第63話 対アプラウエ軍①

 神聖暦七三七年の冬明けから、帝国の情勢は一気に動き出した。

 ルーデンベルク侯爵家は東と南の敵対勢力と。ノルデンシア公爵家は東のアンティカイネン伯爵家や西のユァン伯爵家と。ガルシア侯爵家とラフマト伯爵家はヴィアンデン王国と。それぞれ開戦に向けて本格的に動き出した。早いところでは既に衝突が始まった。


 いよいよ動乱の時代が到来する中で、フルーネフェルト家とアプラウエ子爵家の激突のときも近づいていた。

 冬明け直前に、両家が戦いの準備を進めていることについて、互いに懸念を表明し、軍備を解くよう求めあった。当然、両家とも相手側の求めには応じていない。これはあくまで「こちらは外交的解決を試みたが、相手側が武力に訴えることを止めなかった」という事実を作るための儀式に過ぎなかった。

 そして冬が明けた今、アプラウエ子爵家はフルーネフェルト伯爵家を打ち破るため、いよいよ軍勢を動かすための最終準備に入っている。


「――なので、あと数日で集結を完了し、一週間後には進軍を開始できるかと存じます」

「そうか。十分だろう」


 屋敷の執務室で重臣の報告にそう返したのは、アプラウエ子爵家の当代当主、ヴィーヴォ・アプラウエ。

 すらりとした長身は、しかし決して華奢ではなく、よく鍛えられた肉体が褐色の肌で包まれている。頭は剃り上げ、顎には形の整えられた髭。力強さと聡明さを併せ持つ男。


「フルーネフェルト男爵……リシュリュー伯爵家を討ち倒した戦功は事実だとしても、そのような幸運、そう何度も続くまい」


 重臣が報告を終えて退室した執務室で、ヴィーヴォは一人呟く。

 今や伯爵を自称するヴィルヘルム・フルーネフェルト男爵の躍進を、ヴィーヴォは幸運の結果であると考えている。領地規模で何倍にも及ぶリシュリュー伯爵家を打倒したのは、言わば窮鼠が猫を噛み、その傷が運よく猫の急所に至った結果であると。

 その後にリシュリュー伯爵領を支配下に置いた手腕や、西の小領を次々に押さえた手際は称賛すべきこと。しかし、少なくともフルーネフェルト男爵は、寡兵で多勢を打ち破る戦争の天才などではない。そのようなお伽噺めいた大勝利など、そう何度も続くはずがない。

 自分も戦に自信があるわけでも実戦経験があるわけでもないが、油断せず、正しく準備を成して戦いに臨めば、領地規模で勝るこちらが順当に勝つ。それがヴィーヴォの考えだった。


 領主としておよそ六万の領民を抱えるヴィーヴォが、今回揃える兵力は二千五百。領軍五百のうち三百を投入し、領民二千を動員し、残りは傭兵で埋める。フルーネフェルト男爵が動員するであろう総兵力は、せいぜい二千。数で勝るこちらが有利なのは間違いない。

 アプラウエ子爵領の人口分布は領地の南部に偏重しているため、集結場所もそちら側、南東のあたりに位置する領都レコッサに定められている。主に南部の領民を中心に徴集し、編成を整えた上で進軍。二週間後にはフルーネフェルト軍との会戦に臨む見込みとなっている。

 北へ続く街道沿い、軍勢の進路上の村々には冬のうちに物資の集積を行っている。準備に抜かりはない。後は戦うのみだった。


「……」


 自分がフルーネフェルト男爵に対して勝利を成した後、ノルデンシア公爵家はどう出てくるだろうかと、ヴィーヴォは考える。

 アプラウエ子爵家は帝国東部の北西地域に領地を持ちながら、帝国の歴史においては南西地域のノルデンシア公爵家に近しい立場をとってきた。フルーネフェルト軍を打ち破った後には、ノルデンシア家の助力を得た上で、この地にかの家の北進のための橋頭堡を確立し、維持することとなっているが――


「失礼します! 緊急報告です!」


 そのとき。扉が強く叩かれ、そのような声が響いた。


「北の領境より、フルーネフェルト男爵領軍およそ百が侵入! 街道周辺の村を荒らし、住民を追い払っているそうです!」


 ヴィーヴォが入室を許すと、飛び込むように入ってきた領軍騎士が敬礼しながら言う。


「現在のところ人的被害は確認されていませんが、村を追われた領民たちが領内南部に避難してきています。敵はおそらく、食料などを奪ってフルーネフェルト男爵領に運んでいるものと思われます!」

