第25話 勧誘

 エルヴィンを含む五人の騎士を連れてユトレヒトを出たヴィルヘルムは、スレナ村へ向けて街道を進んだ。

 予想していたことだが、ノエレ村を襲った後にユトレヒトの周辺をうろついている傭兵たちは、堂々と紋章旗を掲げて東に進むヴィルヘルムたちを襲いはしなかった。ユトレヒトの西、他の村への伝令に走る者以外は襲わないよう、リシュリュー伯爵より命令を受けているものと思われた。


 難なくスレナ村に到着したヴィルヘルムは、ラクリマ傭兵団が司令部代わりにしているらしい村長家に通された。対面した団長は、一目で実力者だと分かる空気を放っていた。

 年齢は三十代から四十代ほどか。暗いブラウンの髪はやや長く伸ばし、髭は短く整えている。荒くれ者ではなく、切れ者の印象を感じさせる男だった。

 彼を囲む部下たちも、何気なく集まっているようで、その佇まいに隙はない。こちらが下手に動けばためらいなく武器を抜くのだろう。

 逆に言えば、こちらが対話を求める限り団長には応える意思があり、団員たちは長の意向に従うということ。粗暴な無法者の集団ではない。皆、粒ぞろいの手練れだと雰囲気で分かる。よく鍛えられ、統率されている。

 期待通りだ。ヴィルヘルムはそう思いながら、笑みを作って手を差し出した。


「初めまして。フルーネフェルト男爵家当主、ヴィルヘルム・フルーネフェルトだ。当主と言っても、昨日家督を継いだばかりの身だけどね」

「……これはこれは。傭兵風情を相手に、ご丁寧なことで。俺はラクリマ傭兵団団長、ヴァーツラフと申します」


 団長――ヴァーツラフは面白がるように少し笑いながら、一応は握手に応え、自分も名を名乗ってくれた。

 ヴィルヘルムがヴァーツラフと触れ合うほど近づいたことで、傍らに控えるエルヴィンや、後ろに並ぶ護衛の騎士たちが警戒心を強める。もしヴァーツラフが妙な動きを見せれば即座に主を守れるよう、剣の柄に手を置く。

 それに対して、敵側の傭兵たちも殺気を強める。不意の物音ひとつで殺し合いが始まりそうな、恐ろしく鋭い緊張が、対話の場である村長家の一室を支配する。

 常人であれば逃げ出しそうな緊張感の中で、ヴァーツラフは微塵も動じない。

 ヴィルヘルムも笑顔を崩さない。舐められればこの後の話し合いに響く。


「まあ、どうぞお座りください」

「どうもありがとう……君たちラクリマ傭兵団のことは、ツノグマ討伐の一件で僕も少し知っているよ。会えて嬉しく思う」


 ヴァーツラフと向かい合って座り、余裕のある態度を意識しながら、ヴィルヘルムは語る。


「話には聞いていたけれど、本当に鎖帷子で顔を隠しているんだね。見た目の演出にどれほどの効果があるものかと思っていたけれど、こうして対面するとなかなか凄い威圧感だ」


 ヴァーツラフの後ろに並ぶ団員たちは、頭を覆う兜の上から、一枚の布状に編まれた鎖帷子を被っている。垂れた鎖帷子が、首元や肩のあたりまでを覆い隠している。過去に聞いた噂や、スレナ村の避難民の証言通りの見た目をしている。

 彼らの被る鎖帷子は目が粗く、網に近い。おそらく軽量で頭の動きを阻害せず、戦闘時の視認性も良いのだろう。こうして近くで見れば鎖帷子の奥の顔が分かりそうだが、彼らはさらに口元を黒い布で覆い隠しているらしく、見えるのは目元だけ。結果として顔立ちはほとんど分からない。

 兜それ自体ではなく、鎖帷子を垂らして顔を隠す異形。そのような見た目で並ばれると、視線や表情が読めないことも相まって、得体の知れない不気味な威圧感があった。

 兜には鎖帷子を引っかける仕掛けがいくつか付いているようで、なので激しく動いても鎖帷子が落ちることはないのだろう。

 貴族であるヴィルヘルムへの礼儀なのか、団長のヴァーツラフだけは今は兜を被らず、顔を曝している。


「仰る通り、周りから舐められないようにしたり、視線を読まれないようにしたり、相手を怖がらせたりするのがこの兜の狙いです。傭兵は揉め事に巻き込まれやすいので、これを被れば個々人を憶えられにくくなる利点もあります」

