第58話 躍進準備①

 帰還から数日後。フルーネフェルト伯爵家の屋敷を、一人の男が訪れていた。


「わざわざ来てもらってすまないね、カスペル」

「いえ、フルーネフェルト閣下がお呼びとあらば、参じるのは当然のことにございます」


 カスペルと呼ばれた男は、応接室でヴィルヘルムと向かい合って座りながら答える。

 齢五十を超えている彼は、元騎士だった。十年ほど前、領内の街道に現れた盗賊討伐において戦闘中に落馬し、重傷を負った。その傷がもとで足に後遺症を抱え、自力で歩けはするが足を引きずるようになったため、騎士としての軍務には耐えられなくなった。

 一線を退いた後は、一文官としてフルーネフェルト家の行政実務を支えつつ、時おり騎士見習いたちの訓練で指導を務めてきた。

 カスペルの息子も父と同じく騎士になり、そして死んだ。彼はノエレ村の戦いにおいてエーリクと共に戦死した四人のうちの一人だった。最近、カスペルは自身の孫も騎士にするべく、熱心に剣術や乗馬を教えているという。


「実は、君に重要な仕事を任せたいと思っていてね……新たにフルーネフェルト家の直轄領となった、ルールモントと岩塩鉱山の管理を」


 ヴィルヘルムの言葉に、カスペルは小さく片眉を上げて驚きを示した。


「それほどの大役、私などに務まるでしょうか」

「僕としては、君こそが適任だと思っている。ハルカも同意見だった。君は元騎士で、この十年ほどは文官として幅広い仕事に携わってきた。社会の治安維持や都市の警備についても、行政実務についても詳しい稀有な人材だ……何より君は、フルーネフェルト家の側近家の親類。その立場にふさわしい忠誠を長年示してくれている。だからこそ僕は、君を心から信頼している」


 カスペルはノルベルトの弟。すなわちアノーラとエルヴィンの叔父で、ヴィルヘルムにとっても義理の叔父にあたる。

 ヴィルヘルムにとっては、親戚関係を理由に信用をおける、ごく限られた人材の一人だった。


「仕事としては、そう難しいものじゃない。細かい実務は地元の官僚たちや鉱山技師たちが担ってくれるし、ハルカも定期的に仕事を手伝いにくる。君の役割は、あくまでも代官としての監督役……もっと分かりやすく言えば、見張りだ。旧来の領主が不在になったことでルールモントの治安が悪化したり、不正が蔓延ったり、それによって鉱山の運営が滞ったりしないように、僕の代わりに見張ってほしいんだ。今後、鉱山にはフルーネフェルト家の重要な収入源になってもらわなければならないし、そのためにルールモントには秩序を保ってもらう必要があるからね」

「……なるほど」


 誰かが領主の目となり耳となり、ルールモントの行政と岩塩鉱山の運営を監視しなければならない。その任にあたるものには、能力はもちろん、何より信用が必要。

 なので、領主の義理の叔父にあたる自分に白羽の矢が立った。カスペルはそう理解してくれたようだった。


「引き受けてくれるのであれば、君には家族と共にルールモントに移り住んでもらう。キールストラ子爵家が使っていた屋敷をそのまま使っていい……そして、基本的に代官の地位は世襲させるつもりでいる。僕が建国を成した暁には、立場に相応の爵位も下賜しよう」


 今や領主家の親類とはいえ、一騎士家にとっては破格とも言うべき待遇に、カスペルは目を見開き、先ほどよりもさらに大きな驚きを示す。


「フルーネフェルト家が躍進すれば、忠誠を示して貢献を為してくれる臣下たちにも当然に恩恵が与えられる。フルーネフェルト家に近しいほど、与えられる恩恵も大きくなる。これは君がこれまで示してくれた忠誠と、為してくれた貢献への正当な対価だ。ぜひ受け取ってほしい」


 ヴィルヘルムの申し出に、カスペルは考え込む表情を見せる。

 カスペルとその家族にとって、これは二度とない大躍進の機会であると同時に、一族の運命を永遠に変える重大な局面。持ち家や所有する農地を手放し、ユトレヒトを離れ、重い責任を担いながら新天地で暮らすか否かを選ぶ岐路。

