第64話 対アプラウエ軍②
「……よし、食料の運び出しを急げ。夕方には商人連中が来る」
「了解」
住民たちを追い出した後、指揮官――ラクリマ突撃中隊の隊長である騎士ヴァーツラフはそう指示する。ヴァーツラフの補佐を担う、元は別の傭兵団の団長であったマーカスが応え、将兵たちに細かい命令を下す。
アプラウエ子爵家との決戦に先立って、ラクリマ突撃中隊のおよそ百人は、アプラウエ子爵領の北部に侵入していた。隊を二つに分け、一方をヴァーツラフとマーカスが、もう一方はアキームとゴルジェイが指揮。一帯の農村を次々に襲撃し、住民を追い払っていた。
目的は食料。それぞれの村には初夏の収穫期までの食料が蓄えられており、さらにはアプラウエ軍の進軍を見越して、補給用の食料も冬のうちに運び込まれている。これらを奪うために、精鋭たるラクリマ突撃中隊は敵地を荒らし回っていた。
立ち回りを失敗すれば進軍してきた敵軍に殲滅されかねない、少数での敵地侵入。危険を冒してこの任務に臨み、目的を達成すれば、敵であるアプラウエ軍は追い詰められる。
占領した村で奪った食料は、後方、すなわち北のフルーネフェルト伯爵領に運ぶ。輸送はエレディア商会や、その下請けの行商人たちが担う。フルーネフェルト伯爵家と一蓮托生のエレディア商会は別として、行商人たちが危険もあるこの仕事にあえて臨んでいるのは、運んだ食料を丸ごと自分の戦利品にする許可をもらっているため。
フルーネフェルト軍としては、敵の食料を自軍のものにするのではなく、単に敵から補給物資を奪うことこそが目的だった。フルーネフェルト軍に領内を荒らされ、止むを得ず急ぎ進軍してきたアプラウエ軍が、食料不足で困窮する状況を狙っていた。
領主ヴィルヘルムがヴァーツラフに語ったところによると、この作戦は先の戦い――リシュリュー軍をスレナ村で飢えさせた策の言わば発展型だという。
運べるだけ食料を運び、輸送が間に合わない分については備蓄倉庫ごと焼く。そうして、アプラウエ軍による食料の現地調達を困難にする。言わば焦土戦術に似た策だが、奪ったり焼いたりした食料は、先ほどのヴァーツラフの宣言通り、同量を返還あるいは金銭で補填される。勝利の後にはこれらの村の住民たちも、フルーネフェルト伯爵家の庇護下に入るからこそ。
時間が限られるために全ての食料を消し去ることはできないが、それはフルーネフェルト軍としても織り込み済み。むしろ、その事情を活かした策をも領主ヴィルヘルムは考えている。彼の事前の指示に従い、ヴァーツラフたちは村内で幾つかの工作活動を行う。
そうしているうちに、行商人集団が到着。彼らの荷馬車に積めるだけの食料を積み、残る食料のうち自分たちが現地で消費する分を除いて焼き払ったヴァーツラフたちは、この日はそのまま村内で休む。
今日無力化した村は、この村を含めて二つ。アキームとゴルジェイの部隊も、予定通りならば同じだけの成果を上げているはず。
事態に気づいたアプラウエ軍が進軍してくるまで、おそらく一週間ほど。それまでにラクリマ突撃中隊は、街道周辺にある十数の村を無力化しなければならない。幸い、地図に関してはナイジェルと彼の部下たちが冬のうちに作成してくれたので、最良の効率で村々を回ることができる。後は時間との戦いだった。
それから数日かけて、ラクリマ突撃中隊はアプラウエ子爵領北部の街道周辺を蹂躙。先に襲われた村の住民たちが南へ避難する際、他の村に警告を発したおかげで、作戦の後半では進軍した時点で住民たちが避難を終え、村がもぬけの殻になっていることもあった。
アプラウエ軍の補給を担うはずだった各村の食料。その大半を奪い、あるいは焼き払い、ラクリマ突撃中隊は北へ撤退。決戦に向けて集結を進めるフルーネフェルト軍の本隊と合流した。
・・・・・・
フルーネフェルト男爵領軍の小部隊による攻勢。その報と時を同じくして、アプラウエ子爵領北部の村を追われた領民たちが、領都レコッサのある南部まで逃げ込んできた。
避難民は瞬く間に千人を超え、なおも続々とやってくる。アプラウエ子爵家としては領民たちの手前もあって彼らを放置するわけにもいかず、都市内の空いている倉庫や教会などを避難所としてあてがい、最低限の食事の世話をした。
元より食料自給率の低い鉱山都市であるレコッサは、今は冬明けの直後で食料の備蓄がとくに心許ない時期。突如として発生した避難民たちは、進軍のために用意されていた食料備蓄をも圧迫し始めた。
