第12話 平穏の終わり②

 凶報が帝国全土に伝わってから数週間後。情報収集のための行商に出ていた従士ナイジェルが、当初の予定よりも遅く帰還した。

 皇帝とその家族の死が公表された際、ちょうど帝国中央部にいたナイジェルは、凶報に関する噂をできるだけ集めた上で、荷馬車と積み荷を売り払って身軽になり、残った馬に乗って帰路を急いだという。

 ナイジェルが帰ってきたその日のうちに、ステファンは主だった顔ぶれを屋敷の会議室に集め、今後のことについて話し合う場を設ける。

 会議にはステファンとエーリク、ヴィルヘルム、アノーラに加え、主だった従士も全員が集められた。従士長ノルベルト。その息子エルヴィン。数年前から文官の筆頭となっているハルカ。家令のヘルガ。そして当然、報告を務めるナイジェル。加えて、この数週間をかけて独自に情報を集めていた御用商人のカルメンも呼ばれている。


「――皇帝家の方々が亡くなったのは八月下旬のことで、まず事故の直後に近衛隊が現場周辺を調べ、後日には宮廷貴族たちによって詳細な調査も行われたそうです。宮廷に四つある派閥の全てから官僚や技術者が送り込まれて、大規模な調査団が組まれたのだとか。その結果、土砂崩れは明らかに自然発生したものであり、そもそも特定の時間を狙って人為的に土砂崩れを起こすことなど不可能に近く、不運な事故で間違いないという結論が公式に発表されています。既に各派閥で責任の押しつけ合いが始まっているらしく、護衛責任者である近衛隊長の属する派閥が悪いだの、街道を管理する交通長官の属する派閥が悪いだの、山を管理する森林長官の属する派閥が悪いだの……何ともみっともない非難の応酬がくり広げられていて、市井でも関係者の悪口をいくらでも聞けました。どの派閥も、他派閥の悪印象を帝国中央の民に植えつけたいんでしょうね」


 そう語って、ナイジェルは肩を竦める。極めて重大な報告をしながらも、彼の口調や声色は普段と変わらない調子だった。


「不運な事故……その発表は、鵜呑みにしていいものなのか?」

「さて、どうでしょうか……少なくとも、事故調査の結論自体について、派閥同士の言い争いが起きているという話は聞きませんでしたが」


 首を傾げて言ったのはエーリクに、ナイジェルはそう返した。

 二人の会話を聞き、会議室の最上座に座るステファンが口を開く。


「各派閥が人を出し合って調べた上でそのように公式発表がなされたということは、おそらく事実なのだろう。人為的に土砂崩れを起こすとなれば凄まじく大がかりな準備が必要になる上に、実行の際も多くの人手が要るはず。帝都の近くでそのような大工事をしていたのに誰も気づかず、事故直後の周辺調査で不審者の一人も見つからないというのはあり得ない。それに、その後の本格的な調査では、暗殺した覚えのない派閥の者たちは血眼になって工作の痕跡を探したはずだ。敵対派閥のひとつを皇帝殺しの大罪人として潰す好機なのだからな。にもかかわらず他派閥を納得させられるような異状が見つからなかったということは、やはり事故だったのだろう」


 淡々と語る当主に、異論を述べる者はいなかった。


「宮廷貴族たちが責任の所在について言い争っていることも、皇帝家の方々は事故死だと考える根拠になる。彼ら自身が事故死だと信じていなければ、それを前提とした責任の押しつけ合いなどくり広げるまい」

「……第一、仮にこれがいずれかの派閥による巧妙な暗殺だとしても、もはや状況は変わらないでしょうな」


 静かに言ったのはノルベルトだった。側近の意見に、ステファンも首肯する。


「帝国の崩壊は決定づけられた。宮廷貴族の派閥同士の言い争いが、そのまま武力衝突に発展していくのは間違いないだろう……そして、遠い帝国中央の争いなど、辺境の領主貴族であるフルーネフェルト家にはもはや直接の関係はない。国葬においてですら、我ら地方貴族は蚊帳の外に置かれたのだからな」


 語りながら、ステファンが浮かべる笑みは皮肉なものだった。

 皇帝一家の死去の報せから数日遅れて、その国葬が事故からおよそ三週間後、九月の中旬に行われる旨も帝国全土に布告されていた。

 布告から国葬までは二週間足らず。帝都から遠くにいる領主貴族たちが参列するにはあまりにも猶予がない。どう急いでも物理的に間に合わない者も多い。帝都に別邸を持ち、そこに家族親族を置いている大貴族ならば彼らを名代として参列させることも叶うが、フルーネフェルト男爵家のような小貴族はそれも不可能。

 宮廷貴族たちが皇帝家の直臣としての建前を守り、セザール二世を慕っていた帝国中央の民に対して義理を果たすためだけに開いた国葬であることは、誰の目にも明らかだった。


「ですが、お互い様かもしれませんね。我々も、皇帝家の方々を哀悼するよりも自家の今後のことばかり考えていたのですから」


 父の皮肉に、エーリクも小さく笑いながら言う。

 宮廷が地方を顧みず国葬を済ませたこと。地方が宮廷を顧みず、帝国から離脱する未来を早くも見据えていること。それらの現状からも、帝国がもはや一国として機能していないことは明らかだった。


