第54話 西進⑤
エルヴィン、ヴァーツラフ、ティエリー、四家の当主たち、そして護衛の一団を連れてルールモントに入ったヴィルヘルムは、投降した子爵領軍の隊長の案内を受け、キールストラ子爵家の屋敷に向かった。
屋敷でヴィルヘルムたちを出迎えたのは、キールストラ子爵夫人と、子爵家の子女たちだった。子爵当人の姿はなかった。
「子爵夫人、降伏を受け入れてもらえたこと、嬉しく思います。おかげでこちらの将兵も、貴家の領民たちも、無意味に苦しまずに済みました」
「こちらとしても同感ですわ、フルーネフェルト伯爵閣下」
キールストラ子爵は結婚が遅かったことで知られている。齢六十近い子爵よりも二回りは若い夫人は、丁寧に一礼して答える。
「まずは、降伏が遅くなったことへのお詫びを申し上げます。私たちも、そして臣下たちももはや現実を受け入れているのですが、夫だけは頑なに敗北を認めたがらず……夫の感情に配慮して我が子たちを路頭に迷わせるわけにも、民を徒に苦しませるわけにもいかないので、私の独断で臣下たちに指示し、キールストラ子爵家として降伏勧告に従いました」
「賢明な判断です。それで、キールストラ卿本人はどちらに?」
ヴィルヘルムが訪ねると、夫人は傍らの子供たちと、そして子爵家の重臣らしき者たちと、そして領軍隊長と視線を交わす。目を伏せ、ため息を零す。
「夫は短剣と毒を抱えて、広間で座り込んでいます。自分自身を人質にして、なおも悪あがきを続けようと……」
「……では、私から直接話をさせてもらいましょう」
微苦笑交じりに言い、ヴィルヘルムは夫人の案内を受けて広間に向かう。
本来は社交や儀式に使われる屋敷の広間は、今はキールストラ子爵メルヒオールによって占拠されていた。実際には占拠というほど上等なものではない。右手に握った短剣を己の首に当て、左手には毒の小瓶を持ったメルヒオールが、説得を試みる臣下たちに対して何やら喚いていた。
「おお、とうとう敵共をこの屋敷にまで入れおった! まったく、どいつもこいつも裏切り者ばかりだ! 一体この家はどうなってしまったのだ!」
広間に入ったヴィルヘルムたちを見て、メルヒオールは叫ぶ。顔どころか、禿げあがった頭まで赤くなりながら怒鳴り散らす。
「キールストラ卿。こちらの降伏勧告の内容は知っていることと思います。どうか貴方も降伏に応じては――」
「黙れ! 領都もろとも岩塩鉱山も譲り渡すなどという降伏条件、誰が受け入れるものか!」
ヴィルヘルムの言葉は、メルヒオールの一喝によって遮られる。なかなか迫力のある声だった。
「キールストラ子爵家は、ルールモントの岩塩鉱山を二百年以上も守り抜いてきた! 領地が割れてもこの鉱山だけは守り抜いた! 先祖が守ってきた何より重要な財産を、キールストラ子爵家の富と権力の象徴を、明け渡せと言われて明け渡せるものか!」
「……貴方のお気持ちは分かります。先祖代々守り抜いてきた財産を守るのは貴族の使命。私も同じ使命を負っている身です故」
表情を引き締め、ヴィルヘルムは語りかける。
「そして、敗者が勝者に従うのもまた貴族の使命です。貴方はフルーネフェルト家に敵意を示し、戦った末に大敗しました。領都まで追い詰められ、破滅を待つばかりの状況に陥り、貴方以外の者は敗北を認めました。私たち勝者はこの通り、既にこの屋敷までをも制圧しています……私は勝者の権利として、ルールモントと岩塩鉱山をもらい受けるのです」
ヴィルヘルムはある程度予想していたが、他の三家の当主たちの話では、フルーネフェルト家への抗議を呼びかけたのはやはりメルヒオールであったという。自ら主導して喧嘩を売り、敗北した以上は、相応の代償を払ってもらわなければならない。だからこそ、ヴィルヘルムはルールモントと岩塩鉱山の接収を止めるつもりはない。
「私はかつての宗主家たるキールストラ子爵家への敬意として、全てを奪わずに決着をつけることを提案しています。純粋な善意として、穏やかに降伏を受け入れるよう貴方に求めています……キールストラ卿。どうか武器を捨ててください。そうすれば、せめて穏やかな余生は保障します」
メルヒオールはヴィルヘルムを睨みつけたまま無言を貫く。
広間にしばらく沈黙が漂い、ヴィルヘルムが再び口を開こうとしたところ、先にメルヒオールの方が話し出す。
「分かっておる。ここで喚いたところでどうにもならないことなど。だが、それでもこのルールモントと岩塩鉱山を失うことは、儂には到底受け入れ難い。だからこそ……失うべからざるものを失ってなお、のうのうと生き長らえることはできぬ」
そう言って、メルヒオールは毒の小瓶の栓を、口でくわえて引き抜いた。
広間に集っていた者たちが、一様に驚く。息を呑む音がいくつも響き、幾人もが声を零す。ヴィルヘルムも、目を見開いて驚きを示す。室内に緊張が満ちる。
「あ、あなた。何もそこまでしなくても……」
「そうです父上。自棄になっても……」
「言うな! 自棄になったわけではない! 儂はキールストラ子爵家の当主として、覚悟を示すためにやっておるのだ!」
止めようと進み出た夫人と嫡男が、メルヒオールから短剣の先を向けられて足を止める。そうして伴侶と息子さえ拒絶し、メルヒオールはヴィルヘルムを見据える。
