第15話 悲劇①
ノエレ村の一件と、エーリクが四人の騎士を率いて独断で救援に向かったことを聞いて、ステファンが決断したのは兵の徴集の続行だった。
実務を担ったのは従士長ノルベルト。しかし、元よりさして多くない騎士が四人も不在となった状況では、有能なノルベルトと言えど徴集を急ぐにも限界があった。東のスレナ村への偵察、領都の東西二つの門の警備と並行し、兵を集め部隊を編成するのは容易ではなかった。
加えて、領都民や避難民の落ち込み様が酷いことも災いした。当初は徴集に積極的に応じる姿勢を見せていた彼らも、今ではすっかり士気を落としていた。ただ追われたり掠奪されたりするだけならばともかく、残虐に殺される可能性もあると知った以上、今まで平和しか知らずに生きてきた民が尻込みするのも仕方のないことだった。
戦いたくない、と渋る者たちを無理に集めようにも、徴集作業にあたる数人の騎士だけで強制力を発揮するのは難しい。領民たちを宥め、どちらにせよ敵が近づいてくれば戦うしかないのだと説得し、領都の外に出して戦わせることはしないと約束し、夕方近くに何とか二百人が揃った。
あまりにも忙しいノルベルトに代わり、ヴィルヘルムが徴集完了の報告を届けると、ステファンは重苦しい空気を放ちながら「そうか」と頷いただけだった。
「……兄上と村民の救出に兵を出しましょう、父上」
父との間に流れる沈黙を破り、ヴィルヘルムは言った。
「それはできない。領都から出して戦わせることはしないと約束して徴集兵を集めたのだ」
「徴集兵たちに強制はせず、志願者を募って救出隊を編成することならできます。僕から民に呼びかけて、何なら僕が彼らを率いてでも――」
「ヴィリー」
名を呼ばれ、ヴィルヘルムは言葉を止める。
「お前は賢い。そのようなことをしてはならないと、頭では理解しているはずだ」
父の言葉に反論することはできなかった。ヴィルヘルム自身も、これが提言とも呼べない、個人的な願望からの発言だと分かっていた。
「兄の身を案じる気持ちは分かる。私とて、できることならば今すぐに自ら救出に向かいたいくらいだ。だが……あえて厳しい言い方をする。エーリクと同じ愚を犯すことはできない。焦ってろくに準備もせず動けばどうなるか、お前に想像できないはずがない。この地の領主として、息子がこれ以上安易な行動をとることは許容できない」
やはり返答は出来ず、ヴィルヘルムは代わりに小さく息を呑む。
圧倒的に、父の言葉が正しい。今下手に動けば、徒に兵力を消耗し、騎士や民の犠牲を増やしかねない。東にも西にも敵がいて、その総数が分からず、これからさらに敵が来るであろう現状で、無駄にできる兵力などない。
エーリクの行動は領民を守る使命感によるもので、彼に付き従った若い騎士たちも軍人としての責務に駆られて動いたのだろう。だとしても、それは客観的に見て愚行だった。領主家の人間として熟慮して判断を下すべき立場にあるエーリクは、貴重な騎士を割き、衝動的に出撃するべきではなかった。
さらに言えば、決してエーリク自身が出るべきではなかった。
ヴィルヘルムも知識としては領地運営の概要を学んだが、やはり次期領主と見なされているのはエーリクだった。二人が受けた教育には明確な差があった。近年のエーリクは父ステファンの補佐を務め、領主としての実務から思考方法まで、実践的な教えを叩き込まれてきた。
ヴィルヘルムは言わば兄の「予備」だが、だからといって自分まで次期領主としての教育を受ければ、継嗣の立場が揺らぎかねないエーリクとの関係に角が立ち、今のように仲の良い兄弟ではいられなかっただろう。
だからこそステファンは長子と次子の扱いに差をつけた。今後も平和が見込まれ、長子が不意の戦いなどで死ぬ可能性が極めて低かった今までは、それが領主貴族家の当主として最善と言える選択だった。
このフルーネフェルト男爵領において、次期領主として修業を積んだエーリクは決して代えの利かない存在。究極的には、エーリクの命はヴィルヘルムの命よりも重い。そしてノエレ村の全村民の命よりも重い。だからこそ行くべきではなかった。もし彼が命を落としていたら――
兄が死んでいたら、自分が次期領主になる。
その可能性を、ヴィルヘルムは今、明確に自覚した。この数時間はそこまで考える暇もなく、今初めて、生々しい実感をもってその可能性に思い至った。
自分が新たに継嗣となり、父の跡を継ぐ。フルーネフェルト家の過去と未来、全領民の命と人生に責任を負う。
そんな、今さらそんなこと。
想像するだけで恐ろしい重責だった。自分がこれまで思い描いていた、楽しく気楽な人生とは全く違っていた。そのような重責を、兄から受け継ぎたいとはとても思えなかった。
あまりにも自己中心的な動機で、兄の生還を望む気持ちがより一層強くなる。兄が生きて帰ってほしいと、今あらためて心の底から願う。
しかし、エーリクが発って既に数時間。彼も、彼が率いた騎士たちも、そして彼が助けると語っていたノエレ村の住民たちも、誰一人として領都にたどり着いてはいない。
唯一絶対の神よ。預言者ユーフォリアよ。今は神の御許にいる母よ。どうか兄を救ってほしい。
ヴィルヘルムにできることは、もはや祈ることだけだった。
そして、都合よく祈ったところで救われるほど、世界は甘くない。
「閣下! フルーネフェルト閣下!」
領主執務室の扉が激しく叩かれ、ナイジェルの声が聞こえた。
ステファンが入室を許すと、飛び込んできたナイジェルは顔面蒼白で、ひどく動揺していた。いや、動揺を通り越してもはや狼狽していた。いつもの彼らしい陽気さは微塵もなかった。
「ほ、報告します……若様と騎士四人の遺体が、ノエレ村を襲った敵集団より送られてきました。ノエレ村の村民たちの遺体も」
声を震わせながらナイジェルが語ると、ステファンは目を見開き、そして深いため息を零した。
ヴィルヘルムは呆然として、膝から崩れ落ちた。
★★★★★★★
感想は全て大切に読ませていただいています。ありがとうございます。
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