「……なるほど、そのような手があったか」


 ヴィーヴォはしばし思案をめぐらせた後、冷静さを保ったままそのように呟いた。


・・・・・・


 冬明けから間もないその日。アプラウエ子爵領の北部、フルーネフェルト領へと続く街道からほど近い小村では、農民たちが農地の手入れに励んでいた。


「……ん? 何だ?」


 午後、一人の農民が、街道を進んでくる騎馬の集団を遠く認める。

 次第に近づいてくる集団は、顔を何かで覆い隠していた。そして、どうやら武装しているようだった。


「た、大変だ! おい、襲撃だ! 盗賊か何か知らないが、危なそうな連中が来るぞ!」


 警告は周囲の農民たちへ、そして村の方へ伝えられる。

 が、時すでに遅く、迫ってきた十数騎の武装集団は瞬く間に村を包囲した。逃げ出すことができた者はいなかった。

 村の人口はおよそ二百人。数では武装集団よりも遥かに多い。が、そのうち三分の二は女性や子供や老人で、男たちも戦いに関しては素人。軍馬に騎乗して見るからに強そうで、おまけに鎖帷子のようなもので顔を隠した恐ろしげな武装集団が十数人もいては、逆らいようがない。

 さらに、後から徒歩の武装集団およそ三十数人が合流。村は完全に制圧された。


「俺たちはフルーネフェルト伯爵領軍、ラクリマ突撃中隊だ。この村は俺たちが占拠した。抵抗しなければ誰も殺さず、暴力も振るわない。いいか、くれぐれも大人しくしていろよ?」


 村の広場に集められ、怯える住民たちを前に、指揮官らしき男一人だけが顔を曝してそのように語った。

 実際、フルーネフェルト伯爵領軍を名乗るその武装集団は、村の占領に際して誰も傷つけなかった。住民たちは武器で脅され、場合によっては怒鳴られて広場に集められたが、直接的に暴力を振るわれた者はいない。


「もうすぐ、フルーネフェルト伯爵家とアプラウエ子爵家の戦いが始まる。それに先駆けて、これよりお前たちをこの村から追放する。両家の戦いに決着がつけばお前たちも村に帰り、日常に戻ることができるだろう。だが、それまでは村を空けてもらう。戻ってくる者がいれば容赦なく殺す。俺たちとしても民を殺めるのは望むところではない。戦いの集結までは帰ってくるな」

「で、ですが……それでは私たちは、いったいどこに行けば」


 勇気を出して尋ねたのは、村長だった。指揮官は村長に鋭い視線を向け、しかし暴力を振るうようなことはなく、再び口を開く。


「ひとまず南に避難するといい。領都レコッサまで行けば、アプラウエ子爵が食事と寝床の面倒くらいは見てくれるだろう。レコッサに逃げ込むまでの数日分の食料は、持って逃げることを許してやる。財産も運べる分は運び去っていい……村に備蓄されている食料についてはフルーネフェルト伯爵領軍が全てもらい受けるが、戦後には返してやるし、減った分は補填してやる。とにかくお前たちは、何週間か村を空けていれば戦後には全て元通りだ。理解したら早く移動の準備をしろ」


 その後、住民たちは大急ぎで村を去る準備をさせられる。数日分の食料に加え、どの家も多少は蓄えている財産を抱えると、また集められる。


「アプラウエ子爵領の中でも、北部は寂れた田舎だ。子爵はお前たち避難民を最低限は世話してくれても、急ぎ北部に救援を送ってくれることはないだろう……だから俺たちは、これからしばらく北部で好きに暴れさせてもらう。お前たちは南に逃げながら、道中の村の連中に伝えてやるといい。フルーネフェルト伯爵領軍と鉢合わせしたくないなら、早く逃げるようにとな」


 指揮官はそう言って、部下たちに手振りで指示をする。

 と、それまで不気味なほど静かだった将兵たちは、大声で怒鳴ったり、武器で鎧や盾を叩いて大きな音を立てたりと、それぞれ威嚇しながら住民たちを追い立てる。

 顔を隠した得体の知れない者たちの威嚇は、長閑な農村で戦いとは無縁の人生を送ってきた住民たちにとって、それはそれは恐ろしかった。住民たちは悲鳴を上げながら、顔を隠したフルーネフェルト伯爵領軍が追いかけてこなくなるまで必死に走り、故郷の村を去った。

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