第68話 降伏交渉①
アプラウエ子爵領の征服とさらなる躍進準備を迅速に進めたいヴィルヘルムとしても、ヴィーヴォとの決着はできるだけ早くつけてしまいたい。アプラウエ家に臣従を誓わせ、フルーネフェルト伯爵家のさらなる勢力拡大に協力させたい。
である以上、ヴィーヴォの抵抗に付き合うよりも、交渉に応じてアプラウエ家を穏やかに降伏させる方がいい。
なのでヴィルヘルムは、ヴィーヴォの提案に応じた。領都レコッサの近郊、一般常識として刃傷沙汰が厳禁とされる人里離れた教会にて、彼との会談に臨んだ。
「フルーネフェルト伯爵閣下。まずは、この場にお越しくださったことに感謝申し上げます。私は閣下の降伏勧告を拒否し、戦いに臨んだ身。にもかかわらず、こちらの交渉にお応えくださった閣下のお慈悲に敬意の念を抱き、一方で自分の愚かさを恥じております」
分かりやすくへりくだって言うヴィーヴォの態度と、彼からの呼称が「伯爵閣下」に変わっていることに、ヴィルヘルムは思わず苦笑を零す。
「私としても、貴方との戦いはできるだけ早く、穏やかなかたちで決着をつけたい。民をあまり長く動員することも、徒に戦わせて死傷させることも避けたいですから。なので、こうして話し合いの場を持てたことを嬉しく思いますよ」
「民に対してもそのように慈悲深きお考えをお持ちとは。我が身の安全と家の存続ばかりを案じていたこの私、誠に感服いたしました」
「あはは、ありがとうございます……それで、アプラウエ子爵家としてはどのような降伏条件を考えているのか、早速聞かせてもらっても?」
さらに語られた露骨な世辞は苦笑交じりに受け流し、ヴィルヘルムは話を本題に移す。
「はっ、それでは……当家としては、領都レコッサのある南東一帯を除く、アプラウエ子爵領の全領土をフルーネフェルト伯爵家にお譲りいたします。人口としては、およそ四万五千ほどになるかと。地図や、各都市と村についての詳細、税の記録など、必要な情報も全てお渡しいたします。その代わりとして、先祖代々の膝元たるレコッサと鉄鉱山、その周辺地域は安堵いただきたく存じます」
ヴィーヴォの言葉に、ヴィルヘルムは小さく片眉を上げた。
アプラウエ子爵領の人口は南、より正確に言えば南東側に寄っている。手元に残す人口が一万五千ということは、鉄鉱山のある山地とその麓の一帯だけを領地として維持するだけの状況となる。
まだ戦おうと思えば戦える状況で、自ら提案する条件としては、最初から相当に譲歩していると言える。
「……少し、意外でした。なかなか思い切った提案ですね」
「私の愚かな行いを思えば、アプラウエ家の魂とも呼ぶべきレコッサと鉄鉱山を除き、全てを差し出すことで臣従の意を示すことが必須と考えました。だからこそこのような提案をさせていただいています」
ヴィーヴォは表情を変えず、低姿勢で答える。
その言葉に無難な微笑を返しながら、ヴィルヘルムは思案をめぐらせる。
緒戦で敗北して北部を制圧されたとはいえ、アプラウエ家にはまだ余裕が残っている。人口の多い南部で民をかき集めれば、二千かそこらは集まるだろう。
とはいえ、次に戦うときはおそらく、アプラウエ子爵領北部の民まで動員したフルーネフェルト軍の方が数でも勝る。加えて、さらなる徴集で無理やり数を揃えたアプラウエ軍の士気は低い。地の利はアプラウエ軍の側にあるため、絶対に勝てないというわけではないだろうが、敗色濃厚ではある。
再戦までして敗ければ、アプラウエ家はいよいよ追い詰められる。レコッサに立て籠もって持久戦に臨もうにも、すぐに食料が尽きて敗北するのは必至。その段階までくれば、ヴィーヴォは降伏しようと全てを奪われる。せいぜい、助命されれば幸いというところ。
だからこそ彼は、レコッサと鉄鉱山、その周辺一帯だけでも確実に維持するため、このような条件を提示してきたと思われる。
余力を残して降伏するからこそ、交渉の余地が生まれる。最低限残したいもの――レコッサと鉄鉱山を手元に残す代わりに、それ以外の全てを差し出し、領地が速やかに割譲されるよう全面的に協力すると言えば、敵側、すなわちフルーネフェルト伯爵家にも考慮の余地が生まれる。
