第39話 処刑①

 リシュリュー伯爵領。この地がそう呼ばれる時代も終わりを迎えようとしていた。


 領都ランツの中央広場は今、人で溢れかえっていた。

 幼い娘は屋敷に置き、一人で夫の最期を見届けんとするロクサーヌ・リシュリュー伯爵夫人。これまで仕えた主の最期に立ち会う伯爵家の臣下たち。各都市の代官と、各地の村から呼び集められた村長たち。

 ランツの住民たち。周辺の村から野次馬として集まった領民たち。

 中には、同胞を殺した侵略者の死に様を見届けてやろうと、フルーネフェルト男爵領からやって来た者たちもいる。

 神の御前で行われる正義の公開処刑、という体を為すために、ランツの聖職者たちも立ち会っている。ユトレヒトの司祭も、フルーネフェルト家お抱えの聖職者として参列している。

 フルーネフェルト家の臣下も、ハルカやナイジェルなど少なくない者がこの場にいる。仕事でランツを訪れたついでに見物に来たカルメンや、今後の舞台演出の参考に、本物の公開処刑の光景を見に来たジェラルドもいる。

 そして、アノーラもいる。マルセルを処刑した後、この地の新たな領主家として共に宣言を行うために。

 広場の一角に置かれた演台。その周囲をエルヴィンたち騎士やヴァーツラフたちラクリマ傭兵団が守る中で、ヴィルヘルムは台上から呼びかける。傍らで後ろ手に縛られて膝をつくマルセルを示しながら、群衆に向けて声を張る。


「リシュリュー伯爵マルセルは、己の野心を満たすために、無謀かつ愚かな侵略に臨んだ! 多くの伯爵領民を巻き込みながら、これまで友好的な関係を保ってきた我がフルーネフェルト男爵領へと攻め込んだ! 交易を為し、交流を為し、領境をまたいで結婚する者さえいたリシュリュー伯爵領とフルーネフェルト男爵領の民が、殺し合いをさせられた! 何と残酷なことか!」


 巧みに抑揚をつけながら、ヴィルヘルムは語る。今後の統治や自領の民との融和を考え、マルセルだけが悪であるように語る。

 領主貴族の公開処刑が行われ、それを見るために大勢が集うという究極の非日常の中で、興奮状態の群衆からは、なかなか良い反応が返ってくる。皆、場の空気に飲まれてヴィルヘルムの言葉に同意を示す。

 露骨な悪政を敷いていたわけでもないが、名領主というわけでもなかったマルセルは、領内社会が裕福とは言えなかったこともあり、為政者としての評価はあまり高くなかったという。

 その上で楽勝のはずの戦争に大敗したとなれば、既に領民たちからは嫌われきっている。群衆の中からは、早く死ね、死んでしまえと叫び罵る声も飛び交う。


 民は感情的で、その感情は移ろいやすい。彼らの性質を今は最大限に利用しながら、一歩間違えれば自分が今のマルセルの立場になるのだろうと想像し、ヴィルヘルムは空恐ろしさを覚える。

 そんな内心をおくびにも出さず、言葉を続ける。


「それだけじゃない! マルセル・リシュリューは我が領に傭兵をけしかけ、何の罪もない領民を虐殺させた! 我が民は男も女も、老人も若者も、百人以上が殺された! 民を守ろうとした我が騎士たちと、我が兄エーリクまでもが殺された! さらにこのマルセルは、交渉をしようと嘘を言って我が父ステファン・フルーネフェルト男爵を呼び出し、容赦なく殺した! 人にあるまじき冷酷非道! その罪に対する罰は、ただ死のみがふさわしい! そうだろう!」


 ヴィルヘルムが煽ると、野蛮な歓声が返ってくる。ノエレ村を襲った傭兵を領民たちに殺させたとき以上の、大きな熱気が広場を満たしていた。


「今日ここで、マルセル・リシュリュー伯爵は罪を贖う! 彼自身の首を捧げて贖罪を為す! 彼に殺されたステファン・フルーネフェルトとエーリク・フルーネフェルト、我が騎士と領民たちに代わって、この私が、ヴィルヘルム・フルーネフェルトが正義の刃を振り下ろす!」


 高らかに言いながら、ヴィルヘルムは剣を掲げる。父ステファンが生前に用いていた、フルーネフェルト家に代々伝わる剣を。

 そして、マルセルの首の後ろに据える。

 マルセルは貴族としての正装で、己の最期に臨んでいる。敗北後の潔い態度に報いて、ヴィルヘルムは彼が貴族として死ぬことを許した。

 彼は泣き叫ぶことも、震えることもしない。首を差し出すような姿勢で、ただ静かに死を待つ。

 ヴィルヘルムは剣を振り上げ、構える。


「……忘れてくれるなよ、ヴィルヘルム殿」

「……もちろん。約束は守りましょう」


 呟くように言ったマルセルに、ヴィルヘルムも彼だけに聞こえる声で返す。

 そして思い出す。ランツ占領の後、彼と交わした会話を。


・・・・・・


「リシュリュー伯爵家の重臣たちから聞きました。マルセル殿、貴方はリシュリュー家の勢力拡大と、その果ての建国を夢見ていたそうですね……どうしてそのような野望を? 無謀な躍進を試みずとも、ルーデンベルク侯爵家の傘下に入れば貴方は安泰だったでしょうに」