「なるほど、よく考えられているんだね」


 語るヴァーツラフに相槌をうちながら、口調や言葉選びを見てもやはり彼は賢いのだろうと、ヴィルヘルムは考える。


「それで、フルーネフェルト男爵閣下。何も雑談をしにいらしたわけではないのでしょう?」

「もちろん。実は君に、大切な話があって来たんだ」


 ヴァーツラフの問いにヴィルヘルムは答え、あえてそこで黙る。

 不自然に間を置き、ヴァーツラフが怪訝そうに眉をひそめたところで、不意打ちのようにまた口を開く。


「単刀直入に言おう。雇い主であるリシュリュー伯爵を見限ってほしい。そしてこちら側についてほしい。もちろん、それだけのことをするに足る褒賞は与える」


 会話のペースを乱されたことで、ヴァーツラフは少しやりづらそうな顔で黙り込んだ。不意打ちは成功したようだった。


「雇い主を裏切り、これまで築き上げた信用を永遠に失うに足る褒賞とは。一体どれほど魅力的なものをいただけるので?」

「爵位と、一国の将軍の地位を」


 わざとらしく鼻で笑いながら問うたヴァーツラフは、ヴィルヘルムの答えを聞いてまた黙る。会話のペースは既にヴィルヘルムのものになっていた。


「領主である父を殺され、次期領主である兄を殺され、大切な臣下臣民を殺され、このままではさらに理不尽な未来が待っている……こんな状況を甘んじて受け入れるくらいならば、二度と誰からもこんなことをされないよう、自分の国を築き上げてしまおう。僕はそう考えたんだ」


 半ば唖然としているヴァーツラフに構わず、ヴィルヘルムは一方的に語る。


「リシュリュー伯爵を倒し、伯爵領を僕の手中に収めれば、その後のさらなる躍進も、果てには一国を築くことも、決して夢物語ではなくなる。伯爵に勝利すれば道は開ける。だから君たちと手を組みたい。君たちには僕の側に寝返り、リシュリュー伯爵を打ち倒す手伝いをしてほしい。そうすれば君たち全員を僕の臣下として迎え入れる。僕が一国を築いたあかつきには、君に爵位と、君主の名代として軍を率いる将軍の地位を与える。君の部下たちも、全員が一国の正規軍人として相応の待遇を得るだろう」

「…………畏れながら閣下。本気で仰っているので?」


 唖然としたまま言ったヴァーツラフに、ヴィルヘルムは薄く笑んで見せる。


「本気だよ。我が家名と最愛の妻、亡き父母と兄に誓って、本気で成し遂げるつもりだ……そのための第一歩として、君たちを味方につけたいと考えた。スレナ村の住民たちを誰一人殺すことなく逃がしてくれた君たちを。冷酷なリシュリュー伯爵や、ノエレ村の民を虐殺した卑劣な傭兵たちとは違う、戦う者としての矜持を持つ君たちラクリマ傭兵団を」


 スレナ村の民は生かし、ノエレ村の民は殺す。リシュリュー伯爵がそんな指示を下す必要性はない。どちらの民も殺した方が、フルーネフェルト男爵領に大きな衝撃をもたらすことができるに決まっている。

 にもかかわらず、ラクリマ傭兵団はスレナ村の民に手を出さなかった。結果、逃げる際に転んだ者やショックで体調を崩した者などを除けば、スレナ村の民は無傷だった。

 なのでヴィルヘルムは、先のツノグマ討伐の評判と合わせ、ラクリマ傭兵団が話の分かる連中、質の善い傭兵であると考えた。

 あえて雇い主の命令を破ってまでスレナ村の民を逃がしたのであれば、汚れ仕事をさせる雇い主に不満を抱いているはず。無辜の民を殺すことを厭う程度に誇りがあるのであれば、より良い扱いをしてくれる貴族、一度限りの仕事ではなく安定と地位を与えてくれる者に仕えようと考える可能性もある。

 そう考えたからこそ、ヴィルヘルムは彼らに賭けることにした。


「我が領には戦力が少ない。だけど君たちラクリマ傭兵団が僕の側に付いてくれて、領都の西のノエレ村に居座る質の悪い傭兵を排除してくれて、決戦で共闘してくれれば。既に橋頭堡を確保したと安心しているリシュリュー伯爵を、君たちと協力して罠にかけることができれば。僕が逆転勝利を成す可能性も十分以上にあるはずだ。だから僕は、君たちが欲しいんだ」

「……俺たちが閣下のご想像の通りに『行儀のいい傭兵』だったとして、俺たちが裏切れば閣下がリシュリュー伯爵に勝つことも不可能ではないとしましょう。だとしても、俺たちを使って目の前の危機を乗り越える対価として、閣下が俺たちにそのような破格の地位を、この先ずっと与えてくださるという約束が守られる保証はあるので? 俺たちは傭兵です。使い捨てられることをまず一番に心配しなければなりません。領主貴族であらせられる閣下とは比べ物にならないでしょうが、俺も少なくない部下やその家族の人生を預かる身です。畏れながら、保証がなければ閣下のご提案を検討することもままなりません」

