第61話 躍進準備④

 ヴィルヘルムの知る前世と比べれば医療技術も衛生知識も未発達なこの世界において、しかし貴族に限れば子供の死亡率は意外なほど低い。その背景には、この世界にしかない薬草を原材料とした薬の数々がある。

 これらの高価な薬を用いることで、貴族をはじめとした富裕層の子供は、かなりの確率で成人まで生き長らえる。フルーネフェルト伯爵家とルーデンベルク侯爵家で姻戚関係を結ぶ約束が、ある程度の確約として成立するのも、このような事情があってのことだった。

 子供の大半が生き残る以上、あまり人数を多く作ると後の面倒を見るのが大変になる。仕事や嫁ぎ先、婿入り先を用意するのに苦労する。かといって、家の血を継ぐ者を簡単に家から放り出すわけにもいかない。なので貴族は、子供を作る数を、せいぜい数人程度に絞ることが多い。六人も子供を作ったかつてのキールストラ子爵などは非常に珍しい例。


 一方で平民は、できるだけ多くの子供を作る。平民家にとって子供は世継ぎであると同時に労働力であり、成人する前に病気や事故で死ぬ確率も低くないからこそ。一家に五人以上の子供がいる例も珍しくない。

 それでも、人口が激増するようなことはなかなかない。子供の死亡率が低くないことはもちろんのこと、そもそも結婚して家庭を持つ者が決して多くないために。

 平民の、特に成人男子で結婚できる者は、商人や職人、自作農などが多い。都市部の日雇い労働者や、農村部の小作農などでは、収入の少なさや不安定さのために結婚できる者が限られる。生涯独身であることが珍しくない。

 そんな社会で、自領内、特に領都ユトレヒトの次世代の人口を増やすために、ヴィルヘルムはある試みを始めた。


「それでは、我が領軍の将兵諸君! そして若き婦女諸君! 今日は大いに語らい、食べ、飲んでほしい! 君たちに良い出会いがあることを領主として願っているよ!」


 ユトレヒトの中央広場に集まった男女へ向けて、ヴィルヘルムは酒の杯を掲げながら言う。それに対し、集まった男女が歓声で応えながらやはり酒の杯を掲げる。

 広場に居並ぶのは、このユトレヒトで訓練の日々を送る新兵や、ユトレヒトに移り住んだラクリマ突撃中隊のうち、独身の者たち。そして、ユトレヒトの外から招かれた若く独身の女性たち。総勢で数百人。晴れた昼間に焚き火をいくつも用意すれば、屋外でも極寒というほどではない。

 これは、正規軍人という安定した立場を得た男たちと、社会的地位が低いために結婚の見込みの立っていない女性たちを結びつける、言わば集団での見合いのような宴だった。

 このような場を設けることで、ユトレヒトへの民の移住を促進し、都市内における女性や子供の人口も増やしたいとヴィルヘルムは考えている。


「料理や酒はいくらでもある! 全てフルーネフェルト家の奢りだ! 遠慮なく楽しんでほしい!」


 そう呼びかけて挨拶を締めたヴィルヘルムは、賑やかな広場の光景を見回した後、その場を去って屋敷へ戻る。領主の自分が長居しても民を緊張させてしまう上に、自分には仕事が山ほどあるからこそ。宴の場は手の空いている騎士たちが見張っているので、度を越した大騒ぎになる心配はない。


「……さてと」


 屋敷の執務室に帰ってきたヴィルヘルムは、ヘルガが淹れてくれた温かいお茶を片手に、書類に目を通す。その書類に記されているのは、リシュリュー伯爵家の鉱山開発の記録をまとめたハルカからの報告だった。


 家の財政を傾け、領地の半分以上を他家に売り渡すほどに鉱山開発で失敗したかつてのリシュリュー伯爵家だが、成果を何一つ得られなかったわけではない。

 大規模な崩落事故が起こった銅鉱脈の跡地からは、手作業で細々と削り取られる銅鉱石が僅かながら収入の足しになっている。

 また、白龍山脈はかつて火山が多かったようで、温泉の水脈や硫黄の鉱脈が多い。リシュリュー伯爵領に面する地域もその例にもれず、いくつか温泉があり、多少の硫黄が採掘されている。

 他にも、石材は上質なものが採れるため、リシュリュー伯爵領は石材に困っていなかった。一部はアプラウエ子爵領など南にも輸出され、リシュリュー伯爵家の数少ない収入源のひとつとなっていたという。