 ランツを占領し、リシュリュー伯爵家の屋敷を制圧した翌朝。ヴィルヘルムは屋敷の一室でマルセルと対峙し、尋ねた。

 捕虜にしたマルセルと真正面からまともに対話するのは、これが初めてのことだった。そしてヴィルヘルムは、これを最初で最後の対話にするつもりだった。

 それまでは諦念ばかりを顔に浮かべていたマルセルは、その問いを受けて、初めて表情に攻撃的な気配を滲ませる。


「どうしてだと? そんなもの、決まっているだろう……悔しかったのだよ! 生まれた時から名ばかり伯爵などと陰で囁かれ、貴族社会で軽んじられるのが! こんな立場を運命づけられ、生きていくのが!」


 怒気を露わに、身を乗り出すようにしてマルセルが言うと、護衛のエルヴィンが剣の柄に手を触れて警戒する。マルセルの後ろにつく二人の騎士が、身を乗り出した彼を椅子に引き戻そうと進み出る。

 それを、ヴィルヘルムは手で制する。後ろ手に縛られたマルセルは、どうせ何もできはしない。


「これから動乱の時代が始まるのだ! 動乱の時代には新たな勝者が生まれるのが歴史の常じゃないか! 自分がその勝者になろうとして何が悪い! 挑戦して何が悪い! 周囲から馬鹿にされ軽んじられる現状を、覆そうとして何が悪い……我が子にこんな運命しか残せない現状を、変えようとして何が悪いというのだ!」


 マルセルの叫びに、ヴィルヘルムは驚いて片眉を上げた。その力強い声からは、真に迫る覚悟が感じられた。


「リシュリュー伯爵家の不遇な運命を打破するためにこそ、私は野望を胸に戦ったのだ! それが大きな賭けだと分かった上で、手段を選ばずに戦った! 私と同じようなことをした者は歴史上で幾らでもいる! 私だけが挑んではいけない道理はない!」

「……貴方がどのような思いで現状に挑まれたのかは理解できました。もちろん貴方の言う通り、貴方が挑んではいけない道理はありません。貴方は真正面から挑戦した。そして破れた。私は敬意を以て、貴方を敗者として扱いましょう。戦いと歴史の敗者として」


 ヴィルヘルムが表情を引き締めて言うと、マルセルは満足げな表情を見せる。


「それでいい。それでいいんだ、ヴィルヘルム・フルーネフェルト……それで、貴方はこの先どう動くつもりだ? 私からリシュリュー伯爵領を奪い取り、建国を成し遂げるまでの道筋はもう描けているのか?」


 その問いに、ヴィルヘルムは怪訝な表情を返す。マルセルにはまだ、建国を目指す件は話していない。


「はははっ、当たりか。その目を見たときに気づいた。貴方は今、私と同じ目をしている。行動を起こすと決めた後、鏡で幾度となく見た私の目と同じ光を持っている。大方、私の侵攻に追い詰められたことで、虐げられない強者になろうとでも考えたのだろう。違うか?」

「……仰る通りです。貴方は大した方だ」


 感嘆のため息を零して言うと、マルセルは楽しげに笑った。


「ははは、ようやくひとつ勝ったな……ヴィルヘルム・フルーネフェルト。貴方に頼みがある」

「何でしょう?」

「必ず建国を成し遂げろ。そして、私を忘れるな」


 そう言いながら、マルセルはヴィルヘルムを睨みつける。


「建国への覇道を歩んでいくなら、貴方はこれから幾度も戦うのだろう。我が軍との戦いよりも遥かに大きい戦いに臨むのだろう。だが、貴方が最初に戦い、倒したのはこの私、リシュリュー伯爵マルセルだ。貴方に建国を決意させた最初の敵は私だ。それを忘れるな。必ず国を築き上げ……ああ、くそっ! 何故私が貴方にこんなことを言わなければならない! どうして私ではなく貴方なんだ! 私の何が駄目だったというんだ…………だが、敗けた以上は仕方ない。だから貴方に託すぞ。必ず国を築き上げ、そして私のことを忘れるな。貴方の最初の敵として、私の名を歴史に刻め。美化しろとは言わない。むしろ好きに蔑めばいい。とにかく私の名を歴史に残してくれ!」

「……分かりました。私は必ず国を作り上げます。長く栄える国を。我が国の歴史書、その最初の章に、リシュリュー伯爵マルセルの名は刻まれることでしょう。私が建国を成す、その最初の一歩の前に立ちはだかった敵として、貴方は永遠に歴史に名を残すでしょう」


 ヴィルヘルムが答えると、マルセルは不敵に笑んだ。ヴィルヘルムも同じ笑みを返した。


「感謝するぞ。心から感謝する……最後にひとつ、明かしておこう」

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