第14話 襲撃②

 翌日の午前。ヴィルヘルムはアノーラと共に、中央広場にいた。

 広場の隅に立つ二人の前には、ここで一夜を明かした避難民たちと、領都の門が閉ざされて農作業に行けないため暇を持て余す領都の民が集っている。そして彼らの前、広場の一角では、フルーネフェルト劇場の役者たちが青空の下で軽い喜劇を上演している。


「おいおいジョン! お前とんでもなく臭いぞ!」

「臭いだって? そりゃあ当然だ。何せ、ついさっき肥溜めに片足を突っ込んじまったからな!」

「それなのに足も洗わずに、食事時に我が家を訪ねてきたのか!? 勘弁してくれよ!」


 大仰な身振りと声で演技をする主演のジェラルドを見て、領民たちは笑い声を響かせる。

 ヴィルヘルムが手がけた物語ではなく、庶民の間で知られる古典的な喜劇。誰もが何度も見聞きしたことのあるであろう内容は、学びはないが気楽に笑えるもので、このようなときに民の気を紛らわせるにはぴったりだった。


「……昨日の今日にしては、避難民たちも随分と落ち着いたわね。よかったわ」

「死者や重傷者が出なかったことが大きいね。不幸中の幸いだったよ」


 安堵のため息を零すアノーラに、ヴィルヘルムも答えて嘆息する。吐く息には疲労が混じる。

 数少ない騎士たちは門の警備と兵の徴集にかかりきりなので、避難民たちの世話はヴィルヘルムたち二人と、ハルカをはじめ手の空いている文官、そして領都民の志願者たちが行っている。

 それだけの人手があっても、決して楽な仕事ではなかった。昨晩は避難民たちの間に混乱が広まっており、軽傷とはいえ負傷者や、急な逃避行で体調を崩した者などもいた。動揺する避難民たちをなだめながら、傷病人だけでも屋根のある場所に移し、その上で全員の面倒を見る忙しさは、なかなか壮絶なものだった。

 ヴィルヘルムとアノーラなどは、専ら笑顔を振りまいて避難民たちを安心させる役割でしか役に立てず、実務の指揮はハルカが担った。さすがは三十代半ばで文官の筆頭に任じられているだけあって、突如として百五十人もの民を世話することになっても、彼女の立ち回りは有能だった。

 昨晩は動揺の酷かった避難民たちも、一晩休んだことである程度落ち着いたようだった。ヴィルヘルムの発案でジェラルドたちが喜劇の上演を始めたことも功を奏した。特に動揺の酷かった子供たちも、演劇を観て笑うことでひとまず平静を取り戻している。


「問題はこれからのことだね。領都の守りを固めればラクリマ傭兵団を退けることはできるとしても、傭兵団の雇い主もその狙いも分からないのは気味が悪いし、カルメンが戻るのはもう少し先になるだろうし、他の村の様子も気になるし……」


 頭をかきながら、ヴィルヘルムはそう零す。

 父ステファンは昨晩からスレナ村襲撃の背景を考えているが、情報不足もあり、これといって有力な考察はできていない。ナイジェルの話では、少なくとも彼が帰還した一週間前の時点では、周辺の貴族領に目立つ異変はなかったという。

 単にどこかの貴族家が強引な食料集めを企み、傭兵を使って適当な村からの掠奪を実行し、襲いやすい目標として小貴族領の領境近くにあるスレナ村が狙われたのかもしれない。しかし、何かもっと質の悪い目論見による襲撃という可能性もある。情報不足の今は、想像を巡らせることしかできないのが何とも歯がゆい。

 領外の情勢を知る上では御用商人カルメンも頼りになる存在だが、生憎彼女は今、情報収集を兼ねた商談のために不在。フルーネフェルト男爵領に戻るのは早くとも数日後とのことで、最新の情報が入るのもそれ以降になる。彼女がスレナ村の異変に気づかないまま村に立ち寄らないよう、念のため伝える必要もあり、ステファンはナイジェルに休暇を返上させ、連絡役として発つ準備をさせている。


 そして今のところ、領都以外の防衛まで手が回っていない。ステファンは村々に状況を伝えるために伝令を送ることを考えているが、とにかく人手が足りない。昨日の今日で必要な対応の全てを実行できるほどの力は、フルーネフェルト男爵家のような小貴族家にはない。

 領都ユトレヒトはフルーネフェルト男爵領の東寄りに位置し、スレナ村以外の村は全てユトレヒト以西にあるため、それらの村々がユトレヒトを置いて襲撃される可能性は低いのが幸いと言えば幸いだった。


「敵は所詮は傭兵だし、きっとただの掠奪目的よ。取れるものを取ったら去っていくわ。お義父様もお義兄様も尽力されているし、私たちもできることをしているのだから、何とかなると信じましょう。あまり長引くようなら、ルーデンベルク侯爵家に助けを求めればいいんだし」