 全く成果がなかったわけではないかつてのリシュリュー伯爵家の鉱山開発。その記録に、何か役立つ情報があるのではないかとヴィルヘルムは期待していた。将来的に再開発を試みる場合のヒントになったり、前世の知識を持つ自分だからこそ役立てられる情報が見つかったりするのではないかと考えていた。

 だからこそ、記録を整理し、何か特筆すべき記述があればまとめて報告するようハルカに指示していた。仕事の優先度としては高くないため、ハルカは暇を見つけて少しずつ記録を調べ、こうして随時報告してくれている。

 今回の報告もこれまで通り。よく内容がまとまっていて、リシュリュー伯爵家の失敗続きの過去を知る読み物としてはなかなか面白い。が、参考になる情報はないだろう……と思っていたヴィルヘルムは、ある記述に目を止めた。


「……これって」


 それは、いくつかの天然の洞窟内で見つかった透明な結晶に関する記録だった。

 記録によると、当時のリシュリュー伯爵家の官僚は、その結晶が何かの宝石ではないかと期待したという。しかし、宝石商に聞いてもこのような宝石は知らないと言われ、おまけに水によく溶けるという性質を示したため、稀少価値はなく役にも立たないと見なされたらしかった。


 ヴィルヘルムが注目したのは、水に溶ける、という性質について。

 前世の子供時代、ヴィルヘルムは好奇心旺盛な少年だった。そのような子供の例に漏れず、少しばかり危険で刺激的な知識にも興味を抱いた。

 例えば、火薬について。

 花火や爆竹をきっかけに興味を持ち、黒色火薬の作り方について調べた。その際に調べた知識は今も一応残っている。

 黒色火薬の材料は三つ。木炭。硫黄。そして硝石。これらを混ぜることで完成する。

 このうち、木炭は稀少なものでもないので、幾らでも手に入る。硫黄も、幸いにも旧リシュリュー伯爵領を併合した現在のフルーネフェルト伯爵領では大量に採掘できる。

 しかし硝石については、現在のイデナ大陸西部においてはまだ知られていない。ヴィルヘルムが憶えていたのは、透明な結晶であるということと、水に溶けやすいという性質だけ。作り方も探し方も分からなかった。


 この記録にある、水に溶けやすい透明な結晶が、もし硝石だとしたら。

 未だ火薬を知らないイデナ大陸西部において、フルーネフェルト家がいち早く黒色火薬を製造できるようになれば。

 この動乱の時代において、圧倒的な、凄まじい有利を得られる。


「……」


 記録には、この透明な結晶が発見された洞窟群のある場所についても概ね正確に記されていた。旧リシュリュー伯爵領の、白龍山脈の麓にある農村の近郊だった。

 ヴィルヘルムは立ち上がり、執務室を出る。ハルカを呼ぶよう使用人に言いつける時間も惜しかった。一刻も早くハルカに相談し、この透明な結晶について調べる予定を立てたかった。


・・・・・・


 それから一週間後。記録にあった通りの場所をヴィルヘルムが調べさせると、そこにはまだ件の洞窟群があった。

 透明な結晶も見つかった。洞窟の奥、壁面に露出しているその結晶は、しばらく採掘を続けてもそう簡単にはなくならないであろう量があったという。

 ユトレヒトに持ち帰らせた結晶を用い、ヴィルヘルムは屋敷の裏庭、かつて千歯扱きを作った倉庫の中で自ら実験した。結晶を削った粉末を、硫黄と木炭と混ぜて少量に着火したところ、爆発はしなかったが勢いよく燃焼した。材料の配分を誤るとこういう反応が起こるという知識も憶えていたため、自身の推測はどうやら間違っていなかったと、ヴィルヘルムは理解した。


 とはいえ、喜ぶにはまだ早すぎる。問題は、黒色火薬の完成と兵器化、そして運用。

 三つの材料は揃ったが、どのような分量で混ぜ合わせるのかがヴィルヘルムには分からない。何度も実験しながら、最適な分量を調べるしかない。

 実験の末に黒色火薬が完成したとしても、この時代の技術力では、すぐに大砲や銃のようなものを開発し、量産するのはおそらく難しい。爆弾を作ったり、轟音で敵を驚かせたりする使い方が最初は適しているだろう。火薬の製造方法を秘匿しつつ兵器化を成し、いつどの戦場でお披露目するか、考えていかなければならない。

 まずは、秘密裏に実験を重ね、黒色火薬を完成させる必要がある。


 圧倒的な力を手に入れるための長い道のり、その第一歩がこの日から始まった。

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