第42話 会談①

 神聖暦七三六年、十月の下旬。フルーネフェルト伯爵領ランツの屋敷で、ヴィルヘルムはルーデンベルク侯爵ジルヴィアと対面した。


「歓迎に感謝する、フルーネフェルト卿。急に来訪してすまなかったな」

「とんでもない。むしろ、ルーデンベルク侯爵閣下より直々にご来訪いただけましたこと、ありがたく存じます。実は丁度、こちらから連絡を差し上げようと思っていました」


 昔に会った時と変わらず、迫力のある人だ。むしろあの頃より迫力が増している。

 社交用の笑顔を作りながら、ヴィルヘルムはそう考える。

 豪奢な軍装。四十代半ばの実年齢よりも若々しい容姿。鋭い眼光。決して喧嘩腰というわけではなく、むしろ友好的な笑みを浮かべているが、同時にただならぬ覇気を纏っている。対峙しただけで、大貴族家の当主に相応しい傑物だと分かる。

 ジルヴィア・ルーデンベルクとは、そのような人物だった。


「まずは、先代当主ステファン殿と、我が姪の婚約者であったエーリク殿が非業の死を遂げたことに、心より哀悼の意を表する。ステファン殿は模範的な貴族であり、エーリク殿は次期フルーネフェルト男爵にふさわしい善き青年だった。ルーデンベルク家の当主としてだけでなく、一個人としても彼らの死を悲しんでいる」

「哀悼のお言葉、心より感謝申し上げます。父と兄も、ルーデンベルク閣下よりそのように評されたことを光栄に思っていることでしょう」


 ヴィルヘルムは丁寧に一礼し、今だけは本音で語る。


「それにしても……今や貴族家当主の卿にこのような言い方をするのは不適切かもしれないが、大きくなったな。前に会った時は、まだ少年だった」

「あの日の私の未熟な振る舞いを思うと、お恥ずかしい限りです。少なくとも年齢だけは、ようやく一人前となりました」


 ヴィルヘルムは十三歳の時、父ステファンからルーデンベルク侯爵領の領都に連れていってもらった。侯爵家の経営する劇場で舞台を観劇し、その後は侯爵家の屋敷を訪れ、ジルヴィアに挨拶をした。

 挨拶の際、舞台がとても面白かった、ルーデンベルク侯爵家の劇場は素晴らしい、と興奮気味に語ったことを覚えている。今思えば、あれはいかにも子供っぽい振る舞いだった。


「年齢だけ、ということもあるまい……遥かに格上である他家の侵攻を寡兵で打ち破り、それだけでは飽き足らず家や領地まで奪い取るのは尋常なことではない。このランツの様子を見ても、短期間でなかなかうまく掌握しているように見える。これほどのことを成す卿が一人前でなければ、果たして帝国には何人の一人前が残ることか」


 可笑しそうに笑いながら、ジルヴィアは言った。


「……さて、フルーネフェルト卿。私は卿と直接話したいと思ったからこそ、こうして自ら来訪した。早速だが本題に入らせてもらう。我がルーデンベルク侯爵家と貴家との、今後の関係について話し合いたい」

「私が連絡を差し上げようと思っていたのも、その話をさせていただくためでした」


 表情は変わらず、しかしどこか冷徹さを放ちながら言ったジルヴィアに、ヴィルヘルムも微笑を堅持して答える。

 そして、気を引き締める。予定より早く彼女との会談にこぎ着けたことを、幸いに思いながら。

 ルーデンベルク侯爵家とノルデンシア公爵家は、ロベリア帝国の成立以前からの宿敵。両家が協同することも、友好関係を築くこともあり得ない。

 となれば、どちらかと敵対することで、もう一方とは手を結ぶことができる。ヴィルヘルムとしては、領地の距離が近く、元は自家と婚約関係にあったルーデンベルク侯爵家と手を結び、共にノルデンシア公爵家の勢力圏を削り取るかたちで南に勢力を拡大する方が楽。最終的に君主としてルーデンベルク家と共存できるかは分からないが、対立するのならばせめて先延ばしにしたい。

 なので、この会談は極めて重要だった。


「何でも、卿は建国を目指しているそうだな?」

「……よくご存じでいらっしゃる」


 ヴィルヘルムは片眉を上げた。別に隠しているわけではなく、むしろ今後は積極的に表明していくつもりだが、まさか既に彼女に知られているとは思わなかった。


「卿と会う前にこの話を知ったのは偶然だ。数日前、リシュリュー伯爵領第二の都市の代官だったという者が我が屋敷を尋ねてきた。仕官を申し出たその者から、手土産として聞いたのだ」

「……なるほど、彼女でしたか。仕官を受け入れたので?」

「まさか。我が姪の婚約者を殺したリシュリュー伯爵、その近縁者を受け入れるはずがない。図々しい申し出をした罰として私財を取り上げ、命だけは助け、叩き出してやった」


 ヴィルヘルムは追放された代官――マルセルの従姉の顔を思い出す。領主貴族の縁者として生きてきた彼女は、おそらくは他者の権力を笠に着る人生に固執し、再び権力者の傘下に入ろうと無謀な挑戦をしたのだろう。有する情報が十分な手土産になると信じて。

 その結果、当面は不自由なく暮らせる程度の私財があったにもかかわらず、全てを失った。今頃は家族共々、どこかで野垂れ死にしているかもしれない。自業自得だが、哀れだった。


「仰る通り、私は建国を目指しています。国を築き治めるに足る力を得たいと思っています。力がなければ守りたいものを守れず、自決権も得られないのだと、先の戦いで理解しましたので」


