなっていた。

 一度根無し草の身となれば、そこから這い上がるのは容易ではない。戦いに明け暮れても、大して金は貯まらない。今さら傭兵稼業から抜け出すあてもなく、今を生きるためには仕事を続けなければならない。

 もはや自分一人の面倒を見ればいいというわけではない。五十人にも及ぶ部下を明日も食わせなければならない。部下の中には家族を持つ者もいる。ヴァーツラフも、国境地帯の後方で出会った女性と数年前に結婚し、今は妻と子がいる身だった。


 せめて部下や家族を少しでも安全な環境に置こうと、国境地帯からは離れて仕事をするようになった。盗賊の討伐。害獣狩り。野外での工事や森の開拓などの護衛。そうした仕事をこなし、稼ぎは減ったが部下が死ぬことも減った。

 とはいえ、それでも安定からは程遠く、安住の地など見つからない人生であることは何ら変わらない。

 仕事を上手くこなせば、依頼主から感謝されることもある。ツノグマの群れを討伐した際には、被害に悩まされていた農村の住民たちから喜ばれ、酒や料理まで振る舞われた。それでも、ずっとここにいてくれと彼らが言うことはない。当然だ。根無し草の傭兵上がりなど、平時には邪魔な存在なのだから。

 この時の活躍は市井で短期間、話題になったが、それだけだった。ヴァーツラフたちはまた、今を生きるために仕事を探し回るようになった。

 このまま戦い続け、いつか運悪く負傷するか、老いて身体が動かなくなるかで、家族にろくな財産も残してやれずに死んでいくのだろう。結局、歴史に名を残すことなどできなかった。

 そんな諦念を抱えながら、ヴァーツラフは生きるようになっていた。


・・・・・・


 皇帝が崩御し、皇妃や皇太子までもが死去したという報せが帝国中を駆け巡ったのは、神聖暦七三六年の初秋のことだった。この報せはヴァーツラフにとって、喜ばしいものではなかった。

 皇帝崩御後の帝国がどうなるかは、帝国軍にいた頃から噂として聞いていた。皇太子までもが死去したとなれば、囁かれていた帝国崩壊もおそらく大幅に早まるだろう。実際、ラクリマ傭兵団が縄張りにしている帝国東部では、凶報から間もなく領主貴族たちが動乱の時代に備え始めたという話も聞こえてきた。

 おそらく来年にも動乱が始まり、そうなれば貴族たちは雑務を任せるためではなく、他家と戦わせるために傭兵を雇うようになる。部下たちに比較的安全な仕事を与えるため、国境地帯を離れた意味がなくなってしまう。非戦闘員である家族を連れながらの傭兵稼業はより困難になり、不本意な汚れ仕事を行う機会も増え、そして自分たちの寿命も短くなるだろう。


 そう考えたヴァーツラフは、なのでリシュリュー伯爵家からの依頼を引き受けた。

 帝国東部の西側、アプラウエ子爵領の南にある小貴族領群にいたラクリマ傭兵団に、リシュリュー伯爵家の使者が接触してきたのは九月中旬の終わりのこと。依頼内容は、リシュリュー伯爵家の軍勢が西隣の小領を従属させるための、進軍や示威行為の支援だった。

 依頼主の領地と進軍先の小領では、規模がまるで違う。おそらくまともに戦闘も起こらず小領が飲み込まれて終わり、危険は少ないだろう。そのわりに報酬はかなり高い。この仕事を上手くやれば、その後はしばらく辺境で身を潜めて動乱から距離を置くこともできるかもしれない。

 そのような目論見のもと、さして悩むこともなくリシュリュー伯爵家に雇われた。


 どうやら話が違うと気づいたのは、伯爵領の領都ランツを通過する際、依頼主であるマルセル・リシュリュー伯爵に挨拶をしたとき。そこで最初に命じられた任務は、進軍先――フルーネフェルト男爵領の領境近く、スレナ村に攻め込んで民を幾らか殺し、橋頭堡を確保することだった。

 農村の占領は容易い。しかし、無辜の民を殺すのは主義に反する。そう考えたものの、言葉にすることはできなかった。

 命令を拒否して依頼を放棄すれば、最悪この都市を出る前に殺される。放逐されて終わったとしても、ラクリマ傭兵団は雇い主に従わないという悪評を吹聴される。そうなれば打つ手はない。悪評を打ち消す反論を広めようにも、貴族と根無し草の傭兵では情報拡散力も信用も比べ物にならない。一度悪評をばら撒かれれば仕事はなくなり、部下や家族をまともに食わせていけなくなる。団長としてそれだけは避けなければならない。

 ヴァーツラフは止むを得ず、言われた通りにフルーネフェルト男爵領へと侵入し、スレナ村を奪取した。それでもやはり無辜の民を殺すことはできず、住民たちは全員逃がした。雇い主に知られることはないだろうと考えて。


 翌日には、同じくリシュリュー伯爵に雇われ、別の村を襲った傭兵団から任務成功の連絡が届いた。民を幾らか殺せという命令に対して、彼らは村民の大半に凄惨な暴行を加えた上で虐殺し、迎撃に来た領主の息子まで殺したという。その話を聞いたヴァーツラフは眩暈を覚えながらも、リシュリュー伯爵の指示通り、預かっていた書簡をフルーネフェルト男爵領の領都に届けた。

 翌日、伯爵がフルーネフェルト男爵を欺いて殺したという話を聞いて、また眩暈を覚えた。

 後は、一週間もすればリシュリュー伯爵の率いる本隊が進軍してきて、この地を支配下に置くのだろう。その後に報酬を受け取れば、この胸糞悪い仕事ともおさらばだ。


 そう考えながら待機を続けていたヴァーツラフのもとに、驚くべき報告が入った。

 殺された父親より爵位を継いだフルーネフェルト男爵が、このスレナ村へやってきて、傭兵団の長との対話を求めている。側近から伝えられたヴァーツラフは、新しい男爵の度胸に呆れと感心を抱きながら、同時に好奇心も抱いた。だからこそ、求めに応じて会ってみることにした。

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