「まあ、そうだな……もはや、我らにとって最重要の事項は、帝国中央の情勢ではなくなった。より重要なことが別にある。東部の各貴族領の動きは、未だ変わらないのだな?」


 ステファンが視線を向けたのは、御用商人のカルメン。彼女はエレディア商会の伝手を最大限に利用し、フルーネフェルト家傘下の行商人たちとも協力しながら、帝国東部の情勢を調べていた。


「はい。少なくとも、主要な貴族家が近いうちに大規模な軍事行動を起こす兆候は今のところ確認できません。各家とも自領で生産できない物資の収集と備蓄などは始めているようですが、兵力集めの動きはないようです」


 ステファンの問いに、カルメンは淡々と答えた。

 これまで一部の国境地帯以外は戦争と無縁なまま数十年を過ごし、帝国の崩壊がこれほど早まるとは誰も予想していなかった。大貴族たちも準備不足の現状、どこかの家が軍事行動をとろうとすれば、兵の徴集や物資の集積などで早くから兆候が見られるのは確実。

 それがない現状、動乱の時代の到来までは今しばらく猶予があると考えられる。


「この段になっても動きがないということは、やはり主だった貴族家が動き出すのは来年の冬明け以降になるか。そしてその頃には、ルーデンベルク侯爵領よりカルラ嬢がフルーネフェルト家へ嫁いでくる……ひとまず安心していいだろう」


 ステファンが結論を下すと、会議室に安堵の空気が漂う。


「となると、考えるべきはその後のことだな。この地が直接の戦場になることはなくとも、社会の混乱には対応できるよう備えなければならない。まずは食料だが、備蓄の状況は問題ないな?」

「は、はい!」


 問われたのは文官の長であるハルカだった。気を抜いていたのか、彼女はやや慌てた様子で答えて手元の書類に目を向ける。


「この数年の豊作もあり、ユトレヒトには相当量の麦が備蓄されています。フルーネフェルト家の蓄えだけでも、領内の全人口、約三千二百人が半年以上は食べられるだけの量があります。そこにエレディア商会をはじめとした各商会の在庫を合わせると、一年弱は持つ見込み……ということでいいでしょうか?」

「ええ、それで間違いありませんよ」


 ハルカの質問に、カルメンは迷いなく首肯する。

 以前は人口およそ三千とされていたフルーネフェルト男爵領は、この十年ほどで多少人口が増えている。規模拡大した農業の働き手として他領から小作農が流入し、家畜の飼育を専門とする者たちが迎えられ、経済の発展に伴って商人なども移住してきた結果だった。フルーネフェルト劇場の役者たちが定住したことも、幾らか寄与している。


「では、麦の備蓄はそういうことで。その他に豚や牛の数も余裕があるので、必要となったらすぐに領内で消費する数か月分の肉を得られます」


 続けて、ハルカはそのように語った。三圃制におけるクローバーの導入や麦の収穫量の増加に伴い、領内で飼育される家畜の数も増えている。


「麦と家畜にそれだけの余裕があるのなら、万が一にも心配は要らないだろう。我が領の民が飢えることはないだろうし、ルーデンベルク侯爵家に軍需物資として食料を提供する必要が生じても、十分以上の貢献を成せる。領地の人口規模に比して莫大な食料を送れば、恭順の証として足りるはずだ」


 動乱の時代が訪れるのであれば、食料は武器に等しい重要物資となる。その点でフルーネフェルト男爵領は、他領と比べて一段以上有利な立場。クローバー栽培を取り入れた三圃制は、本格導入から未だ数年では領外まで広まることもほとんどなく、未だこの領独自の策となっている。

 その後も、買い集めておくべき必需品――塩や鉄などの備蓄と手配の状況が、主にハルカとカルメンより報告される。塩に関しては念のため余裕を持って買い集めるよう、値上がりの始まっている鉄に関しては多少割高でもいいので一定量を確保するよう、ステファンが指示を出す。

 さらに、領内の治安維持に関する細かな事項について、ステファンはノルベルトの意見も聞きながらいくつか判断を下す。


「それと、ヴィルヘルム。お前の劇場に関してだが」

「……はい、父上」


 父に呼ばれ、ヴィルヘルムはやや緊張した面持ちで答える。


「劇場が通常通りに公演を行っていれば、帝国で動乱が起こっても領内社会は平穏を保っているのだと領民たちに理解させることができる。継続的に娯楽が提供されれば気晴らしにもなるだろう。これから始まる動乱を無事に乗り越えるためにも、これまでと変わらず活動を維持するように」


 その指示に、ヴィルヘルムは安堵を覚えた。今後帝国が混乱に包まれていく中で、場合によっては劇場運営に何らかの制約が生じるかもしれないと考えていたからこそ。


「かしこまりました。役者たちにもそのように伝え、公演を続けることで領内が平和であることを体現してまいります」


 答えたヴィルヘルムに頷き、ステファンは集った一同を見回す。


「では、今後も各々の役目を果たし、フルーネフェルト男爵領の秩序を守ることに努めてくれ。ひとまず冬明けまで気をつければいい。領内外の最新の情勢については、定期的に会議を開いて共有する」


 ステファンの言葉で会議は終了し、フルーネフェルト男爵家と従士の一同はそれぞれの仕事に戻った。


 そのまま冬明けまで平穏が続くと思われた矢先、事件は起こった。

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