 しばらくの沈黙の後、カスペルは厳かに一礼する。


「この役目、謹んでお受けさせていただきます。フルーネフェルト伯爵閣下」

「君の決心に感謝するよ、カスペル。この先も君たち一族の献身に報いると、フルーネフェルト家の主として約束しよう」


 ヴィルヘルムは内心で安堵を覚えながら、笑みを浮かべてカスペルに答える。

 この日、これからのフルーネフェルト家を長きにわたって支える新たな重臣家が誕生した。


・・・・・・


 十二月の中旬。いよいよ本格的に冬が訪れる直前、ユトレヒトに重要な書簡が届けられた。

 ノルデンシア公爵家の当主が、ヴィルヘルムへ宛てて直々に記した書簡だった。

 内容は、ノルデンシア家と協同し、動乱の時代を戦うことの提案。

 この提案を、ヴィルヘルムは当然のように断った。既にルーデンベルク家との協力が表明された現状、マルセル・リシュリュー伯爵による侵攻に裏で協力していたノルデンシア公爵家と今さら手を組むはずがなかった。

 協力しないのであれば、ノルデンシア家がリシュリュー伯爵家に送った資金を返してほしい……という要求についても、ヴィルヘルムは拒否した。金を返そうが返すまいがノルデンシア公爵家と戦うことは確定している上に、既にそれなりの額を使うか、予算としてあてにしているが故に。

 ヴィルヘルムの返答に対して、ノルデンシア公爵の使者はさして驚いた様子もなく、返答を確かに公爵に伝える旨を淡々と語り、帰っていった。


「……これで、ノルデンシア公爵家との敵対は決定的となったね。結果として、冬明けにアプラウエ子爵家とぶつかるのも必然となった。こちらは元よりそのつもりだったけど」


 護衛を兼ねて同席していたエルヴィンの方を向いて、ヴィルヘルムは言った。

 フルーネフェルト伯爵領の南に領地を持つアプラウエ子爵家は、かつてリシュリュー伯爵家から買い取った新領地を含む広大な領地と、それに見合う人口、そして領地の南に鉄鉱山を保有している。爵位は子爵でありながら、その力は伯爵家に匹敵する。


 そしてこの家は、帝国東部の北西地域において、やや特殊な立ち位置にある。その原因は、ロベリア帝国の建国前まで遡る。

 当時はルーデンベルク王国に属していたアプラウエ子爵家は、しかし君主家であるルーデンベルク王家に反発していた。勇敢だが粗暴な第二王子が、婚約者であるアプラウエ子爵家の令嬢に、お世辞にも紳士的とは言い難い態度をとり続けていたことが原因だった。

 第二王子はついに直接的な暴力にまで及び、当時のアプラウエ子爵は激怒。鉄鉱山を抱えるアプラウエ子爵家に離反されてはたまらないと、ルーデンベルク王は子爵による婚約破棄の求めに応じた上で、多少の賠償金も支払った。

 それから少し経ち、ルーデンベルク王国は消滅してロベリア王国に併合され、直後にロベリア帝国が誕生。不運にも王国消滅の直前の戦いで王太子が戦死していたために、次期ルーデンベルク侯爵家当主となったのは件の元第二王子だった。

 同じ帝国の貴族となったため、武力衝突までは起こらなかったものの、ルーデンベルク侯爵家とアプラウエ子爵家は元第二王子が世を去るまで険悪な関係が続いた。それが長く尾を引き、両家の関係は未だ良好とは言えない。


 かつての君主家との仲が決裂したアプラウエ子爵家は、積極的にノルデンシア公爵家の方へ接近した。百年近くも前に結ばれた血縁関係こそ薄れたものの、アプラウエ子爵家は今も、どちらかと言えばノルデンシア公爵家寄りの立場として知られている。

 ヴィルヘルムも、もしノルデンシア公爵家と一時的に手を結ぶことになった場合は、ひとまずアプラウエ子爵家と協同してルーデンベルク侯爵家に対峙するつもりでいた。ノルデンシア家との敵対が確定した今、アプラウエ子爵家もまた敵となった。


「計画通り、冬明けの侵攻準備を進めてほしい。物資輸送についてはハルカやカルメンと、情報収集についてはナイジェルと上手く連係して」

「承知しました。お任せください」


 エルヴィンは生真面目な表情で頷いた。彼の頼もしい返事に、ヴィルヘルムは薄く笑みを浮かべる。

 アプラウエ子爵家は、これまでとは比較にならない強敵。その領地の人口規模は、フルーネフェルト伯爵家の直轄領と傘下の貴族領の合計人口よりも大きい。

 ルーデンベルク侯爵家は味方だが、かの家も冬明けの戦いにおいては余裕があるとは言い難い状況。下手に助力を求めれば借りを作ってしまう上に、建国の野望を明言しておいて自力での躍進も果たせないと見なされれば、この先も舐められることになる。なのでフルーネフェルト家は、独力での勝利を成さなければならない。


 なかなかに厳しい状況。しかしヴィルヘルムには既に、勝利に向けた計画がある。実務面はエルヴィンに任せておけば心配ないと確信している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アクイレギアの楽園 エノキスルメ @urotanshi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