第16話 悲劇②
エーリクたちの遺体を持ち帰ったのは、ノエレ村の住民のうち、敵集団に生かされた数人の男たちだった。
「え、エーリク様たちはノエレ村に突入してきて、その勢いもあって最初は優勢でした。敵を何人も蹴散らして、馬で踏み殺して、剣で斬り捨てて……だけど、エーリク様が、短い矢を放つ武器で撃たれて落馬してしまったんです。他の騎士様たちはエーリク様を助けようとしたんですが、一気に敵に囲まれてしまって、そのまま数で押されて……村の出入り口を塞がれた俺たちも結局逃げられませんでした」
ステファンは、少なくとも表面上は平静を保ちながら、生きて帰された領民の話を聞く。その横でヴィルヘルムは、アノーラに寄り添われながら、荷馬車の荷台に横たわる兄を見下ろす。
あまりにも現実味がなく、この冷たい死体が兄なのだという実感が湧かず、まだ涙も出ない。
荷台に並べられた次期領主と騎士たちの遺体、そして、別の荷馬車の荷台に積まれた村民たちの遺体を前に、領都民やスレナ村の避難民たちは騒然としている。
「あいつら、人間じゃありません。まるで悪魔でした。村の皆、男も女も、年寄りも若い奴らも、滅茶苦茶に痛めつけられて、最後はあんな殺され方で……俺の妻と両親も……」
領民の男はそれ以上まともに語れず泣き崩れる。他の生き残りたちも泣き叫び、なかには人間とは思えない絶叫を上げながら取り乱す者もいる。
彼ら数人の領民は、遺体を領都ユトレヒトに運ばせ、どれほど残酷な悲劇が起きたのかを領都の者たちに知らしめるために敵集団が生かしたのだと分かった。
「こんな……どうしてこんな、酷すぎる……」
荷馬車からノエレ村の村民たちの遺体が降ろされていく様を眺めながら、アノーラが呟く。ヴィルヘルムは顔を上げ、自分も妻と同じ方へ視線を向ける。
村民たちの遺体は、正視に耐えない有様だった。まともに服を着ている者の方が少なく、どれも損壊が酷い。その死に顔は苦痛に歪んだものも多く、断末魔の叫びを上げたままの表情で目を見開いて死んでいる者もいる。
スレナ村の避難民たちが、昨晩の野宿で使った毛布を遺体にかけていく。命も尊厳も奪われた彼らへの、今できる精一杯の気遣いとして。
「姉さん! 姉さん!」
そのとき。広場へ駆け込んできたのはハルカだった。彼女は並べられた遺体の間を歩きながら、その顔を確認して回っていた。
彼女の姉はノエレ村の村長家に嫁いでいると、以前に聞いたことをヴィルヘルムは思い出した。
「…………ああ、そんな、嘘! 姉さん! 嫌、嫌あああっ!」
ひとつの遺体の前で、ハルカは泣き叫びながら座り込む。彼女以外にも、ノエレ村に身内や知人がいたのであろう者たちが、遺体の前で泣き崩れる様がいくつも見られた。
重く悲愴に満ちた空気が、中央広場の全体を満たしていた。
「父上……」
ヴィルヘルムはステファンの方を向いた。父を呼ぶ声は、自然と弱々しくなる。
「……まずは、死者たちの冥福を祈らなければ。司祭殿、頼む」
答えるステファンも、表情はともかく声色は平常ではなかった。
このフルーネフェルト男爵領におけるユーフォリア教の責任者である若い司祭が、ステファンに頷き、まずはエーリクたちの遺体に祈りを捧げていく。
「後は……何をすべきだろうな。葬儀の準備か。あるいは戦いの準備か。そもそも敵は一体誰なのか……」
昨日から立て続けに非常事態が起こり、ついには継嗣を失ったことでさすがに限界が近いのか、ステファンはそう言って疲れきった嘆息を零す。
「……閣下。畏れながら、至急報告すべきことが」
そこへ、硬い声がかけられる。
ステファンがそちらを向くと、立っていたのは騎士エルヴィンだった。
エーリクがノエレ村へと駆けていったとき、エーリクの親友であり将来の側近であるエルヴィンは、領都の東門の警備指揮を担っていた。結果として、彼は将来の主に付き従うことも、親友の軽挙を止めることもできなかった。
エーリク戦死の報は既に聞いていたのか、エルヴィンは横たわる親友の遺体を見ても驚きはしなかった。ただ悲痛に顔を歪め、そのまま顔を伏せて深く息を吐き、再び顔を上げたときには無表情を帯びていた。無理に感情を抑えているのは明らかだった。
「御用商人のカルメン殿が戻られました。重要な報告を持ち帰ったそうです」
そう言って、エルヴィンは後ろに立っている人物を手で示す。
そこに立っているのは確かにカルメンだった。しかし、常に身綺麗にしている印象の彼女は、今は顔も服も土と泥にまみれ、明らかに憔悴していて、普段の様子とはまるで違っていた。
ステファンは驚いた様子で、御用商人に歩み寄る。
「カルメン、一体何があった」
「……リシュリュー伯爵領から逃げ帰ってきました。リシュリュー伯爵は、フルーネフェルト男爵領に攻め込むつもりです」
その言葉に、ステファンの顔が険しくなる。ヴィルヘルムは呆然としたままで、隣に立つアノーラが息を呑むのが聞こえた。
「私と部下たちは、商談と情報収集のためにルーデンベルク侯爵領へ赴いた後、アプラウエ子爵領とサレンフォード子爵領を回るために一度リシュリュー伯爵領へ戻りました。領都ランツに立ち寄ったところ伯爵領軍の動きがやけに慌ただしく、住民に事情を尋ねると、フルーネフェルト男爵領に攻め入るために兵の徴集が始まったらしいとの話で……それを聞いて、宿を引き上げて急ぎランツを出たのですが、フルーネフェルト男爵領との領境は伯爵領軍の騎士に封鎖されていました。幸い顔見知りではなかったので、誰何された私たちは他領の商人を騙り、引き返すようにとの指示に従い、なんとかその場は切り抜けることができました。騎士たちから見えなくなるまで戻った後、荷馬車を捨てて街道を外れ、森に身を隠しながら領境を越えました」
「……そうか。よくぞ生きて帰ってきてくれた」
疲れきった声で語るカルメンに、ステファンは労いの言葉をかける。
「……森を抜けた後、スレナ村に立ち寄ろうとしたんですが、何やら武装した連中がいたので迂回しました。もしかして、既に襲撃が……」
カルメンは中央広場の様子を見回し、ステファンとヴィルヘルムの後ろ、荷馬車の荷台に並ぶ遺体に視線を向ける。そして、目を大きく見開く。
「まさか、若様? そんな……あぁ、何ということ」
エーリクの死についてまだ聞いていなかったらしい彼女は、次期領主の遺体を前に呟き、そして倒れる。エルヴィンが慌てて彼女を支え、ゆっくりと地面に座らせる。
「……気を失われたようです」
「森を抜けて急ぎ帰ってきたのだ、無理もない。運んでやれ」
ステファンに頷き、エルヴィンはカルメンを抱え上げて運んでいく。
「我々も屋敷に戻ろう。今後のことを話し合わなければ……その前に、少し休む」
そう言って、ステファンは何度目かの深いため息を吐いた。
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