第20話 恭順と拒絶
「……歓迎いただき感謝申し上げます、などとお答えすべきでしょうかな。てっきり、着いた途端に殺されるものかと思っておりましたが」
マルセルから直々に天幕の中へと案内されたステファンは、椅子も用意されずに立ったまま、皮肉交じりに言った。やや距離を置いて向かい合う位置に座ったマルセルは、それに不快感を示すこともなく、むしろ笑みを浮かべながら再び口を開く。
「貴方が気分を害しておられるのも尤もです。何せ、こちらは傭兵をけしかけ、貴方の領有する村を襲い、貴方の領民を殺したのですから……ですが、そうして一度恐怖を与えるのも必要なことだったのです。フルーネフェルト男爵領民の戦意を挫き、以降の支配を迅速に行うために」
「……やはり、フルーネフェルト男爵領の支配が目的ですか。そもそも何故、我が領を支配下に収めようなどとお考えになったのです?」
その問いに、マルセルは笑みを深くする。聞かれるのを待っていた、と言わんばかりに手を広げる。
「リシュリュー伯爵家の再興のためです。ロベリア帝国の秩序が崩れゆく今、私も新時代に一国を築く勝者となることで、我がリシュリューの家名をかつてのように、いえ、かつて以上に偉大なものとする。そう決意したからこそ、まずは西隣に位置するフルーネフェルト男爵領を征服したいのです」
「ルーデンベルク侯爵家と姻戚になるはずだったフルーネフェルト男爵家を攻撃しておいて、このまま無事で済むとお思いか? これから訪れる動乱の時代、リシュリュー伯爵家が一国を築くほどに成り上がれると本気でお思いか?」
「思っています。私も馬鹿ではありません。行動を起こすに足る勝算は得ています」
自信をもってマルセルが答えると、ステファンは黙り込む。
しばし沈黙が流れ、マルセルの方からそれを破る。
「さて、フルーネフェルト卿。そろそろ話し合いに臨むとしましょう」
「……こちらに選択の余地はないのでしょう。まともな話し合いになればいいが」
警戒心を隠さず言うステファンに、マルセルは笑った。
「ははは、そう頑なにならず……何も、貴家に一族郎党死ねと言うのではありません。私を新たな主と認め、恭順を示してくれればそれでいいのです」
「恭順とは、具体的にどのような?」
「私が勢力拡大を急いている理由は他でもない、より強大な軍事力を欲しているからです。なので貴家にも協力してもらいたい。今後フルーネフェルト男爵家には、私が求めるだけの徴集兵を供出してもらいます。そしてフルーネフェルト男爵領において、我が軍による駐留、物資や軍資金の徴収をはじめとしたあらゆる軍事行動を認めてもらいます。それに伴い、我が兵による乱暴狼藉があった場合、それに関する裁判権を放棄していただきます。我が軍の迅速な行動が阻害されてしまうかもしれませんので……とはいえ、貴家そのものには手を出さないのでご安心を」
マルセルの答えを聞いたステファンは、また沈黙する。
・・・・・・
沈黙の中で思案したステファンは、論外だ、と結論づける。
要は、リシュリュー伯爵家は軍事行動のために、フルーネフェルト男爵領から兵や物資や金を好きなだけ持ち去るということ。それに際し、本来は裁判によって罪を課すべき乱暴狼藉をくり広げるということ。
民の犠牲を厭わないリシュリュー伯爵のこと。兵への褒美代わりに、私的な略奪や欲求を満たすための暴行を許すのは目に見えている。ノエレ村の民に起こったような悲劇が、この先もくり返される可能性が極めて高い。
フルーネフェルト男爵家には手を出さない、という約束も、どこまで守られるか分かったものではない。現時点でも、マルセルは建前すらも整えずにこちらから民や物資や金を搾取するつもりでいる。最終的に何をしてくるか、分かったものではない。
自分は一族と臣下臣民がこれ以上命や尊厳を奪われないために、自領に安寧を取り戻すために、僅かな希望に賭けてこの会談の場にやって来た。ここでマルセルが示した「恭順」の形を認めてしまえば、命をなげうつ覚悟でこの場に立っている意味がない。
フルーネフェルト男爵家の当主として、マルセルとその軍勢がフルーネフェルト男爵領を地獄に落とすことを、ここで公式に認めるわけにはいかない。庇護下の者たちと、死んだ者たち――亡き息子エーリクのためにも。
もし自分がマルセルの要求を拒絶すれば、おそらくこのまま無事に帰ることは叶うまい。リシュリュー伯爵家による暴虐を無抵抗で受け入れることはしないと自分が決断すれば、その決断を実行に移すのは残されたヴィルヘルムとなる。
数倍の領地規模を誇る隣領の領主による侵攻。それを、領都ユトレヒトにいる民だけで、数でも士気でも大いに劣る兵力だけで、迎え撃つ運命を強いる。あの心優しい息子に。それはとても残酷なことなのかもしれない。
しかし、ヴィルヘルムもまたフルーネフェルト男爵家の血を、領主貴族としての特権と義務を継ぐ者。息子可愛さに領主としての決断を歪めることはできない。
