第65話 対アプラウエ軍③
アプラウエ子爵領の南東側にある領都レコッサより、フルーネフェルト軍の小部隊が侵入した北西側まで、アプラウエ軍は三日かけて進軍した。敵側も領内で集結した上で街道を南進しており、領境で激突するのは必然だった。
アプラウエ軍が北進したときには、敵の小部隊は既にフルーネフェルト男爵領へと撤退を済ませていた。後に残っていたのは、食料を奪い去られ、あるいは燃やされた無人の村々。
アプラウエ軍は行軍の最後の一日、食料調達にひどく難儀した。街道周辺の村に集積していた食料はもはや存在しない。後方から運んだ食料では足りず、さらなる食料が輸送されてくるまでにはあと丸一日は要する。
それでも、領境付近まで行軍を終えた夜は、なんとか凌いだ。敵の小部隊もあまり時間がなかったのか、村々を探せば奪い損ね、燃やし損ねた食料が多少は残されていた。
焼いてから時間が経ち、硬くなって酸味も増したパン。保存性ばかり優れて塩辛い干し肉。しなびた野菜や果物、木の実。貴重な栄養源である卵。そうした食料をかき集め、それでも全員が満腹に食える量にはならず、アプラウエ軍は物足りない夕食をとった。
将兵の不満を少しでも抑えるため、ヴィーヴォは皆に交じって自身も夕食をとった。そうしながら、明日の夜はもっと多く食わせてやると語った。
実際、レコッサを出発する前に急きょ手配した商人たちが、明日の午後には行軍に一日遅れて食料を届けにくることとなっている。その食料があれば、明日の夜は将兵たちをまともに食わせることができる。
とはいえ、その先はまた補給に悩むことになるだろう。遠隔地から食料を集めようとしても、十分な量が迅速に集まるとは思えない。である以上、将兵が弱る前にできるだけ早く、明後日にはフルーネフェルト軍と会戦で決着をつけなければならない。
斥候からの報告では、フルーネフェルト軍の兵力は予想通り、二千ほど。その大半が徴集兵。正攻法で戦えば、有利はこちらにある。
まだ十分に勝機はある。そう考えながら、ヴィーヴォはこの日を終えた。
・・・・・・
そして翌日。アプラウエ軍に重大な危機が訪れた。午前中のうちに、百人以上の体調不良者――嘔吐や下痢や発熱に苦しむ者が発生し始めた。
事態を把握したヴィーヴォは直ちに体調不良者たちを隔離させたが、時すでに遅し。次第に被害は広がり、夜には数百人もの将兵が不調に苦しんでいた。
「閣下、これはやはり……」
「……やってくれたな、フルーネフェルト男爵」
険しい表情で状況報告を行う領軍隊長の前で、ヴィーヴォはため息をつきながら呟く。おそらくは、昨日かき集めて消費した食料が原因だろうと察する。
行軍の最終日である昨日、将兵たちは昼から食料不足に悩まされた。一日歩いて空腹が極まっていた夜は、多少古くなっていた食料でも、かき集められたものは全て食べ尽くした。
例えばその中に、わざと腐りかけたものが混ぜられていたとしたら。
あるいは、食料の一部が意図的に汚染されていたとしたら。方法は幾らでも思い浮かぶ。人糞を沈めた水にでも触れさせておけば、食べるだけで体調不良を引き起こしてもおかしくない。食料だけでない。村々から拝借した食器。水を入れる樽や桶。汚染され、体調不良を引き起こした原因は幾らでも想像できる。
全ての食料が汚染されていたわけではないとしても、一部の者が汚染した食料を口にし、病気になれば、そこから体調不良は広がる。理屈は分からないが、病は食事や水、服や寝床などを介して他人に伝染ることが経験則から分かっている。医者や、教育を受けた富裕層などはそのことを知っている。
そして戦場では、特に徴集兵たちなどは、水を飲むカップも、顔を洗う桶も、食器も、毛布も、あらゆるものを共有する。大半が無学な彼らは、病気が伝染る仕組みなど知らない者も多い。最初の体調不良者はそれほどの数ではなかったのだろうが、おそらくは隔離が行われる前、昨晩から今朝にかけて、様々な共有物を介して病気が広がった。
戦場では完全な隔離など不可能。おそらく、体調不良者はまだ増える。
