第11話 平穏の終わり①
皇帝セザール・ロベリア二世、崩御。
また、皇妃ジャクリーヌ・ロベリア、並びに皇太子パトリック・ロベリアも死去。
神聖暦七三六年の初秋、その凶報は帝国全土を駆け巡った。
皇帝家の一行が避暑地である帝国北部の別荘から帝都サンセシルへと戻る帰路、峠道を進んでいた際のこと。皇帝と皇妃の馬車、そのすぐ後ろを進んでいた皇太子の馬車がいずれも大規模な土砂崩れに巻き込まれ、急ぎ救助作業が行われたものの、三人ともその場で死亡が確認された。
それら最低限の概要だけは、帝国軍の早馬による伝令網で帝国各地へ届けられた上で、同日に一斉公表された。
帝国東部の北側に位置するフルーネフェルト男爵領にも、東隣のリシュリュー伯爵領で公表された報せがその日のうちに伝えられた。領主ステファンは凶報に驚愕しながらも、西隣の小領群に知らせるため、フルーネフェルト男爵家に仕える騎士を伝令に走らせた。
「現時点で分かっているのは、皇帝陛下と皇妃殿下、並びに皇太子殿下が事故で亡くなったという簡潔な事実だけだ。事故の詳しい状況や背景などは一切不明だ」
ヴィルヘルムは領主執務室にて、父自身の口からその報せを聞かされた。集められたのは他に、次期領主エーリク。従士長で筆頭騎士のノルベルト。その息子で、次期従士長と目されている騎士エルヴィン。今はフルーネフェルト家の令嬢であるアノーラも同席している。
「皇帝陛下だけでなく、御世継の皇太子殿下まで亡くなったとなると……早いうちからこういう話ばかりするのも褒められたことではないのかもしれませんが、帝国の今後を心配せずにはいられませんね、父上」
眉根を寄せながら言ったのはエーリクだった。
皇帝家の権威が薄れ、地方の領主貴族たちにとって帝国中枢が縁遠いものとなって久しい現状、皇帝とその家族が死んだことを心から悲しむ空気は室内にはない。皆が共有するのはただ、今後への懸念ばかりだった。
継嗣の言葉に、ステファンも難しい表情で首肯する。
「皇太子殿下がご存命で帝位を継承されていたとしても、帝国がそこから何年持つだろうかと言われていたのだからな。その殿下さえ身罷られた今、もはや宮廷も帝国軍もこれまで通りには機能するまい。あの宮廷貴族たちが大人しくしているとは思えない」
皇太子パトリックはセザール二世の一人息子だったが、彼まで死んだからといって、それで直ちに皇帝家の血統が途絶えるわけではない。順当に行けば、セザール二世の兄弟や従兄弟、パトリックの従兄弟など、皇帝家の血を濃く継ぐ者のうち誰かが帝位を継ぐことになる。
しかし、今や皇帝家を離れて一貴族となっている彼らは、それぞれ宮廷貴族の派閥のいずれかに属している。既得権益に溺れて腐敗しきった宮廷貴族たちが、自派閥にいる皇帝家の近親者を担ぎ上げて帝位につけようとするのは必然。帝国軍にも宮廷貴族の関係者が数多く士官として入っており、帝位争いはほぼ確実に武力を用いたものとなる。
「中央の政治が機能不全となれば、各地の大貴族たちが行動を起こすのも必然でしょうな」
ノルベルトが言うと、ステファンは嘆息を零して再び口を開く。
「問題は、このような事態をおそらく誰も予想していなかったということだ。本来、帝国の崩壊まではあと十年以上の猶予があると見られていた。独立を狙う大貴族たちも、その前提で計画を練っていたはずだ……だが、その猶予は突如として失われた。これからどのような混乱が起こるか、あまり想像したくはない」
老いた帝国がその形を保てなくなり、そう遠くないうちに崩れることは帝国貴族の誰もが理解していた。死にゆく帝国からの独立を目論む大貴族たちは、将来的に自領の周辺のどこまでを版図に収めるかを考え、逆に中小の貴族たちはどの大貴族家の傘下に加わるかを考え、それぞれ少しずつ動き始めていた。フルーネフェルト家もその例に漏れず、ルーデンベルク侯爵家に接近した。
各貴族家の動きがこれから十数年重なれば、帝国崩壊時にある程度の動乱は避けられないとしても、大貴族たちは一定の落としどころを見据えた上で争うはずだった。
しかし、そうした各家の思惑は、多くがご破算となった。領主貴族たちは揃って、先の見えない新たな時代に放り込まれることとなった。
「……ですが、フルーネフェルト男爵領に関しては、おそらく大丈夫なのでは?」
立場としては末席になるからか、少しためらいがちに発言したのはエルヴィンだった。
「そうだね。うちは西に同じような小貴族領がいくつも並んでいて、東にあるのは共にルーデンベルク侯爵家の傘下に加わるであろうリシュリュー伯爵領だ。状況が変わっても、この領の周辺でそれほど大きな動乱が起こらないことは変わらないはず。ですよね、父上?」
ヴィルヘルムがエルヴィンへの同意を語ると、ステファンは思案する表情を見せた上で頷く。
「そうだな。エーリクとカルラ嬢は公式な婚約関係にある。今さら婚約を破棄される可能性は低いだろうから、おそらくは大丈夫だ……さすがに、今日明日に情勢が激変することはあるまい。どの貴族家も準備不足の現状、間もなく秋になるこの時期から急いて行動を起こすとは思い難い。動き出すとしても、早くて来年の冬明け以降だろう。となると、エーリクとカルラ嬢の結婚を早められればより安心できるな。それこそ、来年の春にでも」
「ルーデンベルク侯爵家に打診してみましょう。俺もカルラとはもう面識を持ってますから、婚約から一年後に結婚するのが早すぎるということはありません。向こうもフルーネフェルト男爵領を橋頭堡に、以西の小貴族領群を素早く手中に収めたいでしょうから、悪い返事はしないはずです」
父の言葉に頷きながら、エーリクが言った。
・・・・・・
ルーデンベルク侯爵家への打診と、引き続きの情報収集。そして凶報による動揺が広まるであろう領民たちへの対応。それら取り急ぎの方針が決まった後、ヴィルヘルムたちは領主執務室を辞した。
「……きっと大丈夫よね、ヴィリー」
そう言われ、ヴィルヘルムは傍らを歩くアノーラを振り返る。笑顔を見せてはいるがどこか不安げな伴侶の手を握り、微笑を作る。
「心配しないで。この家は大丈夫。突然のことで驚きはしたけど、後はルーデンベルク侯爵家の庇護を受けながら時代の変化に乗っていくだけだよ。そうしながら、僕たちはこれからもここで暮らして、父上や兄上を支えて、劇場を盛り上げていく。それだけさ」
愛する女性を安心させるための言葉は、まるで自分自身に言い聞かせるようなものになった。
★★★★★★★
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