第53話 西進④
「隊長! 本陣から突撃開始の合図です!」
ラクリマ突撃中隊で最も背が高いために後方の見張りを任されていた兵士が、ヴァーツラフの方を振り返って言った。
「マウエン軍はまだ完全に逃げ去っていないが、もう突撃するのか」
「残りの敵軍も早く敗走させたいんだろう。大方、マウエン男爵が裏切った仲間たちに追われでもしているんじゃないのか? それで、我らが主は敵をとっとと追い散らして、マウエン男爵を助けたいと」
アキームと話しながら、ヴァーツラフは後ろに並ぶ部下と徴集兵たちの方を向く。
「いいかお前らよく聞け! 俺たちの任務は敵を追い払うことだ! 追い払うだけでいい! 逃げる奴はそのまま逃がしておけ!」
あらためて指示をした上で愛用の戦斧を掲げ、そして再び敵の方を向く。
「総員突撃!」
掲げていた戦斧を敵陣に向けて振り下ろしながら突撃命令を発し、まずは自分が走り出す。アキームが、ラクリマ突撃中隊の騎士と兵士たちが、そして後ろに並ぶ徴集兵が続く。
主力を担う歩兵部隊、その右翼側に並ぶ者たちも、ファルハーレン軍やクラーセン軍の隊長たちの命令を受け、突撃を開始する。およそ千五百の将兵が、突然に陣形の片翼を欠いた敵軍のもとへ鬨の声を上げながら迫る。
一方で、本陣近くにいた騎兵部隊も動き出す。
「全騎、私に続け!」
ティエリーは後方の騎士たちに向けて声を張り、勢いよく駆け出す。フルーネフェルト軍、ファルハーレン軍、クラーセン軍の騎士たち、総勢二十騎弱が即座に続く。
騎馬の足の速さを活かし、戦場の右側から回り込んで歩兵部隊を追い抜く。マウエン軍が逃げ出したことで隙が大きくなった敵陣の左翼側へ迫る。
突撃した両部隊が接触する前に、キールストラ軍とオッケル軍の兵士たちは敗走を開始する。
突然の異常事態に混乱して戦意が挫けたところ、正面から異形の部隊を先頭に敵軍が勢いよく迫ってきたことで、怖気づいた者たち。左側面にいた友軍が逃げ出したことで、自分たちも逃げていいのだと誤認した者たち。徴集兵が次々に逃げ出せば、最前列に並んでいた少数の正規軍人では止められない。後ろにいる騎士たちも、何ら有効な行動はできない。
結果、キールストラ子爵もオッケル女爵――男爵家の当主が女性の場合、その当人は女爵と呼ばれる――も、もはやマウエン男爵の追撃どころではなくなる。自軍の騎士たちを呼び戻し、敵軍が本陣まで到達する前に逃走を開始する。
戦闘らしい戦闘は皆無、両軍の将兵がほとんど接触することもないまま、寄せ集めの敵軍はあまりにも容易く壊走。こちらの軍はそれを一方的に追う。追撃と呼べるほどのものではない。逃げる敵をただ追い払うだけの、あまりにも楽な作業だった。
その様を本陣から眺めながら、ヴィルヘルムは傍らに立つ参謀に声をかける。
「エルヴィン。僕の目には、ティエリーの部隊指揮はかなり上手いように見えるのだけれど」
「私の目にもそう見えます。騎兵部隊の指揮に関しては、おそらく彼は私よりも遥かに上かと。リシュリュー伯爵領軍での経験はもちろん、彼個人の才覚もあるのでしょう」
三家の軍の騎士による寄せ集めの騎兵部隊を、ティエリーは見事に指揮していた。
ティエリー率いる騎兵部隊は、崩壊していくマウエン軍と、隣り合うキールストラ軍の間に巧みに入り込むと、突撃の素振りを何度も見せながら敵の壊走を促している。勢いよく敵陣に迫り、しかし彼我の損害を徒に増やさないよう突入まではせず、あくまで敵を追い払う務めに徹する。
扱い慣れていない他家の騎士たちも伴いながら騎馬の足並みを乱さず、敵に本気で突撃されると信じさせ、しかし直前で止まる。それを何度もくり返し、損失を出さずに敵の混乱だけを加速させる。それは誰にでもできる仕事ではなかった。