「フルーネフェルト男爵! いや、伯爵と呼んでやろう! 儂は自ら卿に勝負を挑み、そして敗北した! 卿が寄越せというのであれば、敗者として何でも明け渡そう……だが、それは儂が死んだ後の話だ! 儂は人生最後の一瞬まで、このルールモントと岩塩鉱山の主、真のキールストラ子爵であり続ける! ルールモントと岩塩鉱山を領有したまま死ぬのだ! 儂の覚悟、そこで見ているがよい!」
そう言って、メルヒオールは小瓶に口をつける。
ヴィルヘルムは無言で、メルヒオールに視線をぶつける。こちらを睨みながら小瓶に入った毒を一気にあおる彼の、鬼気迫る様を見守る。
「……ぶはぁっ! どうだ、フルーネフェルト男爵! 儂はやったぞ! やってみせたぞ! この覚悟を見たかぁ! 真のキールストラ子爵の覚悟をぉ!」
勝ち誇るメルヒオールに向けて、ヴィルヘルムは微笑を零し、貴族式の礼を示す。
「しかと目撃し、記憶に刻みました。誇り高き真のキールストラ子爵として、自らの手で人生を完結させるその覚悟、誠にお見事です。私が同じ立場にいたとしても、貴方ほど壮絶な最期は遂げられなかったでしょう」
「はははははっ! そうだろう! この儂の死に様と共に――」
そこまで言って、メルヒオールは糸が切れたように倒れ伏し、そのまま動かなくなった。
「……貴方より受け継ぐこの都市と岩塩鉱山、必ず大切に治めると誓いましょう。メルヒオール・キールストラ子爵」
彼の亡骸に向けて言った後、ヴィルヘルムは顔を上げる。彼の遺体を丁重に運ぶよう子爵家の臣下たちに頼み、そしてルールモントと岩塩鉱山の制圧を開始する。
・・・・・・
翌日。ルールモントと岩塩鉱山の制圧と並行して、メルヒオールの葬儀がしめやかに執り行われた後。ヴィルヘルムは子爵夫人と、まだ未成年の嫡男と対話の席についた。メルヒオールにはもう一人、幼い長女がいるが、この話し合いには同席していない。
「あの人も昔は、あれほど頑なな性格ではなかったのです。それが齢五十を過ぎた頃から、段々と頑固になっていきました。まさか本当に自害してしまうなんて……」
ため息交じりに語る夫人の隣では、嫡男も嘆息する。二人とも、メルヒオールを失った悲しみもあるが、それと同じほどの疲れも覚えているようだった。
メルヒオールが十年ほど前から頑なになっていったというオッケル女爵の話は、どうやら本当だったらしいとヴィルヘルムは考える。
「キールストラ卿は自ら散り様を選び、誇りを守り、満足げな様子で旅立ちました。そのことをせめて幸いと思います……彼を追い詰めた私が言えた義理ではないのかもしれませんが」
ヴィルヘルムの言葉に、夫人は首を横に振る。
「いえ、閣下が勝利された以上、キールストラ子爵家の財産を手に入れるのは勝者として当然の権利と存じます。閣下は私たちを助命してくださったにもかかわらず、夫は意地を張って命を絶ちました。あの人の死は、あの人の勝手の結果です……閣下の仰る通り、本人が満足できる最期を遂げたのなら、よかったのだと思うことにします」
夫人の言葉に、嫡男も同意するように頷く。
「夫人と次期キールストラ卿は、ルールモントと岩塩鉱山に対しての未練は?」
「ございません。惜しい財産ではありますが、敗北した以上は諦めがつくものです。私たちとしては、キールストラ子爵家そのものを存続させることが最も重要と存じます。家名を失って血統が絶えては、その方が先祖に申し訳が立ちません。夫も元は同じ考えだったはずなのですが……なので命のみならず、家名と財産、残りの領地まで安堵してくださった閣下のお慈悲にはただ感謝しております」
「それなら、おそらく話も早いでしょう。私は貴族としての躍進を、ゆくゆくは建国を目指していますが、圧政者になるつもりはありません。約束は守りますし、傘下に入った貴族の権利は正しく庇護し、保障します」
そう言って、ヴィルヘルムはキールストラ子爵家の降伏に際しての詳細を詰める。
爵位については嫡男に継承させ、彼が成人するまでは夫人が後見人として補佐することを承認。ルールモントと岩塩鉱山のみフルーネフェルト伯爵家に割譲させ、それ以外の領地は安堵する。とはいえ、残っているのは農村ばかりで、かろうじて小都市と呼べるものがひとつある程度。キールストラ子爵家は今後、かつて枝分かれした各貴族家と変わらない田舎の小貴族になる。
子爵家の臣下たちについては、リシュリュー伯爵家のときと同じ要領で差配する。文官の筆頭と領軍隊長が子爵家に近しい親類であるため、主家と共にルールモントを去らせる。それ以外の臣下や、鉱山を管理する技術者集団はそのまま抱え込む。
リシュリュー伯爵家と戦ったときとは違い、今回は直接の戦闘がほとんど発生していない。ヴィルヘルムは子爵家の一族郎党の誰も殺していない。キールストラ子爵家は自ら降伏して領都を明け渡し、唯一の犠牲者であるメルヒオールはあくまで己の意思で命を絶った。
待遇を向上させれば、臣下や技術者集団は素直に従う。ルールモントと岩塩鉱山の掌握は、雪が降り始めるまでには完了するだろう。ただし、都市と鉱山の運営を見張る代官は誰かしらを手配しなければ。
思案をめぐらせながら、ヴィルヘルムは話し合いを終えた。
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