第57話 深まる混沌
アノーラと語らうひとときのみを休息とし、ヴィルヘルムは帰還の翌日から仕事に臨む。
まずは、外交を担当する従士ナイジェルを執務室に呼び、ルーデンベルク侯爵家の屋敷での社交について詳細を報告させる。
「社交の場でも往復の道中も、アノーラを色々と助けてくれたようだね。ありがとう」
「いえいえ、大したことはしていません。特に社交の場では、私などが口を挟む必要もないほど、奥方様は見事に他家の方々とお話しされていました」
室内の一角にある応接用の椅子に座るナイジェルは、いつもの如く人好きのする笑みを浮かべながら、テーブルを挟んで向かい側に座るヴィルヘルムに答える。
ヘルガが淹れてくれたお茶を囲みながら、ヴィルヘルムたちはしばしの間、雑談に興じる。ナイジェルからは、ルーデンベルク侯爵領への旅の話――一部は昨夜アノーラから聞いた話とも重複していた――を聞き、ヴィルヘルムは自身も侵攻の話を語る。時おり、同席しているエルヴィンも雑談に加わる。
「……それで、宴やその前後の外交では、随分と多くの情報を得られたようだね」
ヴィルヘルムのその言葉で、ナイジェルは笑顔のまま、軽く姿勢を正して頷く。
「はい。帝国東部の各地の情勢について、最新の情報を多く得られました。初めて聞く話も多く、閣下におかれましても興味深いものかと」
そう前置きして、ナイジェルは詳細な報告を始めた。
まず、宴に招かれていたのはフルーネフェルト伯爵家の他に、ブロムカンプ辺境伯家、ヴァザリア伯爵家、ララナス子爵家――すなわちロシュカ連合の御三家。そして、ガルシア侯爵家、ラフマト伯爵家、アンティカイネン伯爵家。さらに、帝国東部の最中央にある小貴族領群から、有力ないくつかの貴族家。いずれも、ルーデンベルク侯爵家と利害が一致し、少なくとも今のところは敵対していない家々。
どの家も当主は冬明け以降への備えで忙しいのか、伴侶なり子供なり親兄弟なり、名代を送り込んでいた。各家の外交官も随行し、名代の補佐や外交官同士の情報交換に臨んでいた。
ジルヴィア・ルーデンベルク侯爵は、ヴィルヘルムとの約束を守った。フルーネフェルト伯爵家と手を結ぶこと、いずれは両家の人間を結婚させ、姻戚関係を築くつもりであることを、出席者たちに向けて明言した。
フルーネフェルト伯爵家に対する各家の反応は、それほど劇的なものではなかった。北西地域において異例の躍進を果たし、さらなる躍進を狙っていることを明言するフルーネフェルト伯爵家だが、今回出席した貴族家とは、地勢的にぶつかる心配はほぼない。ルーデンベルク家との協力が明言されたこともあり、露骨に警戒されたり敬遠されたりすることはなかった。
逆に、仲良くしようとすり寄られることもなかった。おそらくは、フルーネフェルト伯爵家が宣言通りの躍進を果たす可能性は、まだそれほど高くないと各家から思われている。各家の名代も外交官も、リシュリュー伯爵家を討ち滅ぼしたフルーネフェルト伯爵家に対して個人的な好奇心を示すことはあっても、政治的な関心は薄いようだった。
ただ、ヴィルヘルムが伯爵を自称し出したことに対してはまだ抵抗があるのか、「フルーネフェルト家」「フルーネフェルト夫人」など爵位を濁した呼び方をする者が多かった。
外交官たちとの交流では、帝国東部の各貴族家の動向について、より幅広く詳細な情報を得ることができた。
話によると、ロシュカ連合とルーデンベルク侯爵領の間に領地を持つ二つの貴族家と、中央の小貴族領群の一部――宴に招かれていない、あるいは招かれても出席を拒否したいくつかの有力貴族家が結託し、東と南からルーデンベルク侯爵領を攻撃しようと目論んでいるという。
ルーデンベルク侯爵領の東の二貴族領は、合わせて人口七万ほど。そして中央の小貴族領群の中には、一万に迫る程度の人口を抱える、その地域においては有力な貴族家もいくつもある。血縁関係が複雑に絡み合っている小貴族領群において、そうした有力貴族家のいくつかが姻戚たちを含めて結託すれば、十万近い人口を擁する勢力を築くことも可能。
それらの勢力が手を組めば、二方向からルーデンベルク侯爵家に対峙し、まともに戦うことも叶う。彼らの目的がルーデンベルク侯爵家に成り代わって国を築くことなのか、あるいはその領地を削り取って勢力を拡大した上で他の大貴族家――例えばノルデンシア公爵家などに自分たちを高く売り込むことなのかは不明だが、ジルヴィアとしても油断ならない厄介な敵となるはず。冬明けには、激しい戦いが巻き起こるものと予想される。
「なるほど。ルーデンベルク侯爵家も、簡単に周辺の貴族領を傘下に取り込んで建国とはいかないわけか」
「これでもし、アプラウエ子爵家などもルーデンベルク侯爵家への挟撃に加われば、三方からの包囲が完成して十分な勝ち目が生まれます。ルーデンベルク侯爵領の東と南にある二勢力も、どうやらそれを期待しているものと思われますが……ルーデンベルク侯爵閣下としては、フルーネフェルト伯爵家がアプラウエ子爵家の対抗馬として存在している現状を幸いと思っていることでしょう。ご本人が明言されたわけではありませんが」