 もうルーデンベルク侯爵家の庇護はあてにしない。己の力で自家と自領を守っていく。ヴィルヘルムは暗にそう宣言する。

 ヴィルヘルムの言葉に対し、ジルヴィアは僅かに口の端を歪めた。彼女の放つ気配に、敵意は含まれていなかった。


「壮絶な経験をしたであろうから、卿の気持ちは理解できる……そして卿の動き方次第では、貴家の建国を支持し、友好関係を築く余地がこちらにはある。正直なところ、卿が建国を目指すと決意してくれて、ありがたく思っているくらいだ」


 ヴィルヘルムは小さく目を見開いた。自身の建国の野望をジルヴィアに許容されるどころか、歓迎されるとはさすがに思っていなかった。


「フルーネフェルト卿。私の計画を語らせてほしい」


 そう言って、ジルヴィアは今後の勢力拡大の計画、その全容を語り始めた。


 帝国が崩壊し、動乱の時代が訪れ、大貴族たちが独立を目論んで蠢き出す中で、ジルヴィアも当然に独立を――ルーデンベルク王国の建国、より正確に言えば復活を目指すつもりでいた。

 その際に彼女が重視しているのが、国境を接する位置に敵対勢力を置かないこと。友好的で、できるだけこちらよりも弱い国を置くこと。

 動乱の時代の後には、独立を成した自国で内政に注力する平穏な時代が必須。できるだけ長く平穏を確保して国を富ませれば、以降も周辺諸国に対して国力で有利な立場を保ち、その力をもって友好関係を維持できる。

 東については、帝国と敵対するルブニツァル王国との間に防壁となる友好国を確保できる見込みが立った。南東のヴィアンデン王国との間についても、おそらく望みどおりになる。


 しかし南については、ノルデンシア公爵家が存在する限り、友好国を置くことはできない。

 ルーデンベルク侯爵家にとって、ノルデンシア公爵家は帝国が誕生する以前からの宿敵。ルーデンベルク王国とノルデンシア王国として、現在の帝国東部を二分するかたちで百年以上も対立をくり広げていた。両王家が衝突し、他の貴族家はどちらかの家に従いながら、時に所属する国を鞍替えして生き残る。この地はそうして歴史を重ねてきた。

 そして、今から百二十年ほど前、西より勢力を拡大してきたロベリア王国に、ノルデンシア王国が従属した。後ろ盾を得て力を増したノルデンシア家に敗北し、ルーデンベルク王国もロベリア王家に屈服。それから間もなく、ロベリア王は初代皇帝を名乗り、ロベリア帝国が誕生した。

 自ら従属したノルデンシア家の当主は、皇帝家の姻戚となり、公爵位を得た。一方でルーデンベルク家は侯爵位を下賜され、あくまで一地方の大貴族の座に収まった。

 そのような過去もあり、ルーデンベルク侯爵家とノルデンシア公爵家の険悪な関係は今も続いている。当然、ノルデンシア公爵家もとうに血縁の薄れた皇帝家に配慮などせず、建国を目指すものと思われる。今後、ルーデンベルク侯爵家にとって最大の敵となるのは間違いない。


 最後に、西――帝国東部の北西地域に関しては、取り込んで領土を拡大していけば帝国中央部とぶつかる。中央部の動乱をこの先勝ち抜いた宮廷貴族閥は、言わば帝国の残党。そしてこちらは勝手に独立した元帝国貴族。将来的に対立することは必至であり、そうなれば、周辺を友好国で固めるというジルヴィアの望みは結局叶わない。

 かといって西を捨て置けば、その地域を丸ごとノルデンシア公爵家に奪われ、勢力を大きく増した宿敵に滅ぼされる未来が訪れる。なのでジルヴィアは、半ば仕方なく、リシュリュー伯爵領やフルーネフェルト男爵領など北西地域を自家の支配下に収めるつもりでいた。


 そんな状況で、動乱の時代への参戦者として新たにヴィルヘルムが現れた。

 ヴィルヘルムがルーデンベルク家の勢力圏に踏み入らずに建国の野望を叶えるのであれば、ルーデンベルク家はわざわざ自家で帝国の残党との国境を抱えずとも、防壁となる友好国を間に挟むことができる。ヴィルヘルムの築く国は西に帝国の残党という仮想敵を抱える以上、東のルーデンベルク家に敵対する可能性は限りなく低い。

 ルーデンベルク家は東と南東と西に友好国を抱え、後は南の敵に勝利すればジルヴィアの望みが叶う。だからこそ、ジルヴィアはフルーネフェルト家の台頭とヴィルヘルムの決意を、敵視したり警戒したりせず、むしろ歓迎している。


「……なるほど。さすがはルーデンベルク侯爵閣下です。壮大な展望、感服いたしました」


 半ば本心から、ヴィルヘルムは称賛の言葉を送った。

 ヴィルヘルムとしては、ルーデンベルク侯爵家かノルデンシア公爵家と手を結びつつ周辺の貴族領を傘下に収めて勢力を拡大し、以降の動き方は状況を見てその都度考えるつもりでいた。現状では、その程度の大雑把な計画しか持ちようがなかった。

 しかし、ジルヴィアはより壮大で、より具体的な展望を持っている。帝国東部の全域と、さらには帝国中央部の未来を見据えた上で、自身の築く国の安寧を確保する道筋を考えている。これが帝国崩壊後を見据えて長く計画を練っていた大貴族かと、ヴィルヘルムは思い知らされた。




★★★★★★★


「小説家になろう」の方では貴族領の配置図なども掲載しています。

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