第50話 西進①

 ユトレヒトを出発したフルーネフェルト軍は、初日のうちに領内西端に位置する村まで進み、そこで一泊。翌日にはクラーセン男爵領へと侵入し、領都アールテンに到達した。

 クラーセン男爵領の人口およそ四千のうち、アールテンに暮らすのは千ほど。クラーセン男爵家の常備兵力は騎士が六人と兵士が二十数人で、小規模ながら領軍を編成している。そして、アールテンから徴集兵として動員できる成人男子は、全てをかき集めてもせいぜい三百人。

 クラーセン男爵が領内の村から兵を徴集しようと考えたとしても、フルーネフェルト伯爵家による実質的な宣戦布告が彼のもとに届けられてから未だ数日しか経っていない。すぐ近くの村から数十人も集められていたら上出来、という状況だと推測された。

 そして、このアールテンという小都市は、ユトレヒトと同じく籠城戦には耐えられない。市域を囲む城壁の高さは三メートルに満たず、歩廊や足場は門の周辺にしか置かれていない。門は薄く脆弱。いずれも防犯や、人の出入りの管理を目的としたもので、せいぜい害獣や盗賊を退ける効果しかない。


「……敵側の動きはなしか。それじゃあひとまず、予定通りにいこう」

「承知しました」


 エルヴィンが答え、各部隊に指示を出していく。

 フルーネフェルト軍がアールテンに到達したのは夕刻前。本格的な戦闘が起こるとすれば明日となる。なのでまずは、野営の準備が開始される。それと並行して、アールテンに籠るクラーセン男爵のもとへ、降伏を前提とした交渉に応じるよう勧告が出される。

 そして、フルーネフェルト軍が対峙している東門とは反対側、西門の前に五騎ほどの騎士が配置される。この役割はティエリー率いる旧リシュリュー伯爵領軍騎士たちが二交代で担う。

 先のマルセルによる侵攻で、ヴィルヘルムは領都の出入りを塞がれることがいかに迷惑かを思い知った。なので、同じ策をクラーセン男爵家に対しても仕掛けることにした。

 東門だけでなく西門までをも塞いでしまえば、クラーセン男爵が既に領内の村に兵の供出を命じていたとしても、徴集兵がアールテンに合流することができない。各村からやってくる増援はせいぜい十数人ずつ。それも戦闘に関しては素人で、アールテンに入るために騎士の集団と戦う必要があるとは想像もしていないはず。五騎の騎士で突撃すれば簡単に追い払える。

 日が暮れる頃には野営の準備も完了し、そしてクラーセン男爵からは交渉を拒否する返答がなされた。

 一夜が明けた翌日。フルーネフェルト軍が隊列を組んで戦いの準備を整えてみせると、ようやくクラーセン男爵領の側にも動きがあった。アールテンの東門が開き、籠城戦は不可能と判断したらしいクラーセン軍が打って出てきた。


「敵の兵力はおよそ三百。騎士は僅かで、ほとんどが歩兵、それも徴集兵です」

「予想していた中では最大規模だね。さすがにアールテンの成人男子を全員引っ張り出したとは思えないから、周辺の村から多少は徴集兵を集めていたということかな」


 エルヴィンの報告を受けながら、ヴィルヘルムは敵陣を眺める。

 大半が歩兵となれば、陣形も何もない。ただ一塊になったクラーセン軍の最後方には、男爵とそれを囲む騎士が数人。そして最前列には、装備の整った正規の歩兵たち。徴集兵を後ろから追い立てるのではなく、前に立って率いる役割を正規軍人に担わせているあたり、良心的な隊列と言うべきか。

 今回、ヴィルヘルムは敵に備える時間を与えないために速攻を重視した。それもあって、数の上ではフルーネフェルト軍が有利だが、戦力差は互いの領地規模ほどには圧倒的ではない。だからこそクラーセン男爵は戦いに臨んできたのか。


「まあ、数の差はともかく、質ではこちらが圧倒的に有利だ。援軍が来るまで、適当に牽制してやり過ごそう」


 フルーネフェルト軍の陣容は、最前列にラクリマ突撃中隊。その後ろには、旧リシュリュー伯爵領軍兵士に率いられた新兵や徴集兵たち。そして最後方に、ヴィルヘルムと直衛の騎士たちから成る本陣。その傍らには、西門側から帰ってきたティエリーたち旧リシュリュー伯爵領軍騎士たちも控えている。

 常備兵力の質に関しては、フルーネフェルト家は西の各貴族家と比べれば圧倒的な軍事力を持っている。徴集兵によって数を補った今、まともに戦えば勝利はほぼ確実。

 しかし、先のリシュリュー軍との戦いと同じように、いずれ庇護下に加えるクラーセン男爵領の民と真正面から殺し合う事態はできるだけ避けたい。領民同士の交流も少なくない隣領との戦いとなれば、可能ならば無血で終えたい。そのためヴィルヘルムは、あくまで睨み合いに臨む。