そして何より――あの聡明な次男ならば、奇跡を成すのではないかと思えてならない。エーリクとは違うかたちで、エーリク以上の才覚を持つあの息子ならば。エーリクに代わって家督を継がせるべきかもしれないと、かつて自分に本気で考えさせたこともあるヴィルヘルムならば。
最後にヴィルヘルムが見せた表情を思い出しながら、ステファンはそう考える。
「いかがでしょう、フルーネフェルト卿。悪い話ではないと思いますが」
問いかけられ、ステファンはマルセルの目を見据える。
決意が揺らぐこともないまま、はっきりと言い放つ。
「そのような申し出は承諾しかねます。我がフルーネフェルト男爵家が庇護する民を思えばこそ、降伏するわけにはまいりません。それでは降伏する意味がない……今日まで我が領の民を庇護し続けてきた先祖たちを、この血に流れるフルーネフェルト男爵家の義務を、何より、民を救わんとして命を落とした息子を裏切ることになってしまう」
「ああ、エーリク殿のことですか。私も昨夜、報告を受けました。彼の不運な死については、私としても心苦しく思います……ルーデンベルク侯爵家との婚約さえ解消してもらえれば、何も彼を殺す気などなかったのですが」
マルセルは大仰にため息を吐き、首を振ってみせる。
「話を戻しましょう。貴方がフルーネフェルト男爵家の当主として降伏してくださらないのであれば、こちらも実力をもって貴家を支配下に置くしかありません。ユトレヒトの民は、先に襲われた村民たちのような悲劇に見舞われるでしょうが、この場での降伏を拒否なさった以上は受け入れていただきたい。そして、貴方をこのままお帰しすることもできかねます」
言いながら、マルセルは軽く手を掲げる。それを合図に、天幕内に控えていた三人の騎士――いずれもリシュリュー伯爵家の重臣たちが、一歩前に歩み出る。
ステファンの護衛として後ろに立つノルベルトが、腰に帯びた剣の柄に手を触れる。
「ああ、どうか誤解なきよう。この場で貴方を殺してしまおうというのではありません。最初はそれも考えていましたが……他にもっと良い手を思いついたのです」
誇らしげな表情で、マルセルは語る。
「貴方にはこのまま人質となっていただき、後日の侵攻時、フルーネフェルト男爵領に同行してもらいます。父親が人質となっている様を目の当たりにすれば、ユトレヒトに残るヴィルヘルム殿はさぞかし動揺することでしょう。彼のように善良で心優しい若者を苦しめるのは本意ではありませんが……彼がそうして決断も行動もできなくなっている間に、ユトレヒトを攻撃します。指揮をとるべきヴィルヘルム殿が何らの手を打てず、民は戦意を挫かれているとなれば、まともに抵抗を受けることもなくユトレヒトを蹂躙することが叶うでしょう……こちらもできるだけ、自軍の損耗を抑えて短時間でフルーネフェルト男爵領を屈服させたいのです。貴家が二度と逆らおうなどと考えないためにも、蹂躙が終わるまで再度の降伏勧告はいたしません。ご理解を」
「……なるほど」
そう言って、ステファンは、後ろのノルベルトに手を掲げて合図を送る。
次の瞬間、ノルベルトは素早く剣を抜いた。それに対応するように伯爵領軍の騎士たちも動く。ステファンとノルベルトを囲む三人が剣を構えて包囲の輪を狭め、マルセルの傍らに立つ壮年の騎士が、こちらも剣を構えながら主を庇うように位置取る。
急な状況変化にも一切反応を示さないステファンの背後を、ノルベルトが隙のない姿勢で守る。
伯爵領軍の騎士たちは、誤ってステファンを殺すことを恐れてかそれ以上は動かない。天幕内が緊張に包まれる中で、マルセルが豪奢な椅子から立ち上がる。
「フルーネフェルト卿、どうかお願い申し上げます。早まった真似はお止めください。護衛に剣を収めさせてください。あなたは聡明なお方。ここで抵抗しても逃げられないとお分かりでしょう。私も手荒な真似はしたくないのです。大人しく捕らえられてくだされば、戦いが終わった後、貴方は生きて領地に帰ることができるのです。ヴィルヘルム殿と再会し、今までより制約は多くなるでしょうが、フルーネフェルト男爵として領地を治めていくことができるのです。それに、貴方の護衛も共に生還できます。その方がいいはずでしょう……どうか賢明な選択をなさってください」
「賢明な選択、か」
ステファンは呟くように言った。
「リシュリュー伯爵閣下。貴方にとって私のような小貴族は、大きな野望に向けて歩む途上に置かれた、小さな石ころに過ぎないのでしょう。簡単に踏み越え、あるいは蹴り飛ばせるとお思いなのでしょう……貴方は二つ、間違っておられる。第一に、我が次男ヴィルヘルムは貴方が思っておられるほど弱い人間ではありません。第二に、小貴族にも誇りがあり、意地があります。私にはあなたに打ち勝つ力はありませんが……息子の足枷になることを、ただ受け入れるほど弱くもない」
そう語ったステファンの後ろで、ノルベルトが動く。
敵の急な動きに伯爵領軍の騎士たちが防御の姿勢を取る中で、ノルベルトは正面を向いて剣を構え、そして――仕える主であるステファンの胸を、後ろから刺し貫いた。
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