ヴィルヘルムが腕を組みながら呟くように言うと、ナイジェルはそう補足し、さらに報告を続ける。
南東において、ガルシア侯爵家とラフマト伯爵家が覇権を巡って争う見込みであることは変わらない。実際、その二家の代表は宴の場においても互いに近寄らず、対立の姿勢を明確にしていた。彼らは互いに争うだけでなく、東端を占めるロシュカ連合とも、勢力圏の拡大を巡って衝突するものと思われる。
そして面白い動きを見せているのが、アンティカイネン伯爵家。
帝国東部の南西地域と南東地域の境界あたりに領地を持つこの貴族家は、ノルデンシア公爵家と領地を接しながら、しかしその傘下には加わっていない。背景には、ノルデンシア王国の末期にノルデンシア家と衝突し、その禍根が残っている事情があるという。
アンティカイネン伯爵家としては、ノルデンシア公爵家に服従したくはない。そのため伯爵は、東のガルシア侯爵家と手を結び、ノルデンシア家の東への勢力拡大に対抗する構えを見せている。さらに、同じくノルデンシア家の傘下にない帝国東部南西端のユァン伯爵家とも連係し、東と西からノルデンシア家の一派に立ち向かうつもりでいる。
そのユァン伯爵家は、伝統的に帝国南部との繋がりが深く、そちらからも助力を得るつもりでいる、という噂も聞こえている。
一連の連携が実現すれば、ノルデンシア公爵家の一派は東と西、そして北に敵対勢力を抱えることになる。今のところ帝国東部で最大の勢力を築いているノルデンシア家も、決して安泰とは言えない。
また、帝国東部の最中央や、西側中央にある小貴族領群のうち、ルーデンベルク侯爵家への敵対姿勢を示している者たち以外は、互いに領地の奪い合いに臨む気配を見せている。早い家は既に軍事行動に乗り出している。
彼らとしては、いずれどこかの大貴族に臣従し、その大貴族が築く国に属するとしても、できるだけ広い領地と多くの人口を抱えた貴族として迎えられたい。これから動乱の時代が始まる中で、これまでは同じ帝国貴族という立場上できなかった行為――武力を用いての権勢拡大にも臨みながら、野心を発露させるものと予想されている。
血縁関係が絡み合った小貴族たちの勢力図は、複雑を極めている。帝国全土で起こる動乱を縮小し、さらに難解にしたような光景が、これから小貴族領群でくり広げられるのは必至。領地規模を増して動乱の時代を終える勝者も多く生まれる一方で、没落する家や滅亡する家もおそらく少なくない。
国外についても動きがある。
東のルブニツァル王国は既に帝国東部への攻勢に乗り出しており、ロシュカ連合が迎え撃っている。元より国境防衛を使命とし、実戦経験も豊富なブロムカンプ辺境伯領軍が中心になっていることもあり、敗北の心配はほぼない。が、一国と真正面から戦いながら周辺を支配域に加えなければならないロシュカ連合には、他の勢力の戦いに加勢する余力はまずない。
南東のヴィアンデン王国も、来年には帝国東部に侵入せんと攻勢に乗り出すものと思われる。ヴィアンデン王国との国境のうち、平地で接する地点はちょうどガルシア侯爵家とラフマト伯爵家の領境のあたり。敵である両家が国境防衛に関してはまともに協力し合えるのか、あるいは適切に担当地域を分けて防衛線を固められるのか、今後注視すべき。
「今のところ、帝国東部の情勢はそのようなかたちとなっています」
「……混沌としてきたね。これが動乱の時代か」
ヴィルヘルムは苦い笑みを浮かべながら言った。
フルーネフェルト伯爵家としては、南へと勢力拡大を成しながら、東のルーデンベルク侯爵家が友好的な隣人として存続し、その他の地域においても共存可能な勢力が支配域を固めていくことを願うしかない。ノルデンシア公爵家の一派が弱り、あわよくば倒れてくれれば最良。
しかし、そう上手くいくとは限らない。ノルデンシア公爵家がさらに躍進する可能性。敵対的な隣国の軍勢が、国境を突破してなだれ込んでくる可能性。最悪の例として、ルーデンベルク侯爵家が勢力争いに破れて消え去る可能性さえある。
帝国東部に限ってもこの混沌。中央部や北部、南部が今頃どうなっているか。今後どうなるか。各地の勢力図が安定した後は、地域の境界を越えての戦いもおそらく起こるだろう。
今後数年、もしかするとそれ以上の長きにわたって続くであろう動乱の時代が、どのような帰結を迎えるか、今はまだ想像もつかない。
「まあ、まずはできることをやっていくしかないか……ナイジェル。君にもこの先、忙しく働いてもらうことになると思う。引き続きよろしく頼むよ」
「何なりとお申しつけください。閣下とフルーネフェルト家の御為なら、どこへでも行きますよ」
朗らかに笑いながら言うナイジェルは、既に外交官として非常に頼りになる、フルーネフェルト家にとって欠かせない重臣だった。ヴィルヘルムは将来、彼を外務長官に任命するつもりでいる。
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