「クラーセン軍の突撃を中断させる牽制の手腕も見事だったし、思わぬ拾い物だったね。リシュリュー伯爵領軍の騎士を一律に追放しなくてよかった」
ヴィルヘルムは呟くように言った。
リシュリュー伯爵領を制圧した当初は、伯爵領軍の騎士全員を追放することも選択肢のひとつとして考えていた。しかし、正規軍人の戦力、特に騎兵戦力の不足が深刻である現状を鑑みて、結局はティエリーたちを臣下として迎えた。
西の小貴族領群の征服は、ティエリーたち旧リシュリュー伯爵領軍の軍人たちにとって、働きをもってフルーネフェルト家への忠誠心を証明する禊の場でもある。
アールテンの西門を塞ぐ別動隊の任務から、敵軍の集結状況を監視する偵察任務、戦場での斥候任務、そして敵軍の間近まで迫る追撃任務まで、彼らは完璧に務めを果たしている。今のところ、彼らは十分に忠誠を示していると言える。
騎兵部隊指揮の才覚を持ち、リシュリュー伯爵領軍において幾らか実際の指揮経験も持つであろうティエリーと、彼に従い慣れた騎士たち。将来フルーネフェルト家が抱える騎兵部隊の中核として、彼らは得難い人材となる。彼らを迎えた判断は、どうやら正しかった。
そう考えながら、自軍が大勝利を果たす様を、ヴィルヘルムは見守る。
・・・・・・
六つの小貴族家の軍勢による会戦。その死者は僅か十数人で、全て敵側の徴集兵だった。両軍合わせて三千余人が対峙した戦場の死者としては、異例の少なさだった。
その死者たちの死因も、壊走の際に味方に踏み殺されたのがほとんどで、組織立った戦闘は最後まで発生しなかった。
壊走したキールストラ軍とオッケル軍は、それぞれキールストラ子爵領とオッケル男爵領の方角へ、散り散りに逃げ去った。一方で、戦線から離脱したマウエン軍は、一部がそのまま離散しながらも多くは再び集結し、ヴィルヘルムに下った。
こちらに寝返ったマウエン男爵を、ヴィルヘルムは本陣に歓迎した。そのまま客将、もとい人質とした上で、彼の率いるマウエン軍およそ四百を合流させた。
それと同時に、オッケル女爵が自ら降伏を申し出てきた。オッケル男爵領は、キールストラ子爵領から派生した小貴族領群の中で最も貧しい。総勢で二千ほどまで膨れ上がったヴィルヘルムの軍勢に敵うはずもない。それもあって、女爵はもはや抵抗は無意味だと考えたようだった。
オッケル軍は徴集兵のほとんどが逃げ帰ってしまったため、オッケル女爵と直衛の騎士たちのみを軍勢に迎えたヴィルヘルムは、いよいよキールストラ子爵領に侵入した。子爵領の領都ルールモントに迫り、対峙するように野営地を置いた。
「……キールストラ卿は、なおも降伏を拒否したそうです」
ヴィルヘルムたちが到着した翌日。ルールモントの城門を睨むように置かれた野営地。司令部天幕に主要な顔ぶれが集った中で、エルヴィンが言った。
「この状況でまだ足掻くのか……もはや勝ち目なんてないだろうに」
「一体何を考えているのだろうな、あの人は」
呆れ顔でヴィルヘルムが呟くと、隣ではラウレンスもため息交じりに言う。
フルーネフェルト伯爵家による侵攻を会戦で撃破することができず、領都にまで追い詰められた時点で、キールストラ子爵家は詰んでいる。このまま籠城しても破滅は見えている。
ルールモントは白龍山脈の山間、キールストラ子爵家の最も重要な財産である岩塩鉱山に寄り添うように築かれた鉱山都市。人口はおよそ三千で、そのうち成人男子は領軍を含めて千人ほど。会戦に動員され、壊走して未だ帰還できていない者が多くいることを考えると、戦える頭数は根こそぎ集めてもせいぜい七百程度。実際のところは、五、六百程度が限界。
それだけの兵力では、徴集兵が中心の侵攻軍を相手に城壁を守ることはできたとしても、再び会戦に臨むことは叶わない。
