第69話 降伏交渉②

「……ひとつ、聞きたいことが。私の認識では、アプラウエ子爵家はノルデンシア公爵家に近しい立場にあったかと思います。フルーネフェルト家に臣従すれば、ノルデンシア家との対立は避けられないと思いますが、本当にいいのですか?」


 懸念点について、ヴィルヘルムは尋ねる。

 血縁関係を築いたのはロベリア帝国の成立当初のことであり、今では血の繋がりも随分と薄れているはずだが、アプラウエ子爵家は帝国東部の北西地域では珍しく、ノルデンシア家に近しい立場として知られてきた。ヴィーヴォがこれほどまでにあっさりと鞍替えしてきたことは、ヴィルヘルムからすれば少々意外だった。


「その点については、ご懸念は無用と存じます……当家としては、もはやノルデンシア家の傘下に入りたいとは思えません」


 ヴィルヘルムに視線を返しながら、ヴィーヴォははっきりと言った。


「私が軍を率いてフルーネフェルト家に敵対した今回の戦いにおいて、ノルデンシア家が援軍どころか何らの助力も成さなかったことが、当家とノルデンシア家の現在の距離感を表す証左になっていることと思います。アプラウエ家がフルーネフェルト家に勝てば、助力を成す。それがノルデンシア公爵より届いた言葉でした。血縁を結んだのはもう随分と昔のことで、領地の遠さもあって元よりかの家とは疎遠になりがちな当家でしたが、事ここに至ってはもはや、ノルデンシア家は庇護者としてあてにはできません」

「……」


 ヴィルヘルムから見て、ヴィーヴォは嘘を言っているようには見えなかった。

 ノルデンシア家からすれば、本命の敵はルーデンベルク侯爵家。フルーネフェルト家など、どれほど勢力を増してもさしたる脅威にはなり得ない存在と見られているはず。となれば、東西に敵を抱えている状況でわざわざアプラウエ家に助力するよりも、どちらにせよフルーネフェルト家と敵対せざるを得ないアプラウエ家をそのままぶつけ、フルーネフェルト家を消耗させる方が安上がりとなる。

 下手をすれば、アプラウエ家とフルーネフェルト家をぶつけ合わせて一方を滅亡させ、もう一方も消耗させた上で、北へと勢力を拡大したノルデンシア家が生き残った側の領地をも飲み込み、レコッサの鉄鉱山を自家のものとする……ということさえ公爵が考えていてもおかしくない。


「最悪の場合、ノルデンシア公爵はフルーネフェルト家との戦いで当家を弱らせた上で、レコッサの鉄鉱山を奪い取り、直轄領とすることさえ考えているかもしれません。こちらに不信感を抱かせるような行動をとる庇護者に、誰が従いたいと思うでしょうか」


 ヴィーヴォの考えも同じだったようで、彼はそのように続けた。

 やはり、政治的な駆け引きに関しては相当に聡い人物だと、ヴィルヘルムは内心で彼への評価を高めていく。


「これから主となる御方を一方的に評するようで畏れ多いことですが、私としてはノルデンシア公爵よりも、弱小の立場から実力ひとつでここまでの勢力拡大を成し遂げられたフルーネフェルト伯爵閣下の方が、遥かに魅力的な庇護者であると存じます……そもそも、元来アプラウエ家は反ルーデンベルク侯爵家であって、必ずしも親ノルデンシア公爵家というわけではありませんでした。ノルデンシア公爵に庇護者としての役割を担ってもらえないのであれば、才覚に溢れる新たな為政者への臣従を誓うのは、中小貴族としては自然なことと存じます」

「……なるほど。確かに貴方の言う通りですね」


 綺麗ごとばかりではなく、ここにきてある程度明け透けな本音を見せることで、政治的に協力し合う貴族家当主として己の信用度を高める。この立ち回りも上手いと、ヴィルヘルムは思った。

 もはや疑いようもなく、ヴィーヴォ・アプラウエ子爵は有能な政治家。油断ならない相手だが、だからこそこちらへ強硬な反発を抱かせないまま傘下に加えたい。このような人間を手懐けることもできなければ、一国の主にはなり得ないだろう。


