第7話 十五歳 秋
旅芸人、という職業がある。
彼らは特定の地に根を張ることなく、各地を転々としながら、訪れた場所で芸を披露して収入を得る。芸の内容は音楽や演劇、大道芸など様々。観客は民衆だけでなく、領主の屋敷などに招かれて芸を行うこともある。
フルーネフェルト男爵領にも、時おり旅芸人が訪れる。中には、この地域を縄張りに定めて周回し、その過程で何度もやって来る者もいる。
そんな旅芸人の中に、ジェラルドという男が率いる役者の一団があった。
彼らは五年ほど前に初めてフルーネフェルト男爵領に来訪し、それから年に一度ほどの頻度で訪れ、領都ユトレヒトや各農村を巡って芝居を披露し、そして去っていく。
一座の規模は小さく、裏方を含めても十数人程度。しかし、芝居の完成度は高い。前世で多くの洗練された娯楽を知るヴィルヘルムから見ても、彼らの演じる劇はなかなか面白い。
神聖暦七三二年の秋。そろそろやって来るのではないかとヴィルヘルムが期待していた頃、ジェラルドたちはフルーネフェルト男爵領に何度目かの来訪を果たした。
まずは領都ユトレヒトを訪れ、領主家に挨拶をして滞在許可を得た上で、中央広場で三日にわたり、昼と夜に芝居を上演。領民たちをたっぷり楽しませた彼らのもとを、ヴィルヘルムはアノーラと共に訪ねた。
「三日とも観劇させてもらったけど、今回も本当に楽しかったよ。さすがだった」
「毎度誠にありがとうございます。物語への造詣深きヴィルヘルム様より頂く直々の賛辞、我らのようなしがない旅芸人にとっては大変な光栄と存じます」
辺境の小貴族としては珍しいほどにヴィルヘルムが物語好きであることは、彼らにも知られている。こうして彼らの野営地を訪問し、ジェラルドと語らうのもいつものことだった。
ただし、ヴィルヘルムも一応は貴族家の子息で、従士長の娘であるアノーラも一緒。訪ねるのは根無し草の旅芸人のもと。さすがに二人だけでは問題があるということで、念のために騎士が一人護衛についている。ヴィルヘルムとアノーラの後ろでは、アノーラの兄で従士長ノルベルトの継嗣である騎士エルヴィンが形式的な護衛として、なるべく威圧感を出さないように立っている。
「それで、今回は何やらご提案があるとのお話でしたが」
「ああ、実はそうなんだよ」
ただの激励ではなく、用件があって訪ねることは事前に使いを出して伝えてあった。ヴィルヘルムはジェラルドに頷きながら、自分でも驚くほどの緊張を覚えていた。
それを察したのか、隣に座るアノーラがテーブルの下で手を握ってくれる。彼女の手の温かさに安心感を覚えながら、ヴィルヘルムは小さく深呼吸してまた口を開く。
「僕はね、父の許しを得て、このユトレヒトに自分の劇場を開くことにしたんだ。そこで定番の名作だけでなく、僕自身の書いた物語を演劇として上演し、領内外の人々を楽しませてこの地の文化的発展に貢献したいと思っている。そのためには、劇場で演劇を行う役者たちが必要だ……だから、君たちに提案したい。この都市に腰を据えて、僕が開く劇場を拠点に活動しないか? 君たちのような優れた役者たちに僕の書く物語を演じてもらえたら、これほど頼もしいことはない」
ジェラルドたちが上演しているのは、帝国で広く知られるお伽噺や寓話などの名作のみ。すなわち、一座の中にはジェラルドを含めて物語の書き手がいない。実際にジェラルド自身も、自分は役者であり演出家だが、作家ではないと以前に語っていた。
だからこそ、彼らをこの地に迎え入れ、自分が書いた物語を形にしてもらいたい。彼らと手を組み、新たな物語を演劇という形でこの世界に届けたい。
ジェラルドたちの演劇は面白い。以前、父に連れられて領外――フルーネフェルト男爵領とは比べ物にならない大貴族領の領都に行った際、領主家お抱えの役者たちによる演劇を観たが、その演劇にも引けを取らないほどに彼らの舞台は完成度が高い。その完成度を支えるジェラルドの演出家としての能力は疑いようもない。
彼にならば、自分の物語を安心して預けられる。ヴィルヘルムはそう考えている。
不安定を極めた立場の彼らにとって、劇場と後援者、定住地を得られるこの提案は悪い話ではないはず。受け入れてもらう余地は十分にある。
「……なるほど」
ヴィルヘルムの提案を受けて、ジェラルドは表情を変え、呟くように言った。
貴族の子息を歓待する社交用の笑顔を引っ込め、芸事で身を立てる者の顔になっていた。
「ヴィルヘルム様はとても聡明なお方でいらっしゃいます。劇場を開くことをフルーネフェルト男爵閣下もお許しになったということは、これはお戯れなどではなく、真剣かつ現実的な計画に基づいたご提案なのでしょう……ですが、私もそう簡単に頷くことはできません」
ともすれば冷淡に聞こえる口調で、ジェラルドは淡々と語る。
「名もなき旅の一座の長とはいえ、演劇に身を捧げる人間として、私にも矜持がございます。他の役者たちもそれは同じです。だからこそ、貴方が私たちを選んだように、私たちも貴方を選ぶかどうかを考えなければなりません。貴方が私たちの矜持を捧げるに足る劇場主となり、私たちの芝居を捧げるに足る作家となり得るのか、見定めなければなりません」
それは一介の旅芸人が貴族に向ける言葉としては、やや危険なものだった。危険を冒してでも己の矜持を語るジェラルドの振る舞いに、ヴィルヘルムはむしろ好感を覚える。
「君の言うことも尤もだ。だからこそ、まずは僕が手がけた物語を読んでみてほしい……僕の覚悟を示す上で、僕の作品以上に雄弁なものはないだろう」