そもそも、事は単に兵力が足りないだけの話ではない。動員した領民のほとんどを戦場に捨て置き、騎士たちを連れて自分だけ真っ先に逃げ帰ったキールストラ子爵のために、ルールモントの住民たちが命懸けで戦うことはない。
となれば、こちらはルールモントから数キロメートルほど離れた村にでも駐留拠点を置き、数百程度の軍勢を張りつければ、完全な都市封鎖が叶う。冬の間も駐留できる村があり、報酬が気前よく支払われるのであれば、徴集兵からも文句は出ない。むしろ農閑期の割のいい副業と見なされ、応募者が殺到する。他の四家にも協力を求めれば、数百程度を集めるのは容易。
鉱山運営に特化した都市であるルールモントは、食料をはじめとした多くの必需品の自給ができない。人や物資の出入りを封じれば、持つのはせいぜい数か月。冬支度も半ばであろうこの時期から都市を丸ごと封鎖されたとなれば、下手をすれば冬明けまでも持たない。
ヴィルヘルム自身はユトレヒトに引き上げ、ルールモントが陥落したという報を待ちながら、冬明け以降のさらなる躍進の準備を進めればいい。長くとも半年もかからずに決着はつく。キールストラ子爵がどれほど籠城を続けたくとも、ルールモントの住民たちが、民を捨て置いて逃げ帰った敗北者である領主の命令を受け入れない。
なのでヴィルヘルムは、キールストラ子爵に降伏を呼びかけた。
もしルールモントが陥落するまで抗うのならば、都市と鉱山はもちろん、その他の領地も私財も全てを接収した上で、キールストラ家の全員とその親族を追放する。しかし、今のうちに降伏してくれれば、ルールモントと岩塩鉱山はもらい受けるが、その他の領地や財産は安堵する。一族の身柄も保障し、キールストラ子爵家の存続を許す。
このまま籠城を続けても子爵家の敗北は変わらず、ルールモントの住民たちが苦しみ、キールストラ子爵家が領民たちの信頼を失うだけ。だから素直に降伏してほしい。
会戦で勝利した直後から、そのような勧告を二度行ったにもかかわらず、キールストラ子爵は頑なに拒否している。
「ルールモント鉱山はキールストラ子爵家の富の源泉です。キールストラ卿としては、手放すことを受け入れられないのでしょう」
「彼は十年ほど前から、老いもあってか以前よりも頑なな性格になられました。それも影響しているのかもしれません」
ヴィルヘルムたちとは逆に、どこか納得した様子で語ったのは、マウエン男爵とオッケル女爵だった。領地が隣り合っていることもあり、彼らはヴィルヘルムたち他の三家の当主と比べれば、キールストラ子爵との付き合いが深かったという。
「……仕方ない。できれば穏やかなかたちで傘下に下ってもらいたかったけれど、次の手に移る準備をしよう。もう一度だけ降伏勧告を送って、それでも子爵が降伏を拒否するようであれば、ルールモントの住民たちを寝返らせる方向で攻める」
鏃を外した非殺傷用の矢に勧告文を巻きつけ、ルールモントの都市内に大量に打ち込む。今までと何ら変わらない生活を保障し、減税を約束し、キールストラ子爵を見限るよう促す。子爵が多くの徴集兵を戦場に捨て置いた上に、今度はルールモントの住民たちに飢えをもたらそうとしていることも書き添える。
そうすれば、食料が尽きるよりも早く、ルールモントは陥落するだろう。
ヴィルヘルムはそう考えていたが、事態は良い意味で予想外の方向へ動いた。最後の降伏勧告に対し、キールストラ子爵その人ではなく、子爵家の名で応じる旨の返答がなされた。
ルールモントの城門は開かれ、子爵領軍の残存兵力は投降。都市住民たちを寝返らせるまでもなく、キールストラ子爵家の膝元はヴィルヘルムの手に落ちた。
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