第66話 対アプラウエ軍④
翌日。フルーネフェルト伯爵領とアプラウエ子爵領、その領境よりもやや北側で、両家の軍勢は対峙した。
フルーネフェルト軍は地形の有利を得るために丘の上を確保し、代償として容易に布陣を動かせないため、敵軍が領内に踏み入ることをあえて許した。
当初は二千五百もの兵力で進軍してきたアプラウエ軍が、決戦の場に動員したのは二千に届かない兵数だった。病気が広がるにしても減り過ぎているので、おそらくは夜のうちに徴集兵や傭兵の脱走なども起こった結果か。その軍勢も、腹を空かせている上に、軽症の体調不良者までは戦列に加えているのか、全体的に覇気に欠けているのが遠目にも伝わってきた。
「……ティエリー、頼んだよ」
「はっ!」
ヴィルヘルムに言葉をかけられた騎士ティエリーは、白旗を掲げながら、単騎で敵陣に進んでいく。これは使者としての振る舞いだった。
使者には手を出さないのが礼儀とはいえ、勇気の要る務めであることは間違いない。この役割をこなすことも、ティエリーがヴィルヘルムに示す忠誠の証のひとつ。
使者を送ってヴィルヘルムがアプラウエ子爵に提案したのは、開戦前の当主同士での対話。しばらくして戻ってきたティエリーは、子爵が対話に応じる旨を示したことを報告した。
昨年の幾つかの戦いとは違い、今回の軍事行動は、どちらかに絶対的な大義名分のあるものではない。だからこそヴィルヘルムは対話を提案し、アプラウエ子爵も拒絶することはなかった。結局は武力でぶつかり合ったとしても、お互いに平和的な解決を最後まで試みた、という言い訳ができるように。
間もなく、ヴィルヘルムとアプラウエ子爵ヴィーヴォが、それぞれ数騎の護衛のみを引き連れて両軍の陣営の中央で対峙する。
「久しぶりですね、アプラウエ子爵」
「以前に会ったときは、貴方が家督を継がれる前でしたな。まずは先代当主ステファン殿とご長男エーリク殿へのお悔やみを申し上げます、フルーネフェルト男爵」
ヴィーヴォの言葉に、ヴィルヘルムは小さく片眉を上げ、少しの間をおいて微笑を作る。
「お悔やみの言葉に感謝します。ですが、今の私はフルーネフェルト伯爵です」
「いえ、貴方はフルーネフェルト男爵です」
間を置かず、むしろヴィルヘルムの発言に少し言葉を被せるように、ヴィーヴォは返す。
「伯爵の称号は貴方の自称に過ぎません。公式には、貴方はロベリア帝国男爵です。貴方を伯爵と呼ぶのは、貴方の自称を認めたいと思った者だけでしょう」
「……ふっ、ご尤もですね」
すなわち、ヴィーヴォはフルーネフェルト家を伯爵家相当とは認めない、ということ。敵対している以上、当然と言えば当然のことだった。それは分かっていたので、ヴィルヘルムも怒りはしない。
「それで、フルーネフェルト男爵。話というのは?」
「端的に言います。どうか軍を引き、貴方の言うところの私の『自称』を認め、フルーネフェルト伯爵家と協力しながら動乱の時代やその先の時代を歩んでもらいたい。キールストラ子爵家をはじめとした、我が領の西の諸貴族家と同じように」
頑なに男爵と呼んでくるヴィーヴォに対し、ヴィルヘルムは告げた。それは実質的に降伏勧告だった。
「貴家の将兵は、どうやら空腹や体調不良で苦しんでいる様子。そのような軍勢では勝利の可能性はないでしょう。徒に両軍の将兵を死なせる必要はありません。どうか理性的な判断をしてもらいたい」
「……検討する余地もありませんな。我がアプラウエ家の爵位は子爵。男爵家に従属する道理などない。むしろフルーネフェルト家の方こそ、男爵家にふさわしい振る舞いをして、我がアプラウエ家への協力の姿勢を示すべきだ」
ヴィーヴォの返答に、ヴィルヘルムは苦笑を零す。
こちらの指摘は理にかなっており、実際アプラウエ軍の勝利の可能性は低いはずだが、ヴィーヴォは一瞬のためらいもなく降伏を拒否した。やはり、帝国東部の北西地域で最大の大家として知られるアプラウエ家の当主。これまでの敵のように、簡単に屈してはくれないか。
