第45話 正気に戻ってはいけない
【アクイレギア】
Aquilegia オダマキ属の別名
花言葉は「勝利への決意」「必ず手に入れる」「愚か」
★★★★★★★
「新しい作品を書いたんだ。読んでもらいたい」
マルセル・リシュリュー伯爵の公開処刑が行われた数日後。ランツの屋敷の一室で、ヴィルヘルムはフルーネフェルト劇場の責任者であるジェラルドに言った。
差し出したのは、この一週間ほどで書き上げた物語。思うままに好きなように執筆してきたこれまでとは違い、舞台化する前提で内容を考え、ジェラルドの演出に映えるよう意識しながら完成させた新作。
就寝前の僅かな余暇時間と、朝の身支度の時間を利用し、睡眠時間を削りながら、ヴィルヘルムはこの作品を書き上げた。そうしなければならない理由があるからこそ。
「……拝読します」
ジェラルドはそう言って、紙の束を受け取る。その視線は鋭い。
創作者としてのヴィルヘルムと接するときだけは、彼は容赦のない態度になる。内容で気になる点があれば言葉を選ばず指摘し、臆することなく提言もする。それをヴィルヘルムも許し、むしろ歓迎している。創作物に向き合うとき、そこに主従関係はない。
間もなく、ジェラルドは作品を読み終える。紙の束から視線を上げ――そして笑みを見せる。
「なるほど。ご自身の戦いを、物語にされたのですね」
ジェラルドの言う通り、今回ヴィルヘルムが書いたのは空想の出来事ではなく、先の戦いを物語化した作品だった。
主人公はヴィルヘルム自身。多くの犠牲が出る前半はより悲劇的に。ヴィルヘルムが領主の座を継ぎ、決戦での勝利と、リシュリュー伯爵領の併合を成し遂げる後半はより英雄的に。脚色が加えられ、美化されている。
「フルーネフェルト劇場で、舞台として上演するに足る物語だと思う?」
「もちろんです。相変わらず、ヴィルヘルム様の手がける物語は素晴らしい。架空の物語を形にするだけでなく、歴史を物語として昇華する才覚もお持ちとは。驚かされました」
ジェラルドの称賛に対し、しかしヴィルヘルムは自嘲するように笑う。
「自分が一線を越えたように思えてならないよ。自分を美化して、自分に都合の良い物語を民に見せることで、今後の統治や勢力拡大を容易にしようとしているんだから。自分の利益のために創作をしてしまったんだから……この一度きりじゃない。一度こういうことをしたら、僕はきっとこれから何度も同じ真似をする。悪魔に魂を売り渡そうとしている気分だ」
領主貴族として利用するために、前世で言うところのプロパガンダとして物語を書く。
それは、文化芸術を愛する一個人としての心を捨て去り、野望を抱く為政者に身も心もなり果てる所業なのではないかと、創作者として許されざる所業なのではないかと、ヴィルヘルムは今もまだ自問している。
「ヴィルヘルム様。物語の創作表現に生きる者として、私の個人的な考えを述べさせていただいても?」
「……ああ、構わない」
頷きながら、ヴィルヘルムはジェラルドが一体何を語るつもりなのか、少しの恐れを抱きながら身構える。
「では……畏れながら、ヴィルヘルム様の抱いておられる懸念は、無用なものと存じます。そもそも創作物には、創作者の何らかの意図が込められるものです。そして、それら創作者の意図は、創作物の良し悪しに一切の影響を与えません……物語創作において、作品の価値を決める唯一絶対の基準。それは、その物語が面白いか否かです」
力強い声で、ジェラルドは言い放つ。
