第51話 西進②

「伯父上! 助かりました!」


 戦闘終了後。フルーネフェルト軍に合流したファルハーレン軍の指揮官、 ラウレンス・ファルハーレン男爵を、ヴィルヘルムは笑顔で本陣に迎える。


「間に合ってよかった! 我が甥の役に立てて光栄だよ、フルーネフェルト卿!」


 ラウレンスも笑顔で応じ、ヴィルヘルムと握手を交わす。

 四十代半ばのラウレンスは、見た目は実年齢よりも少し若々しい。細い体躯には威圧感もなく、上品で人の好い男。彼個人は武よりも文を重んじる気質で、ヴィルヘルムとは気が合う。

 最後に直接会ったのは数週間前、彼がステファンとエーリクの弔いに訪れたときのこと。そのときはまだ、自身が西に侵攻するつもりであることは明かしていなかった。


「兵力が少なくてすまないね。後からもう五十人ほど増援が来ることになっているから」

「構いません。こちらこそ、元々の予定より何日も急いでもらってすみませんでした」


 抱える領地規模でも自称する爵位でもラウレンスより格上になったヴィルヘルムは、しかし甥として丁寧に彼に接する。親兄弟も子もいないヴィルヘルムにとって、信用できる親族は極めて貴重だからこそ。


「それでは早速ですが、クラーセン男爵と話しにいきましょう」

「私も同席していいのかい?」

「もちろんです。伯父上は私と共に戦う、同格の立場の将ですから」

「ははは、嬉しいことを言ってくれるなぁ」


 そんな話をしながら、ヴィルヘルムとラウレンスはそれぞれの護衛を伴い、占領下に置いたアールテンの市街地を進む。クラーセン男爵家の屋敷にたどり着くと、敗者である男爵は一家揃ってヴィルヘルムたちを出迎えてくれた。

 屋敷の応接室に通されたヴィルヘルムとラウレンスは、男爵と向かい合って座る。


「クラーセン卿。死者を出すことなく戦いを終え、こうして穏やかな会談の場を持てたことを嬉しく思います。これも、貴方が降伏してくれたおかげです。感謝します」

「……まず最初に、確認させてもらいたい。我が家族と臣下、そして領民に手を出さないという話は本当なのですね?」


 緊張した様子のクラーセン男爵に、ヴィルヘルムはにこやかな表情のまま頷く。


「もちろんです。私もファルハーレン卿も、自軍には乱暴狼藉を固く禁じています。もし命令に違反する者がいれば公開で罰した上で、被害者には相応の賠償をしましょう……私は貴方の領地に進軍し、武力をもって降伏を求めましたが、決して貴方や庇護下の者たちを不幸にしたいわけではないのです。クラーセン家が我が傘下に加わり、私に従ってくれるのであれば、私も貴方に誠実に接します。貴方の領主貴族としての権利を守ります。私が増やしたいのは敵ではありません。フルーネフェルト家と誓約で結ばれる味方です。フルーネフェルト家が勢力を拡大し、躍進を果たし、建国を成すためにこそ」

「……」


 本気なのか、と表情で問うてくるクラーセン男爵を前に、ヴィルヘルムは表情を変えない。


「貴方の気持ちは分かります。ですが、私が野望を叶えるられるかどうかは私の問題。貴方が心配する必要はないでしょう。私が貴方の上位に立つ支配者である間、貴方に求めることはそう多くはありません。臣従の内容については他の三家を傘下に収めた後に話し合うとして、ひとまず今は、フルーネフェルト家がこれから行う西進に助力してもらいたい」


 そう言って、ヴィルヘルムは自身の要求を並べる。

 援軍として三百の兵力の供出。征服した貴族領の徴集兵など実際の戦力としてはあてにしていないが、自軍の規模を大きく見せるための数合わせや、雑用の人手としては使える。

 進軍に際して消費する物資、特に食料や馬の飼い葉の供出。補給体制も未完成な現状、フルーネフェルト伯爵領から必要物資の全てを運んでくるのは大きな苦労が伴う。基本的な消耗品については現地調達が叶えば、進軍は楽になる。

