第70話 告白
その後、アプラウエ子爵家の臣従と領地割譲は、順調に進行した。
まず、ラクリマ突撃中隊によって備蓄食料を奪われた領内北部の村々の住民たちは、無事に故郷に帰った。彼らに対し、ヴィルヘルムは奪ったり燃やしたりした食料を約束通り返還した。迷惑料も兼ねて、多少多めに食料を渡し、現金も与えた。
そうして北部の住民たちのフルーネフェルト家に対する心証を良くした上で、レコッサの周辺地域を除くアプラウエ子爵領の掌握を開始した。フルーネフェルト家が新たに領主家となったことの宣言。同時に多少の減税の布告。そして、フルーネフェルト伯爵領軍への募兵。各地域の中心を担う都市や大きな村ではヴィルヘルム自身が、その他の村々では騎士たちが、新領民への説明を行った。
徴税に関する資料などはヴィーヴォから迅速に提供され、統治に必要な情報も揃った。今後、治安維持と防衛に関してはエルヴィン率いるフルーネフェルト伯爵領軍が、徴税に関してはラウレンスと彼の下にいる官僚たちが担うことになっている。
アプラウエ子爵領軍の扱いについては容易だった。アプラウエ家の抱えるこの正規軍人たちは、元より半数以上がレコッサやその周辺地域の出身者。およそ三百ほどが、そのままアプラウエ家の手勢としてレコッサと鉄鉱山を守り、戦時は徴集兵を含めた部隊がヴィルヘルムのもとへ供出されることとなった。
その他の軍人たちのうち、希望者およそ百五十人については、そのままフルーネフェルト伯爵領軍に受け入れる。一度はフルーネフェルト軍と死闘をくり広げた彼らだが、働いて家族を食わせなければならない以上、仕える主君を替えて軍人を続けたいと考える者は多い。彼らは主に旧アプラウエ子爵領の治安維持要員として、本隊からはしばらく離して運用される予定となっている。
アプラウエ子爵令嬢の嫁入りの件についても、ひとまず詳細がまとまった。令嬢はこの秋、エルヴィンと結婚してフルーネフェルト伯爵領に移り住むことが決定し、それに向けた両家の準備も開始される。
そうして諸々の事項が順調に進むある日――ヴィルヘルムは、自身の執務室に主要な顔ぶれを集めた。
軍部からはエルヴィン。文官からはハルカ、ナイジェル、ヘルガ。フルーネフェルト伯爵家を長く支える最側近たちが並ぶ。
ヴィルヘルムの傍らには、現在妊娠六か月ほどで、随分とお腹の膨らみが目立つようになったアノーラも座っている。
「忙しい中、集まってくれてありがとう。今日は皆に、僕個人についての重要な話を伝えたいと思って呼んだんだ」
一同を見回し、ヴィルヘルムはそう語り始める。
静かに話の続きを待つ彼らを前に、小さく深呼吸をして、再び口を開く。
「……僕には生まれたときから、前世の記憶がある。この世界とは違う世界で、二十年を生きた記憶が」
その言葉に対する反応は、劇的なもの――とはいかなかった。皆、言葉の意味をいまいち飲み込めない顔をしていた。
そんな彼らに対し、ヴィルヘルムはさらに語る。自分が前世で生きたのはどのような世界だったか。その世界でどんな人生を送ったか。その人生で得た知識を、これまでどのように活用してきたか。誰が聞いても妄想とは思えないであろう、あまりにも整合性のとれた話に、一同はまず驚き、そして次第に納得したような表情になっていく。
自身が言わば転生者であることについて、ヴィルヘルムが自ら明かした理由はいくつかある。
例えば、現在密かに開発を進めていた黒色火薬。
黒色火薬を知っているのは自身だけである現状、三つの材料の最適な配分を探る実験を、ヴィルヘルムは自ら行っている。屋敷の増築工事が終わった夕方以降、裏庭の倉庫――かつて千歯扱きを製作した場所で、一人実験を重ねている。少し試したいことがあると言って皆を遠ざけた上で。
しかし、このやり方にも限界がある。多忙な身であるためになかなか時間を確保できず、実験の進みは遅い。黒色火薬を完成させて後に兵器化するとなれば、いずれは他者の手を借りなければならなくなる以上、あまりいつまでも一人で作業をするのは非効率的すぎる。
加えて言えば、火薬が完成していない現状はまだいいが、完成に近づけば爆発音が倉庫から響くことになり、黒色火薬の秘匿の点で懸念が起こる。おまけに、安全とは言えない実験を慣れない手つきで行っている以上、いずれは自分の指を誤って吹き飛ばすか、倉庫を燃やしかねない。
自身に代わって実験の実務を担ってくれそうな人材はある。ノエレ村の生き残りで、リシュリュー軍との戦いで片足を失い、以降は領軍の裏方として雑用などをこなしている男性領民がいる。材料のうち硫黄と硝石についての詳細は伏せた上で、フルーネフェルト家に恩義を感じていて忠実な彼を実験担当に任命すれば、ヴィルヘルムは情報漏洩の心配なく実験を進めることができ、彼は不自由な身体でも重要な仕事をこなして高い給金を得ることができる。