 クラーセン軍としては、一気呵成に突撃し、こちらの隊列を突破して大将――すなわちヴィルヘルムを討つ以外に勝ち目はない。そのために敵側は何度か突撃を試みるが、その度にフルーネフェルト軍は牽制に出る。

 牽制役を担うのは、ティエリーたち十一騎の旧リシュリュー伯爵領軍騎士。彼らは騎兵の機動力を活かし、突撃を試みる敵軍の側面まで迫る。

 騎馬が十以上も並んで迫ってくれば、戦闘訓練など受けていない平民にとっては恐怖。敵徴集兵の群れは一斉に怖気づき、突撃の勢いは鈍る。

 そこへ、ラクリマ突撃中隊が真正面から近づく。得物で盾や鎧を叩き、硬質な音を響かせながら迫ってくる、顔の見えない異様な部隊。敵徴集兵どころか、クラーセン男爵領軍兵士たちでさえその存在感に怯み、結果として突撃に失敗する。


 一度下がって態勢を立て直すクラーセン軍に対し、フルーネフェルト軍は攻撃を仕掛けない。戦場は仕切り直され、また睨み合いの状態に戻る。

 ヴィルヘルムが戦闘によってクラーセン軍を打ち崩すつもりはないと、ほぼ確実にクラーセン男爵も察しているはず。だからこそ、敵側も諦めない。

 降伏せずに何日か時間を稼げば、西から援軍がやってくる。そして隙あらば突撃を敢行する姿勢を示しておけば、たとえ実際に突撃には至らずとも、フルーネフェルト軍を身構えさせ、他の動きを封じることができる。まだ勝ち目はある。おそらくだが、クラーセン男爵はそのようなことを考えている。

 しかし、事はそれほど彼に都合よく進まないことを、ヴィルヘルムは分かっている。


「閣下。ファルハーレン軍より伝令が送られてきました。あちらも戦場に到着したようです」

「そうか、予定通りだね。ありがたい」


 戦場の北側を見張っていた譜代の騎士の報告に、ヴィルヘルムは微笑を浮かべる。

 ヴィルヘルムが待っていたのは、フルーネフェルト伯爵領から送られてくる徴集兵部隊の第二陣ではなかった。フルーネフェルト伯爵領の西、クラーセン男爵領から見れば北に位置する人口三千ほどの貴族領の支配者、ファルハーレン男爵家の軍勢だった。


 ファルハーレン男爵家は、元はキールストラ子爵家の側近の一族。主家の不毛な家督争いに乗じるかたちで独立を果たした。同じく子爵家の家督争いに乗じて独立を果たしたフルーネフェルト家とは直接的に対立していたわけではないため、再会された交流も他の家より親密だった。

 その結果、両家はキールストラ子爵家とそこから派生して誕生した貴族家の中で、初めて婚姻関係で結ばれた。ヴィルヘルムの亡き母レナーテは当代ファルハーレン男爵の妹、ヴィルヘルムは男爵の甥にあたる。レナーテも、その甥であるヴィルヘルムやエーリクも、ファルハーレン男爵からは可愛がられていた。


 信用度の高い親類であるファルハーレン男爵のもとへ、ヴィルヘルムは今から十日ほど前、ナイジェルを使者として送り込んだ。フルーネフェルト伯爵家が西を征服した後、ファルハーレン家を他の貴族家よりも遥かに優遇することを約束し、こちら側へつくよう密かに取引を持ちかけた。

 ファルハーレン男爵はこの提案に乗り、両家は侵攻に向けて準備を成した。当初の予定より少し早まったことを伝えると、ファルハーレン男爵はそれに対応し、今日この日、ヴィルヘルムの要請通りにクラーセン男爵領アールテンへと到来してくれた。

 ファルハーレン軍の兵力はおよそ百五十。元々要請していた二百よりは少ないが、計画の実行が予定より早まったことを考えればよく集めてくれた方だった。

 彼らの役割は、クラーセン男爵家が降伏せず抵抗を続けた場合に、別動隊としてアールテンに接近すること。そして、クラーセン軍がすぐに対応できない位置からアールテンに侵入すべく、攻勢の準備に入ること。


「エルヴィン。クラーセン男爵に最後通牒を送って」

「承知しました。直ちに」


 今のうちに降伏すれば、クラーセン男爵家とその臣下、そして全ての領民について、身の安全を保障する。男爵家の財産にも手を出さない。兵力と物資の供出は求めるが、無秩序な略奪などは行わない。

 もし降伏しなければ、ファルハーレン軍が領都アールテンに侵入し、クラーセン男爵家の屋敷に火を放ち、都市内で掠奪を行う。そしてフルーネフェルト軍は、故郷を制圧されて士気の崩壊したクラーセン軍に容赦なく襲いかかる。

 譜代の騎士を使者として送り、そのような通告を行うと、クラーセン男爵もいよいよ諦めた。大人しく降伏する意思を示した。


 僅か半日足らずで、一人の死者も出すことなく、ヴィルヘルムはクラーセン男爵家に勝利した。

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