さらに戦い、時間も金も人名も費やした末に力ずくで屈服させるのと、平和的に臣従させるのとでは、後者の方が好ましいのは間違いない。今後の躍進を考えれば征服地の支配にあまり労力を割きたくないフルーネフェルト家としては、尚更ありがたい。
そして、領都レコッサと鉄鉱山、それを支える周辺地域以外の全てを譲り受けるというのは、ヴィルヘルムの想定としては相当に良い条件だった。
ヴィルヘルムが最も欲しているのが、直轄領としての土地と、そこで暮らす民。農業に関して他家に勝る有利のあるフルーネフェルト家は、広い土地と多くの民を抱えることで、それらを土台に軍事力を確保し、いずれ築く国の支配権を各個たるものにする。それこそがヴィルヘルムの計画。
である以上、広大な土地と四万五千の民を手にするというのは、魅力的な話だった。この話を受け入れれば、フルーネフェルト家の直轄領の人口は八万に届く。
レコッサと鉄鉱山はアプラウエ子爵家のもとに残ることとなるが、フルーネフェルト家の財産としては既に岩塩鉱山という十分なものがあり、今後の軍備拡張を見据えた上でヴィルヘルムが欲しいのは、鉄鉱山というよりは鉄そのもの。アプラウエ家より、鉄が妥当な価格で安定的に供給されるのであればそれで事足りる。むしろ、レコッサと鉄鉱山という巨大な財産を管理する手間もかからずに良質な鉄が手に入るのならば、統治に割く人手が不足気味なフルーネフェルト家としては僥倖とさえ言える。
アプラウエ家が途中で裏切る心配は、あまりしなくていい。八千の人口を擁し、職人や鉱山労働者を多く抱えるレコッサは、ルールモントと同じ理屈で食料自給率が低い。フルーネフェルト家に逆らっても、レコッサを包囲されればそう長くは持たない。また、領地の合計人口が一万五千まで減るアプラウエ家は、大規模な常備兵力を持つことは叶わなくなる。逆に直轄領の人口が大幅に増すフルーネフェルト家の脅威にはならない。
一方で、アプラウエ家の側も、フルーネフェルト家に降伏条件を覆される心配はあまりしなくていい。レコッサ周辺以外の領地を、統治に必要な情報や実務も含めて割譲してもらうとなれば今しばらく時間がかかり、その間に両家の誓約内容――フルーネフェルト家がアプラウエ家にレコッサと鉄鉱山を安堵したことも自然と広まる。その上で、用済みとなったアプラウエ家との誓約をいきなり覆せば、君主家としてのフルーネフェルト家の信用は地に落ちる。
むしろ、フルーネフェルト家は積極的にアプラウエ子爵領を守る。鉄鉱山を抱えるアプラウエ家を、自家の傘下に置き続けたいからこそ。なのでアプラウエ家は、人口と共に常備兵力を減らしても、レコッサと鉄鉱山さえ抱えておけば問題ない。
ヴィーヴォとしては、そこまで見越した上でこのような提案をしているはず。結論として、彼の提案した条件は、実に絶妙な内容だった。
おそらく彼は、こちらが軍事力を、その土台となる人口を欲していることを察した上でこのような提案をしている。臣従させた西の小貴族領群に税を上納させた上で、自領において予備役制度のようなものを整備していることを、情報収集によって掴んでいるのだろう。
臆病者と評されることを承知の上で一度戦場から逃走したのも、捕縛されて不利な条件で降伏させられることを避け、再戦の余地を残した上であえて交渉を申し出ることで、できるだけ対等に近い立場で双方の利点を提示し、自家に有利な降伏条件を引き出すためか。そうしてレコッサと鉄鉱山を維持すれば、危機的状況でも権力の根幹を守り抜いた当主として、家に近しい者たちや都市部の有力者からの支持は保つことができる。
政治的な立ち回りについては、なかなかよく考えられている。将としてのヴィーヴォは――実戦経験も持ち得ないこのような時世では仕方のないことだが――決して強敵とは言えなかった。しかし政治家としての彼は、極めて強かで、有能で、だからこそきっと手強い。
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