 フルーネフェルト軍とファルハーレン軍の侵攻に、クラーセン男爵も将として随行し、継嗣を副将として伴うこと。クラーセン男爵家が傘下に入ったことを残る三家に示せる上に、男爵家が裏切らないための人質も確保できる。

 どれも、一度逆らった末に降伏した者に対する要求としては穏当なもの。本音の意図は隠し、あくまで要求だけを伝えると、クラーセン男爵は少しの思案の末に受け入れた。


・・・・・・


 その後もいくつか細かな事項について話し合い、会談を終えて男爵家の屋敷を辞したヴィルヘルムとラウレンスは、アールテンの東門側と接するように置かれた野営地へと戻る。

 後で夕食がてらに明日以降の打ち合わせを行うことを確認し合い、一旦解散。ラウレンスは護衛たちを伴い、自身の天幕へと向かう。


「……まったく見事だよ、我が甥ながら末恐ろしい」


 表情は穏やかなまま、額の汗を袖で拭い、呟く。

 かつては聡明な文化人以上の存在ではなかったヴィルヘルムは、数週間前に再び会ったとき、別人のように変化を遂げていた。見た目や話し方が変わったわけではないが、纏う雰囲気も、瞳に宿る意思も、声に込められる気迫も大きく変わっていた。

 おそらく、過酷な経験を通して魂そのものが変質を遂げたのだろうとラウレンスは思った。

 そして、今から十日ほど前。ヴィルヘルムから書簡が送られてきた。彼は建国を目指しており、野望に向けた新たな一歩として西に侵攻する上で、協力を求める旨が記されていた。書簡を持ってきたフルーネフェルト家の外交官からは、ヴィルヘルムの考えが詳しく語られた。


 ヴィルヘルムから持ちかけられた取引に、ラウレンスはさして悩むこともなく応じた。

 ファルハーレン家はフルーネフェルト家の姻戚である以上、とれる選択肢は限られる。仮にヴィルヘルムの申し出を拒否して他の四家と手を組もうとしても、絶対に信用されない。かといって、権勢を増したフルーネフェルト家の侵攻に、単独で対抗することなどできない。

 一方で、ヴィルヘルムの側につけば大きな利益を見込める。ヴィルヘルムには親兄弟がいない。伯父である自分が進んで臣従すれば、信用を得た上で重用され、いずれ立場に相応の大きな権益を得ることができる。

 別人のように変化を遂げ、リシュリュー伯爵領の併合という結果をもって才覚を示し、貴族としての権勢も大幅に増した今のヴィルヘルムならば、西の貴族領群など容易く征服するだろう。であれば、少なくとも現状においては、ヴィルヘルムの側についておくのがファルハーレン家にとって最も得策。


 その後のことはまだ分からないが、ルーデンベルク侯爵家と手を結んだというヴィルヘルムが、新たに西の貴族領群をも傘下に収めてさらに権勢を増したとなれば、その勢いのままに建国を成し遂げる可能性も十分以上にある。そうなるのであれば共についていくのみ。もし道半ばで挫けるのであれば、小貴族の古来からの生き方に則り、別の新たな支配者に臣従するだけのこと。

 とはいえ、今や覇者の気配さえ纏っているあの甥ならば、歴史に残る大躍進を果たしても何らおかしくない。根拠があるわけではないが、半ば直感的に信じられる。

 そして何より、ヴィルヘルムは愛する妹の息子。今となっては妹のただ一人の忘れ形見。だからこそ、彼と対立したくはないし、彼に大成してほしい。

 そのように思案した結果、ラウレンスはヴィルヘルムの申し出を受け入れた。


 その後、ファルハーレン家には何らの呼びかけもなく、ラウレンスを端から除け者にして、キールストラ子爵家をはじめとした四家はフルーネフェルト家への敵対姿勢を示した。元より西への侵攻を企んでいたヴィルヘルムは即座に行動を起こし、このクラーセン男爵家との緒戦で、あまりにも鮮やかな勝利を収めた。先ほどの交渉では、いっそ不気味なほどの笑顔を保ったまま、必要なものを全て手に入れていた。