「残念です。では、戦いをもって決着をつけるしかありませんね」
「そのようですな。対話は終わりです」
両者は踵を返し、後方を警戒する護衛たちを伴いながら自陣へ戻る。
「交渉は決裂した。各部隊、戦闘の用意を。諸君の奮戦を期待しているよ」
本陣に戻ってヴィルヘルムが呼びかけると、将兵もそれに応え、待機していたフルーネフェルト軍は戦闘に向けて隊列を整え、気を引き締める。
一方のアプラウエ軍も整列して動き出し、両軍の会戦が始まる。
・・・・・・
フルーネフェルト軍は、丘の上に布陣したまま動かず、地形の有利を保つ。
地形のみならず、今回は時間もまたフルーネフェルト軍の味方。睨み合いに臨んでも自軍の状況が悪化するばかりである以上、アプラウエ軍は高所をとられている不利を承知で接近してくる。
アプラウエ軍の陣容は、前衛に徴集兵部隊、その後ろに正規の歩兵部隊と傭兵部隊。すなわち、正規軍人と傭兵たちが徴集兵をけしかけて突撃させる戦術。後ろから武器で脅され、突撃を強いられるアプラウエ子爵領民には酷なことだが、士気の低い軍勢で最大限の攻撃力を発揮する戦法としては、むしろ理にかなっている。
そしてさらに後ろには、百人に満たない規模だが弓兵部隊も続いている。
進むアプラウエ軍と、迎え撃つフルーネフェルト軍。両軍の距離は徐々に縮まり――先に仕掛けたのは、待ち受けるフルーネフェルト軍の側となった。
高所に陣取るフルーネフェルト軍の側にも、小規模ながら弓兵部隊がある。ラクリマ突撃中隊のうち、先の冬に合流した二つの傭兵団の一方、マーカス率いる二十六人の部隊は、元より優れた弓兵として高い評判を誇っていた。この二十六人に、旧リシュリュー伯爵領軍のうち弓を扱える者、そして新兵のうち弓の素質を見せて訓練を受けた者たちを合わせた合計およそ五十人が、今回は弓兵部隊として運用されている。
立ち位置は、最前衛を担うラクリマ突撃中隊の白兵戦部隊、そのすぐ後方。高所の有利を活かして曲射された矢の雨は、未だ前進を続ける無防備なアプラウエ軍に降り注ぐ。
「……」
弓兵部隊を率いるマーカスは、最初に射撃開始の指示を下した後は、黙々と自身も矢を放つ。
五十人の弓兵の中でも、やはりマーカス率いる元傭兵たちの実力は別格だった。五、六秒に一射の間隔で、まさに矢継ぎ早に放たれる矢の雨は、アプラウエ軍の前進を鈍らせる。着実に敵側に損害を与え、士気にも傷を負わせる。
その他の弓兵たちも、負けじと懸命に矢を放つ。元傭兵たちほどではないが、遠距離攻撃要員として十分な働きを示す。
アプラウエ軍の前進は遅い。矢の雨を食らっていることはもちろん、軍内に少なからぬ体調不良者を抱えている上に、この数日は食料不足で気力体力が落ちていることも災いしている。現に今朝も、まともに朝食も与えられていない。
頭数と共に、ただでさえ高くない士気をさらにすり減らしながら、アプラウエ軍はそれでも懸命に前進し、丘の斜面を上る。
ようやくフルーネフェルト軍を射程に収め、アプラウエ軍の弓兵部隊も曲射を開始する。が、如何せん地形的に不利な状況。その攻撃の効果は限定的で、むしろ後衛の自分たちまでもが敵弓兵部隊の射程に収まっている状況では、死傷者が続出し、力を発揮できない。
このとき、マーカス率いる弓兵たちは、あえて敵後衛の弓兵部隊ばかりを狙って矢を放ち続けていた。幾度も実戦経験を積んだ熟練の弓兵たちには、部隊長の命令ひとつで敵陣の狙った位置に矢を集中的に食らわせることも可能だった。
結果として、味方弓兵部隊の援護を大して受けることもできないまま、アプラウエ軍の前衛を担う徴集兵部隊はフルーネフェルト軍の陣に到達する。
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