さらに、民の間では「領主様は北部の民を見捨てる」という噂までもが流れ始めた。後から後から避難民が到着する様がその噂に信憑性を与え、北部が救われることはない、という確定事項として語られ始めた。
もちろん領主のヴィーヴォはとしては、決してそんなつもりはない。北部の優先順位は低いとはいえ、領内を敵に好き放題に荒らされながら放置すれば領主貴族としての面子が潰れる以上、できるだけ早くフルーネフェルト男爵領軍の小部隊を追い払い、北部の秩序を回復したかった。
かつてリシュリュー伯爵家から買い取って自領に編入した領内北部の統治について、アプラウエ子爵家は昔から苦心してきた。アプラウエ家が新たな支配者であり、庇護者であると北部の民に実感させるため、彼らの扱いには気をつけてきた。
数十年の苦労が実を結び、ようやく彼らもアプラウエ子爵領民として自覚を得つつある。そんな状況で、アプラウエ子爵家は北部を見捨てる、やはり旧来からの領地ではない北部は悪い扱いをされるのだ、などと民に思われればこれまでの苦労が水の泡になる。
おまけに、事はもはや北部の話だけではない。 こちらの侵攻準備に対応するように、フルーネフェルト男爵家も兵を集めている。こちらがぐずぐずしていれば集結を終えた敵本隊が領内に侵入し、荒らし回ってくるだろう。そうなれば経済的な損失は拡大し、さらに自分の面子が潰れる。
だからこそヴィーヴォも進軍を急ぐが、事はそう上手くいかない。
大勢の避難民の保護という予定外の仕事が発生したために、進軍準備は当初の計画より遅れが生じた。せめて足の速い騎兵部隊だけでも先行させて敵を追い払おうにも、騎兵部隊を構成する騎士たちは貴重な士官であるため、彼らが抜ければ本隊の進軍準備がさらに遅れる。
そのため、敵の小部隊が北部を荒らし続ける現状をひとまずは放置するしかなく、領都の民に向けてはせめて「アプラウエ子爵家は北部を含む全ての領民を見捨てない」という布告を出しながら、できる限り進軍準備を急いだ。
そして、避難民からも兵を募ってなんとか計画通り揃えた二千五百の軍勢は、予定より三日遅れでレコッサを出発。フルーネフェルト男爵領との領境に向けて進軍を開始した。
頭数こそ揃ったものの、補給を含めた準備は万全とは言い難い。現地での調達に加え、後方からもある程度の食料を輸送する予定だったが、補給に用いる予定だった食料は一部が避難民の世話に回され、一部はそもそも輸送準備が間に合わなかった。
「……まったく、どうして私がこんな目に遭う」
側近格の騎士たちに囲まれ、自身も愛馬に騎乗して進軍の隊列中央に立ちながら、ヴィーヴォは思わず独り言ちる。
はっきり言って邪魔なばかりの避難民たちも、飢えたり凍えたりしないよう最低限は面倒を見ている。その上で、彼らの故郷である北部を奪還するためにもできる限り進軍準備を急いだ。
それなのに、領内北部で築いた民からの信頼は揺らぎつつある。領主家の事情など、彼らは想像もしなければ理解もしない。何故、民のために領主として精一杯努めている自分が、こんな噂を広められなければならないのか。甚だ不満だった。
おまけに、進軍した先で困らされることも目に見えている。避難民たちの話によると、領内に侵入したフルーネフェルト男爵領軍の小部隊の狙いは、どうやら食料であるという。あらかじめ進路上の村に集積していた食料も、各村の元々の備蓄も敵に奪われたとなれば、軍勢の維持は困難。後方からの補給だけでは足りない。
さすがに敵も、時間が限られる中で全ての食料を奪取できたとは考え難いが、かき集めたところでどれほどの量になるか。本来の想定よりもかなり短期間で決着をつけるしかなく、戦い方は限られるだろう。
冬の間に戦いの準備は万全にしていたが、それはあくまで、敵軍と真正面からぶつかり合う場合の話。このような搦め手を用いられることは想定外だった。
これを詰めが甘かったと評されるのは納得しかねる。自分が馬鹿なつもりはないが、戦いの経験が豊富なわけでもなければ、軍学に特別詳しいわけでもない。ただ敵側が一枚上手だっただけのこと。これが、戦史にも詳しい読書家として知られるヴィルヘルム・フルーネフェルトが実戦を経験した結果かと、敵ながら感心せずにはいられない。
ヴィーヴォの憂鬱をよそに、二千五百の軍勢は粛々と街道を進む。
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