 ヴィルヘルムの側についていてよかったと、親族として良好な関係を保ったまま臣従を示しておいてやはり正解だったと、ラウレンスは心底思っている。このまま彼に忠誠を誓い、ついていくのが最良の選択肢になるのだろうと、確信めいたものを感じている。


・・・・・・


 クラーセン男爵家を傘下に収めたヴィルヘルムは、それから数日かけて、さらなる西進の準備を整えた。

 フルーネフェルト伯爵領、その中でも主に旧リシュリュー伯爵領で集めた徴集兵の増援およそ六百を呼び寄せ、ファルハーレン軍の増援およそ五十とも合流。クラーセン男爵と彼の継嗣である長女を本陣に迎え、クラーセン軍およそ三百を加えた。

 フルーネフェルト伯爵家、ファルハーレン男爵家、クラーセン男爵家の連合軍、その総兵力は千五百に達した。

 一方で、キールストラ子爵家、マウエン男爵家、オッケル男爵家も、クラーセン男爵家が敗北し征服されるまでの時間を猶予としながら兵を徴集し、戦いの準備を進めていた。


「各方面へ送った斥候の報告によると、三家は軍を合流させ、こちらへ決戦を挑むつもりのようです。それぞれが集結させた兵を移動させており、マウエン男爵領の領都より南、街道上で合流するものと思われます」

「となれば、そこで会戦か。話が早くて助かる」


 エルヴィンから報告を受け、ヴィルヘルムは焦ることもなく言う。

 三家の軍がマウエン男爵領で合流するからと言って、こちらはそれを無視してオッケル男爵領などに攻め入ることはできない。そんなことをすれば、敵軍もファルハーレン男爵領などに進軍し、好き放題に暴れる可能性がある。結論、両軍は接触し、会戦で決着をつけるしかない。

 十二月も半ばを過ぎれば冬が深まり、軍事行動には適さなくなる。その前に決着をつけたいヴィルヘルムとしては、敵が連携して早く決戦に臨んでくれる方がありがたい。


「例の策は?」

「既に実行済みです。ひとまず成功したとのことです」


 周囲に多くの将兵がいるため、ごく一部の者しか概要を知らない策についてヴィルヘルムが詳細をぼかしながら尋ねると、エルヴィンはそう答える。


「そうか、ならいい。ご苦労さま……それじゃあ、こちらもそろそろ進軍しよう。明日にはアールテンを出発だ」


 ヴィルヘルムが決断を下すと、明日の出発に向けて急ぎ準備が始まる。

 残る三家に勝利し、その領地を傘下に加えれば、フルーネフェルト伯爵家の支配域の総人口は五万弱。戦い方次第だが、南のアプラウエ子爵領などにも対抗できるようになる。

 そして、ヴィルヘルムが西の征服を目論んだのは単に支配域の人口を増やすためだけではない。キールストラ子爵家の抱える岩塩鉱山を手中に収めることも、今回の西進における主目的のひとつだった。

 この岩塩鉱山は、キールストラ子爵家の富の源。子爵領の労働人口の半数弱がこの鉱山に関連した仕事に就いており、子爵領はすなわちこの鉱山であると言っても過言ではない。

 この鉱山を子爵家より譲り受け、必需品である塩を自給し、領外に輸出できるようになれば、フルーネフェルト家は政治的にも経済的にも極めて強くなる。将来的には、中央集権を進めやすくもなる。なのでヴィルヘルムは、何が何でも岩塩鉱山を手に入れるつもりでいる。

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