「分かりました。では貴方の提案を受け入れ、レコッサと鉄鉱山、その周辺はアプラウエ子爵家の領地として今後も安堵しましょう……ただ、それに際してひとつだけ条件を」

「はっ、どのようなものでしょうか」


 少しばかり身構えるヴィーヴォに、ヴィルヘルムは薄く笑みながら続ける。


「私の後ろに控えている騎士エルヴィンは、フルーネフェルト伯爵領軍の隊長も務める、軍事における私の最側近です。そして、我が伴侶アノーラの兄でもあります。私がさらなる躍進を果たした暁には、彼に爵位を与え、新たに貴族家を興させたいと考えています……そして、彼には未だ伴侶がいません。アプラウエ卿、貴方には未婚のご息女がいますね?」


 その問いかけだけで、ヴィーヴォはヴィルヘルムの意図を察したようだった。

 王侯貴族にとって、結婚は最大の信用をもたらす儀式。互いに裏切らないことを、最も確かなかたちで保証する誓約。ヴィーヴォが自身の子を、ヴィルヘルムの最側近であるエルヴィンのもとへ嫁入りさせれば、それはフルーネフェルト家に対する臣従の確固たる証となる。

 貴族とて人間である以上、我が子は可愛い。仮にそうでないとしても、我が子を見捨てる冷酷な人間は信用されない。エルヴィンのもとへ嫁ぐアプラウエ家の令嬢は、言葉を選ばずに言えば、ヴィーヴォの裏切りを防ぐ人質の立場となる。


 ヴィルヘルムとしては、鉄鉱山という極めて重要な財産を有する、良くも悪くも有能な貴族を、何の鎖もなく傘下に置くことは避けたい。例えばこの先ノルデンシア公爵の一派が勢力を北へ拡大したとき、ヴィーヴォから再びノルデンシア公爵の側に寝返られては困る。娘がフルーネフェルト家の側近のもとへ嫁いでいれば、もはやヴィーヴォはフルーネフェルト家を裏切ることはできず、そもそもノルデンシア公爵に受け入れられることもなく、こちら側であり続ける。

 もちろんこの取引については、事前にエルヴィンにも相談し、彼の了承を得ている。ヴィーヴォの息女についてはヴィルヘルムも一度フルーネフェルト劇場に招待したことがあり、美しく理知的で魅力的な女性であることは分かっている。エルヴィンも彼女の顔を知っている。顔も人柄もまったく知らない相手と結婚する者も少なくない貴族社会においては、恵まれた縁談と言える。


「私としては、是非あなたのご息女に、この騎士エルヴィンと結婚してもらいたい。そうすることで、アプラウエ家をフルーネフェルト家に最も近しい貴族家のひとつとして迎えたい。いかがでしょう? 悪い提案ではないと思いますが」


 この提案をヴィーヴォが断れば、彼の臣従が果たして真に忠誠心を伴うものなのかを、ヴィルヘルムは堂々と疑うことができる。一方で、これはヴィーヴォにも確かな利益のある話。アプラウエ家が主の妻の実家の姻戚となれば、粗雑に扱われない保証となる。一度はフルーネフェルト家に敵対したヴィーヴォにとっては、魅力的な提案のはず。きっと乗ってくる。

 そんなヴィルヘルムの予想通り、ヴィーヴォはしばし考える表情を見せた後、笑みを作った。


「……一度は閣下に敵対した身で、このように素晴らしいお話をいただけるとは。閣下の慈悲深さに心より感謝を抱きながら、ご提案を受けさせていただきたく存じます」


 そう語ったヴィーヴォは、ヴィルヘルムの傍らにいるエルヴィンに向けても会釈する。彼と親類になることが決まったエルヴィンも、一礼を返す。

 それを横目に見ながら、ヴィルヘルムは笑みを深める。

 君主の妻の実家が平民というのは見栄えがよくない。エルヴィンの役割の重要性を考えても、彼をいずれ貴族にするのは決定事項。

 エルヴィンに爵位を与える上で、彼の伴侶が伝統ある貴族家の出身であれば、彼が貴族になる上での説得力も増す。鉄鉱山を抱える有力貴族家であるアプラウエ家との姻戚関係は、その点でも都合の良いものだった。


「承諾に感謝します。それでは……これからよろしく。ヴィーヴォ・アプラウエ子爵」

「はっ。フルーネフェルト伯爵閣下の忠実な臣として、尽力いたします」


 主としての態度で言ったヴィルヘルムに、ヴィーヴォは忠誠心を示すように、深く礼をする。

 こうして、新たにアプラウエ子爵家がフルーネフェルト伯爵家の傘下に加わった。

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