第49話 大義名分
ロベリア帝国の成立以前、旧フルーネフェルト男爵領以西の六つの小貴族領は、全体がキールストラ子爵領を成していた。
現在の帝国東部を、ルーデンベルク王国とノルデンシア王国が二分して争っていた時代。キールストラ子爵家は、領地の西端北側、ヴィレーヌ川の水源地よりもやや東にある岩塩鉱山を富の源泉としながら、一定の存在感を放っていた。
しかし、その時代の晩年、キールストラ子爵家ではお家騒動が勃発した。
当時のキールストラ子爵は好色な人物であったために、夫が事故の後遺症で夜の営みに応じられなくなった後、二人の愛人を公然と抱えた。彼女は夫を含む三人の男性との間に、合計六人もの子を生した。
特殊な薬草から作られる高価な薬を用いれば、乳幼児の死亡率は低く抑えられる。そして子供が多すぎると、全員分の仕事や結婚の面倒を見るのが一苦労。なので、貴族はあまり多くの子を作らない。しかし、キールストラ子爵は当時の感覚としては――そして現代の価値観で見ても――かなり自由奔放な人物だった。
子爵家の富と、神が与えた幸運の助けもあり、六人の子供は全員が成人した。貴族家当主が男性であれば、愛人の産んだ子供は大抵の場合庶子として扱われ、家督の継承権は与えられない。しかし当主が女性の場合、その腹から産まれた子は全員が嫡子。仲が悪かった六人の子は、母の死の直後より血で血を洗う家督争いを始めた。
さらにそこへ、本家の前当主の奔放さに呆れ果てた分家、主家に愛想を尽かした側近家の独立騒動も加わった。毒、放火、武力を用いた襲撃や衝突さえ伴う争いによって、死者が続出した。
いよいよキールストラ子爵領そのものが傾き始めた頃、子爵家の属するルーデンベルク王国はロベリア王国に併合され、新時代が訪れた。それを機に、子爵家とその関係者たちは争いを止めることにした。
彼らは身内で殺し合う殺伐とした状況に疲れ、次は自分が殺されるかもしれないという恐怖を抱きながら暮らすことに嫌気がさし、揃って妥協を望んだ。
新たに誕生したロベリア帝国において、彼らは皇帝家の許可を受け、領地を分割した。生き残っている中で最も生まれの早い長女が領都を含む岩塩鉱山周辺を領有し、家名と爵位を継承。他に生き残っていた三人の子と、領都から離れた地方都市を管理していた分家の当主、同じく地方都市の代官を務めていた旧側近家の当主は、それぞれの勢力圏を領地として認められ、新たに男爵家を興した。フルーネフェルト家は、分家の子孫にあたる。
帝国誕生より百余年。キールストラ子爵家と六つの男爵家は当初、領地を並べながらも家同士はあまり関わらずに年月をやり過ごしてきた。どの家も抱える領地規模が小さく、帝国東部では辺境にあたる地に存在するが故に、平穏にやり過ごすことが叶った。
かつての争いを知る者や、その子、孫の世代が世を去った後。この数十年ほどは各家の交流もある程度持たれるようになったが、あくまで近隣の領主貴族家としてのものだった。
とはいえ、元をたどれば同じ貴族家。ヴィルヘルムはその点を利用しようと考えた。
動乱の時代が始まる中で、かつての同胞同士、共にひとつの勢力として力を合わせよう。躍進を果たしたフルーネフェルト伯爵家がまとめ役を担う。ヴィルヘルムがそう呼びかければ――他の貴族家は確実に反発する。元は分家の血筋であるフルーネフェルト家に実質的に従属することを、少なくとも直系の子孫たちは許容しない。特に、キールストラ子爵家などは絶対に。
それこそがヴィルヘルムの狙い。平和的な結束を呼びかけたにもかかわらず拒絶された以上は、より物理的な圧力をもって協力を求めるしかない。フルーネフェルト家と庇護下の者たちの安寧を守るために。そう言いながら西へ進軍するのがヴィルヘルムの目的だった。
難癖に等しい理由付けとはいえ、勝てば正当化される。それに、自分は亡きマルセルのように非道な手段を用いるつもりも、圧政を敷くつもりもない。だから許されるだろう。
そのように考えながら、ヴィルヘルムが各家に書簡を送る用意を進めていた十一月の初頭。事態は動いた。
「なるほど、ファルハーレン男爵家以外の四家が連名で……」
夕食前のひととき。キールストラ子爵家より送られた書簡を屋敷の居間で読みながら、ヴィルヘルムは呟いた。
書簡には、ヴィルヘルムが他の四家に対して何らの断りもなく、リシュリュー伯爵領を併合して領地規模を大幅に拡大し、自ら伯爵を名乗り出したことへの抗議が記されていた。それも、キールストラ子爵家とマウエン男爵家、オッケル男爵家、クラーセン男爵家の連名で。
直ちに伯爵を自称することを止め、獲得した旧リシュリュー伯爵領の扱いについては、先祖を同じくする各家に対する誠意を示してほしい。そのような要求も、併せて書かれていた。
「フルーネフェルト家としては好都合ね」
「そうだね。これで、うちから難癖をつけるよりも見栄えのいい大義名分ができた。この動きを主導したであろうキールストラ子爵家には感謝しないと」
隣に座って書簡を読むアノーラとそのような会話をしながら、ヴィルヘルムは笑む。
書簡を送ってきた四家の気持ちは理解できる。キールストラ子爵領を祖とする六つの貴族領の中でも、特に強い方ではなかったフルーネフェルト家。それがいきなり人口を二万も増やし、おまけに新たな当主ヴィルヘルムは勝手に伯爵を名乗り始めた。野心を抱いているのは明らか。さぞかし怖いだろう。彼らからすれば、マルセルだろうとヴィルヘルムだろうと、動乱の時代の始まりとともに隣に出現した野心家という点では変わらない。