とはいえ、市街地から離れた実験場の準備や実務面の支援などは、ヴィルヘルム一人では行えない。せめてエルヴィンには黒色火薬の件を明かし、実務を担ってもらう必要がある。となると、自身が黒色火薬の知識を持つ理由――転生者であることを打ち明けた方がいい。
他にも、本格的な輪裁式農業の実現を目指すにしろ、前世での知識を躍進や建国の様々な場面で役立てるにしろ、この地にはない知識や知恵を披露する上で「本で読んだ」という説明を押し通すには無理がある。最側近たちにだけでも真実を明かした上で、他の臣下や領民たちに適当な説明をする協力をしてもらう方がいい。
ヴィルヘルムはそのような理由で、エルヴィンとハルカ、ナイジェルに自身の過去を話す決意をした。ヘルガにも明かすのは、側近たちと内密の話をする上で、大抵は彼女が傍仕えとして控えているため。
「――話は以上だ。君たちが信じて受け入れてくれることを願っているよ」
少しの緊張を覚えながら、ヴィルヘルムは語りきった。
傍らに座るアノーラの表情には、驚きはない。彼女は数日前、既にこの話を聞かされている。そして一切の動揺も葛藤もなく、前世の記憶を持つ伴侶を受け入れ、これまでと何ら変わらない愛を誓ってくれた。
アノーラが今まで通り自分を愛してくれているからこそ、その事実が心の支えとなり、側近たちに打ち明ける上で恐怖は薄かった。
彼らの反応は如何に。ヴィルヘルムが一同に視線を巡らせると、彼らの表情に、例えば主を気味悪がったり恐れたりする様子は少なくともなかった。
「……私は信じます。何と申し上げるべきか……どこか、納得しました」
最初に口を開いたのはエルヴィンだった。
「あ、私もです。そんな世界で前世を生きていたのなら、閣下がこれほど凄い御方なことも理解できるというか」
「頼もしいと感じて、今まで以上に敬意を抱くことはあっても、少なくとも恐ろしいと思うことはありませんよ」
エルヴィンに同意するようにハルカが語り、さらにはナイジェルが、ヴィルヘルムの内心を察してかそのように言う。
「……」
「ほら、言った通りだったでしょう?」
側近たちの反応に安堵しながらヴィルヘルムが振り返ると、目が合ったアノーラは優しく微笑みながら言った。
前世の記憶がある自分を、皆は今まで通り受け入れてくれるだろうか。ヴィルヘルムのそんな懸念に対し、アノーラは大丈夫だと断言した。だからこそヴィルヘルムも、こうして側近たちへの告白に踏み切った。
彼女の考えはやはり正しかった。そう思いながら、ヴィルヘルムは愛する伴侶に笑みを返す。
「閣下」
次に言葉を発したのはヘルガだった。
「私にはあまり、難しいことは分かりませんが……前世の記憶がおありだとしても、貴方様がヴィルヘルム様であることは変わりません。閣下がご家族に愛され、ご家族を愛しながらこのお屋敷で育ち、フルーネフェルト領のために尽くされてきたお姿を私は見てきました」
ヴィルヘルムにとっては祖母のような存在である彼女の素朴な言葉が、側近たちの心情を純粋に表していた。エルヴィンも、ハルカも、ナイジェルも、ヘルガに同意するように頷いた。
「……ありがとう、皆」
ヴィルヘルムは側近たちを見回し、笑みを浮かべる。
「ヘルガの言った通り、たとえ前世の記憶があるとしても、今の僕はヴィルヘルム・フルーネフェルトだ。僕の決意は変わらない。もっと躍進して、自分の国を築く。付き従ってくれる君たちのためにも……これからも、僕と一緒に歩んでほしい」
自身の秘密を知った側近たちと、そしてアノーラと共に、この先も進んでいく。
直轄領をさらに拡大させ、アプラウエ子爵家を傘下に加え、帝国東部の北西地域の過半を手中に収めた。今年のうちに残る貴族領を治めて北西地域を完全に掌握し、さらに南、小貴族領群へと勢力を拡大させる。
そうして進み続ける。強い国を築き、庇護下の者たちを守り続けるために。
★★★★★★★
ここまでが第二章となります。
お読みいただきありがとうございます。
今後の更新と、別作品の刊行予定についてお知らせです。
作者エノキスルメの別作品『フリードリヒの戦場』の書籍2巻が、2025年1月25日に発売されます。
それに伴い、今後しばらくWEB版『フリードリヒの戦場』の方を更新してまいります。
『アクイレギアの楽園』については不定期更新となります。時間はかかるかもしれませんが、完結まで進みたいと思っているので、気長にお付き合いいただけますと幸いです。
アクイレギアの楽園 エノキスルメ @urotanshi
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