「……そうだね、疲れているときにあまり考えすぎるのもよくないか。人死には出ていないし、とにかく僕たちは目の前の対処に努めよう。父上に落ち着いて先のことを考えてもらうためにも」


 アノーラに答えながら、ヴィルヘルムは広場の別の一角、演劇の舞台からは離れた場所へ視線を向ける。

 そこには数人の騎士を連れたエーリクが少し前に到着しており、今は領都防衛のための兵力徴集を行っている。次期領主として信頼の厚いエーリクの呼びかけに応じて、領都民や避難民の成人男子が続々と集まり始めている。

 家があり家族のいる領都を守るため、あるいは村を奪われた無念を晴らすため、徴集に前向きな姿勢を見せる者が多いようだった。強制的に徴集する必要もないようで、この様子であれば今日中に必要数が集まるだろうとヴィルヘルムは考える。


「今のうちに、僕たちは屋敷に帰って少し休もうか」

「そうね。早めに昼食をとって、できれば少し眠って昨日の寝不足を――」

「誰か! 誰か来てください!」


 ヴィルヘルムとアノーラの会話は、広場に響いた悲鳴によって途切れた。

 ジェラルドたちの演劇も中断され、それを見ていた領民たちの笑い声も止まる。

 皆が悲鳴の聞こえた方を振り返る。領都の西通りから広場に入ってきたのは、数人の大人に連れられた数十人もの子供たちだった。叫んだのは先頭に立つ女性らしかった。

 ヴィルヘルムとアノーラは急いで子供たちのもとに駆け寄る。エーリクも、徴集を中断して走ってくる。


「どうしたの? 一体何が……」

「ヴィルヘルム様! この子たち、西のノエレ村から逃げてきたそうで、ノエレ村が大変なことになっているんです!」


 子供たちを領都の西門からここまで案内したらしいその女性は、ひどく動揺しながら言った。

 また傭兵による襲撃と掠奪が起こったのか、と考えたヴィルヘルムだったが、逃げてきたのが子供だけであることから、どうやら昨日とは状況が違うらしいとすぐに察する。


「……何があったか話せるかい?」

「ぶ、武器を持った人たちが大勢、村に入ってきたんです。それで、村の大人たちを、殺したり傷つけたりし始めて……」


 子供たちの中でも年長の、十代半ばほどに見える少年が語る。懸命に気丈な態度を保っているようだが、顔色は悪く、頬には涙を流した跡もあった。

 少年の話を聞いたヴィルヘルムは血の気が引くのを感じながら、アノーラと顔を見合わせる。彼女も青ざめていた。

 単に村民を追い払って物資を掠奪するのではなく、殺害や暴行に及ぶ。それは昨日の事件と比べても一線を越えた、あまりに酷い蛮行だった。

 スレナ村を占領したラクリマ傭兵団は、そのまま村内に居座っていると、斥候に出た騎士から報告がなされている。行いがより残虐であることから考えても、ノエレ村を襲っているのはまた別の一団か。


「成人前の僕たちだけは、大人たちに庇われてなんとか逃げることができました。でも、このままだと大人たちは……」


 少年は言葉を途切れさせたが、その先はヴィルヘルムもアノーラも、この場で話を聞いている誰もが容易に想像できた。

 このままでは、ノエレ村に残されている村民たちの多くが、下手をすれば全員が殺される。それも、おそらくは凄惨な暴行を受けて死ぬことになる。

 ヴィルヘルムの脳裏に浮かんだのは、夏の朝市でトマトをくれた領民の顔だった。トマトの味を褒められた彼は、笑顔を見せてくれた。

 彼はノエレ村の民だった。彼のように善良な民が、ノエレ村には大勢いる。


「ノエレ村の民を助けに行く! ヴィリー、お前は父上に状況を伝えてくれ!」


 その声で我に返ったヴィルヘルムは、叫んだエーリクの方を向く。次期領主である兄は愛馬に乗り、今にも発とうとしていた。エーリクと共に兵の徴集に臨んでいた騎士たち――エーリクを慕ってよく行動を共にしている四人の若い騎士が、その後に続こうとしていた。


「待ってください兄上! 敵の人数も分からないんです! たった五人で行くのは無茶です!」

「今は一刻を争う! 我が領の民がこの瞬間にも虐殺されているんだぞ!」


 エーリクは追い詰められたような表情で叫んだ。使命感が強く、次期領主として領地と民を守ることに強い熱意を持っているからこそ、明らかに冷静さを欠いていた。


「ノエレ村の民の避難を支援するだけだ! 馬の機動力を活かせばそうそう捕まりはしない!」

「駄目です、兄上!」


 危険すぎる。そう思いながらヴィルヘルムはなおも制止するが、しかしエーリクと騎士たちは走り出す。広場を出て西に駆けて行き、その姿は見えなくなる。

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