「面白い作品だけが、人々に愛されます。そして伝え広められます。そこに込められているのが高尚な教えだろうと、下世話な欲望だろうと、個人的な思惑だろうと関係ありません。面白ければそれでよいのです。それでよいと人々が決めるのです。物語創作の世界は、正しさでも立派さでも強さでもなく、面白さだけが絶対の勝利をもたらす戦場です。面白い物語を作る者だけが、勝者として己の意図を世界に伝え広めることができます……そして、貴方の手がけられたこの作品は、間違いなく面白い。己の利益のためだけに嫌々書かれた作品ではない。ヴィルヘルム様、貴方はこれを楽しんで書かれたはずです」
「……その通りだよ」
ため息交じりに笑みを零し、ヴィルヘルムは答える。
楽しかった。自分を主人公に据えるという究極の自己投影を成しながら、この物語を書き上げるのが。この身をもって体感した数多の非日常を、その記憶も生々しく鮮明なうちに、物語へと昇華するのが。
どうしようもなく楽しかった。かつてなく筆が乗った。眠気を我慢しながら執筆を進めるのではなく、あまりの楽しさに目を爛々と輝かせながら寝る間を惜しんで書いた。
「これは創作者に愛された作品です。これから我々演じ手に、そして観客に愛される作品となるでしょう。そして、貴方の意図は観客に伝わり、社会に広まります。貴方は勝者です」
そう言って、ジェラルドは不敵に笑った。
「……二週間後に上演を開始したい。可能かな?」
「必ず完成してご覧に入れましょう。我らが主のために」
不敵な笑みのまま、ジェラルドは言った。
・・・・・・
そして、十月の下旬。ヴィルヘルムがジルヴィア・ルーデンベルク侯爵と会談した数日後。
フルーネフェルト劇場で、その舞台は初演を迎えていた。
ぎりぎりまで増やした客席は全て埋まり、後方では立ち見の観客もいる。
『――ヴィルヘルムは決意した。全ての民を守るため。平和を手に入れるため。国を作ろうと。庇護下の民の全てが平和に生きることのできる国を築き上げようと』
舞台上ではヴィルヘルムを演じる主演俳優が身振りだけで感情を表現し、舞台の脇からジェラルドが語り部として主人公の心情を伝える。領主本人が主人公であるために、主演俳優はあえて喋らず、一貫してこのような演出が展開される。
ノエレ村の住民たちの死は、より同情を誘うよう悲しげに。エーリクと騎士たち、ステファンとノルベルトの死はより英雄的に。
ヴァーツラフは正義の傭兵として。エルヴィンは理想的な忠臣として。決戦に臨んだ徴集兵たちは、皆が模範的な民として。
マルセルは、救いようもなく愚かな暴君として。そしてヴィルヘルムは、文句のつけようもなく立派な為政者として。まるで空想の世界から飛び出してきたような英雄として。
全てがヴィルヘルムに都合よく脚色された、しかしひとつの英雄譚としては間違いなく面白い舞台。描かれる出来事そのものに嘘はない。ヴィルヘルムが決戦で逆転勝利を成し、その後リシュリュー伯爵領を鮮やかに併合したことは事実なので、説得力もある。だからこそ、様々の脚色には大きな意味があり、大きな効果がある。
そんな舞台を、ヴィルヘルム自身も二階の貴賓席から観ている。
歴史は勝者によって作られるのだと、自分自身が書き上げた物語に思い知らされる。
これから勝ち続ける限り、自分はこうして事実を美化し、己の野望や行いを美化し、己に都合の良い物語として民に見せつけるのだろう。
そうして美化された歴史の裏で、自分は多くの戦いを引き起こし、大勢の人間を死に至らしめるだろう。望む平和を最後には手に入れるために、争いの道を進むだろう。
『――ヴィルヘルムは高らかに宣言した! 自分こそがこの地の新たな支配者であることを! そして新たに、フルーネフェルト伯爵を名乗ることを!』
それが真に賢明なことなのかは分からない。他に自分の望むものを手に入れる術はなく、多くの犠牲の上に建国を成すことこそが唯一の道なのか、今の自分には分からない。
だとしても。どうせ他の答えなど得られない。前世でも今世でも、人の世に答えなどない。人が人である限り、自分に本当の答えをくれる者などいない。