「君の懸念も尤もだよ。保証、と呼べるほどのものかは分からないが、一応信用を得るための根拠はある。まずは、僕がこうして自ら交渉に赴いたことだ」


 ヴィルヘルムは手を広げ、この空間を、ヴィルヘルムにとっては敵地の只中を示す。


「誠意を見せるなら、自分自身が動かなければならない。覚悟を見せるなら、自分自身が危険を冒さなければならない。逆転勝利を成すために、少数の護衛を連れて敵地の只中に入り、直接君たちの説得に臨んでいることは、僕の誠意と覚悟を示す根拠になるはずだよ……それともうひとつ」


 劇場主として振る舞いながら鍛えた演説力は、我ながらそれなりのものだとヴィルヘルムは自負している。手振りを交え、声に絶妙な抑揚をつけながら語ると、ヴァーツラフも、彼の後ろに並ぶ傭兵たちも、いつしか集中して聞き入っている。


「建国に向けて勢力を拡大していくということは、軍事的、あるいは政治的な圧力をもって周辺の貴族たちを支配下に置くということ。敵対した者を今度は味方として傘下に加えることも珍しくないはず。むしろそういう機会の方が多いだろう。そうなれば当然に裏切りを警戒する必要があり、であれば側近は裏切りの心配がない臣下で固めることになる……僕が弱いうちから仕えてくれて、僕に重用されなければ地位を失いかねない。そんな臣下でね」


 他に後ろ盾もない傭兵上がりの身だからこそ、ヴァーツラフたちは地位を保障してくれるヴィルヘルムを守る。裏切らず自分を守ってくれるからこそ、ヴィルヘルムは傭兵上がりのヴァーツラフたちを傍において重用し、高い地位を与える。

 そうして一蓮托生となることで、互いに信用が生まれる。ヴィルヘルムが暗に示すと、ヴァーツラフはそれを正しく理解してくれたようだった。


「現状、僕が示せる根拠はそれだけだ。後は君の決断次第ということになる。今この場で決めてくれとは言わない。部下たちとゆっくり相談してくれて構わない。結論が出るまで、僕たちは何時間でも、たとえ一晩でも待とう」


 ヴィルヘルムはそう言うと、身を乗り出すようにしてヴァーツラフを真正面から見据える。ヴァーツラフは僅かに身を引く。


「機会はこの一度だけだ。僕を選び、僕と共に歩み、栄光ある未来を掴んで歴史に名を残すか。子や孫に遺せる爵位を得て、閣下と呼ばれながら将として軍勢を率いるか。あるいは、リシュリュー伯爵に与えられた汚れ仕事を完遂して小金を受け取り、この先も根無し草の傭兵としてその日暮らしを続けるか。よく考えてみてほしい」


 そう言い残し、ヴィルヘルムは椅子の背にどかりと体重を預け、足を組む。

 少し待ってもらいたい。そう言い残して、ヴァーツラフは部下たちを引き連れ、部屋を去っていった。団の全員で話し合うつもりなのか、見張りさえ残さなかった。

 彼らが退室して少しの間を置いてから、ヴィルヘルムはエルヴィンを振り向く。


「どうだった?」

「……閣下の予想されていた通り、あのヴァーツラフという男は元騎士だと思われます。所作が騎士教育を受けた者のそれでした」

「そうか。学のある者の言葉使いを見せていたし、やっぱり体系的な教育を受けた人間だったんだね……この話に乗ってくれる可能性も高まったはずだ」


 統率のとれた行儀のいい傭兵団を作り上げ、維持していることから考えて、団長は元騎士。それも能力不足や素行不良などで軍を追われたのではなく、自ら辞めた者。正規の騎士からわざわざ傭兵になったということは、おそらくは成り上がりを目指している、あるいは目指していた類。

 ヴィルヘルムはそのように予想した上で、彼らの勧誘に臨んでいた。

 さらに言えば、先ほど左手薬指の指輪を見たところ、彼は既婚者。年齢からして子供がいる可能性が高い。若くはなく、妻子がいるのであれば、根無し草の傭兵生活を抜け出す機会に魅力を感じてもおかしくない。

 それもあって、ヴィルヘルムは最後に駄目押しの言葉をかけた。


「後は、彼らの答えを待とう」


 少なくとも、あのヴァーツラフはまともに話し合いのできる人間だった。ラクリマ傭兵団は無法者の集団ではなく、実力者の揃った真の傭兵集団だった。自分の読みは当たり、彼らは期待通りだった。

 彼らが応えてくれるか否かは、神のみぞ知る。

 この程度の賭けに勝てなければ、その後の勝利も、ましてや建国などできないだろう。そう思いながら、ヴィルヘルムは彼らの話し合いが終わるのを静かに待つ。




★★★★★★★


ラクリマ傭兵団の「兜の上から鎖帷子を被っている」という見た目ですが、デンマークの特殊部隊がイメージ元です。「デンマーク フロッグマン」などで検索していただければ画像が出てくるかと思います。

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