「……明日、予定通り決戦に臨む」
「しかし閣下。体調不良者たちは、明日にはまだ回復しないかと――」
「分かっている。だが、決戦を先延ばしにしても状況は改善しない。むしろ悪化する一方だろう。となれば、我が軍が最良の状態なのは明日だ。以降は体調不良者が増え、食料の不足も続き、弱まるばかりだ……だから明日、一度の決戦で勝利を掴む」
語りながら、ヴィーヴォは北を、領境の方角を睨む。
侮っていたわけではない。だが、これほど容赦がないとは。
これが戦争か。手段を選ばない殺し合いか。これが、実戦を経験した敵と戦うということか。
・・・・・・
「アプラウエ軍で体調不良者が続出しているのは間違いありません。数としては、おそらく数百人規模かと。アプラウエ子爵は体調不良者たちを隔離しているようです」
フルーネフェルト軍の本陣で報告するのは、敵地での工作活動から帰還し、そのまま斥候も担っているラクリマ突撃中隊の長、ヴァーツラフだった。
「そうか。これでアプラウエ軍の戦力はかなり削られた……アプラウエ子爵としては、きっと不愉快極まりないだろうね」
ヴァーツラフの報告を受け、ヴィルヘルムは微苦笑を零す。
嫌がらせのような策の数々を受け、全力で戦うこともままならない。自分が同じ立場だったならば、それはそれは腹が立つ。
とはいえ、戦争に反則はない。策にかかったのならば、先読みできなかった方が悪い。
「この調子であれば、アプラウエ軍は決戦に臨むことなく数日で瓦解するでしょうな」
「そうなればいいけど……僕ならその前に、一か八か勝負に出るかな。明日にも」
新たに側近の列に加わった騎兵部隊長ティエリーの言葉に、ヴィルヘルムはそう答えた。
アプラウエ子爵はおそらく、戦いの常道に則って考えるあまり、こちらが先手を打って工作に出ることを読み損ねた。とはいえ、彼が無能だという噂は聞いたことがない。むしろ有能な為政者だと聞いている。立場に相応の度胸もあると。
となれば、このまま大人しく潰れてくれるとは思えない。
「エルヴィン。明日、決戦に臨むつもりで、皆に心構えをさせるよう隊長たちに伝えてほしい」
「承知しました」
参謀のエルヴィンは、主の問いに短く答え、頷く。
「敵は体調不良者だらけで、食料不足も解決していない。戦力差の縮まった我が軍が堅実に戦えば、少なくとも敗けることはないはずだ……明日一日だけ守り切れば、アプラウエ軍は再攻撃どころか、こちらの反撃を防ぐこともできなくなるはずだよ」
フルーネフェルト軍の戦力は、まず領軍からラクリマ突撃中隊の総員百十三人。そして騎兵部隊には、ティエリー以下旧リシュリュー伯爵領軍騎士たちが十一騎。ヴィルヘルムの直衛に親衛隊騎士がエルヴィン以下五騎。その他、新兵を含む百人ほど。
そして、徴集兵がおよそ千五百人。報酬に釣られ、領内各地から十分な数の兵力が集まった。これまでの他家との戦いで、ほとんど死者が発生していないことも、おそらくは領民たちが徴集をあまり忌避しない理由となっている。
さらに、伯父ラウレンスが当主を務めるファルハーレン男爵家から、援軍として騎士四人、正規兵十人を含む総勢で百人ほど。
ここに傭兵も数合わせで加わることで、総勢は二千に届いている。
明日、決戦に臨むとして、アプラウエ軍でまともに動ける者はおそらく同数程度。それら体調不良を起こしていない者も、この数日の空腹もあって体力が万全とは言えないはず。そのような敵軍を相手に戦えば、敗けるはずがない。
敗けさえしなければ、時間が味方となって敵側は勝手に追い詰められ、瓦解する。既に圧倒的な有利を得たのは間違いない。
「後は、堅実に戦えば余裕を持って勝てるはずだ。皆なら上手くやってくれると信じている。抜かりなく頼むよ」
「「「はっ」」」
ヴィルヘルムの激励に、エルヴィン、ヴァーツラフ、ティエリーは敬礼しながら答えた。
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