だから、もう考えてはいけない。冷静になってはいけない。正気に戻ってはいけない。
『――ヴィルヘルムは進み続ける! 建国を成すために! フルーネフェルト家の家紋、アクイレギアの意匠の下、全ての民が平和に暮らす楽園を築き上げるために!』
自分は進み始めた。進み始めたことを、世界に向けて宣言した。
もう犠牲が出た。少なからぬ者が死んだ。
だから、必ず建国を成し遂げ、望む平和を手に入れる。そうすることで、これは正しかったのだと、戦いは必要だったのだと、勝者として歴史に記す。そうするしかない。全ての犠牲が報われるためにも。
『ヴィルヘルムこそが! 我らが主、ヴィルヘルム・フルーネフェルト伯爵閣下こそが、我らを平和に導く! 我らに勝利をもたらす! それを忘れるなかれ!』
語り部の宣言と共に、フルーネフェルト家の紋章旗が、アクイレギアの意匠を刻まれた旗が、舞台上で掲げられる。
旗が振られる中で舞台は幕を閉じ、客席からは爆発的な歓声と拍手が巻き起こった。
そして、役者たちが舞台上に並び、ジェラルドが言葉巧みな挨拶で、観客たちの注意をヴィルヘルムの方へ向ける。
「ありがとう! 皆、ありがとう!」
ヴィルヘルムは立ち上がり、貴賓席の最前に進み出る。万雷の拍手を浴びながら口を開く。
「皆も知っての通り、この物語は僕たちの身に起こった現実だ! 悲劇も、戦いも、全ては現実に起こったことだ……そして結末で語られた言葉も、また真実だ! 僕は国を作る! 全ては君たちのため、我がフルーネフェルト家の庇護下にいる民のため! 君たち皆が平和に、そして幸福に暮らせる国を築き上げる!」
表情を作り、声色を作り、領民たちに語りかける。自分も彼らと同じ高揚を抱いているように見せながら。
「これは歴史であり、物語だ! これから僕たちが作り上げる物語だ! 君たち一人ひとりが登場人物であり、作り手だ! 僕と共に歩み、そして素晴らしい結末へたどり着こう!」
大仰に両手を広げて、堂々と語りきる。興奮に満ちた歓声が返ってくる。
この舞台はこの先何度も上演される。領都ユトレヒトだけでなく、ランツをはじめ旧リシュリュー伯爵領の各地でも、遠征したジェラルドたちによって上演される。その結果、ヴィルヘルムの野望は民に周知され、舞台の演出効果もあって好意的に受け止められるだろう。
完璧だった。これで完璧に、ヴィルヘルムは後戻りできなくなった。
ヴィルヘルムは振り返る。この貴賓席で、共に初演を見守っていたアノーラの方を向く。
愛する伴侶と顔を見合わせながら、建国を決意した日の夜、彼女のくれた約束を思い出す。
自分が野望のために何をしても、たとえ失敗して何も成せなかったとしても、アノーラは自分の全てを許し、受け入れてくれる。
それは何にも代えがたい安心をくれる約束だった。絶対的な愛だった。絶対を与えてくれるのは神だけ。アノーラはヴィルヘルムにとって女神となった。
彼女のくれる愛があれば。女神の加護があれば。自分には恐れるものなどない。どれほど困難な道だろうと、血に濡れた道だろうと、迷うことなく歩んでいける。
慈愛に満ちた微笑みをくれるアノーラに、ヴィルヘルムも笑みで応えた。
★★★★★★★
ここまでが第一章となります。
お読みいただきありがとうございます。
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第二章からは月・水・金の週3回更新になります。
ご了承いただけますと幸いです。
引き続き『アクイレギアの楽園』をよろしくお願いいたします。
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