そして、今ならばフルーネフェルト家の抱える人口は二万強と、他の各家の抱える人口の合計と大差はない。加えて、フルーネフェルト家は併合したばかりの旧リシュリュー伯爵領をまだ掌握できていない――実際には既に掌握しているが、彼らはそう思っている。
今戦えば勝ち目がある。上手くやれば、旧リシュリュー伯爵領を含めて奪い取り、山分けすることも叶う。おそらくそのように考えたからこそ、彼らはフルーネフェルト家との対立が避けられないような書簡を送りつけてきた。難癖同然という点では彼らの抗議内容も大概だが、ヴィルヘルムの行いにも絶対的な正当性はない以上、結局は勝った方が正しいということになる。
彼らはヴィルヘルムがジルヴィア・ルーデンベルク侯爵と手を結んだことをまだ知らない。知ったとしても、フルーネフェルト家とルーデンベルク家は正式な同盟を結んだわけではないので、結局はフルーネフェルト家単独との戦い。どちらにせよ勝負を挑んでくる。
そして、こちらは勝利を成して手に入れた戦果に難癖をつけられ、躍進を妨害されようとしている立場。新領地と庇護下の民を守るため、民に約束した平和な未来を守るため、敵対する貴族家を打ち倒す……などと言えば、元々用意していた理由付けよりも良い大義名分を得られる。
「ヘルガ。エルヴィンとハルカ、それとナイジェルに使いを出してほしい。夕食後にこちらへ来るよう伝えて」
「かしこまりました、旦那様」
ヴィルヘルムに書簡を届けてくれたヘルガは、主の新たな指示に頷くと、慇懃に一礼して居間を出ていった。
・・・・・・
書簡を受け取った夜に重臣たちと緊急の会議を開いたヴィルヘルムは、翌日より西への侵攻のために動き出した。
まずは、フルーネフェルト家の屋敷に書簡を届け、ユトレヒト市街地の宿に泊まっていたキールストラ子爵家の使者に、ヴィルヘルムは返答――四家の抗議は断じて受け入れられず、自家の財産と庇護下の領民を守るために直ちに行動を開始する旨を伝えた。
返答を届けるため、使者が大急ぎで帰っていく一方で、フルーネフェルト伯爵領内では早くも兵力の集結が始まる。ヴィルヘルムの直衛を務める譜代の騎士、ラクリマ突撃中隊、ティエリーたち旧リシュリュー伯爵領軍、そして新兵たち。総勢でおよそ二百のうち、今回はひとまず百二十ほどが動員されることになる。
そして、領民からも兵が徴集される。
共に悲劇を乗り越え、勝利を成して得た戦果を、西の小貴族たちが力をもって理不尽に奪おうとしている。そのように語り、旧フルーネフェルト男爵領民からおよそ百を。
これからフルーネフェルト伯爵家が皆にもたらそうとした恩恵――税を減免された上での新たな生活が、西の小貴族たちによって破壊されようとしている。そのように語り、旧リシュリュー伯爵領民からおよそ二百を。
フルーネフェルト伯爵領の全体で三百の徴集兵を動員し、正規軍人と合わせて四百強の兵力を揃えた。部隊編成や兵の徴集についてはあらかじめ計画が定められていたこともあり、ここまでにかかった時間は僅か三日程度だった。
この間も領内各地で追加の徴集が行われ、さらに五百を超える数の徴集兵が、一週間以内に援軍として送られる予定となっている。
一方で、軍事行動のための補給については、ハルカたち文官とカルメンのエレディア商会によって整えられた。フルーネフェルト伯爵領の西端に位置する村に物資を集積するなど、あらかじめ前準備を進めていた彼女たちは、ヴィルヘルムの指示に応じて荷馬車による補給の体制を速やかに構築してくれた。
「先のマルセル・リシュリュー伯爵との戦いで、僕たちは勝利した! フルーネフェルト男爵領の民は復讐を果たし、リシュリュー伯爵領の民はマルセルの圧政から解放され、今は共に我がフルーネフェルト伯爵領の民として新たな一歩を踏み出した! にもかかわらず、僕たちの前進を邪魔しようとする者たちがいる! 新たな敵が現れた!」
ユトレヒト近郊に集結した軍勢、その中でも特に、士気を高めさせておくべき徴集兵に向けて、ヴィルヘルムは語る。
「僕たちが勝利の末に得た正当な戦果を奪わんと、キールストラ子爵家をはじめとした西の四家が画策している! そんなことは許されない! 僕はフルーネフェルト伯爵家がいかに力を持っているかを彼らに示し、彼らの愚かな野望を諦めさせ、彼らを従える! 君たちこそが我が力だ! 我が盾であり剣だ! 君たちを力とし、僕自身も進軍する! 共に新たな勝利を成そう!」
ヴィルヘルムの呼びかけに、将兵からは力強い歓声が返ってくる。演説の狙いは、どうやら十分に達成された。
「いざ西へ!」
高らかに宣言し、ヴィルヘルムは馬を進める。直衛を務めるエルヴィンたち譜代の騎士が周囲を囲み、ヴァーツラフ率いるラクリマ突撃中隊が、ティエリー率いる残りの正規軍人たちが、そして徴集兵たちが続く。
アノーラや文官たち、そして多くの領民に見送られながら、四百強の軍勢は意気揚々と西進していく。目指すのは、敵対した四つの貴族領のうち、フルーネフェルト伯爵領のすぐ西に位置するクラーセン男爵領。
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