言いながら、ヴィルヘルムは手にしていた鞄から紙の束を取り出し、ジェラルドに渡す。
「畏れながら、内容によっては批判を述べる可能性もあります。酷評する可能性も」
「もちろん構わない。どうか容赦のない評価をしてほしい」
ジェラルドの言葉に頷き、ヴィルヘルムは心の中で緊張が最高潮に達するのを感じる。
これまで、アノーラやステファン、エーリク、その他にも一部の従士たちに自作の物語を見せたことはある。アノーラは絶賛してくれた。ステファンやエーリクも、自分に物語の良し悪しは分からないが面白いと思う、と言ってくれた。他の者たちも皆、好評してくれた。
自分には前世の記憶という有利もある。前世では、この世界の平均的なものと比べれば格段に洗練された創作物に、何百何千と触れた。その経験をもとに自ら物語も書いていた。
なので自信はある。しかし、演劇に生きる者にこうして忌憚のない感想を求めるのは初めてのこと。緊張するなという方が難しい。
震えをこらえながらヴィルヘルムが見守る前で、ジェラルドは紙の束に目を通していく。
当初はどこか身構えるような表情で。そして次第に、どこか真剣に考え込むような表情で。小さく唸り、嘆息しながら、ついに読み終える。その後もしばらく俯いて思案した末に、ようやく顔を上げる。
「失礼を承知でお尋ねしますが、これは間違いなく、ヴィルヘルム様ご自身が書かれた物語なのですね?」
「ああ。唯一絶対の神に誓って、この命とフルーネフェルト家の名誉にかけて、僕が書いた物語だと保証するよ……せっかくなら、他の作品も読んでみてほしい」
そう言って、ヴィルヘルムはさらに二つ、紙の束を取り出す。
ジェラルドにはそれらにも目を通す。今度は最初から真剣な表情で、食い入るように素早く読み進める。
さして時間もかからず二作を読み終えると、考え込むこともせずヴィルヘルムの方を向く。
「いずれの作品も、とても面白い。これを演劇にするとなれば多少の修正は必要でしょうが、物語としての面白さは疑いようがありません」
「……ありがとう。嬉しいよ。何よりも嬉しい言葉だ」
予想していた中でも最良の評価を受けて、ヴィルヘルムがまず覚えたのは安堵だった。
この世界で創作表現に生きる者から見ても、自分の書いた物語は通用するのだ。そう確信できたからこその安堵だった。
「僕は子供の頃からずっと、自分の書いた物語をたくさんの人々に届けたいと思っていたんだ。君たちと力を合わせれば、僕の夢も実現し得ると確信している」
「……本当に私たちでよろしいのですか? 私たちは根無し草の旅芸人。あまり誇れぬ出自の者もおります」
どの社会にも属さない旅芸人は、すなわちどの社会にとっても余所者。何かしらの理由で故郷にいられなくなったような人間も珍しくない。だからこそ、よほど人気の旅芸人でも、貴族などの後援者を得てどこかの社会に迎えられることは容易ではない。ジェラルドたちのような、特段有名というわけでもない者は尚更に。
「構わない。父には何かあれば僕が責任を取ると伝えているし、君たちが僕の覚悟に応えてこの社会の善き一員になってくれると信じている。君たちの過去は気にしないし、詮索もしない。君たちに求めるのは、良い演劇を作り上げてもらうこと、それだけだ」
ジェラルドの問いかけに、ヴィルヘルムは迷いなく答えた。
「僕はこの先、父と兄と共にフルーネフェルト男爵領をより一層発展させる。より多くの人が暮らし、訪れる地にする。そうすることで僕の物語を、そして君たちの演劇を、大勢に届けていく。君たちと一緒なら、劇場を訪れることを目当てに領外から旅行者がやって来るような、そんな演劇を作り上げることだってできるはずだ。だからどうか、僕の提案を受け入れてほしい」
ヴィルヘルムが真っすぐに見据えて言うと、ジェラルドはその視線を受け止めながら思案し、そして答える。
「……私個人としては、ご提案をお受けしたく思っております。ですが、他の者たちの意思も確認しなければなりません。明日までお返事をお待ちいただきたく」
「分かった。それなら、その三作を他の者たちにも読ませてあげてほしい。その上で彼らにも考えてもらいたい」
その言葉に、ジェラルドは驚いた表情を見せる。
「よろしいのですか? 未発表の作品を旅芸人の一座などに預けて?」
「たった三作を盗むことと引き換えに捨てるほど、君たちの矜持が安いとは思っていないよ。万が一盗まれたとしても、他にもまだ作品はある。新しく書くこともできる」
ヴィルヘルムが答えると、ジェラルドは参ったというように苦笑しながら首を振った。
そして、ヴィルヘルムとアノーラは一座の野営地を辞去する。
「エルヴィン、今回もありがとう。忙しいのに手間をかけさせたね」
「いえ、そのようなことは」
護衛を務めてくれたエルヴィンは、主家の子息であるヴィルヘルムから労いの言葉をかけられ、生真面目な表情で答える。
「さて、彼らの返事はどうなるかな……」
「絶対に大丈夫よ。ジェラルドもあの様子なんですから。他の皆もヴィリーの物語に惚れ込むに決まってるわ」
呟くように言ったヴィルヘルムに、アノーラが自信に満ちた声で断言する。
彼女に頷きながら、ヴィルヘルムも手応えを感じていた。これ以上ないほど強い、確信に近い手応えを。
翌日。一座の総意としてヴィルヘルムの提案を受け入れると、ジェラルドの返答が屋敷に届けられた。
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